12,泗水関にて 【芽々芽視点】
さて、ついに泗水関です。
華雄殿と共に泗水関に到着し早数日、日々変化を見逃さぬようにと某は現在、城壁の上から大軍となっていく連合を眺めている。
「それにしても、多いでござるな・・・」
大陸中の諸侯が集まるだろうと千里が言っていた通り、色とりどりの旗が並び立ち、そこには聞いたこともないような名の旗もあがっているほど。
二つの袁、西涼の馬、呉の孫、陳留の曹、そして荀攸が言っていた平原の劉。
眺めて見えるのはその程度であり、千里と荀攸が気にかけていた力がある・あるいは力をつけるかもしれない可能性を持った諸侯たち。そしておそらく、その身に宿す野心を含めた思いも人一倍とも千里はいつものように語っていたことが思い出される。
「洛陽の実情を存じているのか、いないのか・・・・
揃いもそろって、胸糞悪い」
そもそも某があの陣営に居るのは恋殿が居るからだけであり、音々音とは思いを同じくする者として共に並ぶことは許していても、それ以外の者になど当初は興味すら抱いてはいなかった。
恋殿の武に惚れ、その優しき心根に心酔し、共に在りたいと願った。
そんな恋殿が月殿についていくことを選んだからこそ某も董卓軍に所属し、あくまで恋殿の臣として、董卓軍の武官であることを受け入れた。
「たったそれだけの事だった筈だというのに・・・・」
恋殿を信じ、音々音と並び、仕方なくここに居る。それが某であり、これからも変わらないと思っていた。
「いつからでござろうな」
恋殿を慕い、想っていることは変わらない。
それでも某はいつの間にかこの軍を、陣営を好み、毛嫌いしていた都の街に触れ、守りたいと願うようになっていた。
月殿の守るべき者に向けられる優しき思いと、詠殿が不器用ながらも気を許した者たちに垣間見せる思いやりの心に触れた。
千里のからかい混じりの言葉は某たちを常に笑わせてくれる暖かさに溢れ、霞殿の底抜けの明るさは恋殿しか信じることのなかった某と音々音の心を溶かしていった。
華雄殿の忠は某と通ずるものがあり、無骨で、それでも変わることのないまっすぐな武は同じ武官として尊敬に値するものだった。
そして、最後にあの荀攸。
文官であり武官を兼ね、些事も行える万能な男であり、奴一人いるだけで場の空気は崩壊し、ただ居るだけでそこには笑顔が絶えない。女装癖に関してはいろいろと物申したいが、張りつめた空気を和ませた点においては認めてやらんこともない。
それでもあの変態的な行動と余計な一言を改善しない限り、奴を恋殿の近くに置くことは許すことは出来ないが。まったく、これだから変態は。
「まぁ、それはよいのでござるよ」
兵の中には奴の女装によって士気が上がる者も存在し、はてには奴を本気で女と思っている者、女でなくてもかまわないから求婚する者、ある種の娯楽として傍観に徹する者など多く居る始末。
いずれにせよ、今更女装をやめられると違和感を抱く者や首を傾げる者が増加するという事実は変わらない。
「改めて考えれば、我々の関係はおかしく、将というにはあまりにも近いのやもしれぬ。
友というほど我らは平等でも、近しくも無く、他人というほど遠くもない・・・・ ふむ・・・ もしも、称していいのなら・・・」
互いを想い、あるところで線を引きながら、過干渉を嫌い、それでも放っておくこともない。
そう、まるで我らは一つの家族。ならば都は、我らが家も同然。
「お主ら如きにあの街を、月殿たちが守る都を荒らさせるわけにはいかないでござるよ」
霊帝様の願いを、月殿の選択を、詠殿の想いを知ろうともせずに、ただこの乱に乗じて名をあげようと、功をあげようとする者が気に入らない。
「ならば某は、魔王の盾と共にこの地を守るのみ」
腰に下げた二つの手斧に触れながら、某は鋭く連合の軍を睨みつけた。
「芽々芽、そろそろ兵たちの食事が終わる。
お前も済ませてきたらどうだ?」
その声に視線だけを向けると、得物である金剛爆斧を肩に担いだ華雄殿がそこには居た。
こちらに来てから何かと兵たちを気遣い、某同様に城壁で連合を見ることが多くなっている彼女もまた、今朝から動きを見せている劉の旗を見下ろした。
「あれは偵察隊という頃か・・・」
「そのようでござる。
それにしても、こちらに合流するはずだった王允という者の兵はどうなったので?」
「わからん。
千里の文から兵は後から合流させるとのことだが、現状指揮官と供の者だけが先に合流してきた。
だが・・・ 千里の言葉が気にかかるうえに、洛陽にいる官がまともだとは思えん」
某の問いに短く答えながら、華雄殿は千里や詠殿が片づけた十常侍の一部を思い出したのか苦々しい顔をし、吐き捨てる。
「それは同意。
都に居る位の高い者たちは皆、変態か胡散臭い者の二択でござる」
かつて伝説となった彼の四名と霊帝様の尽力によって守られた都は、その内の三名が都を去ったことにより荒れ果て、それを嘆いた霊帝様が己の死期を悟り、都を託したのが月殿たちであった。
十常侍と清流派、その二つを相手にしている中で、詠殿は千里と共に徹底して月殿の情報を隠し、それでいて御子二人を守るという至難のわざを成し遂げられた。
まったく、詠殿の友を想う心には敵う気がしない。そして同時に、流石千里と言ったところだろう。
「どちらにせよ、この籠城で向こうも下手に突っ込んでくることはないと思うのがな」
華雄殿の言うように偵察隊は城壁の前で工作を行うわけでもなく、ただこちらの動きを見張っているようにしか見えない。
砦に突っ込んでくるなど愚か者がすることであり、籠城しているこちらが動くということも愚策。両軍はともに硬直し、じっと睨みあうことは数日間続くことは目に見えている。
それに現在偵察隊に駆り出されている白の遣いと劉備に関して某が知っているのは、音々音から恋殿を誑かす黒髪長身女がいるということのみ。
さて、どう動いてくるのやら。
「いいえ、そうはなりませんよ? 華雄殿。
なにせこの後すぐにでも、あなた自らこの関の門を開けていただくのですから」
耳にねっとりと張り付くような声とその内容に某と華雄殿は同時に振り向き、その存在を視認する。男の隣には見慣れた兵士もいたが、何故か体を痙攣させ、何かを言おうとしているようだが聞こえない。
しかし某には、その男に全く覚えがなかった。
「どういう意味だ?
そして、私の部下に何をした?」
「言葉通りの意味ですよ? 『魔王の盾』殿。
いいえ、今日よりあなたは『魔王の盾』などという名ではなく、たかが偵察隊に無謀にも突っ込み、無様な死を遂げる猪としてこの大陸に名を残すのです!
このような、どことも知れぬ農民・平民の命など塵のように消え、この世には強く、尊い者たちだけが生き残る」
両部隊で見たこともない男はどこまでも楽しげに語り、隣で呼吸すら辛そうにしている兵士の一人を踏みつけた。
華雄殿が猪? 無様な死? こやつは何を言っている?
一体、何をしている?
「その者に乗せている足を退き、説明されよ!
貴様は一体何者でござるか!」
「そう!
もはやこの大陸に都への忠も、皇帝への臣たる礼も、義も、愛も、全ては不要!
金と権力のみが、この大陸を支配する時代となる!!
我らが同朋が! 我らが長たるあの方が! 全てを手にする時代となる!!
あぁ、乱世よ!
混沌にまみれ、欲にまみれ、ほんの一握りが蜜をすすり、多くが汚泥をすする愛しき時代よ!!
華雄殿よ! あなたはその最初の生贄に選ばれた!!」
まるで己に酔うように、踊りながら語り続けるその男は華雄殿を指差し続ける。
だが、華雄殿は眉一つ動かすこともなく、静かに男へと一歩ずつ歩み寄る。
「もう一度、問うぞ?」
冷たい殺気が一歩ごとに大きくなり、男は気圧されるように後ろへと下がっていく。
「私の部下に、何をした?」
声だけで人を殺してしまいそうなほど、殺気と怒気が凝縮された言葉についに男は尻餅を付き、力の入らない足が必死に距離をとろうと動いていた。
「どうした?
さっきまでよく回っていた口が、急に動かなくなったのか?」
ただ一歩近づくだけで男は震えあがり、歯の根が合わずにガチガチと不快な音を鳴り響き、華雄殿は静かに得物を一回転させて、石突を地面へと軽く落とす。
「まままままま、待て!
私を殺せば、都に居る董卓たちは・・・!」
男の口から出てきた『董卓』の言葉に華雄殿の殺意はより一層膨れ上がり、戦場での恋殿を見慣れている筈の某ですら身が凍ることを錯覚し、おもわず腕に触れる。
「その心配は不要だ。
何故なら『麒麟』は、お前たちの行おうとしている悪事を見抜いている」
「なっ・・・?!」
男の顔は驚愕に染まるが、むしろ自分が任された隊も把握出来ていないということがこの男の程度を露わし、いずれの者であっても捨て駒であることが窺えた。
「部下の把握も出来ていないとは・・・ 隊を任されている者にしてはあまりにもお粗末でござるなぁ。
さぁ、部下に何をしたかを吐いてもらおうか。三下の木端役人」
某も華雄殿と同様に得物を構えれば、男の顔は青から白へと変化していく。まったく、人の顔とは実に鮮やかであり、先程まで饒舌に語っていた口はどこへ行ったのやら。
「ま、待ってくれ!
私を殺せば、あの方たちが貴様たちをどうするか・・・・
そう、そうだ! 私を生かしておけば、連合に・・・ あの袁家にうまく取り入れる!!
そう、あの許・・・」
その口が紡ぎ出したこちらの問いとは一切関係のない戯言に、某は手斧の片割れ『削心』をわざと男の頭の横へと投擲する。
「ひいぃっ?!」
「貴様の生死など、既に定まってることはどうでもよいのでござるよ」
「こう、じゅんさま・・・ くすり、です。
しょくじ・・・ どく・・・ しびれ・・・ おそらくは」
「っ!」
蹲っていた兵士が辛そうに吐き出した言葉に、某は一切の容赦なく二投目である『魔斧』を男に向かって投擲していた。
が、それは華雄殿によって止められてしまう。
「華雄殿! 止めないでくだされ!!」
「いいや、止める。
これは、この関を任された私の役目だ」
どこまでも静かに、かつてのように感情を露わにすることもなく、華雄殿は立っていた。
冷たい怒りを宿して、たった一つの動作から溢れ出してしまいそうな殺意を耐えるように。
「まっ・・・ 頼む! 待ってくれ!!」
「待つ? そんなことが出来る筈がないだろう?」
華雄殿は笑い飛ばし、いつものように得物である片刃が異様に大きい戦斧を構え、言葉と同時に振るった。
「何故なら私は、血気盛んな猪なものでな!」
首が飛び、血が吹き上がって城壁を濡らしていく。
その光景はあちらの偵察隊にも見えたのか、ざわめきが生まれだしているようだが、向こうを気にかけている余裕はない。
「華雄殿、いかがいたす?」
「芽々芽、お前は動ける兵の全てを連れ、虎牢関に居る千里たちにこの事を伝えろ!
千里はあくまで保険のために動いただけであって、袁家との繋がりまでは想定していない可能性は十分ある」
「承知!
ですがっ!」
短く的確な判断に対し、某が案ずることは一つ。
守りの薄くなったこの関から兵を連れ、脱出などしてしまえば、この関は・・・ いいや、華雄殿は・・・・!
「私はこの関に残り、殿を務める!
あの男があちらと繋がっていた以上、こちらの守りが薄くなったことは筒抜けだろう。
その状況を向こうが放っておくとは思えん! ならば、こちらから打って出るしか手段はない!
それにこの泗水関の責任者であり、『魔王の盾』である私が一騎打ちを挑めば、関に残る兵たちを殺すことは出来ない!
それに繋がっている袁家と直接ぶつからない限りは、兵たちを生存させる道もわずかだろうがある筈だ!」
「っ!
それでは華雄殿が!!」
その言葉に某が怒鳴り返そうとすると、華雄殿は血まみれの姿のまま優しく笑った。
「心配するな、芽々芽。死ぬ気などない。
何せ死んだら、鬼神が怒り、その鬼よりも怖い麒麟が怒り狂うのだからな。
草の根をかじってでも生き残り、また皆で酒を飲もう」
「その言葉、信じますぞ!! そして、付け足されよ!
その二人だけではなく、あの陣営の、兵に至る全てが怒り狂うと!!」
某が叫ぶと、華雄殿は城壁へと視線を向け、肩をすくめた。
「それは怖い。
月様と、詠様にも怒られると思うと生きた心地がしないな」
その言葉と、名の通り雄々しい華のように立つ彼女を見届け、某は動ける兵士たちを連れ泗水関を後にした。
泗水関を離れ、ただ一直線に駆け続けどれほど経ったであろう。
一刻でも早くこの事態を伝えるためにひたすら駆け続け、兵の誰もがそれに対して文句を言うこともなく付き従ってくれた。
それだけではない。
関を出る際は動けぬ者たちが互いに支え合い、関を通さぬように腕を組んで立ちはだかることまでしようとしていた。某がいくら説得しようとしても彼・彼女たちが返すのはただ一つ。
『俺らの大将が気張ってるってのに、部下が寝てるなんざ様にならない。
たとえ世間に「悪逆非道の董卓軍」って言われようと、俺らはあの方たちの部下であることが誇りなんだ!
たとえそれが他にとって掃いて捨てるような埃でも、一生後悔がないってくらい深く刻まれた誇りなんだよ!
だから、こんな俺らでも最後まで一緒に戦わさせていただきますよ!
あとを頼みます! 高順様』
思い出し、滲む涙をこらえて、見えてきた虎牢関へと叫んでいた。
「千里ーーーーーー!」
関の前でたたずむは、見慣れた臙脂の服と赤い髪。
だが、某は見慣れたその制服に血が付着していることに気づき、目を見開いた。
「千里?!
その血は何でござるか!?」
馬で駆けてきた勢いのまま飛びつき、千里を押し倒してしまう。
だが、千里は何も言わずに某ごと立ち上がり、そっと抱きしめた。
「芽々芽、無事でよかった・・・・ それと私は大丈夫だから、心配しなくていいよ。
この血はね、ちょっと獅子身中の虫をあたし直々に始末したってだけだからさ」
某はその言葉に驚きが隠せずに視線を向ければ、そこにはいつものように明るく笑う千里が居た。
どこまでもいつも通りの筈だというのに、あまりにも悲しげに映ってしまった。
「千里・・・」
「おかえり、芽々芽。
とりあえず、着替えつつ恋と音々音に報告して。
その後は食事をとりながらの会議になるけど、なんだか早足でごめん。
会議が終わってたらゆっくり休んでもらうつもりだから、もう少し頑張って」
そう言って兵たちへと向き直り、次々と指示を出していく千里の目元には濃い隈があり、むしろ千里の方こそが休むべきだと思ってしまった。
「千里・・・」
「さっ、早く。
恋たちが待ってるからさ」
声をかければすぐさま某へと次の行動を促し、まるで自分が触れられることを拒んでいるようだった。
声をあげることもなく、顔をゆがめることもなく、怒りを露わにすることもない千里だが、その背中はどこか泣いているようだった。
「・・・・承知した」
「はいはい、行っといでー」
だというのに、どこまでも優しい言葉で某を押して、その涙を奴はどこへと向けるのだろうか。
己の不甲斐なさを、無力さを、某は今日初めて恋殿以外の誰かのために後悔した。
次の投稿も白です。
勿論、対面する彼らがどうするかですよ。