(短編)かつれん奏で
五月の緑が目に眩しい。
汗ばむような暑さの中、照葉の林の中を二人の婦人が徒歩で進んでいた。
二人が行くのは、茂る青草を申し訳程度に切り開いた荒道だ。
一人は、荷物を背負った年若い侍女。
もう一人は、旅装に身を包んだ婦人。
婦人は花の盛りを過ぎてはいるものの、優美な物腰と匂い立つような美貌から、高貴の人であるとうかがわせる。
不意に吹き抜けた南風が、夫人の肩にかけられた薄い衣を宙に攫った。
色あせた花模様が青空に舞う。
「あれ、衣が、衣が!」
侍女が顔色を変えて追いかける中を、衣は風に乗り、流れ、ついにイタジイの茂みの高い枝に着地した。なんとか衣を引き下ろそうと、侍女がぴょんぴょんと飛びあがる。
「私が、取って参りましょう」
困り果てた婦人と侍女が振り返ると、そこには小柄な茶色い馬に乗った少年がきっぱりと声を発していた。
年の頃はまだ十三、四というところか。唐草模様の乗馬衣の緑が、黒い瞳に映えている。帯には立派な拵の刀。侍の家の子なのだろう。
端正な武家装束とは対照的に、ふっくらとした頬にまだ幼さが残っている。
それでも、するすると木に登り、はっしと衣を捕まえ婦人に差し出した姿は凛々しく、どこか風格めいたものさえ感じさせた。
婦人は衣を受け取ると、愛しそうに撫でる。
「これはわたくしの、とてもたいせつなころもなのです。あなたには、おれいをしなくてはなりませんね」
懐から出した金子を、少年は首を振って拒絶した。生真面目な瞳が目に眩しい。
「では、おかしをあげましょう」
侍女に命じて饅頭の包みを広げさせると、少年の顔がようやく年相応に輝いた。
「すきなだけとってよいのですよ」
少年は黙ってまた首を振り、積上がった饅頭の一番上を一つだけつまむ。
婦人は微笑む。
きっとこの少年は、いくら勧めたって一つしか取らないのだ。
「では、わたくしもいっしょにいただきましょう」
開けた野に茣蓙を敷かせると、婦人と少年は並んで座った。
敷物の端にきちんと足を折り畳んで座る少年は、まるで小さな武将のようだ。真面目な顔で、手にした饅頭を大切そうに口に運ぶ。
その姿がかつて知っていた実直な漢によく似ていて、婦人はまた微笑む。
「あなたのおなまえは?」
「私は、空広と申します」
受け答えの口跡も、もう立派な武人のものだ。その後尾にほんの少しだけやわらかい訛りがある。
「あなたは、みゃーくのかたかしら?」
少年は頷く。
「はい。養父・大立大殿の命でシュリに学んでおります」
世は第二尚氏・尚円の時代に入ろうとしていた。シュリはようやく動乱から脱し、遠くミャークやヤイマから、多くの留学生たちが集まるようになっていた。
富が集まり、人が集まり――都の繁栄は今やはち切れんばかりだ。
婦人は少しだけ、遠い目をする。
視線の先には、もはや人の通わぬ廃墟となった石の城。
「かちりんには、なんのごようでいらっしゃったの?」
「は……。かつて王府に逆らった、阿麻和利の夢の跡を見に」
「そう……」
婦人の沈黙を受けて少年は黙り、視線を下に向けてから、続けた。
「私は、阿麻和利を嗤いに来たのではありません」
問うように視線を投げる婦人に、少年は言葉を続ける。
「私は、武人はいかなる時も生き残らなくてはならないと思っています。民を守るため。生まれた土地を守るため。
その気持ちは、阿麻和利按司も同じだったことでしょう。
私は、何故、按司が大切な者達を残して死ぬ運命となったのか――その答えを探しに来たのです」
この少年は、あの男を按司と呼んでくれるのだ。婦人はやさしく微笑む。
「こたえは、みつかりましたか?」
黙って首を振り、少年は答える。
「未だ。戦乱の世に、答えなど無いのかもしれませぬ。
それでも、私は探し続けたいのです。平和な世を創るための、答えを」
二人は少し沈黙し、青い空に視線を投げる。
白い鷺が、天高く舞っている。
「……あなたは、きっとよいおうになれるでしょう」
少年は頷く。
「そうなれるよう身を捧げましょう。
あなたのように、涙を流す方がいなくなるように」
二人はどちらからともなく視線を合わせた。少年の強い瞳と、やわらかな婦人の瞳が絡み合う。
「あなたのためにいのっていますよ、空広」
鷺が遠くで、高く鳴く。
ある青い空の下、ただひとたびの百十踏揚と仲宗根豊見親玄雅の邂逅であった。
<了>