猫の商人に助けられた! 記憶がない! お金もない! どうしよう!
「ひとりで歩いてると、大きな声でひとりごとを言っちゃうの、なんでかニャー」
森を抜ける道。
リュックを背負った猫が、二足歩行でトコトコと歩いていた。
「ひとりごとを言ってるところ、誰かに見られたら恥ずかしいけど、見られる心配がないと、つい大声になっちゃうのニャ。どうにもやめられないニャ。きっと猫の習性なのニャ」
白地に茶色と黒の三毛猫。
長いシッポの先端はくるりんと丸まっていた。
「そろそろ疲れてきたニャ……。やっぱり馬車を使ったほうが良かったかニャ?」
首をかしげ、前足でひげをこする。
「でも歩いて帰ったほうが、お金の節約になるニャ」
とうなずく。
「うん、そうニャ。これが真の商売猫の考え方なのニャ。歩いてコストカットニャ。こういう細かいこと、普通は気づかないで、無駄遣いしちゃうのニャ。なのにニャーは気づいちゃうのニャ。ニャーは商売に向いてるすごい猫なのニャー」
今度は得意げな顔をする。
「歩いたせいで、予定よりもかなり遅れてるけど、しょうがないのニャ。必要経費ニャ。そんなことより、ちょっとお腹空いたニャ。休憩ニャ」
そう言って、道の脇に逸れるのだった。
ちょこんと座って、リュックの中から取り出したのは煮干し。
前足で器用に挟んで頭からかじりつく。
「モグモグ……お魚さんはおいしいニャア……。最高だニャア……。天気もいいし、お昼寝でもしようかニャア……。ニャハァァ……」
その言葉に反応したかのように、雲が現れ、空が暗くなった。
風が吹き、木々を揺らす。
猫は身体を震わせ、あたりを見回した。
そこで初めて自分が森の中にいることに気づいたかのように、慌てて立ち上がった。
「そろそろ行こうかニャ……。のんびりしている場合じゃなかったニャ。魔物に襲われるかもしれないしニャ。もう十分休憩したニャ」
先ほどまでよりもスピードを上げて、トコトコ歩きだす。
だが、またすぐに立ち止まった。
「人間ニャ? 寝てるのかニャ?」
道を外れ、落葉にめり込むようにして、少女が倒れていたのだった。
髪はわずかに肩にかかっている。
着ているのは水色のワンピース。
荷物は、どこにも見当たらない。
「何してるのかニャ? 動かないニャ。気になるニャー? もしかして、死んでるのかニャ?」
近づいて、肉球をピタッと少女の鼻に当てる。
耳をピクピク動かし、うなずく。
「息をしてるニャ。生きてるニャ。じゃあお昼寝してるのかニャ? でも人間の女の子がこんな森の中でお昼寝するかニャ? ニャーもお昼寝しようかニャ? 迷うニャ。どうしようかニャ」
「う……ん?」
少女が目を開けた。
「あ、起こしちゃったのニャ? ごめんなさいなのニャ」
「ん……猫? 仔猫?」
と少女が手を伸ばす。
猫がブルブルッと首を振ってその手を振り払う。
「ニャーは仔猫じゃないニャー! 立派な大人の猫なのニャー!」
「あ、うん、ごめんね。そうだね」
「そうニャ。わかってくれたらいいのニャ」
「うん……? 猫が喋ってる?」
「そうニャ? ニャーは猫ニャ。それがどうかしたのニャ?」
猫がひげをピンと立てて、不思議そうな顔をする。
「いや、あれ? 猫って喋るんだったっけ……? いまちょっと頭がボーッとしてて……うんん?」
少女が首をひねる。
髪がサラリと揺れた。
「きっと寝ぼけてるのニャ。よくあることなのニャ。寝すぎるとそうなるニャ」
猫がリュックから水筒を取り出す。
「水を飲むといいのニャ。はい、どうぞニャ」
「えっ、あ、ありがと」
「煮干しも食べるといいのニャ」
「うん、ありがと!」
猫が少女の隣に座る。
ふたり並んで、煮干しを噛った。
「おいしいね!」
猫が嬉しそうに、耳をピクピクさせる。
「そうニャ! 煮干しは最高なのニャ! なかなか話がわかる人間の女の子なのニャー。もうひとついるニャ?」
「うんん。そんなにたくさんはいらない。……やっぱり喋ってるよね? 猫って喋るんだ……」
「そうニャ?」
「そう……だよね」
少女が首をかしげながら、うなずく。
「そんなことより、なんであんなところでお昼寝してたのニャ? お出かけの途中だったのかニャ? お昼寝にはあんまり良さそうな場所じゃなかったのニャ。もっと日当たりのいいところで寝たほうがよく眠れるのニャ」
「いや、お昼寝? ……なんというか、お昼寝じゃなくて、倒れてたっていうか……あれ? わたし、なんでここにいるんだろ……」
「思い出せないのニャ?」
「……うん。なんでだろ。思い出せない」
「頭打ったのニャ? 怪我してるニャ?」
猫が少女の身体を見回す。
少女も頭やお腹をペタペタと触る。
「怪我はしてないみたい……?」
「名前はわかるニャ? ニャーの名前はミケランジェロニャ。ミケって呼んで欲しいのニャ」
「ミケちゃん! かわいいね! わたしの名前は……わかんないよ……」
途方に暮れた顔で、少女が言った。
「名前がわからないと困るニャー。なんて呼んだらいいのかわからないニャ。でもまかせるのニャ。ニャーが名前つけてあげるのニャ」
「えっ、本当!? どんな名前になるのかな! かわいいのがいいな!」
「まあ待つのニャ」
ミケランジェロは真剣な顔でシッポの毛繕いを始めた。
ガジガジと噛んだりもしている。
かなり集中している様子だ。
そして、パッと顔を上げた。
「思いついたニャ! 森に落ちてたから、ドングリニャ!」
「ドングリ……! どうしよう、すごく……嬉しくない!」
「ドングリが自分の名前を思い出したら、そっちの名前で呼ぶニャ」
「うん。絶対そうしてね。ミケちゃんは何してるの?」
「ニャーは行商の帰りなのニャ。こう見えて、ニャーはニャンブルヘイム期待の商売猫なのニャ。ひと儲けしてきたところニャ。この調子なら、そろそろ大きなお店を任されるかもしれないニャア」
「へえ、すごいんだね! 猫が商売……商売する……? するのかな……? ニャンブルヘイムってなんなの?」
「ニャー!? ニャンブルヘイムを知らないニャ? 世界一有名な猫の商人のお店ニャ。知らないひとはいないのニャ。ドングリは本当に何も覚えてないのニャ。これは記憶喪失だニャ!」
「あ、そう! それ! 記憶喪失だ! わたし、記憶喪失かも!」
ドングリは大きくうなずいた。
「全然、何も思い出せないよ……!」
「大変なのニャ。家とかもわからないのニャ?」
「うん、わかんない」
「帰る場所がないのニャ」
「うん。そうだね……」
「困ったニャア」
ドングリはうつむいてしまった。
ミケランジェロがその顔を心配そうに見つめる。
「……ところで、さっき水と煮干しを食べたのニャ」
「うん! おいしかったよ!」
「あれ、売り物ニャ。ニャーは血も涙もない冷徹な商売猫だから、お代を請求するニャ。締めて500マアルになりますニャ」
ドングリはペタペタと身体を触った。
立ち上がって、ピョンと飛び跳ねる。
ワンピースがふわりと揺れた。
「わたし、お金持ってないみたい……!」
「お客さん、食べてしまってからそういうのは困りますニャア」
「どうしよう……」
「仕方ないニャア。働いて返してもらうのニャ。ホルスの町までニャーの護衛をしてもらうのニャ」
「ホルスの町?」
「ニャンブルヘイムの本店がある町ニャ。ニャーはそこに帰るところなのニャ」
「護衛って……。わたし、護衛とかやったこと……たぶんないよ?」
「いないよりはマシなのニャ。女の子でも、猫よりは強いのニャ。それに、どうせホルスがどこにあるのかもわからないのニャ? ひとりじゃ行けないのニャ」
「そうだね……。わたし、わかんない……」
「でも、ニャーの護衛をしてたらホルスに着くのニャ。そしたら、ドングリの知り合いが見つかるかもしれないのニャ。ちょうどいいのニャ。ここにいたって仕方ないのニャ」
「うん……そっか、そうだね。ありがと。優しいね!」
「何のことかニャー? ニャーは煮干しのお代を働いて返してもらおうとしてるだけなのニャー。ニャーは冷酷な商売猫だからニャ」
「ふふふ、わかった!」
ドングリはミケランジェロの頭をひとしきり撫でてから立ち上がった。
「じゃあ、行こっか!」
「ちょっと待つニャ。はい、これ持つニャ」
ミケランジェロが、どこかから取り出した槍を、ドングリに渡す。
「使えなくても、とりあえず持っておくのニャ。ニャーが持ってるよりはまだマシだからニャ。一応護衛だしニャ」
ミケランジェロの大きさは、立ち上がってもドングリの膝にギリギリ届く程度。
たしかに槍を持っていても使いようがない。
「わかった! よし! わたし、護衛やるよ!」
ドングリは眉をピッと上げて、気合いを入れた。
「やる気になるのはいいけど、危なそうならすぐ逃げるのニャ」
「危ないこと、あるの?」
「この森にはたまに魔物が出るのニャ。そういうときは、一目散に逃げるしかないのニャ。おかげで森を抜けるのにずいぶんかかってるのニャ」
「魔物……? 魔物が出るんだ……。怖いね……」
ドングリの眉が、八の字になるのだった。