(4)魔力切れの将軍と地獄耳の姫
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戦争の早々の決着から、数時間後。
「レイナートさまぁ。
生きてらっしゃいますかー?」
甲冑の乙女ベルセルカが、陣中のテントのひとつを無遠慮に開ける。
そこでは彼女の予想どおり、黒髪の少年が、木製の簡易式の寝台に突っ伏していた。
「……最大値の五分以下。
うん、完全な魔力切れですね」
少女の大きな瞳が一瞬赤く染まり魔法陣を浮かび上がらせたが、すぐに美しい緑色に戻る。
将軍レイナート・バシレウスは、甲冑も鎧下も脱ぎ捨て、シャツとズボンだけでぐったりと無防備に寝転がっていた。
ベルセルカは籠手をはずす。
柔らかい指先で彼の頬に触れると、レイナートはゆっくり顔を上げた。
そのまま耳や首筋をくすぐるとビクッと反応して、でも動けないのか、紫の目で彼女を睨む。やめろ、と口を動かしたのが見えた。
ごめんなさいと笑いながらベルセルカは、銀のコップに水差しで水を注ぎ、自分のそれより一回り大きな少年の手に渡した。
「……ありがとう、ベル」
ナメクジのようにうつ伏せに這ったまま、器用に水を飲む18歳の上司に、
「お行儀が悪いですね」
とベルセルカはからかう。
「連日の行軍指揮で睡眠不足。
さらに魔弓騎兵隊の強化と転移魔法。
それだけお疲れでいらっしゃるのに、竜と闘って兵の治癒魔法と蘇生魔法までがんばったら限界ですよ。
もともと悪い顔色がさらに悪化して、もはやゴーレムみたいですね!」
「ほっとけ」
クスクスと笑って、ベルセルカは寝台の端に腰かけた。
レイナートは空になったコップを彼女に手渡し、そのまま寝がえりを打つ。
ついさきほど陣頭で敵の首を縦横無尽に刈り飛ばしていた乙女と、冷酷に隣国領主の心臓を一突きした少年と、同一人物だとはとても思えない姿だった。
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一方。テントの外には警備の傭兵が4名。
彼らは心配げに、ひそひそと語り合っている。
「……あの姫さん、大丈夫なのか?」
「化け物同士だからな……なにか通じあってんじゃねえのか」
その口調にはどこか、テントの主への恐怖がうかがえた。
この国では、王家の男子を始祖とする王佐公爵家十三家を指して、王族と呼ぶ。
王家の男子が王位を継ぎ、王太子以外の子女は王佐公爵家と婚姻し、血を維持する。王家の男子が絶えたときには、この十三家の当主から次期国王が選出されるのだ。
バシレウス家はその十三家中で第8位。
18歳で当主を務め、今回征北将軍を任じられているレイナートもまた、王族である。
しかし、その身分が恐ろしい、というわけではない。
この国の魔法は、難易度ごとに下級・中級・上級…と分かれ、上級から上の魔法を操れるのは王家と王族のみとされている。
そのなかで、いま、『王国史上最強』とされる3人の若者が現れている。
その一人が、レイナートだ。
底無しに多彩な魔法を開発し使いこなす彼は、『全能』とも、『国ひとつを滅ぼす力がある』とも言われる。
そしてもうひとつ恐れられる理由が。
「『異世界人』の大罪人の女が産んだ子なんだろう?」
衛兵たちは、声をひそめ、噂話をつづけた。
この国は、『転生者』を恐れ、忌み嫌っている。
【正しいものは天国へ。
正しくなかったものは地獄へ。
それが神が定めた摂理である。
だが、まれに裁きそのものを逃れる者がいる】
【彼らは死後、多くは“女神”を名乗るものに誘惑されるという。
すなわち、女の身でありながら、天地にただひとりしかおられぬ“神”の名を騙り、死者を堕落へいざなう魔物である】
【その“女神”なる魔物は甘言を弄して転生をうながし、時に、この世にあってはならない力まで与えるという】
【ゆえに転生した者は、神に背いた大罪人である。
その死をもって、あるいは生涯の無私の労働をもって、償わねばならない】
それがこの国の“神”の教えだ。
レイナートが治めるカバルス以外の地では、転生者がいまだに古の魔女狩りのように狩られる。
一部の地ではそのまま焼き殺され、それ以外では奴隷とされる。
中でも特に忌み嫌われるのは、悪しき知恵と堕落を持ち込むとされた『異世界人』の転生者。
レイナートの母は『異世界人』だと、噂されていた。
その噂に真実味を持たせているのは、王城からのレイナートの扱いだ。
王族で将軍であるというのに、王国の正規軍も貸し出されずに危険な戦場に派遣される。
さらには、嫌がらせのごとく最悪のタイミングで命令が下りてきては、二度とない大事な式典から排除されるのだ。ちょうど今回のように。
***
テントの中のふたりに話を戻す。
「あの竜は、まだよく眠っているみたいです。近づかないように、傷つけないように、と、兵には伝えてあります。
おつかれの将軍様は、夕食までいい子で寝てましょうねー」
「俺は幼児か」
「自分の魔力残量も把握せずにぶっ倒れるまで力を使ってしまうあたりは、とっても似てるかもですね!」
「…………反省してます」
「本当ですよ反省してください。
いま敵の援軍が来たら、私一人じゃ余裕がないので皆殺しにするしかないですよ?」
「そこは善処しなさい」
まるで、ちょっとしたいたずらをたしなめるような物言いだ。
上司の言葉にクスクスと乙女は笑う。
「……王国のために、そんなに体を酷使してまで尽くさなくて、いいんじゃないですか?
がんばりやさんすぎますよ」
上司の黒髪を、ベルセルカがなでた。
レイナートは眠気を覚えてきたのか、目を細めつつ、少女の指の動きに気づかない。
姿勢を変えたことでレイナートの首筋が上を向く。
そこに、遠い昔におされたいびつな烙印が浮き上がっているのが見えた。
転生奴隷と、その子供には、国教会の者の手で、家畜のように顔や首筋に烙印が押される。
烙印のかたちは、国教会が定めた魔除けの紋だ。
王族では彼だけにつけられたその焼き印を、レイナートは指で触れる。
「俺には前世の記憶らしきものはない。おそらく転生者じゃないんだろう。
でも、なにか怠けたり、なにか失敗したりしたら、『これだから転生者の血は』という話になってしまう」
魂の問題に血もへったくれもないだろう。本当ならそう言いたいところだが。
「だから、手を抜けなかったし────俺が一生懸命がんばりつづけたら、国も今の制度を見直してくれるんじゃないだろうか、という期待はないでもなかった」
「結果、裏切られつづけていますけどね?」
「そうだな。それでも、がんばってはきたんだが────少し、つかれた」
ベルセルカは手を伸ばし、レイナートのわずかに開いていた瞼を、閉じさせた。
もう考えるなと、伝えるように。
「……ベルセルカは?
眠らなくて、大丈夫か?」
「ええ! 残念ながら、この“千人殺し”のベルセルカ・アースガルズ、今日は200人ほどしか斬っていないので、全然元気ですよ?」
「……了解。
今度から心配するのやめるわ」
ベルセルカは再び微笑み、レイナートの黒髪をなでる。
「ゆっくりおやすみになってください。
夕ご飯には起きてくださいね。
良いものを見せて差し上げますから」
若き将軍はうなずき目を閉じる。
しばらく主をいつくしむように見つめたあと、ベルセルカは立ち上がり、籠手を装着して、テントの入り口を出ようとした。
「おまえの、おかげで」
不意に、背中からかかる上司の声。
「今日も、こちらの死者が、少なくて済んだ。
……ありがとう…」
振り向いたときには、彼はもう寝入っていた。
戦場でいつも、誰よりも多く殺すベルセルカに、レイナートはねぎらう言葉を欠かさない。
見えていないだろう上司に敬礼をして、ベルセルカはテントを出ていく。
テントの入り口を警備していた兵たちが素知らぬ顔で目礼をした。
しかし。通りすぎざま、
「将軍の話を、当の本人のテントの前で話し出すなんて、良い度胸していますね?」
そう、さらっとベルセルカがささやくと、はるか年上の兵たちが、ひっ、とのどの奥でかすれた声を出した。
「き、き、こえて…」
首だけ振り返り、ベルセルカは、兵たちに、いかにも少女らしい、つぼみから開いたばかりの花のような笑顔をみせた。
「私は地獄耳なので、覚えておくといいですよ?
では警備、サボらないようによろしくお願いします!」
この美しい少女もまた恐るべき化け物であるということを、兵たちは遅ればせながら恐怖とともに実感した。
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◆ベルセルカ・アースガルズ◆
征北副将軍。16歳。女。
宰相を務めるムステーラ侯爵グリトニル・アースガルズの妹。
バシレウス家から拝領した女性騎士。
火魔法、光魔法、武器を強化する物理強化魔法、武器を具現化する武具魔法を得意とする。
オクタヴィア王女と並んで王国第一の美女とされる。
レイナートとは6歳の頃からの幼なじみであり、唯一無二の忠誠と献身を誓っている。
◆転生奴隷◆
国教会の異端審問によって『転生者』と認定された者は、その領ごとのさだめによって処遇が決定する。
火刑となる地と、奴隷として売られる地が存在する。
レグヌム内ではカバルス公爵領のみが、転生者の奴隷化と人身売買を禁止している。詳細は後述。




