ある冬の日の朝に
雪の上に誰かがつけた足跡をたどるように歩いていた俺は、目の前に立ちふさがる女の子のせいで足止めを余儀なくされた。
高さ三十センチ弱という小柄な彼女は色白で、顔と胴は丸みを帯びているが、その腕は枯れ枝の様に細く――というか枝そのものだった。
そして葉で作られた目鼻口。
そう、それは雪だるまだった。
真っ赤なリボンをつけているから女の子なのだろうと判断したわけだけれど……。
一体、誰がなんの目的でこんな場所にこんなものを?
訝りながら更に進むと先ほどより一回り大きな雪だるまと遭遇した。今度はうさぎの髪留めをつけている。
ん? と俺は首を傾げた。
髪飾りに見覚えがあるような気がした。
そして三体目の、ピンク色の手袋をはめた雪だるまを見た瞬間、俺は息を呑み足を止めた。
その手袋は間違いなく俺の知っているものだった。
俺は慌てて最初の雪だるままで引き返すと、赤いリボンとうさぎの髪留め、そしてピンクの手袋を回収してから次の雪だるまを目指した。
雪だるまが他にもあることを俺は確信していた。
そして予想通り次々と現れる雪だるまから、ハンカチやら硝子の人形やらゆるいキャラクターのキーホルダーやらを回収しながら朝の住宅街を走った。
最後に現れた雪だるまは一メートルほどの高さで、その手に細い鎖のネックレスを巻きつけていた。堂々たる雪だるまの首回りには、このネックレスの鎖の長さでは足りなかったらしい。
そして俺はその雪だるまの後ろに、ぴょこぴょこと見え隠れしているポニーテールと赤いランドセルを見つけた。
小さく嘆息してから「なにやってるんだ?」と声をかけると、ポニーテールがびくりと動きを止めた。
「な、なにって、雪だるまを作っていただけよ!」
雪だるまの後ろから、女の子の声が聞こえた。うちの隣に住んでいる小学生の声だ。
「ユナの物を持ち出してか?」
「全部ミカがユナ姉さまからもらったものだもの。どう使おうと自由でしょ」
「でも、これは俺がユナに贈ったものだ」
「知ってるわよ!」
雪だるまの後ろでミカが立ち上がったけれど、小柄なミカは立ち上がってもほとんど雪だるまに隠れてしまう。俺はネックレスを手に取ると、雪だるまの後ろ側へ回り込んだ。
ミカは妙に大人びたところのある子どもで、雪だるま作りを楽しんでいただけだとは思えない。
いたずらで、俺がユナに贈った物を持ち出したとも思えない。
「じゃあなんで……」
言いかけた俺の目に、冷たさのせいで真っ赤になった小さな手が映った。
「どこかの阿呆が姉さまのことを忘れて、バレンタインだからって浮かれないようにするためよっ! この浮気物っ!」
ミカの大きな瞳に、みるみる涙が浮かんでくる。
「ええっ!? ちょっ、なんだよいきなりっ」
突然怒鳴られ泣き出され、俺は戸惑う。
「姉さまが死んでからまだ一年しか経ってないのに、他の女とふらふらしてるのを、ミカはこの目でしっかりはっきりばっちりと見たんだからね!」
「えぇ⁉」
確かに俺はミカの姉・ユナとつきあっていた。幼なじみで、保育園のころから一緒で、俺は昔からユナのことが好きだった。
つきあいだしたのは、中3のころ。
そして彼女は去年の冬、16歳で死んだ。交通事故だった。
降りしきる雪の中駆けつけた病院で、息をひきとった後のユナと対面した時のことを思い出すだけで、今も俺は立っていられないほどの恐怖と、絶望と、胸の痛みを感じる。
――そう、今も、だ。
俺はコートの上から、胸を押さえた。
「俺はユナのことを忘れたりなんかしてないし、誰ともつきあってない」
「嘘つき! ミカ、昨日、おけいこの帰りに駅前で見たんだから! 年増と一緒にへらへらしながら歩いているのを」
昨日、駅前……。
俺は「ああ、あれか」と思い至る。
確かに昨日、駅前で、去年高校を卒業した部活の先輩と遭遇した。久しぶりだったから、そりゃあ多少話もした。
大学生だから、服装も多少は大人びていたし、化粧もしていた。
――けれど、年増は言い過ぎだと思う。
もちろん、つきあってなんかいない。
「ただの知り合いだよ。偶然遭遇しただけ。なにかをもらったり渡したりだって、していない。おまえの杞憂だよ。杞憂っていうのは――心配しすぎってことだ」
そう言ってミカの頭をぽんぽんと撫でてやると、ぐすぐすと鼻をすする音が「わああぁん」と大きな泣き声に変わった。
ミカはユナのことが大好きだった。俺がユナとつきあい始めた時には「ユナ姉さまは渡さない!」と随分妨害されたものだ。
「大丈夫だよ。俺もおまえと同じで、今もユナのことが大好きだから」
ミカは、俺にユナのことを思い出させるためにこの雪だるまを作ったんだろう。登校前に、両手を真っ赤にしてまで。
回収したピンクの手袋をミカの手にはめてやる。
小学生のころユナへ贈った手袋は、ミカの手にもぴったりだった。
「ありがとう……」
ミカはコートの袖で涙をぬぐいながら礼を言うと、おもむろにポケットからラッピングされた四角い箱を取り出し、俺に向かって差し出した。
「え? 俺に!?」
「なっ、なによっ!? これは、お姉さまのことを忘れていなかったご褒美よっ! まっ、まあ、覚えていて当然だけれどっ!」
そう言って、箱をぐいと俺に押しつけると、ミカは脱兎のごとく走り去ってしまった。
今日はバレンタインデー。
どこかに、俺にチョコレートをくれようっていう奇特な人がいたとしても、俺の両手は既にいっぱいで、もうこれ以上はなにも持つことができなさそうだ。
――まあ、チョコレートなんて、ひとつも受け取るつもりはなかったんだけどな。
回収したユナへの贈り物の上にちょこんとのっている四角い箱を見て、俺は苦笑するのだった。
了