設定資料の弐 ~世界史用語等~
追記:加筆修正
・説明の抜けていた部分などを加筆修正
・説明の変なところを修正
・一部表現を加筆修正
・世界史用語・政治用語(最近『世界史なんて何の役に立つんだ』という人たちが増えてきたので概略のみ説明。世界史は何の役に立つのかって、書く時とかに役に立ちます)
ユダヤ人問題の最終的解決
→英語においてはユダヤ系の宗教用語燔祭を意味するギリシア語Holocaustとの区別のためにユダヤ人虐殺に関しては定冠詞をつけてThe Holocaustという固有名詞として表現する。このため日本では一般にホロコースト=ユダヤ人大量虐殺として知られるが海外ではユダヤ教関連の宗教用語であるため外国で『ホロコーストがどうちゃら』といった話題をするときは使い分けをしっかりしたほうがいい。でないと『ホロコーストは人を殺すアステカの儀式とは違う』と言い返されてしまうらしい。
ユダヤ人問題の最終的解決とはラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒSS大将らによって計画されたユダヤ人の絶滅計画のことである。本来の名称は『ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決作』であり、これら一連のドイツやドイツ周辺に散見される少数民族たちやドイツ占領下の特に反ユダヤ人感情の強い者たちが起こした悲劇がホロコーストと呼ばれる。
またこの問題においてしばしばラインハルト・ハイドリヒ長官によるアインザッツグルッペンを利用した独断専行などが問題視され、ハインリヒ・ヒムラーがこれら寄せ集めの移動殺戮部隊の動きを抑止するために『親衛隊及び警察高級指導者(Hohere SS- und Polizeiführer)』を用意するなどして指揮権の一部を国家保安本部(RSHA)、というよりラインハルト・ハイドリヒ長官から国防軍にも与えるなどもした。しかしそれであってもホロコースト中の殺害数はアインザッツグルッペンのみでかなりの数に上る。
またユダヤ人の虐殺が槍玉に上がる傾向があるが、殺害数が一番多いというだけ。実はロマなどの少数民族や反独パルチザン(ロシア勢力圏の人間や共産主義者)、果ては自国民(主にハイドリヒの聖職者嫌いが元で聖職者や知識階層)すらも大量虐殺しているのだが、ホロコースト肯定派の一部は『ホロコーストによって虐殺されたのはユダヤ人のみであり、ほかのロマなどの少数民族は虐殺の対象ではなかった』とする説を出しているが寝言は寝て云え、である(この説の賛同者が多いのも、資料を読んでいて眉間が痛くなった要素の一つ)。これが元となって今現在でもドイツの一部地方ではナチスという政党があったという事実すら教えてない学校があったりもする(ホロコースト否定禁止法的にどうなのかと思うけどね)。
路線を元に戻すが、その絶滅方法とは多岐にわたるが、一番有名なのは『労働を通じた絶滅』というもので、収容所内で無償の単純労働に従事させることで国力・生産力を維持しながらの絶滅を意図したもので、一部の火器はこの絶滅収容所にて組み上げられた物。
これらのほかに絶滅収容所にて銃殺や人体実験やガス室(これは銃殺するとノイローゼ起こすヒムラーのために考案されたとも言われている)で殺害するといった方法がとられており、殺害の手段が段々とエスカレートしていく。東部戦線においてはアインザッツグルッペンが活動して数十万~数百万を虐殺し、一般の親衛隊員がユダヤ人狩りを行うと言った寸法で、一部民間もユダヤ人の疑いがあると親衛隊に密告するものも居たらしいが、SDやRSHAなどの活動による効果のほうが大きいため伏せられがちで、また民間人が最終的解決を知らなかったというのも出鱈目。大体暗黙のうちに知っていてわかっていて協力していた一般人も多い。このため軍部のみが最終的解決を行ったのではなく民間人の一部もそれに加担していたというのが正しい。
当初は国外への強制退去を立案していたが、ドイツの勢力圏が拡大していくごとにユダヤ人の数が目に見えて増え、ポーランド占領によってさらに200万人のユダヤ人を国内に抱え込むこととなった。
普通なら労働力として国力維持に貢献させればいいと思うのだが、当時のドイツを含むいわゆる経済的に困窮していた国々は特にユダヤ人を毛嫌いしていた。というのも、ユダヤ人に特定の国は本来存在しない。現在はアメリカが認め作ったせいで宗教的にも色々面倒くさいイスラエルが成立しているが、本来ユダヤ教の教義的にも特定の国というのは存在しない。このためユダヤ人はそれぞれの民族性(明け透けな古代からの被害者意識と被害者意識の集合体のような宗教)を抱えて他の国に厄介になっているというのが当時からの見方だった。しかしユダヤ人はご存知のとおり金勘定が非常にうまい(後述)。ドイツにいたっては富裕層の約半分以上をユダヤ人が占めていた。
このことに、ヨーロッパの人々は『自国の国民や富裕層が富裕層になるならまだしも、何故土地を間借りしている民族が富裕層になっている。その金を返せ』と言った考え方を持つようになり、特にエリート意識の高いドイツやイギリス(もともとイギリス人は他民族が嫌い。アイルランド併合も極論して還元化すれば国土を広げたかったから。黒人も嫌いなら黄色人種も嫌いだしユダヤ人はもっと嫌い)、その周辺ではそれらの気色が強くなる。そこでみんな大好きアドルフ・ヒトラーおじさんは『国内のユダヤ人を消し去りドイツ人だけのドイツを作ろう!』とトチ狂ったことを云い始め、それを国民が強く支持したためナチ党が成立する原因となった(この他に経済的困窮なども根底にあったため、彼の提示するあらゆる経済政策は当時の人に新鮮に見えたというのもある)
このほかに、ヨーロッパ各国で蛇蝎のごとく嫌われる理由のもう一つは神殺しの民族であるため。ユダヤ人は『イエスの磔刑』に関与した民族であるため神殺しの民族であるとされ、その後0世紀(1世紀は紀元後百年)から19世紀までの紀元後1800年間近く嫌われ職業選択の自由を剥奪され、唯一付くことが出来たのが金融業であったためキリスト教社会的に『堕落した民族』の烙印を押されるにいたった。このことから彼らは時間をかけてその土地の金融・経済を掌握するにいたった。まぁ当然よね。それでユダヤ人に金融を握られているのが気に食わないってどの口が云うのかと世界史の授業を聞いてて思ってたり。
18世紀の啓蒙主義の流行からユダヤ人を解放しようという動きが高まるが、しかしすでにユダヤ人はその国に根付く形で繁栄してしまっていたためその地域社会の金融、賃借やメディアなどを握られた状態にあり、このことから『ユダヤ人は体制の破壊者である』という見解が根付くようになり、反ユダヤ主義が宗教的なそれから人種主義に起因する反セム主義へと移行する。
ロシア帝国のアレクサンドル2世が暗殺された後、ロシア国内でのユダヤ人迫害もまた苛烈をきわめて行き、やがてロシアにて『シオン賢者の議定書』と呼ばれるパンフレットが発行されると、その当時流布されていた思想とともに皆さんご存知ヒトラー活動当初のパトロンであり教師役であったアルフレート・ローゼンベルクに伝わり、そのままアドルフ・ヒトラーおじさんに伝わって行き、ヒトラーおじさんの著書『わが闘争』にもそれらの思想が強く見られるようになっていく(それ以前からさまざまなところでユダヤ人問題の根本的解決は訴えられてきたが、これがそれを助長させることになったともいえる)。
公式な法令としてユダヤ人虐殺に関して指示したことはなくそれのための軍事費が当てられたこともポーランド侵攻以前にはないが、ポーランド侵攻や独ソ戦以降、強制労働に適さないものらを毒ガスや一酸化炭素、神経毒や排気ガス等を利用した間引き、計画的殺戮へとシフトしていく。このため公式にはお金はかかってないと報告されてはいるが実際にはお金がかなりつぎ込まれている。
次にドイツで広まった理由だが、第一次世界大戦時にユダヤ人をそもそも自国民どころか人間とすら思っていなかった節のあるドイツ国民は、ユダヤ人政治団体がドイツ帝国転覆を企てているからドイツ帝国に非協力的なのだという風聞を流し、ドイツ帝国憲兵たちはこれらの調査に乗り出すが、逆にユダヤ人が金銭面で多大な援助をしていることを確認するとこの事実を伏せ、のち、ドイツ帝国が第一次世界大戦にて敗戦すると、とりわけ反ユダヤ主義者たちがユダヤ人や共産主義者による敗戦を予期した内通・反逆行為(背後からの一突きDolchstsslegende)であるという見方と風潮が広まり、これらの高まりを受けて反共主義、反セム主義、議会制民主主義と独裁を立て看板に国家社会主義ドイツ労働者党が台頭を始める。
なお、反セム主義を骨子とした反ユダヤ主義に関しては我が闘争においても触れられてもおり、曰く『ユダヤ人問題を正視し根本的に解決へと導かなければドイツ民族体再構築の計画は無意味であり、不可能である』とのこと。このほかにも『ユダヤ人は全ての反ドイツ的な概念の創造者である。つまるところ、それは第一次世界大戦その物の張本人であり、民主主義・議会主義・マルクス主義・ボルシェヴィズム・自由主義・平等主義を生み出し、ドイツに反旗を翻すありとあらゆる国の背後にて糸を引きながらも、ドイツ人を含む全ての人種の破滅を企てている。故に、世界の支配者たるは大ドイツの民族であるが、世界の覇権を握るその最大の障害がユダヤ人であり、転じてアーリア人の勝利か、然らずんばそれら全ての絶滅とユダヤ人の勝利か、この二つの可能性か存在し得ない』とも表現されている。
とりあえずヨーロッパ人の呆れるほどのユダヤ人嫌いを羅列してきたが、一応ドイツ国内でも絶滅収容所送りを免れたユダヤ人も存在する。大作曲家のリヒャルト・シュトラウス。彼の息子の妻はユダヤ人であり、劣等人種(純粋なドイツ民族以外の他の全ての民族は全て劣等種と看做している節がある。ヒトラーおじさんが大戦中に『日本人の勤勉さと工業製品の精巧さはドイツに繋がる部分が多い。故に日本人もまたアーリア人種だ(要約)』と認定している)との混血を殊更嫌うドイツにしては珍しく妻とその子供たち(シュトラウスの孫)は行動は制限されたが絶滅収容所に送られることはなかった。この他に、アドルフ・ヒトラーの料理人を務めていたマレーネ・フォン・エクスナーとその家族はアーリア人認定を受け絶滅収容所送りになることはなかった。このため、時折いるホロコーストを拡大解釈したり誇張して表現される内容の一つである『ホロコーストによってドイツ占領地にいたロマやスラブ人やユダヤ人はまさしく絶滅してしまった』というのは間違いであり、また絶滅収容所に送る送らないの判定も意外と適当だということも分かる。
これらの残虐性から、ヨーロッパでは外国のホロコースト否定論者の身柄引き渡しおよび刑事罰あるいは極刑が下されるホロコースト否定禁止法なるものが存在し、またその他にもこれらに加盟している国にてホロコーストの事実を矮小化したがるものたちに刑事罰または極刑を下す法律も備えられている。
これほどヨーロッパで『矮小化するのは駄目だけど拡大解釈と誇張して表現するのはおk』と言わしめるホロコースト、勿論イスラーム圏含む第三世界でも蛇蝎のごとく嫌われているだろうかと思いきや、イスラーム圏(とりわけイスラーム教少数勢力スンナ派を国教と定めるエジプトはファールーク王一世の時代から親ナチである)では『ユダヤ人の同情感情に共感し慈悲を示す快楽をヨーロッパの豚どもが知ってしまったがために国際的シオニズムの容認とパレスチナからのパレスチナ人追放へと繋がった(要約)』とし、アラブ諸国ではいまだに根強くホロコースト否定運動とそれに対するユダヤ人やシオニスト、イスラエル人による抗議やデモなどが起こっている。これらの問題がイスラエル・パレスチナ紛争の遠因となってしまったりするなど、正直傍から見ていてくだらない理由で戦争を始める連中が多い。
プロレタリア文化大革命
→世界史習った人はこの正式名称のほかに内容も余すところなく知っているはず。特に普通の高校に通っていたなら知っていなければ可笑しい単語の一つ。テストに勿論出ます。
一般には文化大革命の名前で有名。正式名称はプロレタリア文化大革命。毛沢東(もうたくとう。けざわひがしではない)が起こしたあれ。知識階層を根絶やしにして国民を馬鹿だけにすることで最高のガバナンスを実現しようとして、馬鹿ばかりになっちゃってどうしようもなくなってしまった、あれ。正直、プロレタリア以降の中国はプロレタリア以前のアヘン戦争やらあの辺りの時代の人間とはまるで違う生物だと思うことにしてます。
実際のところは劉少奇副主席に主席の座を取られた毛沢東が自分が再び政権を握るために紅衛兵という学生運動を利用して起こしたクーデタであり、中国共産党の権力闘争。
もっと要約するなら、リーダーの座を奪われて逆切れしたけざわひがしが劉さんマジ許すマジと云って革命狂いの馬鹿な学生を引き連れて起こしたクーデタ。
朝鮮戦争
→南北朝鮮同士での潰し合い。
1948年に独立した新興国である大韓民国(西側勢力。ネットでは一般的に南チョンと呼ばれる)と朝鮮民主主義人民共和国(東側勢力。ネットでは一般的に北チョンと呼ばれる)による冷戦期の米露の代理戦争に選ばれた国で、1950年に金日成が中華人民共和国の毛沢東とソヴィエト連邦のヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・シュガシヴィリ(ヨシフ・スターリン)の同意と支援を受けて事実上の国境線である38°線を超えて韓国側に侵攻したために勃発した。
結果的に西側陣営である国際連合軍(多国籍軍。何らかの戦争が起こった際に国際連合はそれぞれの加盟国の一致を以って国連軍を編成することが可能。アニメやゲームだけの話じゃない)と東側陣営である中華人民共和国の中国人民志願軍が参戦し、泥沼の戦争となったことから日本において戦争特需が発生し、5~10年間低迷していた日本経済が大きく動く契機となった。つまり今の日本があるのは朝鮮戦争のおかげ。
決着が付かずに膠着状態になったため、再び38°線を国境線として国連軍と中朝連合軍の間で朝鮮戦争休戦協定が結ばれ、今現在も休戦中(最近動いたけど一応まだ休戦中。正直南チョンとくっつきますと言った北チョンがどさくさ紛れに侵攻するんじゃないかと睨んでいる)。このため、38°線観光などが韓国で行われているが、あまり甘い考えで行かないほうが良い。
南北戦争
→アンクルトムの小屋で有名なあれ。
アメリカ国内での一番大きな内戦(Civil War)で、ユタ戦争などは内乱という扱いのよう。このためアメリカは成立以降大きな内戦はなかったと言うことでそこそこ有名。
これの原因は南部の黒人奴隷を徴用して行われる大規模なプランテーション農業による北部との経済・社会・政治的な相違の拡大による思想の相違が原因。
というのも、北部では米英戦争によってイギリスなどの欧米製軽・重工業製品が輸入できなくなっていた。これが意味するところは北部アメリカ単体で自国の需要に大して安定的な供給を確約すること。このことから北部アメリカでは流動的な労働力を欲していた(要するに現代で云うパートタイマーやアルバイターや派遣や水商売)。このことから北部アメリカでは奴隷制の需要が低迷しており、貿易に関しては保護貿易政策を実施したがっていた。しかし南部の農場主らの抵抗や南部での大規模農業には黒人奴隷が必要だったことから南部アメリカと北部アメリカの間で対立が激化する。
この後にルイジアナ買収やテキサス共和国とカリフォルニア共和国がアメリカに吸収されたりして、より一層北部と南部の人口にも開きが出てきた(具体的に云えば、準州が州に昇格される際に住民の多数決で奴隷制容認か自由州かを決定することが出来るようになったのだが、これのせいで南部よりも人口の多い北部が圧倒的大多数になれば南部の奴隷制が否定されてしまうことから、カンザス・ネブラスカ法成立などの諸要素が重なり南北アメリカの対立は沈静化が不能になった、というのが正しい)
ついでに、このときの南部と北部の人口は南部900万(うち奴隷400万)に対して北部は2200万人で、実に南部の2.45倍である。普通にやろうと思ったらまず間違いなく負ける。
さらにさらに余談だが、アンクルトムはアメリカ人(南北両方)からの『黒人はアメリカから出て行け。自分たちの国で原始人みたいな生活していた方が君たちにとっては幸せだよ』というメッセージである(正確にはアンクルトムの小屋の続編にてより強い形で明言される。一巻目から一貫して趣旨そのものは同じだがよりそのメッセージを形式化した形になる)。連れてきたのはアメリカ人たちなんだけどね。
四月テーゼ
→残酷な○○のテーゼじゃないですよ!
1917年4月にレーニンが起こした10ヶ条のテーゼの通称であり、当時の臨時政府やメンシェヴィキなど多数を批判する形で出された文言。ボリシェヴィキの議会にて読み上げられた後に『現在の革命におけるプロレタリアートの任務について』という自著にて全文を引用するほどの熱の入れ様。これらの内容は当時の帝国主義戦争、というよりは二月革命によって労働者・兵士代表議会(ソヴィエトとは議会の意味。ドイツ語におけるレーテと同じ、というよりドイツが真似した)が成立した後の日和見的な政治に対して革命的祖国防衛主義を展開することで帝国主義戦争を続けることに反対した。要するに他所に構ってないで軍備再編成に全力注ごうぜ、ということ(で良いのかはいまだに分かっていない。ロシア人が中二病過ぎるのと流行の言葉(革命的○○)を入れすぎた用語が馬鹿みたいに多いせいで読むのがつらい。黒歴史ノート見ている気分)
概要のみ説明するなら、
1、革命的祖国防衛主義を展開し帝国主義戦争を続けない。
2、現在のところプロレタリアートはブルジョアジーに権力を渡した第一段階を過ぎ、貧農に権力を移していく過渡期である。
3、臨時政府を支持するやつはシベリア送り
4、全国家権力を労働者代表ソヴィエトに移していく必要性が高い。
5、議会制共和国なんて目指さなくて良い。労働者・雇農・農民代表ソヴィエトの共和国であり、警察も軍隊も官僚も要らない。全てはソヴィエトが仕切る。
6、土地を固有化し、土地処理を雇農・農民代表ソヴィエトに委ねる。
7、全銀行を労働者代表ソヴィエトが管理・運営する。
8、社会的生産と生産物の分配に関しては労働者代表ソヴィエトが統御する。
9、党大会を召集し、党綱領の改定、そして党名を共産党へ変更する。
10、社会排外主義と中央派に対する新しいインターナショナル(第二インターナショナル。インターナショナルとはインテリゲンツィア同様元々ロシア語らしい)
この後、党機関紙『プラウダ』にて労働者・兵士代表ソヴィエトをパリ・コミューンと同じ型の組織だと評価(官僚とかがブルジョアではなく中間管理職に引きおろされたような組織であるということ)。など、他にも小難しいことを並べ立てた挙句、カーメネフやスターリン、スヴェルドロフやトロツキーらと袂を分かつこととなる。
というのも、すでにこの組織はパリ・コミューン同様のそれ自体が国家権力に相当するような組織となっていた。その意味で労農民主独裁論は果たされているとし、その上でロシアに社会主義を導入するのが一連の革命の目的ではなく、社会主義を以て国を革命的に豊かにする(プロパガンダだけどね)というのが理由。
またさらにこの後に外務大臣ミリュコフによって事実上他の国との密約を遵守することと他勢力に対するカウンターとしての戦争は継続するという覚書を出してしまったため四月闘争と呼ばれるデモが発生するなど、ロシア史も大概中国史並みに意味不明である。そもそも革命的○○って何ぞや。革命的革命的連呼していれば幸せって下手したら中学生より性質悪い。革命的ばかりを連呼している文書なども存在するため、もはや脳が理解を拒む意味不明さである。
正直普通に習う範囲をかなり逸脱する部分が多いので、ブレスト・リトフスク条約辺りを覚えていれば頭痛に悩まされずに済みます(適当)。
かなりかなりざっくり説明するなら、二月革命から十二月の平和に関する布告(ブレスト・リトフスク条約など)や第二インターナショナルの成立の中で起こった一種のクーデタ。ロシアが完全に独裁国家になる二段階目の爆弾だと思っていただければ幸い。
辛亥革命
→1911年(M1911の生まれた年)から1912年に起こった中国の共和革命。辛亥というのは中国の当時の干支から来ている。結果論として云えば、この当時アジアでは世界初の共和制国家中華民国が成立することになる。宣統帝溥儀が退位した年に終わる。
実はこの革命は一段階目で、後に袁世凱に鎮圧された第二革命、護国戦争が第三革命として続く、非常に長期間にわたって続いた政治活動でもあり、また君主政を終わらせ共和政を始める契機となり、中国史に新たな1ページを刻んだ。
スワデーシ
→超簡単に説明するなら『インドの国産品をインド人で一杯使っていこう!』っていうデモ。
当時のインドはイギリスに植民地として支配されていた。その当時のインド総督ジョージ・カーゾンによって引き起こされたベンガル分割令はインド人たちの民族運動を分断し空中分解させる意図が明け透けだったためにインド人が猛反発。行政を効率化させるどころか却って反英闘争を煽る結果となった法令。
実際のところ影響の少ないスワデーシよりはベンガル分割令のほうが影響力は強かったのだが分かりやすさを優先してスワデーシを出したという部分が大きい(カルカッタ大会四大綱領といえば思い出すかも? それかムスリムとヒンドゥー教徒の中が悪いのを利用して生活圏を分けた結果反英デモが起こったあたり? このあたりに結構影響が出た)。
結果的に親英路線を取っていた国民議会派も巻き込んで英国製品排斥、スワデーシを掲げるなどのガンジーなしでの一定の成功を収めたため、ガンジー以前の革命で一番成功した数少ない例として有名。1908年までこの運動は続くが、1908年当たりだともはや衰微しすぎて死に体。その後に与えた影響そのものは少ない(ある程度イギリスの影響を削いでインド国内に工場が多数建設された程度)というのも中々に皮肉。
プールナ・スワラージ
→正確にはプールナ=スワラージ。プールに大きな諏訪さんがいるわけではありません。
一番最初のスワラージはイギリスに対する自治要求であったが、ここにいたって(1929年)完全な独立自治を国民会議派が要求した。
塩の行進などはインド独立闘争という意味では一番有名だが、実はプールナ・スワラージ以前のガンディーの要求は自治で止まっていた。そこで急進派であったネルーらの唱える完全なる独立自治の要求は憲政改革調査委員会によって高まっていた反英感情の新たな受け皿となり、英印円卓会議をボイコットする。これには国民会議派も協力している。その理由はベンガル分割令の強引さや世界恐慌によってイギリスから直にインドへとその影響が流れたことで農村の貧困化が一気に進んでしまったから。勿論紳士の国英国は貧困層に『ナンとカレーがなければ空気を食べればいいじゃない』と言ったスタンス。これで対立感情が生まれなければそっちのほうが凄い。
これがきっかけとなり、一度下火になった反英運動の機運が高まると同時、インド人にとっての希望の星であるガンディーが再び反英闘争の最先端に立つことを宣言。有名な塩の行進が始まることとなり、これが第二次非暴力・不服従運動の始まりとなる……のだが結果的にインド総督はガンディーと直接対談し塩の製造を許可することで第二次非暴力・不服従運動は停止。そののち第二回英印円卓会議に出席するのだが、ムスリムたちは示し合わせたようにガンディーをハブにしたためヒスったガンディーが運動の再開を宣言すると、根回しでもされていたのかガンディーは即日タイーホ。
出獄後はハリジャン開放(不可触民の差別が固定化する→不可触民の被害者意識ばかりが増大することを懸念)運動を展開するのだが、老衰なのかボケたのかネルーら第二次非暴力・不服従運動を継続していた会議派左派へのフォローを忘れていたため、これによってネルーやチャンドラ・ボースに『革命的なイギリスからの革命的なインドの離脱が革命的に遂行出来ない(ロシア語変換→意訳)』→『イギリスからのインドの独立自治運動を忘れているゴミがここにいるぞ!』となってしまい、第二次非暴力・不服従運動は内部分裂をきっかけとして崩壊することとなる。
アロー戦争
→第二次アヘン戦争といったほうが伝わりやすいかも? これで伝わらなければもう一度高校一年生の世界史から学びなおしたほうがいいかもです。
1856年から1860年にかけて起こった戦争。扶清滅洋の典型である。
1839年9月に始まった対英武力行使であるアヘン戦争(自国に大量にアヘン撒かれて林則徐の奮闘も虚しく国民がアヘ顔ダブルピースしている状態が普通だったらそもそも戦争しないよね?)の講和条約として1842年に締結されたのが皆さんご存じ南京条約。この南京条約によって開港されたのは広東、廈門、福州、寧波、上海の五港。ここにさらにそれぞれ領事を置き、香港を割譲(帰ってこない担保)、イギリスらにとって公正公平な関税率の設定と、領事裁判権、最恵国条項(事実上関税がほぼ掛からずさらにイギリスにとっていい条件になる)、開校した五港にそれぞれ軍艦を一隻ずつ配備して街に大砲を向ける権利などが制定される。要するに日米修好通商条約の中国版。
もちろん中国も十年経ってから改正交渉に乗り出しますがまぁ相手の粘ること粘ること。敗戦国は戦勝国の言う通りにすれば幸せですと真っ向から言われたようなもので、さらに外国人排斥運動などが過激化していくにつれ英国人居住地の安全性すら確保できなくなってしまったためイギリス政府は北京入場を決意するがそもそも自分たちで広東欽差大臣と直接交渉できるようにしたまでは良かったものの清国中央政府とのホットラインなんて作ってすらいなかった。
このため1951年、使節を清国中央政府に送るが『英国領事との直接交渉は目黒のさんまに限るみてぇに広東欽差大臣との交渉に限ると大見栄切ったのそっちじゃろがぼけ』と返され逆切れ。英国領事パーマストンは激情した挙句『ボケ! おどれら誰相手にしとる思うとんじゃ! わしゃ英国兵器じゃぁぞ! わしらは天下無敵の英国じゃあ! 中国人の死ぬ時の悲鳴がわしの耳から身体中を駆け巡るんじゃ!』とどこぞの殺戮が趣味の極道の親分みたいなことを言い出し外務大臣を辞めて四年後に首相に就任し、いつでも中国に勝ちこみかけられるようにして全裸待機していた最中の1956年、イギリス船籍を名乗るアロー号を中国の官憲が臨検し、中国人船員12名を逮捕。要するに、アロー号拿捕。当然ダネ。
けれどこれに関して広州領事ハリー・パークスが猛抗議。『おどれらエゲレス組をなめたらあかんで? わしらの弾は撃ったら何処に跳ぶかわからんでのぉ』と広州欽差大臣を恫喝するも、実際のところアロー号の船籍登録は期限を数日過ぎており、イギリスの国旗を掲げるのも違法なら違法船員を逮捕するのも当然の行為なのだが、さすがは大英帝国、世界のヤクザ(実際第二次世界大戦までずっと天狗。ドイツとは別の意味で天狗。弱い奴からは平気でたかるし強い奴には謙ってるのか侮辱しているのか分からない態度をする)。ついでにパークスは期限切れの件を知らないらしい(という説がある)。
これが会戦理由かと思ったら、まだ続きがある。パークスよくやったといわんばかりに馬鹿なジョン・ボーリングが現地のイギリス海軍を動かして物理的に広州の砲台を占領。『おまいら一歩でも動いたらあきまへんで? わしらが常におまんらの頭上をねらっとること忘れんといてな。ほなさいなら』と云って恫喝。パーマストン首相は大喜び。フランスのナポレオン三世にも出兵してもらいアメリカロシアは仲良く資金援助と恐喝幇助でみんな仲良く中国にピクニック。
1857年に広州を占領した後にはさらに1959年には天津に進軍。天津条約(キリスト教が絶対なのは人類の普遍的な義務。とりあえず北京にも新しく領事を置こうか。出兵費用は清国政府が全額負担ね。商取引で内地に行きたいんだけど勿論、内地の河川使っても良いよね? アヘンもいっぱい売るけど別にいいよね? 僕たち友達でしょ?)を締結。勿論そんなの嫌に決まってる。すぐさま天津条約改正派閥が形成、大規模な反対運動が勃発する。
1860年の夏から冬にかけて、結果的に英仏軍は中国の内陸部にまで進軍し、ヨーロッパ人の習性である略奪や円明園を焼き払ったりや略奪したり略奪したり略奪したり略奪したりする。さらにこの戦争で起こった戦争犯罪に関して英軍仏軍双方とも『おまいらがやったことじゃろがわしゃ知らん』といった感じに戦争責任をお互いに擦り付け合うという面白い光景が広がっていたそうな(今も続いている。事あるごとにイギリスは紳士の国だからやるわけがない、フランスもそんな芸術を侮辱するようなことするわけがないの一点張り。正直おまえらバカでしょ)。
結果として、北京条約が締結され、この条約で清は天津の開港とイギリスに九竜半島を割譲、中国人の海外への渡航許可(中国人を奴隷として無賃金で働かせるための許可というのが正しい)、ロシアに仲介料として外満州(現在の沿海州)を譲り渡したり外満州にウラジ=ヴォストーク(現在のウラジオストク)を建設しシベリア鉄道の終着点とすることなどが決められた。そりゃ中国不満溜まるわな。
ちなみにこれが日露戦争の遠因ともなった。
江華島事件
→1875年の9月20日に朝鮮の首府漢城の北西岸漢江の河口に位置する江華島近郊で発生した朝鮮の永宗島砲台と朝鮮西岸海域を測量中だった日本の雲揚号との武力衝突事件。日朝修好条規と組み合わせて覚えることをお勧めします。
というのも、日本は1868年に明治新政府を樹立し、新政権の樹立を通告する書状と近代的な国際関係を樹立する国書を李氏朝鮮政府にヤマトのお急ぎ便で郵送。けれど朝鮮は大院君のもとで攘夷運動が勃発しているさなかであり、またかな~り古い中国との主従関係を持ち出し『地方幹部程度が何粋がってんねや、大会長清国皇帝陛下を敬わんかいボケが!』と云いだし、中華皇帝のみに許された『皇』の字を使用していることや中華皇帝詔勅を意味する『勅』の字が入っていることは不敬だとヒスり、書状の受け取りを居留守を使って拒否。これが書契問題となり、段々溝が深くなっていく(ほかにも蒸気船に乗ってきたり洋服を着ていることにもご立腹。つまり裸のヌーディストになれと云うことか)。
結果的に、書契問題が膠着すると維新政府内で『最近朝鮮調子に乗ってないかね?』『ここで一度大日本帝国の力を見せてやるべきだ』と云う所謂征韓論が出始めるようになり、対馬・宗氏を除外して皇使を派遣すべきだと云う意見に発展する。
翌年1870年、佐田白茅は朝鮮との国交樹立の交渉から帰ってくるや否や『おどれら軍隊の用意せや! これは大日本帝国組と朝鮮組の血で血を洗う戦争じゃけ!』という所謂征韓の建白書の提出に至る。受理はされない。これに対して西郷隆盛は『朝鮮の二つや三つ滅ぼしてまやええねん。大日本帝国に楯突くやつはいてもうたるわ!』と場を白けさせた挙句にノリの悪い他の維新政府高官に勝手に切れて『おまんらのような腰抜けどもと国造りなんぞやれるわけないやろ、ダラが! 今に見とれ、ワシらの自力で日本変えたるさかい!』と残してお国に帰還。西南戦争勃発です御馳走さまです。
その後は、宗氏派遺計画として朝鮮外交の一本化などを進めるが効果がなく、同年には柳原前光が朝鮮のお隣である清国に派遣されとりあえず同年9月には日清修好条規が締結される。
前後するが同年の4月、アメリカ艦隊が江華島の砲台を占拠して実効支配しようとしたが、攘夷運動が過熱する朝鮮は勢いだけで江華島の砲台を奪還する事件が勃発しており、これのせいや岩倉使節団の西欧派遣もあり交渉は遅々として進まなかった、どころか延期までされた。
1872年、外務省官吏相良正樹は交渉が進展しないことにしびれを切らして日本人居留地、倭館から抜け出ると東莱府へ出向き『そろそろお互い腰落ち着けて話したいねんな』と府使との会見を求めたが『知らんわ。人様の国の問題に口だすなや田舎猿共がいてまえや』と突っぱねられ、切れた相楽正樹はそれまで対馬藩が管理していた草梁倭館を大日本公館とし、外務省の直接管理下に置くことを決定する(もともとこれ、朝鮮が対馬藩のためだけに作った施設。間借りしているような状態だから舐められるとでも思ったのかな)。
もちろん、こんな事されて朝鮮も切れて『おまいら半島舐めとるやろ? そないなことすならわしらにも考えがあるで。吠え面かかせたるわ』となり、大日本公館への食糧供給、および日本人商人との取引が停止される。その後も大日本公館館門に伝令書とやらが貼り付けられたりしたため、翌年5月には『こないに舐められとって、ワシらの面子丸潰れや。そろそろ調子づいとる朝鮮の島猿共に目に物見せたる頃合いじゃろうて』となり、閣議に提出される。
このほかにも森山さんが朝鮮に上陸して雲揚と第二丁卯による威圧射砲撃するが対して政治的有利には働かず、名目上の朝鮮測量に雲揚、第二丁卯が出発して火事を鎮火したり色々やってあげたにも拘らず『薪水が欲しけりゃ酒を持ってこいや。礼儀も知らんか田舎者は』と散々にコケにされる。
同年九月、今度は清国牛荘の航路研究のための出航を命じられ、航行途中に首府漢城に近い月尾島に投錨。飲料水などの供与を申請しに江華島に近づいたところ『また来たんかおどれらは! はよ帰らんと砲弾のフルコース食らわしたるで!』と云う事で端艇に対して砲撃。江華島事件になりましたとさ。めでたしめでたし。
白蓮教徒の乱
→この時期の中国史って本当に覚えにくいですよね。紅巾の乱・黄巾の乱・紅帽の乱と似たような字面の内乱が続きますから……。余談ですが順不同です。
ざっくり説明すると、調子づいた新興宗教がテロ起こした。日本でも似たようなのあったよね。ほら、髭もじゃのオジサンが建てた聖音が結社の名前になっているあれ。あっちと違うのは多少なり義があるかないか。
俗に三世の春と呼ばれる、中国史において全盛期を迎えた三代皇帝(康煕帝・擁正帝・乾隆帝)の時期からその洛陽において、段々と社会矛盾やら官僚の腐敗やら地方農民の没落などが目に余るようになっていくようになる。……たぶんスターリンだったら官僚は腐敗するからと云って粛清するでしょうね。
乾隆帝の時期には勢力の弱かった白蓮教という新興宗教は社会不安やらを背景にどんどんと右翼の研修所(日本で云うなら栃木県那須塩原市のダチョウレストランの向こう側にある承陽館。別荘が近い(10km)ためいつ乱射事件が起こるか分からなくてハラハラしてる)やら新教団やらを作り始めて勢力を伸ばしていき、同時に力を蓄えていく。
国としては新興宗教などが乱立するのは鬱陶しいため摘発に乗り出そうとするが『これから新興宗教の摘発にはヤクザを徴用することにしたからみんなよろしくね』とか言われても意味分からないし、肝心の任された官吏のほうは『ワシヤクザ。国主に新興宗教の摘発を任されたけぇ、ワシの云う事に民衆どもはしたがえや』と天狗になり、新興宗教摘発以外に略奪などでお小遣いを稼ぎ始める。
乾隆帝が帝位を譲って以降は新しい皇帝が政に興味がないのと乾隆帝が実権を手放さなかったため官吏のほうから『ワシは先代から新興宗教の摘発に関して特権をいただいとるんや。ワシに逆らう云う事は先代に謀反を起こすも同義やで』と恫喝されて半ば『わしゃしらん』となり、一般民衆に被害が拡大、財産の収奪収賄汚職その他もろもろが中国の一大ブームに。
白蓮教はそんな不満に付け込み『弥勒菩薩様を信じて戦おうべや』と云った感じで内紛が飛び火していき、清朝正規軍である八旗・緑営が弱体化していることも利用して電撃進行。したのまでは良かったのだが、やがて郷勇と呼ばれる義勇兵や団錬と呼ばれる自警団が台頭してくるようになると、組織だって戦争おっぱじめていたわけではない白蓮教徒たちはだんだんと劣勢になって行き、責任者死亡。
乾隆帝が崩御してからは『イェェェ、人情の中国!(矢沢)』となった嘉慶帝が実権を掌握。ヘシェンと云う特権を与えられた官吏本人を弾劾し官吏は自殺。捕縛したくて追っていたはずなのにいつまでたっても捕らえられなかった劉之協を捕縛して、ほかの白蓮教関連団体の責任者を捕縛すると、1802年ごろには大体鎮圧する。
結果としては、鎮圧したのはいい物のこの乱を鎮圧するのにかかったお金が国庫を空にして日本の民主党政権みたく赤字国債で赤字国債を返済して借金を上乗せしても足りなかったため増税したり、また八旗と緑営の弱体化が顕在化したことと漢民族である郷勇や団錬が活躍したことから清朝、と云うより満州族の威信が低下。のちの太平天国の乱に繋がる。めでたしめでたし。
パルチザン
→武器じゃありません。
一口に言うと、ゲリラのカッコイイ版。アニメとかで反政府ゲリラがほかの利害関係にある他国政府とくっ付いたりして非正規の破壊活動などに従事しだしたりしたらゲリラではなくパルチザンやレジスタンスというのが本来は正しい。
これらはもともとは占領国の国民や軍隊などが他国からの占領地支配に抵抗し非正規軍として破壊活動や戦闘行為に従事することを指す。このためレジスタンス活動も広義にはパルチザン活動に分類される。特に顕在化したのはナチス・ドイツ第三帝国によるフランス占領、ベーメン・メーレン(ボヘミア・モラヴィア)保護領やファシスト政権などに対してで、赤軍パルチザンというのが一番有名ではないだろうか。ついでに第二次大戦中のパルチザンは赤軍パルチザンだけではない。もしも学校で『パルチザンは赤軍パルチザンのみをさす』といった風に教えられたらその人信用しないほうがいいです旧ソ連のまわし者です。
パルチザン(というよりも中国・ビルマ・インド戦線)が使ったことで有名な銃といえばFP-45リバレーターでしょうね。アメリカ軍人さんが『核は日本に投下してもいいけどこの銃をレジスタンスに投下するのはなぁ』と難色を示した、組み立て時間7秒弱、超短期超大量生産を成し遂げた生産性の非常に高くて撃てる産廃一歩手前のやっぱり産廃な銃。
東部戦線
→独ソ戦といえば伝わりやすかも。
ポーランドを侵攻したのちにしばらくソ連と仲良くやって、けどソ連の土地と油田とかがほしかったからソ連にまで進攻したら1941年のバルバロッサ作戦であと一歩、首都が目前にまで迫っていると云うのに(お互いの指導者の軍事的・政治的知識が乏しかったことによって)どんどん戦線が下がっていったりして、結果はドイツの敗戦宣言になる。
一般に東部戦線こそ地獄といわれるが、それもそのはず、戦争の政治的イデオロギーが全く違うから力の入れようも違う。ドイツはこの東部戦線を『イデオロギーの戦争』や『絶滅戦争』と呼んでいた。そりゃ力の入れ具合違いますわ。
というのも、前提としてドイツはポーランドをソ連と一緒に統治していたが面倒くさくなったのとどうせ大戦も後半になればブレスト・リトフスク条約とか独ソ不可侵条約とか全部反故にしてくるだろうと踏み、裏切られる前に殺せ、と思ったのかどうかはさておくとして、ドイツ国防軍がソ連領を侵犯し戦争状態に突入(直前にはすでに対ソ侵攻作戦を練られていたためある意味予定調和)。
また、開戦当初はドイツ植民地やドイツ領にいる反共志願兵や武装親衛隊に徴発された兵士がドイツ軍に加わることで一時的に優勢になっており、同じく反共主義の濃いウクライナなどやバルト三国のあたりがドイツのことを『共産主義という中二病どものお遊びから解放してくれる神様だべ!』と言って自国にドイツ軍を招きいれたりもしていた(これらからカミンスキー旅団が必然的に組織されるにいたった)。
けれどヒトラーおじさん、ユダヤ人のときにも言った通り非常にあんぽんたん(そもそも伍長の視点から見る政治と政治家になるために政治家になった奴のやる政治はそりゃ違う)。現地でのこのような動きを積極的に利用した軍備拡張・軍備再配備などを進んでやらないばかりかほとんど利用しようとすらしなかった。ユダヤ人同様、ドイツ人(アーリヤ人)以外は劣等種としてみなしていたからである。
このため、ドイツ系民族を占領地に移住させて植民地にしたりするのだが、なんで戦争中にそんないらない手間しかからない方法をとろうとしたのか理解に苦しむ。
独ソ戦での死亡者は軍人のみで見ればソ連が1470万、ドイツ軍が1070万で、ソ連の民間死亡者は3000万に及ぶのに対してドイツは600万~1000万ほどである。どの道途方もない人数には違いない。
お互いがお互いに作戦が空振りに終わったり変なところを変な風に攻められたりしてドイツ軍は1942~1943年、ブラウ作戦の失敗と多大な人的・資源的損失から予備兵力まで総動員する結果となり、これが第二次世界大戦の大局を分けたと云ってもいいのかもしれない。
特に1944年あたりになると攻守が完全に逆転し、ヒトラーの死守命令によって撤退することのできなかった陸軍は確固撃破されていくという悲惨な状態に。こののちもヒトラーおじさんの命令で春の目覚め作戦などが計画されるが、いずれも物量差を覆すことはできなかった。
補給線などを長く伸ばし過ぎたがゆえに日本・ドイツ軍は惨敗したとする説が上がっていたりするが、たとえ程よく手ごろに統治していたとしても反共主義者やソ連圏から逃げてきた人間で水増ししようとしなかったため遅かれ少なかれ敗戦は免れなかった。たとえ全ての作戦が上手く行ったとしても敗戦時期が多少伸びるだけで結果は変わらなかったと思われる。
スターリングラードの戦い
→独ソ戦の一部。モスクワ侵攻が失敗したのちにスターリングラードと呼ばれる工業都市を巡ってソ連とナチス・ドイツが争った戦争。約1年間ほど続き、1942年6月にはドイツ側がスターリングラードの約90%を占領するが、同年11月に行われたソ連側のウラヌス作戦によって奪回される。
すでにこの時点でスターリングラードにいたほとんどの市民や技術者は疎開させられ、ウラル以東やコーカサスなどで生産を再開するなどしてブラウ作戦発動後はドイツ領とソ連領が色々しっちゃかめっちゃかになった状態になる。
この戦いはブラウ作戦の失敗とともに終わる。
マンハッタン計画
→アメリカの核研究計画。こののち、エノラ・ゲイというB29爆撃機に世にも有名なリトルボーイを積載し広島・長崎で爆発させた。京都や東京も狙われていたとする説もあるが定かではない。これが成功したことを受け、アメリカはキリストおじさんより核を信仰するようになる。
この計画での一番の加害者はアインシュタインだと社会科の教科書ではよく取り上げられているが、実際資金の無心とかで代筆したり紹介状を書いていたアインシュタインは被害者としての面が強い(それでもアインシュタインの名前を貸したことそのものに罪があると云ってしまえばそれまでだが)。詳しくは後述。
この計画はよくメディアでアメリカ単独で作り上げたと報道されるが、実際にはイギリス・カナダ・アメリカの3カ国での計画。というのも当時ナチスはVergeltungswaffe、日本語で報復兵器と呼ばれる兵器を開発していた。有名なV1飛行爆弾とV2ロケットとV3 15センチ高圧ポンプ砲(ムカデ砲)である。
これらと同様に、核開発にもドイツは早くから着手していた(とレオ=シラードは思っていた)。世界初の大陸間弾道弾を開発したりドイツからイギリス首都に理論上は届く大砲作ったり特攻兵器作れるだけの技術力があったため、レオ=シラードの懸念はまさしく的を射ていたと思われる(実際問題資材と人員とヒトラーおじさんに余裕とか色々あれば当時のドイツなら余裕で作れたとする見方が強い)。
この際、レオ=シラードの名前だけでは政府を動かすには足りないと判断し、シラードはアインシュタインに手紙を書いてもらい署名してもらうことで合衆国政府に『ドイツより早く核弾頭を作って打ちこめやボケ茄子ども』と“進言”する。
ついでに、この際にアインシュタイン本人は依頼された通りに書いて署名捺印しただけで、また『核連鎖反応を利用した爆弾が作られている可能性がある』と警告もしていたが、その3年後には核連鎖反応を利用した世界初の実戦的な反応兵器、リトルボーイが作られちゃいます。
実際研究資金を貰ったのはレオ=シラードとエンリコ・フェルミで、アインシュタインは政治姿勢の問題から米国政府に警戒されマンハッタン計画がスタートしたことすら教えてもらえずに、実質的に協力していたのはレオ=シラードとエンリコ・フェルミとジョリオ・キュリーの三者のみであった。
一応シラードさん的には日本に原爆を落とすのは自分の思想的に相反するものであったからか時のフランクリン・ローズベルト(の妻であるエレノア・ローズベルト宛)にアインシュタインの紹介状付きで『新しい玩具を手に入れて使いたい気持ちはよく分かるけど絶対その玩具使っちゃ駄目だからね? 絶対だよ?(重要なことだから二回言いました)』という書状を出すのだが、フランクリン・ローズベルトとの会談の予定が設けられてすぐにロースベルトおじさんはぽっくりとお亡くなりに。
そののちは後釜として就任したハリー・S・トルーマン新大統領の秘書経由で国務長官就任予定だったジェームズ・F・バーンズと会談して
シ:『ローズベルトおじさんの作ったあの危ない玩具使っちゃ駄目だからね! 絶対だからね! おじさんとの約束だよ!』
バ:『なしてよ? あないなエキセントリックでファンタスティックな兵器は国民のだれも今まで見たこともないんやで? 作ったんなら使わないでどないする云うんやおまんたち。具体的に何が危険なんやねん。難しい言葉使わんで馬鹿にも分かるよう教えや』
シ:『あかん! 使うたらあかん! とにかく絶対つこうたらあかんねん!』
バ:『知らんわボケ! ほなさいなら。広島と長崎が火の海になるんが今から楽しみやわ』
といった感じで理解を得ることはできずに、また科学者を総動員してのデモを起こしても広島・長崎への原爆投下を止めることはできなかった。まぁ、作れと云ったのはシラードさんだしね? サルに銃持たせたらどうなるかなんて分かり切っていたことなのにね?
ぶっちゃけ『作れと示唆したシラードたちが悪い。アインシュタインは悪くない』と云う論調が大きい。ただ代筆したり紹介状書いたりして甲斐甲斐しく世話したアインシュタインに非があるとする論も根強くささやかれている。このことに関してはアインシュタインも晩年『私はひとつ大きな間違いを犯してしまった。 ルーズベルト大統領に原子爆弾を作ることを勧めた手紙に署名したことだ』として後悔しているよう。
ついでに、大戦期のドイツは核兵器になんぞ興味はあっても見向きもしていなかった。
・軍事用語など他
アメリカ陸軍第一特殊部隊デルタ作戦分遣隊
→一般にはデルタフォースといったほうが通じやすいかも。アメリカ合衆国政府がいまだに存在を認めていない特殊部隊。作戦内容に関してはグリーンベレーをもうちょっと過激化させたような感じ。
作戦行動に際しては四人一組の分遣隊として行動する(だからデルタ分遣隊)。
隊員の語学水準は非常に高く、ブリーフィングに関してはフランス語やドイツ語など、現地の民族が極力知り得ない言葉を使って伝えあう。
任務に際しては民間人に扮するため格好に関しては市中に溶け込むのに違和感のない範囲内で自由。また頭髪などに関しても同様。
特殊部隊のため入隊にはかなり条件があるため上級軍曹以上からが最低入隊条件。このほかに十項目以上ある。
コールサイン
→ジャガー1とかスターゲイザーとか出ていたあれ。CPはコマンドポストの略(要するに司令塔)。作中自由射撃していたが本来はシン・ゴジラほどではないが自由発砲許可なりがなければ威嚇射撃以外の射撃行為は原則禁止(対象の危険度による。偵察目的が明らかなものに関しては現場判断もありうる)
ドッグタグ
→軍隊における住民票。軍隊に何番目に入ったとか本人の名前とか本人の顔写真が載った紙が皮あるいはプラスチックの名札に入れられており、よほど乱雑に扱ったり弾やナイフが直撃しなければそうそう壊れない。
こういった管理の仕方から皮肉として犬の名札という俗称をいただいた。このため昨今『軍の犬』という呼び方が定着したのもこれのおかげ。
ドッグタグがあっていいことといえば、特に前線でドンパチ撃ちあいする人たちが死んでしまった際にこれがあれば身元確認がとりやすく、死体の引き渡しが円滑に進むため。このため隊員や軍人は必ずどこかにドッグタグを携帯あるいは紐などで吊り下げることが義務付けられる。
トマホーク
→ポールアックスではなくミサイルの名前。トマホーク巡航ミサイルなどが通じやすいと思われる。
艦船などに搭載するミサイルで、弾頭を多少の整備時間を必要とするが専用として設計せずとも本体と弾頭を別々に作ることで低コストに量産することが可能。このため弾頭も多種多様で、一部は核を搭載することも可能。東京湾とか日本海辺りにこの核弾頭搭載型シーウルフ級原子力潜水艦が日本政府を脅す目的で配備されている。といううわさがある。まあやりかねないよねあの国。
消極的に肯定するような発言もあるあたり信憑性はそこそこだがうわさ話にすぎない。
砕氷艦
→北海道やロシア勢力圏などで多くみられる氷を砕くための船。氷の冷気や空気が冷やされることで海の表面が凍りついてしまうのを防ぐために氷を砕いて海水に溶けやすくなるようにすることで出来るだけ凍結を防ぐためにある。軍が使用するものは砕氷艦。民間(軍以外という広義での民間)で使用されるものは砕氷船と呼ばれる。
氷の直撃を受けてからワインオープナー、あるいは理科の実験室にあるフラスコやグラスを掃除するためのブラシのような形状のドリルで氷を割るため、舷側装甲や船首部分が厚く、ぶつかって転覆しないためにその衝撃を下に逃がすつくりをしている。
また、氷からの反発を受けながら進むため強力なエンジンを備えているのが普通。
バラストタンク・バルジ
→両方とも現代潜水艦になくてはならないもの。
潜水艦が潜航する際、ベント弁と呼ばれるバラストタンク内から空気を排出するための線が抜かれるとバラストタンクから空気が排出され、その圧力を使って海水を吸入して艦の重さを増していくことで水中に潜る。すべての艦で出来るかと言えばそういうわけでもなく、水圧に耐えられるような艦体構造でなければ数秒と沈んでいられない。これが潜水戦艦が不可能といわれる理由。
バルジは工業用語的には尖った部分を指す言葉で、主に単殻サドルタンク式潜水艦や戦艦などに使われる。戦艦大和の機関部付近の妙にもっこりしているあれがバルジ。単殻式は内部に燃料タンクを持つが、サドルタンク方式にすることで単殻式としての外形を変えずに燃料を入れるスペースを容易に確保できる。また水圧は燃料を媒介として外殻に伝わるためバルジそのものは耐圧加工しなくていい。燃料を消費しきると今度は内部に海水を注入する(圧力を逃がす役割を負っていた燃料がなくなり空気だけになると水圧を逃がすことができずに拉げたり潰れたりするため代替として水を注入する)。
このほかにネガティブタンクやトリムタンクと呼ばれる重要なタンクがあるのだが割愛。詳しくはWikiでも調べてください。
海水淡水化装置
→原子力潜水艦が主に装備している海水を淡水に変える装置。平たく言えば、塩分一杯のお水を飲み水に変える装置。原子力潜水艦が主に装備している理由は電気が使いたい放題だから。どこかの県に電気を流したりするわけでもないためすべての莫大な余剰電力をこういったユーティリティに割くことが可能。このため搭乗員の視力低下問題などが少し遠のくが、その代りに後述の電解装置のこともあって作戦遂行可能時間が非常に長くとられるため搭乗員がノイローゼにならないか注意する必要が出てくる。
電解装置
→主に原子力潜水艦が装備している人工的に酸素を電気分解で取り出す装置。このため潜水艦のバッテリー問題から解放されたばかりか酸素問題からも解放され、さらに飲料水問題も解決された上にまだまだ電力が余っているため冷暖房やIH、冷蔵庫や冷凍庫や士官室、下士官の寝床などにも常時冷房がかけられている。その代り作戦期間が非常に長いが。
ゾーン
→某TAのドラマで異様に引き延ばされて発音されてたあれ。ゾ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン。
一瞬世界がとまったように感じられたのちにまた通常通りに動き出すといった現象で、プロスポーツ選手やロードレーサー含むアスリートに多くみられる、極限の集中状態がもたらす錯覚といわれる。
アフターバーナー
→一言で言うなら、注射器あるいはピストンの先端から空気を出しながら他の吸気口から空気を吸わせてそれが別の排出口から排出される際に今燃焼している燃焼ガスとは別にその排気を再発火させる行為。戦闘機のエンジン部は噴射口から先はカラーコーンのようになっているため先へ進むほど圧力が高まっていく。このため別の噴射口からの排気を再発火させた際、その再発火した排気もカラーコーンの先のほうへ収束していくため、これによって二倍近い高推力を得られる。
理系じゃないので全く原理が理解できない。というか世の中のものって大抵そうだよね。なんでパソコンが動いているのって聞かれても電源とかマザボとかHDDとか、いろいろあるし極論すれば電気が流れているから動いているわけだけど、じゃあなぜ電気は流れるのって話になってくるし。
銃がなんで弾丸を撃ったら薬莢が飛んで行くのって言われても『発射時の反動で薬室が後退して~』とかじゃなくて根本的になぜこの構造で動くのって聞かれてこれだからと答えられることって、普通に生きているだけだと中々難しいと思うんだ。はい、言い訳です。
HEAT
→High-Explosive Anti-Tankの頭文字。なお弾頭は対潜水艦用兵器としても攻城兵器としても使用されている。
成形炸薬弾頭、一般にパンツァーファウストやRPGと呼ばれるモンロー・ノイマン効果(これに関しては別項で記述)などを利用する兵器全般がこれに当てはまるため、対物ライフルなどで時たま見られる爆発炎上するタイプの弾頭も広義にはこれに当てはまる(弾頭が特殊すぎてみる機会なんてほとんどないが)。
これらは一般的に弾頭に取り付けられた心棒が衝突の衝撃で内部の炸薬に点火することで作動する兵器であり、また仕様や使用方法などに拘りさえしなければ日本の町工場1~2件ほどで数百丁以上を大量生産できるといったコストパフォーマンスから、非常に製造原価が安価でかつ大量生産が可能な『個人用使い捨て携帯式対戦車擲弾発射機』である。このためもちろん大昔のパンツァーファウストでも現代の戦車を無力化するには十分な力がある(とはいっても複合装甲などを採用している戦車が増えてきているため二次装甲であるセラミックなどを侵徹させなければならず、またセラミックのユゴニオ弾性限界は鋼鉄の10倍のため、メタルジェットの圧力が侵徹し切るのは理論上不可能のため、最近はAPFSDSにその座を奪われてきているが第三世界での人気は不動)。
これらの兵器の利点とはすなわちAK-47と同様かそれ以下の超短期訓練で大体の動体目標(大抵は戦車)に当てられるようになる簡単な操作と高い射撃(砲撃?)精度と非常に高い携行性(よく訓練されているか生還を度外視されていれば他の装備をある程度犠牲に二本以上携帯することが可能)、そして戦時急造品であろうとも一定精度の物を安定的に大量生産が可能な非常に高い生産性にある(極論すれば鉄パイプと弾体を作るだけ。内部機構は一応あるのだがそれでも非常に安価に大量生産が可能)。
特にパンツァーファウストは棒の部分だけを持ち帰れば工場あるいは前線に用意されている弾頭のみを取り付けての再使用が可能であり、多い場合は一人の使用者が十回以上の発射を行ったこともある。
これらを塹壕を踏み越えようとする戦車の前面下部の装甲や側面、エンジン部にぶつけるなどしてメタルジェットを注入、一次炸裂を起こすことで無力化させることが可能。
モンロー/ノイマン効果
→円柱、あるいは円錐状の外殻を用意し、内部に漏斗状に成形した内郭を取り付け、それより後ろ側などに同様漏斗状に成形した金属(銅や鉄やアルミニウムなど)で作られた金属板と呼ばれるものを張り付け、そこにすり鉢状に加工した成形炸薬を装備し弾頭の後部などに起爆薬を配置、接触信管あるいは衝撃信管などを利用して爆破するだけ。
すると爆発の勢いと熱によって金属板が溶け出し超高温の超高速金属噴流となり、弾頭後部が塞がれていることと二重の漏斗の片側が溶け出したことによって塞ぐもののなくなった爆発力と液体金属が反対側の漏斗(弾頭側)に向かって進行するため爆発の衝撃と熱と圧力はすべて円錐状となっている漏斗の中心部分に集中。漏斗の先から戦車の内部に中田氏を決めて爆裂四散してフィニッシュ。
これらをモンロー効果、ノイマン効果と呼び、これらを併用するモンロー/ノイマン効果を使用する弾頭を成形炸薬弾頭と呼び、この成形炸薬弾頭を使用する兵器を一般に対戦車兵器やHEAT兵器などと呼ぶ。最近はAPFSDS等が使われ始めているが後述。
簡単に説明したが、もっと詳しい説明がほしい人はwikiへGo。爆轟波やら理系・工業系高校で習った人もいるかもしれないがユゴニオ弾性限界やら逆性流動やら専門用語がいっぱいです。
ついでに、パンツァーファウストの場合はメタルジェットのみで内部を加害しているわけではなく、メタルジェットの熱で焼き殺しているわけでもない(メタルジェットの圧力と速度が熱伝導よりも早いためメタルジェット単体ではメタルジェットの噴射方向の軸線周囲数センチ以内しか加害出来ない)。
そもそも超高速で熱を発する物体が侵徹した際には熱よりも先に圧力が生じることと、戦車の表面装甲を接触したメタルジェットによって集中的に相互作用的なユゴニオ弾性限界の突破、つまりメタルジェットの熱エネルギーではなく運動エネルギーを利用して無理やり注入しているようなものであるため、このメタルジェットが加害出来る範囲は漏斗の先端を軸とした場合における軸線上周囲数センチ程度なものであり、このメタルジェットの進行方向より先に砲弾やエンジンなどの可燃物が必要となる。このような事情があるため、炸薬が必要なのでありエンジン部や戦車の横腹などをよく狙うのである(戦車の横腹、とりわけターレットリングより下あたりには大体予備の砲弾がある。場合によっては排莢口にぶつけることでの撃破も可能)。
なお、パンツァーファウストなどは最近の戦車に対する加害能力が低い。というより複合装甲を採用している戦車に対しての加害能力が低い、といったほうが正しいかもしれない。
というのも複合装甲には二次装甲としてセラミックが採用されていることがほとんどであり、このセラミックが軽いくせに固いと来たもので、モンロー・ノイマン効果での侵徹能力が期待できない。
セラミックのユゴニオ弾性限界の数値が通常の鉄鋼に比べて十倍以上ということと、単純に原子間結合的な意味で固いことが要因としてあげられる。このためメタルジェットはこの原子結合を侵徹しなければならないのだが、表面を炙ることはできても侵徹することは不可能(圧力が減衰されてしまうことと鋼鉄より硬いため圧力がそもそも通らないという二重苦)。




