揺らぐ思い
翌日の夕方、玲奈は梨乃と縁側で喋っていた。
「そうか…、そんな事があったんだね。」
玲奈は昨日の夜中に死神に会った時の話をしたのだ。
「うん、怖かった。梨乃姉ちゃん、どうしよう…、死神に目をつけられたら死んでしまうんでしょ?私、まだ子供だよ?そんなところで死んだら…。」
不安になっている玲奈を梨乃は優しく撫でた。
「私が居るから大丈夫だよ。」
「死神は…、次何かしたら私の魂を抜き取るって言ってたんだよ?ねぇ…、魂って抜かれたらどうなるのかな…。」
梨乃は考えてこう言った。
「う〜ん、卓兄さんが言うには…、霊体っていうのは肉体から魂が出た状態の事を言ってたんだ。魂が抜かれたら…、何処に行くかによるけど…、肉体が修復不能の状態になったら戻れない。」
「それってつまり、やっぱり死んじゃうって事?!そんなの、嫌だよ……。」
玲奈はカバンから本を取り出して開いてみたが、今日は何も書かれていなかった。
「…そういえば、この本も死神のものだって言ってたな…。勤君も昨日、死神に会ったって言ってたけど、肝心の事は聞けなかった。
と、言うことは…、私達はいずれにしても死神から逃れられないって事になっちゃうよ?!」
玲奈は不安のあまり、梨乃の胸元で泣いた。
「どうしよう…このままじゃ……。」
すると梨乃は玲奈の背中をさすった。
「大丈夫、私がなんとかする…。二人をこのまま、不安がらせたらいけないよ。」
「うん、ありがとう…」
そして、玲奈は家に帰ってしまった。
梨乃も中に入ろうとした時、何処からか声が聞こえた。
「……言ってくれたな?こっちに来い。」
『風』が町のはずれから聞こえる。
「まさか、ひょっとして……。」
念の為、梨乃は死出山でもらった御札と霊水晶を持って、外に出た。
気配があるほうに向かうと、そこには死神が立っていた。
「あなたは…、昨日二人が会ったという…。」
「そうだ。」
死神の格好は黒いフードを被り、仮面で顔を覆っている。そこまでは良いのだが、下半分は灰色の短パンとスリッポンを履いている。
死神は大鎌を構えて梨乃の方を向いた。
「お前…、俺に逆らう気か?」
梨乃も御札を一枚持った。
「二人に危害を加えるというなら、許さないから。」
「そんな紙切れで俺に敵うとでも思ってるのか?!」
死神は後ろへ下がった。
「『執念の火』!」
すると、紫色の炎が周囲を焼き尽くした。
「地獄の炎に焼かれろ、俺に逆らった罰だ。」
梨乃の周囲は火で包まれている。
「やってみるか……『旋風砲』!」
その時、爆風が吹いて火が消し飛んだ。
「お前…、ただじゃおけないな。」
すると死神は手を真上にかざした。
「『怨念の雷』!」
雷の衝撃で梨乃は飛ばされ、壁に当たった。
死神はこっちに向かってくる気配を見せない。それに気づいた梨乃は死神の方へと一直線に走っていった。
「近づいてところで勝てるものか!」
「一体、何かしたいの?!」
「俺の邪魔をするな、」
すると死神は鎌を振り上げたが、間一髪で避けた。
「『疾風刃』!」
梨乃は一旦下がって風刃を食らわせた。
「別に私はあなたをどうしようとは思ってない。」
「ならば何故ここまでやろうとする?!」
「さぁ…あの二人に危害を加えようとしたからかな。」
死神は梨乃から離れて鎌を構えた。
「くっ……、『風』なら俺も使えるさ、『風集の鎌』!」
鎌は『風』を帯び、それを持った死神は梨乃の方に突進して来る。
「『霊封鎖』!」
その時、梨乃が放った『風』の鎖が死神の足に巻き付き、その衝撃で死神は倒れた。
「あっ!」
死神の仮面が外れ、地面に転がった。梨乃はそれを拾い、そっちを向いた。
「返せ、その仮面を返せ!」
死神は顔を隠すようにフードを押さえ、ふらつきながらも立ち上がった。
戦いに夢中で気づかなかったが、死神の身長は梨乃の肩にやっと来るくらいだった。
「うん、返すよ…。でも、どうして顔を隠してるの?」
梨乃は仮面を返し、フードに手をかけた。
「やめろ!」
死神はその手を振り払い、両手で押さえた。そして、後ろを向いて仮面を着ける。
「なんで仮面を着けてたの?」
「人間が勝手にそんなイメージ作るからだろ」
死神はそう吐き捨てるように言うと、梨乃にこんな事を言った。
「『風見』の力がここまでとは、まさか思わなかった。」
「『風見』って、私達の家族に居る能力者の事?」
「ああ…、陰陽師と死神の血を引き継いでるだけはある。」
死神は背中を向けた。
「今日の事は誰にも言うな、言ったら承知はしない。」
そして、走って何処かへ行ってしまった。
死神は誰も居ない路地を抜け、家に帰って行った。
中の生活は人間とあまり変わらないらしく、その死神の部屋もあった。
仮面を外すと、内側が濡れていた。
「あれ、なんでだろ…」
それを机に置き、上着を脱いで死神はベッドに寝そべり、何かを隠すように目元を右腕で押さえた。目を閉じると、梨乃が自分の素顔を見ようとした光景が浮かんでくる。
「なんだろう…、初めて人間が怖いって思った。それはなんでだ…、素顔が見られるのが怖いのか?俺の正体がバレるのが怖いのか?」
意識さえもしていないが、いつの間にか腕も濡れていた。
「俺…なんで泣いてるんだろ。負けたのが悔しかった?あの人の事が最初に予知出来なかったからか?物事が思い通りに行かないせいなのか…?」
死神は涙を拭って窓を見た。
「もうすぐだ…もう少しだ。それさえ終われば俺は…、あいつらとはおさらば出来る。でも…、なんだろう、胸の中が苦しい。」
死神は胸元を押さえ、歯を食い縛って次の涙に耐えた。
……幼い頃から、ずっと自分は周囲の人間とは違うものだと思っていた。死神という立場であるので、態度には出さなかったが、密かに人間を見下していた。友達になろうとも思わなかった。周囲の中で、ずっと孤独だった。
たった一人だけ、近づいて来た人がいた。だが、正体が暴かれてその子に恐れられるのが嫌で、偽りの自分を演じ続けた。そして、結局何も明かさずに別れてしまった。
父親は唯一の理解人が居て、その人にだけは死神である事を明かしたらしい。だが、そんな事が人が居る訳ない、自分はそれを信じず、学校でも偽りの自分を演じていた。
人間に感情を持たないように、感情を見せないようにし続けた。人間を裁く立場である死神は、そんな事を気にしてたらいけないとずっと感じていた。
人間の世界に居る時の偽りの自分、死神として現れた時の自分、だが、その中に本当の自分は居なかった。
本当は苦しかった、だが、どうする事も出来ず、自分は一生このままなんだと諦めていた。
そして、今もそういうふうに過ごしていたつもりだった。
…その晩の事、玲奈は不思議な夢を見た。玲奈は冷たい雨が降る森に一人、傘を差して立っていた。辺りを見渡すと、雨の音に混じって、何処からか啜り泣く声が聞こえてくる。
「誰か、居るの…?」
玲奈は足元が悪い中、走って声の主を探した。夜辺りは薄暗く、降りしきる雨のせいで見通しは悪い。それでも、玲奈はその声が気になってしょうがなかった。
森をひたすら走り回って、ようやく玲奈は声の主を見つけた。その人は、黒いフードを目深に被り、木に寄りかかっている。しかも、ずっと傘を差していなかったのか、全身は酷く濡れていた。玲奈はその人にそっと傘を差し、自分が濡れるのも構わず、こう話しだした。
「どうして、こんな所に居るの?」
その人はフードを被ったまま、玲奈の顔を見た。だが、玲奈からは口元しか見えていない。
「玲奈…、そっちこそ、どうして俺の夢に居るんだ?」
その声は小さかったが、はっきりと聞き取れた。声色は玲奈と同い年か、それよりも小さい少年のように聞こえる。
「私の名前を知ってるの?」
その人は頷いた。
「じゃあ、どうして…」
「別にそれは良いだろう?」
ぶっきらぼうな言い方だった。それのせいで玲奈は、その人が誰なのか、聞けなくなってしまった。
「夢にまで、出てくるなよ…、お前、俺がお前らをどうするのか、分からないからそんな扱いしてくるんだろ?」
「何?何を言ってるの?」
「そんな事したら、俺は…」
「えっ…?」
「もう、いいんだよ…、俺に、構うなよ…」
少年は塞ぎ込み、玲奈から顔を背けた。
その少年が何を言っているのか、玲奈には意味が分からなかった。だが、言っている事が、その少年の真意ではない事は感じ取れた。
傘を差されているはずの少年の肩が震えていた。
「何か、怯えてるの?」
「別に、怯えてなんか…」
少年は強がってるようだったが、その声は小さく、震えていた。
「実は、私、ずっと怯えてるんだ。信じてもらえないかもしれないんだけどね、私、死神に狙われてるんだ。何でかは私にも分からないんだけどね。それと、私には、私も知らない私が居るんだ。それは、いつの間にか現れて、その時は何もかも分からなくなって、理性も効かなくなる。私は一生、狂気を、もう一人の私を持ちながら生きていかないといけないのかな…。」
「あっ…」
「君は、何に怯えてるの?」
すると少年はフードを手で押さえた。
「本当の自分を周囲に知られるのが、怖いんだ…。だけど…」
少年の声は涙声になり、身体全体が震えている。
「胸が苦しいんだよ…、俺…、ずっと寂しかったんだ。誰かに俺を受け止めて欲しかった。もう、嫌なんだよ…、自分で自分を偽り続けるのも、誰かをずっと騙し続けるのも…」
「あっ…」
玲奈は少年と顔を合わせ、そっと肩を持った。
「寂しかったんだね…」
少年は頷いたが、顔は見せてくれなかった。
「うん…」
「で、なんで顔を見せてくれないの?」
玲奈はフードの中を覗こうとしたが、少年に身体を押されてしまった。
「見るな!正体が、バレる訳には…」
「あっ…!」
「なぁ…もし、俺が、お前が恐れてる死神だって言ったら、どう思うか?」
「えっ?」
少年の姿はいつの間にか消え、目の前にはいつかの死神が立っている。
「なんで…、どうして死神が…」
「お前…、俺の正体を暴こうとするからこうなるんだよ」
死神は鎌を玲奈の胸に突き刺し、魂を抜き取った。
「お前をここで冥界に連れ込んでも良いんだよ」
「うっ…!ごめんなさい…許してください…、あれは、私の狂気のせいで…」
「それが言い訳なのか?」
死神は、玲奈の魂を掴んで地面に叩きつけた。
「お前に正体が暴かれる訳にはいかないんだ」
「そんな…、どうして…」
「俺はお前に見込みがあると思った、それなのに、お前は俺の事を…」
死神はそう言い捨てると、何処かに行ってしまった。
玲奈の魂は、なんとか身体に戻った。
「なんで…、なんでなの…」
玲奈はその場に蹲り、恐れのあまり震えていた。
一方、死神は玲奈の所から離れると、仮面を外して叫び泣いた。
「違うんだ、違うんだよ…、本当は、玲奈の魂を抜こうとも思ってないし、生きてる人間を冥界に連れて行こうとも思ってない。恐れてるのは、俺の方だよ…。」
死神の目からは涙が溢れ、今日の雨と同じように、止まりそうになかった。