ミケちゃん、ありがとね!
少しずつ戦いの様子が変わっていった。
警戒するべきなのはドングリだけ。
巨大なゴブリンは、そう考えるようになってきたようだ。
ガウスを無視して、ドングリを追いかけようとする。
注意を引くため、あえて無防備に。
ガウスがさらに前に出るようになる。
すると、当然防御が難しくなる。
余裕がなくなる。
直撃はなんとか避けている。
だが、ガウスの身体はますます傷だらけになっていくのだった。
ドングリは必死に槍を突き出した。
なんとかして早く終わらせなければならない。
もっと速く。
もっと強く。
何度繰り返しても、皮膚を浅く削るだけだ。
一度も突き刺さることはない。
泣きなくなるのをこらえて、ドングリはピッと眉を上げる。
ここであきらめるわけにはいかない。
無駄に思えても、ほかに可能性がないのだから。
まともに戦えるのはドングリとガウスだけ。
結果が分かり切っているとしても、続けなければならない。
そして、その瞬間が来てしまった。
なんとか受け流して、しかし攻撃の余波で、ガウスがよろめく。
あえて狙ったわけではない、無防備な体勢。
巨大なゴブリンは不思議そうな顔で、振り下ろした剣を、横に払った。
たまたまなのか、ガウスは自分の剣をぶつけた。
直接切られることはなかった。
だが、衝撃は受け止めきれない。
放り投げた人形のように、ガウスは吹き飛んでいった。
ローザたちのいる場所に、落ちる。
ゴブリンは目で追うこともしなかった。
ようやく邪魔がいなくなったというふうに、ドングリを見つめていた。
ふう、とため息をついて、ドングリは槍を握りなおした。
「ミケちゃん、ありがとね!」
と声をかける。
「ミケちゃんに森で助けてもらったおかげで、この町に来れた。みんなやさしくて、楽しかったよ! ミケちゃんがいたから、記憶がなくても寂しくなかったよ!」
「どういう意味ニャー! なんでいまそんなことを言うのニャー!」と騒ぐ声が聞こえる。
その声が近づいてこないのは、ローザが押さえてくれているからだろう。
「ローザさん、ガウスさんの怪我、治してあげてね。ミケちゃんのこともよろしくね!」
「……わかったわ」
「クーンさん。みんなの避難、よろしくね!」
「……」
返事はなかった。
だがクーンに任せれば大丈夫だ。
あとはどれだけ粘れるか。
しゃべり終わるのを待っていたというわけでもないだろう。
巨大なゴブリンが、ふと思いついたというように、剣を振り下ろす。
ガウスがやっていたように、攻撃を受け流す。
グンと身体を突き飛ばされたような衝撃。
すぐに叩きつけられる、石や土。
一度受けただけでよろめいて、身体を揺さぶられる。
なんとか倒れずに踏みとどまることはできた。
しかし、こんなものを何度も受けられるわけはない。
ドングリの身体から冷たい汗が噴き出る。
魔法を使うのも、もう限界なのかもしれない。
ビリビリとした痺れが、全身に広がっている。
それでも、みんながここから離れる時間を稼がなければならない。
ドングリはピッと眉を上げて、一歩足を踏み出した。
ちょうどそのタイミングだ。
飛び込んできたものがいた。
女の子が走っているのだとは、誰も認識できない。
ギリギリ倒れていないというだけの前傾姿勢。
魔法で追い風を作って。
倒れるよりも前に足を踏み出して。
ぐんぐん加速して。
真っすぐ巨大なゴブリンのもとへ。
あまりのスピードに、巨大なゴブリンは気づくことすらできない。
足元で、ダンと地面を蹴る。
移動する方向を変える。
足元から頭上へ。
一直線。
剣を突き出したまま、ゴブリンの体を切り裂いて、上空へ。
パチンと剣を鞘に納めて、そこで力尽きたように落ち始める。
女の子は地面にべちゃりと着地した。
巨大なゴブリンは、何の反応もできないまま、半分になった。
それぞれバラバラの方向に、体が倒れていく。
何が起こったのかわからなくて。
しかし、巨大なゴブリンが倒されたのだということはわかって。
途端に視界の端のほうから、黒く塗りつぶされていって。
力が抜けて。
ドングリはパタンと倒れたのだった。
クーンたちの足元にはガウス。
少し離れたところにドングリと飛び込んできた女の子。
巨大なゴブリンも体を半分にされて、倒れている。
もう誰も立っていない。
一瞬の出来事だった。
「……! おい、ローザ先生! ぼさっとするな!」
「えっ、そう、そうね!」
ローザが抱きかかえたミケランジェロを放して、ガウスの様子を確認する。
「ドングリ、ドングリニャア!」
ミケランジェロがドングリへ駆け寄る。
「ほかの町から救援が来たのか……。助かったぞ!」
クーンは女の子のもとへ。
「全員診療所へ運ぶぞ!」
「ニャーも運ぶニャ!」
「ええ、任せてちょうだい」
慌ただしく、倒れた三人の救護を始めるのだった。
***
全員を診療所に運んで、応急処置をして、ひとまず問題はなさそうだと一同がホッとしたところで、ガウスが目を覚ましたのだった。
「その救援に来てくれた女の子が、ゴブリンを倒してくれたんだぜえ?」
「そうだ。ギリギリ間に合った。ドングリも無事だ」
「それは良かったぜえ」
とガウスはため息をつく。
「でもお嬢ちゃんにも、その女の子にも助けられて、俺は何の役にも立てなかったぜえ。ふがいないぜえ」
「それだけボロボロになって、よく言う」
クーンが猫パンチをすると、ガウスはびくんと飛び跳ねた。
全身に包帯を巻いて、ガウスはベッドに横たわっている。
ドングリと女の子もベッドの上。
こちらは目を覚ましていない。
「……お嬢ちゃんたちは、起きるんだぜえ?」
「ああ。ひどい怪我はしていない。ローザ先生の話だと、ふたりとも魔力酔いと似たような症状らしい。今回は魔力の使いすぎだな。魔法使いというのも難儀なものだ」
「お嬢ちゃんはダンジョンマスターを倒してそのまま戦うことになったから、ずいぶんと無理をさせたんだぜえ……」
「グチグチ言うな。ドングリが起きてからお礼を言えばいい」
「それもそうだぜえ……」
「ふふ、お話し中悪いけど」
と背後から忍び寄ったローザがクーンのお腹に手を回す。
「あなたもずいぶん無理をしているみたいじゃない」
「ふん、たいしたことはないさ」
「ふーん? やせ我慢しちゃって。触ったらわかっちゃうのよ。お注射打ちましょうね」
「注射!? いや、まて! たいしたことはない! たいしたことはないんだ!」
暴れるクーンをがっちりと抱えて、ローザが診療所の奥へ歩いていく。
注射器を取りに行くようだ。
ふう、とため息をついてガウスはドングリが眠るベッドを見つめた。
巨大なゴブリンを倒したというのは本当らしい。
こんなにのんびりしていても、町は静かなもの。
それも全部、ついこのあいだホルスにやってきた、この少女のおかげだ。
よくやったと。
ありがとうと。
声をかけたい。
だが、いまは眠っている。
とりあえず自分もゆっくり眠るとするか、とガウスは目を閉じた。
ベッドで眠るドングリのお腹の上では、ミケランジェロが丸くなっているのだった。