このゴブリン強い! でも絶対負けないからね!
部屋の中には一匹のゴブリンがいた。
あきらかにほかのゴブリンとは雰囲気が違う。
棒を振り回すやる気のあるゴブリンとも。
魔法を使う杖のゴブリンとも。
背が高いというわけではない。
筋肉が盛り上がっているというわけでもない。
普通のゴブリンと見た目は変わらない。
しかし、佇まいが違っていた。
ドングリたちを見て、スゥッと剣を持ち上げる。
「クーンさん、下がって!」
こちらも剣を構えて、ドングリが言う。
ゴブリンが動き出した。
きちんと視界に入れていた。
目を離すわけはない。
特別、スピードが速いわけでもない。
なのに、ドングリの反応は遅れた。
ガウスよりも滑らかな動きで、剣が振り下ろされる。
受けた瞬間、ドングリは魔法を使っていなかったことを後悔した。
手がしびれて、剣を落としそうになる。
すぐに次の攻撃。
今度は魔法を使って、しっかり受け止める。
(強い……!)
だが、攻撃を受け止めることはできている。
戦えないというほどではない。
(なんとか隙を見つけられれば……)
慎重に攻撃をさばいて、様子をうかがう。
ゴブリンは無理に剣を振り回すことはない。
ドングリの動きを見て、的確に剣を振り下ろしてくる。
対応しても、すぐに次。
隙らしい隙は見つからない。
ゴブリンが一歩足を踏み出すだけで、ドングリの動きが封じられる。
何もかも見通されているようだ。
クーンたちも近づけずに見ているだけ。
(イチかバチか……じゃあダメなんだよね)
ガウスの言ったことを思い出す。
その意味もわかってきた。
これは我慢比べなのだ。
イチかバチかで動けば隙ができる。
ゴブリンはその隙を狙っている。
安全に、確実に、ドングリを仕留めようとしているのだ。
だからこそ、ドングリは攻撃を受け止められているとも言える。
焦らせるためだけの、リスクのない攻撃。
しっかりさばいていけば、斬られることはない。
(でも、それじゃあ負けないだけで、勝てない……!)
そう考えながら、必死に剣を振る。
焦ってはいけない。
だがこのままでは倒せない。
神経が磨り減る。
時間だけが過ぎていく。
ズルッと音がした。
地面に落ちた小石に、足を滑らせてしまったのだ。
小石が落ちていることなど、まったく気がつかなかった。
ドングリの体勢が崩れる。
その瞬間。
次にどうなるかがわかった。
ゴブリンが、肩にグッと力を籠める。
そして、剣を振りぬこうとした、そのタイミングで。
「させるか!」
クーンがゴブリンの背中に飛びかかった。
すぐにゴブリンがクーンを振り払う。
壁にたたきつけられた音。
続けて、うめき声。
ドクドクと心臓の音が聞こえる。
目を見開いて、息を整える。
ドングリは剣を構えなおした。
仕切り直しだ。
クーンのおかげで、ドングリがゴブリンに斬られることはなかった。
壁にたたきつけられたクーンが、どういう状況なのかわからない。
だが、たしかめるために視線を外すことはできない。
ガウスたちがどうなっているのかもわからない。
なるべく早く倒さなければならない。
やらなければならないこと。
考えなければならないことが多すぎる。
いま危うく死にかけたのだという実感。
頭の中にうずまいていたさまざまな考えと焦りが、スゥーとひいていく。
ドングリの身体が冷たくなった。
奇妙に落ち着いていた。
できないことを考えても仕方ない。
いまできるのは、ゴブリンの剣をさばくことだけ。
(そっちがそのつもりなら、いつまででも付き合うよ! そのかわり、我慢ができなくなったほうが……! わかってるよね!)
ピッと眉を上げて、ドングリが剣をはじく。
何かを感じ取ったのか、ゴブリンの剣がためらいがちなものになった。
音がよく聞こえる。
視界も広くなったようだ。
ゴブリンの動きが手に取るようにわかる。
地面に落ちている小石の場所も、いまならわかる。
危うく死にかけたことによって、ドングリは戦いに集中することができるようになったのだった。
***
キン。
キン。
キン――。
どれくらい時間がたっただろうか。
キン。
キン。
キン――。
剣を打ち合わせるたびに、身体が冷たくなっていく。
余計なものが削ぎ落とされ、鋭くなっていく。
いつからか、ドングリの剣の勢いがゴブリンを圧しはじめていた。
だが、それでも焦らない。
相手の動きを観察して、丁寧にやれることをひとつずつ潰していく。
一歩足を踏み出して、プレッシャーを与える。
ゴブリンが、少しずつ後退していく。
それでも、まだだ。
キン。
キン。
キン――。
いつ終わるかを選ぶのは、ドングリではない。
待ち続ければ、そのときはくる。
急いだほうが負け。
選んだほうが負け。
もう終わりにしたいと思ったほうが負け。
我慢できなかったほうが、命を落とす。
そういう戦いなのだ。
キン。
キン。
キン――。
そして、その瞬間は突然やってきた。
ゴブリンが剣を振り上げ、雄叫びをあげながら飛び込んでくる。
剣を振り切る。
あんなに待っていたのに。
あっけないと思えるほどに。
ゴブリンの体はあっさりと半分になった。
ドングリはダンジョンマスターを倒したのだった。
***
「やったな! よくやった!」
「さすがなのニャー!」
大きく息を吸って、ゆっくりと吐いて、ドングリはニッコリ笑った。
「うん! まあね! クーンさんは大丈夫?」
「大丈夫だ。たいしたことはない」
「本当かなー?」
見たところ怪我はしていない。
じろじろと眺めるドングリに、クーンは「ふん」と鼻を鳴らした。
「よーし、あとはホルスに帰って、町の周りのゴブリンを片づけるだけだね!」
「そうニャ! もうひと安心だニャ!」
「ああ、助かった。ドングリのおかげだ」
「えへへ!」と笑って部屋から出ようと足を踏み出す。
その拍子に、するりと握っていた剣を落としてしまった。
「あれっ? いたた……」
何度も打ち合ったせいなのか、魔法を使いすぎたせいなのか、指の先がしびれて力が入らない。
「おい、大丈夫か?」
「どうしたのニャー?」
「ん……大丈夫」
なんとか剣を拾って、鞘に納める。
「さあ、ホルスに帰ろう!」
「ああ」
「帰るのニャー!」
と出口へ向かうのだった。
***
ダンジョンから出て、しばらく歩くとホルスが見えてくる。
「うーん? なんか変じゃない?」
ドングリは首をひねった。
やけに静かだ。
ゴブリンと戦っている様子もない。
クーンとミケランジェロも不思議そうな顔をする。
「もう倒しちゃったのかな? ガウスさん――」
ドングリが「ガウスさんすごいね!」と言いかけたところで、ドオンという轟音が聞こえた。
町の中からだ。
何が起きたのかはわからない。
だが、土煙が立ち上っている。
「いかん、これはいかんぞ!」
クーンが険しい顔をして叫ぶのだった。