5,平原にて 変化
投稿するのが3か月だか、2か月ぶりになってしまいました。
こちらの読者には大変申し訳ありませんでした。
いろいろなものが重なり、執筆できる精神状況ではありませんでした。
それでも待っていてくださった方、読んでくださっていた方、本当に感謝が尽きません。
次話がいつになるかお約束はできませんが、投稿は続けようと思いますのでどうかのんびりお待ちください。
濡れた上着を持ち、なるべく貂蝉さんたちと目を合わせないように愛紗と桃香と共に前を歩く。
前を歩いていても後ろから妙にねっとりとした視線を感じるが、それはきっと濡れたから寒いだけと心に言い聞かせ、視線はなるべく町を見るように心がける。
民と距離感がやや遠い愛紗がいるからか、親しげに話しかけてくるような人こそいないが桃香がいるおかげか距離は取られていない。ただ軽く目を向け、いつもの生活に戻っていく。
が、俺たちの後ろを見ると驚いたような顔をする人は多いけど、それは気にしない!
「ところで法正さんは?」
「城にいた私たちにこの事を知らせたのは法正です。
事情説明は全てが終わった後と言われましたが、あれほどの大剣を軽々と担ぐ彼女は一体何者なのですか?」
「そうそう、法正さんを抱っこしてるのに、背中にはおっきな剣を背負って、窓から入ってきたときはびっくりしたよー」
・・・・そんな離れ業をやってのけたのか、あの人。
やっぱり、朱里を始めとして女学院の人たちはどっかおかしいよなぁ。
「えっと・・・ 俺が聞いた話だと、法正さんと同じ頃に女学院で学んだ人なんだってさ」
「水鏡女学院はおかしな人ばっかり出すんだねー」
そう言って笑う桃香に曖昧に苦笑して応えつつ、後ろの朱里の様子を覗き見る。幸いなことにその顔は、俺にとっては別の意味で恐ろしい妄想に浸っているときの幸せそうな顔をしていた。
水鏡女学院に限らず、俺が出会う子はどうにも一癖も二癖もあるような気がするのは気のせいかな? その筆頭が桃香なのは言うまでもないし、多分これから先も俺の中で変わることはないだろう。
「それより桃香様、少し足を速めましょう。
どうも雲が怪しくなっています。これで雨になどあたれば、ご主人様が風邪をひいてしまわれます」
「うーん? そうだね。
なんか向こうの方、雷も鳴ってるみたいだし。早くお城に帰ろう、ご主人様」
愛紗が空を見上げてそう言うと、桃香が黒い雲がある方向を見てから俺の手を取って走り出す。
「わ、急に走り出すなって。桃香」
「桃香様! 突然引っ張ったら、ご主人様が転ばれてしまいます!
あぁもう! こういう時だけは足がお速い!!」
愛紗がやや怒りながら追いかけてくるのをむしろ楽しげにしながら、桃香ha俺を引っ張っていく。
「おいおい、桃香・・・」
「えへへ、私だってお姉ちゃんだもん。
たまには立場とか関係なく、妹をからかってもいいでしょ?」
その言葉の意味がよくわからないけど、桃香もあの日から少しずつ変わっているような気がした。
受け入れるだけだった桃香が、少しずつそれに骨組みを作ろうとしている。
「もうぉ~! ご主人様あぁぁ~~~!!
置いてっちゃい・や!」
「桃香! 風邪ひくの嫌だし、城まで全速力で走ろうぜ!!」
後ろから聞こえた野太い声に寒気を覚え、引っ張られていた側から引っ張る側へとなるために歩調を速める。
捕まったら危ないと、俺の本能が告げていた。
ある意味命にも等しいものがかかっているからか、その走りは肉食獣に追われた草食獣のような速さになっていることだろう。
たとえいつか追い詰められ、捕まえられるとわかっていても、逃げることを諦める草食獣なんかいないんだよ!
「えっ? 貂蝉さんが呼んでるんだから、待ってあげないと・・・・
あっ、照れ隠しなの? ご主人様ったら、照れ屋さんだね」
「違うから!?」
最近、桃香の腐の汚染進行が速くて、悲しい気持ちになってくるんだけど?!
『私には何だってお見通しだよ』的な得意気な笑みを向けられるが、その考えは全く正しくない。というか、どう解釈すればそんな愉快な考えになるんだ?!
「腐ってないもん。
ただちょっと偏った知識と、謎めいた趣味の幅を広げただけだよーだ」
「その知識はいらないし、趣味の幅ももっとマシな方向に広げられなかったのかな!?」
「あー! それ、偏見!!
君主たる人が、そういうのを見もしないで悪く言うのってよくないと思う!」
「男が男同士の絡みの本なんか読んだら、精神的に死ぬわ!」
人によるだろうけど、そんなことを言ったら腐女子たちの妄想が加速しそうだから言わないけどな!
非難するように拳を振り上げておってくる桃香に、俺も全力疾走をしながら怒鳴り返す。そんな俺たちを追って駆けてくるのは呆れたような愛紗と、恐ろしい笑顔を向けた貂蝉さん。多分、朱里は追いかけることも諦めて、あとから歩いてくることだろう。
以前ではありえなかった、今の俺たちの日常風景がそこに在った。
かつての俺たちは『天の使い』ということでどこか神様のような扱いをされた俺と主であることに座っていただけの桃香、剣であることに拘っていた愛紗、どこか余裕のなかった朱里。今考えれば、本当に歪な関係だったと思う。
それを変えてくれた曹仁さんたちに感謝しつつも、俺はただ城まで全力疾走を続けた。
俺たちが室内に入った瞬間に布が落ち、俺たちの視界を塞がれた。
「わぶっ?!」
「きゃぁ?!」
「な、何事だ!?」
大きな布が前後左右にぐしゃぐしゃにされ、視線が開けたと思ったら今度は突然足が宙に浮かぶ。
突然の事態、状況の変化によって混乱する頭。もう悲鳴をあげる暇もなかった。
「関平、翼徳、そのまま三人を持ち上げて移動。
北郷は手前の部屋に着替えを用意してあるわ、着替えが終了したと判断した時点でこちらに連れてきなさい。
孔明は・・・・ あの子は水中に入るとは思えないし、茶を用意すれば平気ね」
その左手はしっかりとさっきの王平さんを掴みながら二人に指示を出し、顎に杖を当てながら次のことを考えるいつもの姿があった。
だが、そこにはいつもの呆れたような表情はなく、かといって事務的というのも少し違う気がした。
「北郷・・・ その表情は何かしら?」
戸惑う俺に気づいたのか、法正さんはわずかにこちらへと目を向けた。
「いくら私であっても子どもを助けた者に、濡れたままの姿で会議に出ろとは言わないわ」
彼女はそう言っていつものように杖を突きながら、俺たちに背を向ける。
「命を顧みず、誰かを守ろうとする行為は諸刃の剣。
振るったその剣には全てを失う可能性と、守る可能性。そして、どちらかが欠ける可能性が乗っているもの。
命には、命を使うことでしか守ることは出来ない。これは絶対よ」
そう語る彼女の背はいつもと変わらずまっすぐで、歩みを止めようなどとはしない。
背を伸ばし、前を見据え、人にも自分にも厳しくあろうとするその姿はとても綺麗で、同時に危険な脆さを持っているような気がした。
「そして、感情という厄介なものによって行動は鈍るもの。特に突然の状況下では、ね」
法正さんは歩みを止めてこちらを振り向き、言葉とともに向けられた表情に俺はただ驚きを隠せなかった。
「けれど、あなたは人を救い、命を守った。
自分で選び、行動に移し、成し遂げた。その結果を今は受け止めなさい」
法正さんが、笑っていた。
初めて見る失笑以外の笑みはとても綺麗で、俺はおもわず状況を忘れて見入ってしまう。
その微笑みはあまりにも儚く、優しげで、もし姉がいたらこんな風に笑ってくれるんじゃないかと考えてしまった。
俺よりも多くの知識と経験を積んで、俺の知らない人生を歩んだ人の顔。人の人生の歩みの一端、その重みに触れた気がした。
「あなたが守ったもの、触れたものが人の命の重さ。
そしてあなたは、これからどうすれば命を守れるかを考え、私たちに指示を出さなければならない。
あなたの責任はあなたが思う以上に重く、影響を及ぼすことを知りなさい」
が、やはり法正さんらしく、一言釘をさすことを忘れない。本当に彼女らしい厳しさだと思う。
「こちらで会議の準備は整えておくから、着替えてきなさい。
翼徳、関平、そちらは任せたわよ」
「承知」
「にゃー! 鈴々に任せて、愛羅は法正お姉ちゃんを手伝うのだー!
朱里があとから合流しても、法正お姉ちゃんだけじゃ力仕事が出来ないのだ」
鈴々の言葉に法正さんは笑みを深くしたが、首を振ってそれをいらないことを示していた。
「翼徳、その心配はいらないわ。
ここにちょうど、文無し大道芸人がいるのだもの。
何せこの子は同輩に『この子の脳には筋肉が詰まっているんでしょうね』と太鼓判を押され、今の世には珍しいほど良い学歴を持ちながら、大陸を放浪したどこかの某君主を思い出させるほどの考えなし。
挙句、食べるに困ったからと言って、風の噂で聞いた同輩の手を借りようとするほど図々しいのだものね?
改めて同門にまったく同じことをされると、頭が痛いわ」
「あはは、それでこそ正ちゃん。相変わらず容赦ないねぇ。
あっ、でも正確には少し違ってさ、こっちに正ちゃんがいること教えてくれたのって瑾ちゃんだよ?
『食にも、職にも困ったら、そこはちょうど人手不足だから、あなたでも使ってくれるでしょう』ってさ」
また諸葛瑾さんか・・・ てか、食にも、職にもって何うまいこと言ってんですか?
俺は文句を言える立場じゃないし、むしろお礼を言うべき立場だから何とも言えないけれど、法正さんは両手がふさがったまま顔をしかめた。
「瑾、本当にどうすればあなたに、私はこれを返すことが出来るのかしらね?
たとえあなたが忘れても、私はこの件をしっかりと覚えておくわよ」
「正ちゃーん?
考え込んでる暇も、復讐宣言してる余裕なんて、今はないと思うよー?」
「他人事のように言うけれど、私が考え込んでいる件の原因を作ったのはあなたなのだけど? 平。
正しくはここに居ない瑾だけれど、居ない相手に文句は言えないわね。本当に腹立たしいことに」
法正さんは眉間に皺を寄せたまま、王平さんを見る。その目はとても厳しく、言葉を向けられているわけでもないのにこちらが緊張してくる。
「そうやって人のことで考え込んでくれるくせに、すぐ怖い顔するんだからー。
もう正ちゃんってば、相変わらず素直じゃないなぁ」
「平、あなたはそんなに私の話が聞きたいのかしら?
そうね、昼も夜も書簡整理の傍らであなたが直すべきところを淡々と語り続けてあげましょう」
「えー、お説教はやだー。
正ちゃん手製の夜食付きで、長旅の話なら喜んでしたいけど」
法正さんの横でころころと表情を変えつつ、毒舌を受けながらも気にした様子もなく話し続ける王平さん。
そんな彼女に対して俺たちと変わらずに容赦のない言葉を返しながらも、気のせいか法正さんの言葉はいつもより楽しげで、ほんの少しだけ嬉しそうに映った。
そうして二人が会話するその姿は自然で、どちらかが受けるのを放棄することも、一人が言葉を投げ続けることもない。対等な言葉のやり取りが行われていて、説教されることが常である俺にはその姿が少しだけ羨ましく見えた。
『同輩』とか言ってるけれど、俺にはその関係が友達にしか見えないんだけどなぁ。
法正さんは終始一貫、目が本気だけど。
「へっ、ぶぇっくしゅん!」
でも流石に、どんな季節であっても半裸で放置っていうのは辛い。俺たちが城に戻ってきてから十分は経ってないけど、川から上がってからだと結構経つし。
それに俺に抱きついたせいで二人も濡れてるし、お飾りの俺はともかく君主と将の二人が風邪で倒れたら問題だしなぁ。
俺のやってる仕事はまだまだ少ないし、法正さんや朱里に説明してもらわないと地理とか、経済とか、こっちの常識とかでわからない部分って多い。桃香は一通りのことはわかってるから、あとは対処の仕方を覚えればいいだけで俺が一番何も出来ないことには変わりはない。俺は覚えなきゃいけないし、もっといろんなことを知らないといけないだろう。
「にゃっ?! ごめんなのらー! お兄ちゃん。すぐ部屋に向かうのだ!!
愛羅、重たい愛紗は任せたのだ!」
その言葉と同時に鈴々は駆け出し、愛羅もそれに続く。
ちなみに鈴々が俺と桃香を手で抱え、愛紗は愛羅の背負われている状態だ。改めて、鈴々がどれだけ力持ちなのかを思い知った。蛇矛を振り回してる時点でわかってたつもりだけど、俺としてとは身近になかったから比較対象にはわかりにくかったんだよなぁ。
「なっ?! 鈴々ほどは食べていない私が重いわけがっ・・・!」
「姉上、大丈夫だ」
鈴々の言葉に反論しようとする愛紗に、愛羅が穏やかな笑みを向ける。
「筋肉は重いものだからな、仮に脂肪がついていたとしても我々武官ではわからない」
愛羅さーん? それ、フォローになってないですよー?
無意識だよね? 絶対、悪気もなく、知識を披露したよね?
「あ~い~ら~?」
愛羅って、前に比べると随分明るくなったよねー。
最近は愛紗とも仲がいいし、鈴々とは試合をしたり、勉強とかも教え合ってるみたいだし。これも文通してる人のおかげなのか、今度俺からも個人的にお礼の手紙を書いた方がいいかな?
前はこんな軽口叩くようなことなかったし、俺たちとは一枚壁作ってたからなぁ。
そんな現実逃避をしながら、鈴々によって俺たちは運ばれ、まず俺が手前の部屋で降ろされた。
「姉上は何を怒っておられるのだ?」
やっぱりわかってないんだ・・・・
愛羅と愛紗はそれぞれ別の意味で、女子力が足りてない気がする。多分、互いに欠如してる部分を足したら、家庭的で三歩下がって夫を支える良妻賢母が出来るんじゃないかな。
「・・・じゃぁ、私が軽いのって」
「にゃ?」
男の俺が聞いてたら殺されそうな会話をしながら、俺はとっとと着替えて法正さんたちのところに戻ることを決意した。聞こえてたなんて愛紗にばれたら、俺は一体どうなるんだろう? 想像することも恐ろしい。
濡れた衣服を用意されていた籠にいれ、男得意の早着替えを実行に移し、来た道を駆け足で戻って行った。
「あっらぁ~、ご主人様。
濡れた姿も素敵だったけれど、普段の姿もす・て・き!」
「寄るな! 触るな! 抱きつくなぁ!!」
俺はねっとりと耳につくようなその声に反射的に体を抱き、なるべく遠回りしながらいつもの中央の席に座る。
多分、夕方とか暗い状況下でこの人(?)に会ったら、人工呼吸の時のことを思い出して気絶・・・ したら駄目だ!
絶対、人工呼吸以上のことをされて、新しい自分と出会うことになる!
「あはははー、何あれ気持ち悪ーい」
「人のことを指差して、さも楽しげに笑うなぁ!」
距離をとっていながらも警戒をする俺を、王平さんが指さし笑うのでおもわず失礼を承知で叫ぶ。こっちは貞操の危機なんだよ!
「王平殿、貂蝉は俺の大切な仲間なんだ。そう言わないでほしいな」
「いやぁ、公衆の面前で褌一丁且つ、剥き出しになってる全部が筋骨隆々の姿が気持ち悪いのは勿論だけどさぁ。私は男同士の絡み合いとか勘弁してほしいんだよねー。
瑾ちゃんとか、孔明ちゃん、士元ちゃんも好きだったみたいだけど、私には理解できないかな」
さっきと同じようにどこかずれたことを言う青年と、王平さんから出た意外な発言に俺は驚きを隠せずにおもわず叫ぶ。
「意外なことに常識人だった?!」
「今の一言で、孔明ちゃんがここでも相変わらずだってわかっちゃったー。
というわけで、さっき法正ちゃんに言った通り、ここでお世話になることを希望してる王平、字は士均です。女学院の出だけど、専門は文じゃなくてどっちかって言うと武かな?」
そう言って彼女はどこまでも楽しそうに笑って、まっすぐに俺を見ていた。
「あー、けど私も法正ちゃんと一緒で真名を人に言いふらす気なんてないから。その辺もよろしくねー。
私の真名を教えてほしければ、十年から十五年後くらいに良い男になるって可能性を見せてね」
その目は獲物を狙う猛禽の目であり、言っている内容は俺の想像の斜め上を行くものだった。
「前言撤回! やっぱりあなたは変人だ!!」
「うっわ、しっつれいだなー。今の世の中、普通であることのほうがよっぽどおかしいのに。
まっすぐな人は確かにいるし、志を掲げる人は多くいるけど、今の大陸で一番『普通』な公孫賛殿だって努力であの地位を作り上げた秀才じゃん。
君だってそう。この世界に舞い降りて、天の世界を基準に平和を創ろうとしてる時点で十分変なんだよ?」
そう言って俺を指差しながら、豪快に茶菓子をいくつかまとめて口に放り込んでお茶を啜った。
「人は皆、誰しもおかしいよ?
だって、自分の世界は『自分』っていう絶対的な基準の元に動いてて、それ以外は異端として映るから。でも、それを話し合いでどうにかしたいっていうのが君たちの考えで、それを一度力でねじ伏せてから作ろうとしてるのが曹操殿。
この間あった黄巾の総力戦が、いい例だよねー。英雄さんが出来ちゃったもん」
軽い口調の中に含まれている物はやっぱりどこか法正さんに近く、けれど愛紗のような気難しさが存在しない分適当なことを言っているようにしか聞こえない。
「まっ、この話もあとでかなー。
正ちゃーん、お茶おかわりほしーなぁ」
「自分で淹れなさい。
北郷、あなたはこれを飲んで、もう一枚上着を羽織っておきなさい」
そうして俺は法正さん特製の生姜湯を飲みながら、桃香たちが揃うのを待った。