当サークルではクリスマスは廃止になりました
今日は十二月二十四日。
世間一般はクリスマス・イブで盛り上がっているが、彼女がいない大学一年生の一人暮らしの身には左程意味のない行事だ。いや、意味のないとは言いすぎかもしれない。僕はサークルの先輩達が主催する「当サークルではクリスマスは廃止になりました会」に参加する身の上だ。彼等がどのように言い繕うとも、なにがしらの形でこのイベントに参加しているのは否定できない事実だと思う。
このような言い訳がましい茶番に参加するのは正直気が進まない。
捻たような態度でイベントに臨む態度は女々しくて嫌いだった。
それでも参加する気になったのはサークルの先輩達からの参加要請が拒否困難だったのと、彼等のこの日に臨む態度が面白かったからだと思う。などと考えて、「当サークルではクリスマスは廃止になりました会」に参加する自分の行動をどうにか正当化する。
自己正当化に時間がかかってしまったらしく、時刻は十五時を回ろうとしていた。
急いで着替えるとガスの元栓、電気の消し忘れなどを確認する。
一人暮らしはこの点が面倒この上なく、誰かが居てくれたらと毎回思う。
どれも問題ないな。
さて、戸締りをしてようやく外に出よう――
ざわ・・ざわ・・
断っておくが、別に事件が起きようとしているわけではない。
コートに入れていた携帯の着信音だ。
発信者を確認すると母親からだった。
余り出たくないし出たところで碌な目に合わないと思うのだが、出るまで嫌がらせのように何度も掛けて寄こす癖が母親にはあった。これが肉親でなければ精神的苦痛を警察に訴えるのだが、生憎警察は民事不介入の原則を堅持する傾向がある。
息子の身としては、母親の暴挙にただ耐えるしかなかった。
「もしもし、僕だけど。なにか用事でも?」
「相変わらず可愛げがない返事だね。もう少し愛しのママに甘えても良いのに」
「僕を家から追い出した貴方がそれを言いますか」
「追い出したなんて人聞きが悪い。一浪もせずに無事に国立に入った孝行者の息子に、せめてプライベート空間くらい提供してあげようという親の気持ちが理解してもらえないなんて……」
嘘泣きである。
気にしてはいけない。
母親に悪気がないのは分かっている。
僕を外に出したのは、高一になった血の繋がらない妹と間違いがないように遠ざけたかっただけなのだ。
義妹の名前は綾子。
美人で性格が良い、我が義妹ながら出来た義妹だと思う。大学受験の勉強をそっちのけで、高校受験の勉強を見てやる程度には構ってやった。多分、義妹の結婚式には親父と一緒に男泣きすると思う。それくらいには可愛い義妹だ。
断っておくが、僕はシスコンではない。
と思う。
「啓一、正月くらいは帰って来ても良いよ」
「分かっているよ。ところで、綾子は元気にしている?」
「おや、やっぱり気になるかい」
「義妹の様子を気にしない兄など、いないよ」
「そういう事にしておいてやるよ。今日は友達の家に遊びに行くと言ってたね」
「そういえば今日はクリスマス・イブか」
白々しく今日がクリスマスだという事を強調してみる。先程の『正月くらい』とは、クリスマスも家に帰って来るなと遠回しに言っているのだ。別に十九歳もなると家でクリスマスを送らなければならないとまでは思わないが、帰って来るなと言われれば反発心が生じるのは人として当然の反応だろう。
別に、綾子とクリスマスを過ごせないから拗ねている訳ではない。
「そんなに拗ねない。これで熱が冷めないようなら私も色々考えるさ」
言うだけ言うと電話は切られた。
いつの間にか三十分が経過していた。
予定外の事に時間を浪費してしまった。僕は急いで外に出ると、急いでいる癖に郵便ポストは確認する。回覧板等の急ぎの連絡があるかもしれないから確認を怠ることは出来ないのだ。独り身はなにかと忙しい。
だが、そのような思いは徒労となった。
いつもの如く、郵便ポストに入っていたのは大量のダイレクトメールだった。紙も貴重な資源だ、このような無駄な行為は時間と資源の浪費に過ぎない。どうせやるなら迷惑メールだけにして欲しい。あれも充分ウザったいのだけれど。
いや、一枚だけ違っていた。
クリスマスカードか。
そのような物を送ってくれる人物に心当たりはないのだが、急いでいたので何気にポケットに入れる。これ以上遅れてはサークルの先輩達に何を言われるか知れたものではない。
もう一度戸締りを確認すると、今度こそ自宅を後にした。
◇
「諸君、今年も忌むべき日がやって来た」
僕が所属する古代史研究会の部室は紅白の垂れ幕で飾られた。部室の入り口には国旗が掲げられており、何故か祝日の装いとなっている。天皇誕生日は昨日の筈だが、だからといって別に撤去し忘れた訳ではない。十二月二十四日のためにわざわざ祝日の装いにしたのだ。先輩方、歳の瀬で御忙しい中、ご苦労さまです。
「だが我々のサークルにおいてクリスマスは廃止になったのだ。我々は今年も今日という日を出雲大社の祭神『大国主大神』様に捧げようではないだろうか!」
狭い部屋に祭られた神棚に向かい、サークルのメンバー一同で二礼四拍手一礼により礼をとる。初参加の僕としてはこの雰囲気に付いていけないのだが、疑問や異論を認めない異様な雰囲気がこの空間を支配していた。
誰かに頭を抑えられるような感覚に囚われた。
分かったよ、長いモノには巻かれるよ。
僕も先輩たちと同じように二礼四拍手一礼で礼を取ることにした。
二、三秒間の沈黙が古代史研究会の部室を支配する。
まるで本当に神が降臨されたかのような重々しい数秒間だった。
「山下、それでは『大国主大神』様に捧げた供物を分けて頂くとしようか」
「はっ、不肖この山下。ケーキ入刀の大命を承りました。今年もシャンパンとケーキを分けて頂きましてありがとあした」
高校時代には甲子園を目指していた山下先輩は、体育会系らしい微妙な略語で神棚に向かって礼を述べる。それにつられる様に他の先輩達も『あした!!!』と続く。
暑苦しい事この上ない。
我が古代史研究会の悪しき伝統である。
「井上先輩、何故クリスマスケーキを大国主大神に……」
「坂本! クリスマスは廃止になったのだ。そのようなイベントは、当サークルには存在しない。あのような異教の神のイベントなど、我々は断固として認めない」
「井上先輩、俺達がいるじゃないですか!」
「お前達っ!!」
彼女いない歴=年齢の大学三年生+二浪の井上先輩は血の涙を流しながら訴える。その訴えに心を打たれたのか、山下先輩を始めとする他の先輩達も同調する。
もういいや、事実を指摘するのが面倒になってきた。
これだから体育会系のノリは嫌なのだ。
「えー、坂本が間違っておりました」
「分かってくれたか! 同志坂本よ、君にも大国主大神様に捧げられたシャンパンとケーキを分け与えようではないか」
宴が始まる。
未成年である僕が飲酒をする事は法律上問題がある筈なのだが、大学構内は治外法権だという根拠不明な意見の元に一蹴された。
先輩達の酔いも回ってきたところで、疑問に思っていた点について聞いてみることにした。実は十二月二十四日を大国主大神に捧げる日にした理由を聞かされていないのだ。どうやら十年以上歴史があるサークルの伝統行事らしいのだが、事前にその話題に触れるのはタブー視されていたから、今まで聞く事が出来なかった。
会費五千円も出費させられたのだ、せめて謂れを聞く権利くらいは僕にもある。
「井上先輩、僕は前から疑問があるのですが」
「なんだ、坂本」
「十二月二十四日のこの日に、なぜ大国主大神様にシャンパンとケーキを捧げるのでしょうか?」
「なるほど、一年生のお前が分からないのも無理がないな。加藤、教えてやれ」
加藤と呼ばれた二年生の先輩は、眼鏡をクイッと上にやりながら俺に見下すような視線を送る。一々態度が厭味ったらしいが、イケメンで秀才肌の加藤先輩は女性にも大変モテる。なぜ女っ気のないサークルに所属しているのか疑問だ。
本人曰く、古事記に萌えるらしい。日本書紀と違って、色々本音が書いている点に作者の愛を感じるとか。
さいですか。
「畏まりました。そもそもクリスマスはイエス・キリストの生誕日などとされていますが、その実は違います。古代ローマ帝国でキリスト教と並ぶ宗教であったミトラス教の重要な祭日を都合よく乗っ取ったに過ぎません――」
これ以降三十分以上にわたり加藤先輩のクリスマスに関する講義が始まった。やや残念なイケメン系男子として女性にモテる加藤先輩がこのような場にいるのは、つい先日付き合っていた彼女に振られたからだ。
失恋のショックでやや精神を病んでいる加藤先輩が現実逃避をしたとしても、誰が責められようか。
「――日本においてクリスマス・イブは恋人達と過ごす日などと言われていますが……」
不味い、加藤先輩のトラウマスイッチが入ったらしい。嗚咽で声も絶え絶えになりながら自説を唱え続ける姿は実に痛々しい。会費五千円の恨みなど気にせず、余計な事など聞かなければよかった。
強烈な罪悪感に襲われる。
僕は失恋のショックを知らないが、それでも加藤先輩が苦しんでいるのは痛いほどよく分かる。
「すいません、加藤先輩。余計な事を思い出させてしまって」
「いいさ、あんな女のことなど気にしていない」
強がってはいるが、携帯に画像がまだ残っている事を僕達は知っている。
この姿を見せられては女々しいとは言うまい。
「日本においてはクリスマス・イブが『恋人と過ごす日』などと誤った認識が広がっております。この認識は間違っているが大勢の人間が認識している以上、我々のような人間がいくら正論を叫んだとしても変えようがない。であるのであれば、この日を『異性との縁を求める日=縁結びの日』とすべきではないかと我がサークルは考えたのだ。ここまで説明すれば坂本、お前にも分かるだろう。縁結びといえば出雲大社の祭神『大国主大神』様以上に相応しい神はおわすまい?」
満足気味にニヤリと笑われても困ります。
井上、山下先輩達は、加藤先輩が唱えるレトリックに聞き入って涙している。
サンタクロースの風体を考えると大黒様の方が合っているような気がするが、神道においては大黒様=大国主大神である事を考えると問題ないように思えてきた。
◇
すっかり日が暮れ、時刻は十九時を回っていた。
嵐のような宴はようやく終わりを迎え、全員で『来年こそは良い縁があるよな』と言いながら別れた。
良い縁ねぇ。
校内を出ると、吐く息が白くなる。
寒い。
もう冬なのだ、寒いに決まっている。
手袋を得るためポケットを探ると、家を出るときにポケットに入れたクリスマスカードに手が当たる。
A Merry Christmas to you.
綾子より。
PS.夕食作って待っているからね。
なんてことだ、こんな事をしている場合ではない。
シャンパンの飲み過ぎでやや酔いが回り気味だったが、その酔いはすっかり冷めた。
ケンタッキーとケーキの食べ過ぎでお腹がいっぱいだが、その分のカロリーは走って帰ることで消費できる筈だ。
僕のクリスマス・イブは終わらない。
この話はソ連時代のサンタクロースにまつわる話をヒントにしています。
共産党時代、宗教の力を削ぎたい彼等をもってしてもクリスマスの風習を中々消せませんでした。
そこで共産党が思い付いたのがロシア伝統の民間信仰の対象であるモローズ爺さんをサンタクロースに仕立てることでしたw
嘘のような本当の話のようでロシアニュースを観ていると、ときどきモローズ爺さんの話が出てきますよ。
ソ連崩壊時、モローズ爺さんに慣れ親しんだ子供達はサンタクロースに愛着が持てなかったとか。