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日常の疑問

ガチャガチャの価値とは

作者: Twilight


ガチャガチャってありますよね。


100円から~500円程度の硬貨をいれてレバーをぐるぐる回すと、カプセルトイが落ちてくる、そんな機械の玩具。


どこぞのショッピングセンターやホームセンター、デパートなんかでは大体ありますよね?


そんなガチャガチャを頭に浮かべた時、ふと中国で似たものが流行っているとニュースで知り、なぜ人はガチャガチャをやるのか考えてみた。


多くの人間はガチャガチャを行う時、中身にどんなものが入ってるかを事前に理解し、その何かを目当てで狙う。


そして、当たったものを玄関や棚などの家の中に飾り、鑑賞物として使用する。


それが一般的に知られているガチャガチャの楽しみ方であり、製造者側の想定だろう。


ガチャガチャの基本的な仕組みでは、十数個からなる物体を一つのシリーズとして売り出しており、全てをコンプリートするまでやり続ける猛者もいる。


そんな者たちに共通しているのはコレクター魂を刺激されて、購買意欲を巧みに操っていることだろう。


それ自体は理解できる。


私も過去に同じ経験、同じ思いを胸にガチャガチャを楽しんだ記憶があるからだ。


しかし、しかしだ。


大抵の者はガチャガチャの買った中身を後生大事にしている人はいるだろうか?


先にも言ったが、棚に飾る、玄関に飾る、壁に、テーブル、引き出しの中etc.etc.


とりあえず買ったことに満足して、手にしたことに嬉しさを覚え、そして飾る。


だが、その感情はいつまで持つのだ?


一月後にも同じことを言えるのか?


半年後は?一年後は?


いや、もしかしたら一週間後には買ったことすら忘れているかもしれない。


とはいえそれは、ガチャガチャを楽しむ、全ての者に当てはまるとは思っていない。


けれど、そう考える、考えてしまう者だっている。


主に私だが。


ここまでを前提として私は思った。


ガチャガチャをやる意味とはなんなのか?


下手したら一週間後には忘れているだろうものを、金銭を払って行う価値があるのか?


こういう時はシンプルに値段で換算してみよう。


一つ百円のモノを100回ガチャガチャをすれば、それで10,000円だ。


一つ五百円のモノを20回ガチャガチャをやるだけで、10,000円になる。


一万あれば、おそらく十回は外でランチを食べられるだろう。


それに対して、百円でも五百円でもどちらでも構わないが、100個や20個も置く場所があるだろうか?


よしんば置くところがあったとして、引っ越しや新年の掃除とかで捨てるのではないか?


例えば、それがジグソーパズルやブロックパズルなら想像は出来る。


お金を払い、自身の知識欲と好奇心、そして自尊心を満たすために完成させてやろうという意気込みは持ったことがある。


事実、私の家にその二つのパズルがまだ残っているし、片方のうちの一つは友人が五分としない内に目の前で完成させてしまったので解体せずに残してある。


また、リングやブレスレットなどの身につける装飾品も安っぽいチープさを抜きにすれば、カッコいいとか可愛いという感情として理解できる。


これも実体験として、小・中学生の時に買ったことがあるからだ。


では、フィギュアやスマホのストラップ、色がついただけの宝石の贋作、忍者グッズやら刀、アニメに関するグッズなどはどうしようというのか?


ただ遊びたいだけと言うなら好きにすればいいし、君がコレクターを自称するなら集められることを陰ながら祈ろう。


しかし、大多数の者は極まった蒐集癖を持っている訳でもなく、その場限りの欲望や感情に突き動かされていないだろうか?


このガチャガチャの本質は別の所にあるのではないかと私は考えた。


つまり、ガチャガチャという形を介して所有欲を刺激されているのではないだろうか。


原始時代、我々は狩猟により糧を得て来たが、時代が進むにつれて、他者よりも上位に立つという支配欲が顕在化した結果、所有欲はその下位に属する物だとみられてきた。


それがいつしか、他者よりも優れたモノを欲しがり、次は他者が持ちえないモノを欲しがった。


しかし、現代のように平等に機会を与えられると、自分だけが持っている物というのは少なくなり、それが簡易に満たせるものというのがガチャガチャなのではないだろうか。


少々こじつけが過ぎるかもしれないが、ガチャガチャというものを客観的に見た時そんな感情が浮かんだ。


ガチャガチャをやる人はモノを得られることに期待し、所有する事により喜びを得る。


けれど、そのモチベーションや感動というのは一瞬で過ぎ去ってしまう。


だから次の喜び、感動を求めて、次、次、次……という具合にのめり込んでしまうのだろう。


しかしそこには、手に入れたモノへの感情というのは途轍もなく希薄で、さらに価値としても殊更に低い。


そんな小さな価値のモノを無数に集めても、自分の価値が上がる訳もなく、ほとんどの場合意味のない時間と金銭へと変えてしまう。


金銭を多く支払うモノというのは、決して世界中の人間が褒め称えるような素晴らしいモノなどではなく、価値が分からないけれど飛びついて、考える事を止めた者を糧とした装置のことなのかもしれない。


君たちがそのような装置にハマるのを防ぐため、もしくは抜け出そうともがくのならば、いま一度自分の心に問うてみて欲しい。


ガチャガチャを行うことに意味があるのか。そして、それは君が持つお金を対価とするほどに価値があるものなのかを。


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