7,平原にて 日々を振り返って 前編 【桃香視点】
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この作品を待っていてくださった方、応援してくださっている方、ありがとうございます。
「その命を奪っている関羽殿を、二人は恐れるのか?
この策を立てた孔明殿を、二人は『人でなし』と罵るのか?
多くの命を奪い、己の命をかけてまで大切な者を守ろうとする『将』を。
人の命を奪うことを前提に策を立て、その未来を描こうとする『軍師』を。
『王』の理想のために、あそこで多くの責任を背負って立っている者たちがしていることから、お前たちは目を逸らすのか?」
きっと、この言葉にご主人様は心を打たれたんだと思う。
けど私を動かしたのは、その後のこと。
並んで立つ曹操さんと曹仁さん、そして隠すこともなく互いに求め合い、固く結ばれた手。たったそれだけで二人がどんなに互いを信頼して、愛し合っているのかがわかってしまう。
そして、考えちゃった。
私たち姉妹が・・・ ううん、私たちみんながああして手を結んだことはあったっけ、って。
愛羅ちゃんが姉妹になることを拒んだことも、どんどん頑なになって行く愛紗ちゃんも、戦うことばっかりに目が行くようになってしまっている鈴々ちゃんも、そして日に日に辛そうな顔をして考え込むことが増えていた朱里ちゃんも、いつかは変わると思っていた。
姉妹になれば、誓い合えば、国を平和にすれば、そうすれば全部、解決してくれるんだと思ってた。
でも、それは違うことを曹操さんたちの手が教えてくれた。
結んでいた筈の手を、結んでいなかった手を、固く結び直すのは時間になんか任せちゃいけない。私が・・・・
「俺さ、桃香。
きっと、全部から逃げてたんだよ。怖くて、悲しくて、辛くて、でも・・・ みんなに会えたことがそれを誤魔化してくれるくらい、嬉しくて」
そう考えた隣にはご主人様がいて、今まで言うことのなかった弱音を口にしてくれた。
私たちとの出会いをそう思ってくれていたこと、その思いを教えてくれたことが何だか嬉しくて、私も曹操さんと同じで一人じゃないんだってことを気づかせてくれた。
「それは、私も同じだよ。ご主人様。
私だって、何も見ようとなんかしてなかった。みんなに頼って、そこに居ただけの私だった。
でも、それは間違っていたんだよね」
私たちが変えなくちゃいけない。
でも、私たちは二人だけじゃそれは絶対に出来っこない。
「今まで私たちの代わりに多くを背負ってくれた、みんながいるもん。
今度は私たちもみんなと一緒に背負おうよ」
私たちがみんなで、曹操さんたちのように手を結べるように。
誓いをただの飾りにしないために、夢を夢のままで終わらせないために。
あの日見上げた空の下から始まっていたご主人様との運命は、今ゆっくりと回り始めた気がした。
「見て見て! 二人とも!!
管輅ちゃんの言ってた通り、すっごい綺麗な流れ星だね!
零れるような星空を切り裂き、満ちた月の輝きを掻き消すように落ちていく二つの星に私はおもわず声をあげた。
「えぇ・・・ 桃香様。
しかし、これは凄いですね」
「きれーなのだ!」
私の言葉に返してくれたのは愛紗ちゃんと、鈴々ちゃん。本当はもう一人、愛羅ちゃんがいるんだけど、私たちが安心していられるようにと『周囲の警戒をしてきます』と言って早々に場を離れてしまった。
愛羅ちゃんは出会った頃からずっと私たちから一歩引いて行動して、自分が危険であることも気にしないで前に出ていってしまう。その距離が寂しくて、どうしようもできない自分が嫌だった。
「二つの流星は赤が南、白が北に分かれるようにして進んでいますね。
どちらか片方しか追うことは出来そうにありませんが、どちらにしましょうか? 桃香様」
愛紗ちゃんのその言葉に私は考えを振り払ってから、もう一度空を見上げた。
「どうするのら? おねえちゃん」
南の空に映る赤い星は強い光りを宿して、迷いもなくまっすぐにどこかへと向かっていった。
北の空に映る赤い星は弱い光りを宿して、迷うようにゆっくりと流れて、少し不安定みたい。今から追いかけなければ、見失ってしまいそうだった。
「うーん・・・・ 白、かな」
普通の人なら迷いなく惹かれるのは赤い星だろうけど、私が惹かれたのは白い星だった。
情けないように見えてしまう光の弱さも、ここに来ることすら戸惑っているようなゆっくりとした流れにも、良い所なんて一つもない。
だけど、まるで誰かを探しているように見える赤い星よりも、戸惑いながらでも懸命に進んでいく白い星から私は目が離せなくて、一緒に歩くならそんな人が良いなぁって何でかわからないけど思っちゃった。
「ならば北、平原へと向かいましょうか」
「しろー、きたー、へーげん、なのだー!
大きい人なのら? もふっとしてそうなのだー!」
「鈴々・・・・ 獣じゃないのだから、そんなわけないだろう。
こら! 先に行くんじゃない!! あぁもう、鈴々!
愛羅、桃香様を頼む! 私はあのじゃじゃ馬を捕まえてくる」
楽しそうにそう言って駆け出す鈴々ちゃんを叱りながらも追いかける愛紗ちゃんを見ながら、私もそんな二人を追いかけるように歩きだす。
「あははは、そう言う人だったら面白そうだよね。
行こっか、愛羅ちゃん」
「はっ」
全てがこれからだってわかる。これから私はどこまでも行けるんだって、少しずつ変えてみせる。愛紗ちゃんと、鈴々ちゃんと、まだ遠いけど愛羅ちゃんとなら何だって出来る。
まだ見ぬ白の遣いさんへと思いを馳せ、前を行く二人を見守りながら、愛羅ちゃんとのんびりと歩き出した。
曹操さんと協力して行った戦いの後、私とご主人様は自分たちの証でもあった『靖王伝家』と『白き衣』を曹操さんたちへと渡して、洛陽の使いである呂布さんたちに言われるがままに平原の土地を治めることになった。
平原で最初に会った法正さんは・・・・ ごめんなさいごめんなさいごめんなさい考えなしでごめんなさい白蓮ちゃんのことを馬鹿にしててごめんなさい勉強をすっかりしてなくてごめんなさい放浪して好き勝手にしててごめんなさい怖い怖い勉強会怖い法正さん怖い。
「桃香お姉ちゃーん? どうかしたのらー?」
「ひゃぅ?!」
突然かけられた声に私は変な声を出して飛び上がってしまい、自伝のような日記を落としそうになる。
「にゃははははー、変な声出てるのだ」
「もう! 鈴々ちゃん!!
入ってくるなら扉は叩いて、それを前もって教えてって言ったでしょ!」
「ごめんなのだー。
でも、もうご飯の時間なのだ。早く来ないと鈴々がぜーんぶ食べちゃうのだー!」
鈴々ちゃんならやりかねないところが怖いよね・・・・
「桃香お姉ちゃんが今、何かすごく失礼なこと考えたような気がするのだ」
「な、何でもないよー?」
法正さんと勉強するようになってから、鈴々ちゃんの勘がどんどん研ぎ澄まされているような気がするのは何でなのかな?! やってるのは私たちと同じ座学の筈だよね?
「もう鈴々、前みたいにあんなに食べなくたって平気なのだ。
よく噛んで、ゆっくり食べるとお腹はすぐに空かないことを法正お姉ちゃんが教えてくれたのだ!」
その言葉に私は、おもわず足を止める。
そんな当たり前のことも鈴々ちゃんに言わなかったことを、今更になって思い知らされた。成長期だから、子どもだから、そんな言葉で彼女を片づけて、そんなことすら私たちは言うことを忘れていた。
「だから、桃香おねえちゃんもよく噛んで、ゆっくり一緒にご飯食べるのだ」
でも、そんな私の手をいつものように鈴々ちゃんは引いて、『お姉ちゃん』と呼んでくれる。愛紗ちゃんはなかなか呼んでくれないから忘れていたけど、私は愛紗ちゃんのお姉ちゃんでもあるんだ。
私は二人のお姉ちゃんになって、何をしてたんだろう?
鈴々ちゃんに引っ張られながら、どうすればいいかを考える。私は今できること、妹と一緒にご飯を食べることを決意した。
「鈴々ちゃん、愛紗ちゃんも誘って三人でご飯食べようね」
「賛成なのだー! ご飯はみんなで食べたほうが美味しいのだ。
みーんな誘って、食べるのだ」
私の手を握って嬉しそうに言う鈴々ちゃんの手を握り返しながら、一つ疑問に思ったことがあり、鈴々ちゃんに聞いてみることにした。
「法正さんも?」
「法正お姉ちゃんはお城でご飯食べないで、自分で作って食べてるっていってたのだ。
でも、鈴々が一人でご飯を食べてた時はお茶を飲みながら、傍にいてくれたのだ」
『一人で食事かしら? 翼徳』
『にゃー』
『私でいいなら、付き合いましょう。
私は食事を済ませているから、お茶ぐらいしか飲まないけれど。話し相手にはなるでしょう?』
『どうしてなのだ? 鈴々、一人でも平気なのだ』
『食事とは「美味しい」と言い合える相手がいることが重要なのよ、翼徳。
一人では美味しい筈のものもそう感じなくなってしまう。あなたの食事量が多いのと、早く一気に食べてしまうのはそれが原因ではないかしら?
一人で食べているとき、寂しかったら私を呼びなさい。よほど急ぎの用がなければ、話し相手程度にはなれるでしょう。
急いで食べることも、一人で食べることもないわ。ゆっくり味わって、よく噛んでお食べなさい』
「そう言って頭を撫でてくれたのだ」
法正さん・・・ 毒舌で、厳しくて、容赦がないけど、ごく稀に優しい所もあるんですね。でも、その半分の半分でもいいから、私たちにも見せてくれると嬉しいです。
「法正さんって子どもには優しいよね・・・・」
おもわず溜息交じりにそれだけを呟いてしまったその瞬間
「それはね? 正ちゃん家の家訓が『子どもは宝』だからだよー!」
「きゃ!?」
草むらから突然飛び出してきた王平さんのその声に、本日二度目の可笑しな声をあげてしまった。
「だーいせーいこー!
はい、手ぱーん」
王平さんと鈴々ちゃんは悪戯が成功したことを嬉しそうに手を打ち鳴らして、笑いあう。って、なんで鈴々ちゃんまで?!
「気づいてたんなら言ってよ! 鈴々ちゃん」
「にゃはははははははーーーー!
桃香お姉ちゃん、油断しすぎなのだ。結構大きな音してたのに、気づかない方が悪いのだー」
私の非難を気にすることもなく、むしろ大爆笑する鈴々ちゃんにもう一人大爆笑してる王平さんに向けて非難の言葉を向けた。
「もー、王平さんもですぅ!
普通に話しかけてくださいよ!!」
「悪戯はね、突然のことに驚く人の反応を見るっていう遊びなんだよー?
ばれたらつまらないじゃーん」
王平さんの後ろに立った人を見て、私は固まってしまう。おもわず失礼とわかっていても指をさしてしまいそうになるのを、その人の眼力によってあげかけた手を止めてしまった。
「そうね、あなたが仕事から逃げるために隠密行動をしていたことを忘れてしまうほど楽しい遊びなのだものね?」
「そうそう、とっても楽しい遊び・・・・ ワァ、セイチャン。イツキタノ?」
王平さんの肩へと手を置きながら、法正さんはいつも通りの声で冷たく王平さんを見ていて、私が怒られているわけじゃないのに直立姿勢になっちゃうよぉ。
「今さっき、あなたが大きな声で我が家の家訓を口にしたところからね。
仕事を放棄しての逃避、そしてそのことを忘れて遊ぶ心の余裕がある。なら、もう少しあなたには仕事を増やしても平気そうね、その心という器の広さを存分に仕事に使ってもらいましょうか?」
「ぶー、書簡仕事多すぎー!
私、書簡仕事より体動かしたいのにー!」
そんな文句を言いながら王平さんは暴れようとはせず、大人しく首を掴まれてる。
その気になれば法正さんなんて振り払って行くだけの力を持っているのに、王平さんは来た時からそれだけはしようとしないことを私は知ってる。けど、その理由は聞かなくてもなんとなくわかってしまう。ううん、違う。王平さんはあった日から、私たちにはっきりと言っていた。
『だって私が譲らない、ぶれない、壊さない、絶対のものをここに置いておけばいいんだから』
王平さんにとって法正さんは誰が何と言っても、それこそ当人に否定されても大切な友達なんだってこと。
一方通行のような友愛も、信頼も、王平さんはきっとどれだけ遠くにいても、拒まれても絶対にその手を離そうとなんてしない。
普段は楽しそうに笑っているだけなのに、その心根はきっと私の何倍も強くて、私が知らない関係は確かに成り立っていることがわかった気がした。
「武官の数に対し、文官の数が足りていないわ。日々の鍛練を行うには隊長格たる者の数が足りていない、副官候補たる人材の育成も足りていないこの状況下で文官として使える人材は使うのは当然のことでしょう。
それともあなたはそんなこともわからないくらい、馬鹿なのかしら?」
「わかってるけど、納得はでーきーなーいのー」
「納得したら、あなたは仕事をするのかしらね?」
「・・・・・・」
「しないのなら、納得させるだけ話し合いの時間が無駄よ。
それでは劉備殿、翼徳、私はこれで失礼するわ」
駄々をこねていた王平さんは結局その言葉で大人しくなり、王平さんも渋々と法正さんの後を追いかけ歩き出していた。
「あっ、法正お姉ちゃんたちもご飯一緒に食べに行こうなのだ」
立ち去ろうとする法正さんたちの元へとすぐさま駆け出して、手を取って誘う鈴々ちゃんに私は驚きながらも、『鈴々ちゃんだなぁ』とおもわず顔がほころんでしまった。
鈴々ちゃんのその言葉に王平さんは目を輝かせてくれたけど、法正さんは一瞬だけ私を見てた気がした。どうしたんだろう?
「平が逃亡していたせいでまだ残っているの。だからせっかくのお誘いだけれど、今回は遠慮するわ。
今日は姉妹水入らず仲良く食事になさい。翼徳」
「あー、そうそう。
逃げてる途中で厨房の方に関羽ちゃんとか、孔明ちゃんたちが行くのも見えたから、今なら間に合うんじゃない?」
鈴々ちゃんの頭を撫でてから、そう言って二人は法正さんの住居でもある離れの小屋へと向かって行ってしまう。
「あぁ、それから三日後は周倉の文官としての実力を試すための試験を行うわ。
急ぎの仕事も片付きつつあるし、あまり将の目があると彼女も緊張するでしょうから、城内にあまり人がいても困るわ。だから、その日は文官のみを残して、君主と武官は休暇をとったらどうかしら?」
それだけを言い、私たちの返事を待たずに去っていく法正さんに私と鈴々ちゃんは理解できずにぽかんとしていると、王平さんが溜息を吐いてから笑って説明してくれた。
「正ちゃんは遠回しすぎだよー。
わかりやすく言うとね。途中趣味で遊んでた孔明ちゃん以外のみんなで、息抜きにどこかで遊んでおいでーってこと」
「えっ?」
王平さんの言葉をわかってるのに、頭が追い付かない。
「ただーし、それまでにちゃーんと各々の仕事が終わったらだろうけどねー。
だって、正ちゃんだし。終わってなかったら、遊びたくても出してくれないよー?」
「やったのだーーーー!
桃香お姉ちゃん、鈴々みんなに伝えてくるのだ!!」
喜びの声と共に駆けだす鈴々ちゃんを見たり、戸惑いから王平さんを見たりと戸惑ってばかりの私を置き去りにして、法正さんも鈴々ちゃんもどんどん遠ざかっていってしまう。
「えっ? あ、えっと!
王平さん、法正さんに伝言をしてもらってもいいですか?」
「正ちゃんはあそこにいるよ? 劉備ちゃん。
生きて、たったこれだけの距離にしかいないんだから、劉備ちゃんは自分で伝えることが出来るんだよ。ならさ、人任せじゃなくて、自分で言わなくちゃね?
さー! 大きな声で言ってみようー!!」
王平さんはそう言って私の背を軽く叩いて、法正さんがいる方向を手で示してくれた。
すっごく恥ずかしいけど、言わない方がその何倍も恥ずかしくて、ずっと後悔するような気がしてきて、私は大きな声で叫んだ。
「法正さーん!
休日とか、鈴々ちゃんのこととか、いろいろとありがとうございまーす!!」
きっとこれだけじゃ伝えきれてないこともあるけど、今はこれだけでいいと思う。
「仕事が終わったら、の話よ。浮かれすぎて仕事が手につかないなんて許さないわ。
よい休日のために、精々頑張ることね。お姉さん?」
そう言って立ち止まりも、振り返りもせずに歩いて行く法正さんはなんとなくだけれど微笑んでくれている気がした。
後編に続きます。