理想と現実との折り合い
医療関係の話が続きます。
一つの考え方・・・と思って読んでいただけると、ありがたいです。
だいぶ、シリアス。・・・長いです。
最近、彼の勤務時間は殺人的である。
ERの槇原教授に目をつけられたこともあり、何かといってはお呼び出しを受けており多分殆んど寝ていないんではないだろうかとも思う。
だからといって担当の入院患者が減らされるわけでもなく、本当に、出来る人ほど仕事が増えてしまうこの体制はぜひ改善すべきだと、一人憤慨していた。
日勤終了の、5時過ぎにやっと彼は病棟に顔を出した。今日新入院を持ったはずなのに、診察は出来ず、ルーティーンの指示のみ電子カルテで出していた。
「山下さんの息子さんが先生はまだかって・・・・」
入ってきたばかりの彼に、若い看護婦がいいにくそうに言った。今日の入院患者の息子だ。もう、98になる母親に、少々マザコン気味のきらいがあるというか・・・寿命・・ってなんだったろうという勢いで、延命にこだわる。
「ムンテラするから呼んでくれるかな?」
判ってるよありがとう、と言わんがばかりの笑顔を向けてやさしく微笑む。くぅぅ~~その笑顔私にもくれっ!!最近まともに会話してない・・・。
やがて、山下さんのご子息が詰所に入ってきた。彼は向き合って、病状説明を始めた。
「肺炎を起こしてます。レントゲン像から誤嚥性だろうと推察されます。食事は胃に直接いれたチューブから取られているので、肺炎の原因は、ご自身の唾液を飲み込むことが出来ずに、肺のほうに流れてしまったのが原因かと考えられます。ご高齢なこと、栄養状態のこと肺炎の原因を考えると非常に厳しい状態ではないかとおもわれます」
息子は、はんかちを握り締めていった。
「入院期間はどの位になりそうでしょうか?」
彼は、それはいつ退院できるかと言う事ですか?と聞きなおす。
「これ以上認知が進まないように、なるべく早くつれて帰りたいんです」
彼は、ゆっくりと息子に告げた。
「非常に残念ですが、予断を許されない状態です。いつ何時急変されてもおかしくはありません。合わせたい方があるなら早い目に連絡してくさい。」
息子は、目を見開いていった。
「それは、入院期間が長くなるということですか?」
彼は、息子の目を見て静かに言った。
「残念ですが、お母さんは非常に高齢で、現在の医学ではこれ以上の治療は難しいということです。たとえば機械で延命を図ったとしても、機械から離脱するのは非常に難しいと思われます。そのためにかえって、しんどい時間を長引かせるだけになる可能性も有ります。」
息子は椅子から立ち上がり叫んだ!!
「やめてくれよ先生!あんたたちが見放したら俺たち素人はどうしたらいいんだ?無責任じゃないか!何とかするのがあんたの仕事だろう?」
「残念ですが、僕の知っている限り、お母さんに施せる治療は非常に限られ、また殆んど効果のないものばかりです。そして僕の見た限り僕が感じるのは、お母さんに必要なのは延命治療ではなく横に座った家族の温かいぬくもりを感じることだとおもいます。」
息子は、まったく奴の話を聞かず、母は女でひとつでしだててくれたこと、苦労ばかりかけてまだまだ長生きして欲しいこと、目見放すようなことはして欲しくないこと・・・。どんな姿になっても行き続けて欲しい事・・を延々と喋りつずけていた。そしてそれを彼は黙って聞いていた。
「・・・あ・・ 来てたんだ」
「食べるものだけ作っとこうと思って」
日勤を済ませて、食料を冷蔵庫にストックしようと彼のマンションをたずねていた私は、思わぬ早い帰宅にびっくりとした。
「早いね、まだ8時だよ?」
「風呂と着替えに帰ってきた。おまえこそ明日日勤じゃあなかったけ?めずらしいな、やすみじゃないのに」
「疲れているだろう恋人の体調を心配して、食事を作りに来ちゃだめ?」
ちょっとびっくりした顔をしたその後、夕方詰所で見た笑顔を3倍にした極上の笑顔を私に向けて、私のほうに手を伸ばしながら、ありがとう嬉しいよ。といった。
お風呂に入った後に夕食を食べさせて、夕食のかたずけをしながらリビングを見るとクッションにもたれて、うとうとしている彼がいた。
「寝るんだったら、ベッドに行ったら?」
「いや、山下さんが気になるし、病院に戻る」
私は顔をしかめた。
「老衰につける薬はないっていってやればいいのに!!」
「それは、俺たちの考え。患者家族の思いとは別もんだろう?」
おまえそれ患者にいうなよ?と苦笑いしながら彼は言った。
くぅ~それは分かってるって、でもこのままだとあなたのほうが倒れちゃうよ?という私の訴えが心に響いたのか、それとも本当に疲れたのか、彼は当直医に電話をして今日は疲れたのでもう行かない。状態が変わったら何時でも電話して欲しいと伝えていた。
そして、そのまま本当にすぐに寝てしまった彼の寝顔を見ながら、私も眠りについた。
詰所の中に罵声が響いていた。
「何で今日明日なんて言いかたしながらおまえがいないんだよ!!!」
罵声の主は山下さんの息子。そして怒鳴られているのは彼だった。
入り口で唖然としている私にきずいた都は私の手を引き、詰所内の休憩室に連れ込んだ。
「何があったの?」
「昨日の23時に山下さんが急変して、息子はちょうど自分の荷物を取りに病室にいなくって、夜勤者は日置呼ぼうとしたんだけれど、当直医が岡ちゃんで、呼ぶな必要ない俺が責任とるって言って、結局奴は挿管も出来ずこの騒ぎ」
それって・・・・。
「・・・レスピ希望したんだ」
「う~~ん、日置は乗り気じゃなかったから、もう一度よく考えてくださいって保留にしてて、岡ちゃんは年齢とプロフィールみて必要ないって家族と話もせずに決め付けてたんだけれど・・・、息子さんに何とかしろって言われてあわてて・・おまけにアイツは挿管経験少ないし失敗して、ますます挿管困難になって・・・。」
「それで主治医に連絡もせずに?岡ちゃんてアイツの上だっけ?」
「そうそう、まったく使えない8年目、ローテート先からも早々に放りだされてたからね。役に立たなくても先輩ってのが辛いわよね。」
怒鳴り声はまだ聞こえていた。患者の権利と人権について叫んでいる。何をふざけたことを言っているんだろう?じゃああんたは医者に過労死しろと言うのか?手のひらに余る命を救うために彼がどんなにがんばっているのか見ていないからそんなことがいえるんだ。
私はこみ上げる怒りに震えていた。止める都を押し切って、反論するために詰所に出ようとしたそのとき。
「あんた、寿命って知っているか?」
ちーちゃんだった、そういえば前回入院のとき、山下さんと病室が一緒だった。
「あんたのお母さんが本当にあんたが希望するように、生きるってことにこだわっていたと思うのか?」
ちーちゃんが山下さんに諭しているのが聞こえた。
「口から食べられず、管を無理やり胃に通されて栄養を取って生かされているそんな生活をあんたのお母さんは自分からして欲しいって言っていたのか?」
「お母さんが、生きる事にこだわっていたのか? あんたが生かすことにこだわっていたのか? どっちかな?」
「あんたが、やさしいこだって言うのは知っているよ。だって見てたからね。」
ちいちゃんは静かに続けた、
「でも、もし私なら子供のエゴで生かされるなんて真っ平ごめんだね。」
「あんたは、ほんとうにあんたのお母さんが延命を望んでたと思って言っているのかね。」
山下さんは黙ってちいちゃんの言葉を聞いていた。そしてしばらく考えた後、彼に向かってお世話になりました。失礼しました。・・・といって去っていった。
山下さんの息子が帰った後、都はちいちゃんの手を握って、ありがとうって言っていた。ちいちゃんは、にっこり微笑んで、真のほうを向いて
「どうじゃ?ぐらっと来たかの?あんたに対する愛情ならあの小娘に負けんぞ?今からでも遅くないと思うがの?」
うなだれながら椅子に座っていた彼は唖然とした顔をちぃちゃんに向けていたが、いきなり笑い出した。
「ものすごく来ましたよ。ありがとうございます。」
彼の言葉に満足そうな笑みを浮かべて、ちいちゃんは休憩室の入り口にいる私をみてふふんと鼻で笑った。
私は、その日彼のマンションで、彼の帰りを待った。
「・・・・・・きてたんだ。」
おかえりなさい・・と、微笑んだ私に、複雑そうな笑顔を返して彼は言った。
「・・・今日は、独りになりたいんだけれども?」
夕食をテーブルに並べる私を見ながら、彼は重ねて言った。
「まあ、たべたら?さめちゃうわよ?」
彼の言葉を無視した形の私の発言に、ため息をつきながら彼は腰掛けた。手を合わせて食事を始めた彼に私は声をかけた。
「・・・ビールだそうか?」
こちらを見ようともせずに、いらない・・・と答える。
食事を終えた彼の隣に私は腰掛けた。彼は身をよじり少しずれて距離を置こうとする。
「・・・きてるね?」
「・・・・・・・・・そうだな」
「あなたが悪いわけじゃないでしょう?神様の領分じゃないの?」
ゆっくりと、こちらを見据えて、再び下を向いて彼は言った。
「・・・疲れてたからって、家族が納得できるまで話し合いをせずに放り出していたのは、俺の責任だ。
ちーちゃんが助けてくれなければ、まだ山下さんは納得できなかったかもしれない。
レスピに乗せてたとえ離脱できなかったとしても、山下さんの息子さん自身にそれを見てもらって、ご自身で考えてもらうのもひとつの方法だったと思うんだ。
でも、結局あのとき疲れていたことをいい訳にしてそれを提案しなかったのは俺の問題だろう?」
「・・・・あの、マザコン男がそれでも納得しなかったら?」
「それは、言い逃れの推論にすぎない。俺が山下さんの息子さんがうけいられるように、全力を尽くさなかったことは事実だ。」
「・・それを、あなたにかかわる人全員にあなたがしていたら、あなたつぶれちゃうよ?」
分かっているよ俺が力量不足だってことは・・・頼むからほっといてくれないか?・・と彼は自分のひざに顔をうずめながら言った。
・・・・・・・・むうぅ・・・。
聞いていてむかむか怒鳴りたくなった私がいた。完全主義のへタレっつ!?自分のキャパシティ以上のことを自分に押し付けるな!!・・・・イカンイカン、ここでこんな事を叫び、けんかしたら彼にますます追い討ちをかけてしまう。今日は彼の言うと通り帰った方が良いかもしれない。
食べ終わった食器類をかたずけて、風呂に入れるよう準備した。
荷物をまとめて、おいとまする旨を伝えようと彼のほうを見た。
・・・・・小さくうずくまり、一人で自分を抱きしめている彼の姿が見えた。・・・・
?ワタシハナニヲシテイルンダロウ・・・ワタシハナニモノナンダロウ・・・・。?
甘えたいときだけ彼を利用している私。
激務の中でも、患者や家族と向き合いすべてを受け止めようと努力し、自分が取りこぼした思いを、自分がふがいないせいだと、自分をせめて打ちひしがれている彼。
彼の何を見ているんだろう。
彼のこんな時に自分を責めるばかりで回りの助けを求めようとしない不器用なプライドを尊重し一人にして良いんだろうか?
わたしは、彼のそばにひざまずいていった。
「・・・帰るよ?・・・・本当に帰っていいの?」
顔も上げずに彼が、ああ・・と言った。
私は、彼を包み込むように抱きしめた。
「なに、がんばっているの?あなたのへタレ具合は、しっかりばれているよ?私は貴方の弱い部分も、へたれた部分もすべて好きだよ。」
彼は、やっと顔を上げてこちらを見た。なんだ?お前からのいわれ具合だと、俺って救い様なさそうだな?と、笑った。
そうだよ?知らなかった?私は知ってたけれどね。でもそんなあなたもすきなんだよ、私の台詞にゆっくりと彼が唇を重ねてきた。
「でも本当に、今日は帰って。お前がそばにいたらお前を抱いてしまう。でもこんな気持ちでお前に触れたくないんだ。」
「私は、今日はあなたを抱きしめて寝たい。それ以上のことはさせない自信はある。いちゃ駄目?」
お前の守りは鉄壁だもんな。・・と笑いながら風呂に入ってくる。と彼は言った。
そして、彼は私の腕の中で私に抱きしめられながら眠りについた。
山下さんの息子さんからお礼の手紙とお礼のお菓子が詰所に届いていた。ちいちゃんにも面会して頭を下げていたらしい。
ちいちゃんの言葉も有ったとは思うが、私は、彼の思いも伝わっていたとも思いたい。
「10年たったらもっとキャパ広がってるだろうね。」と私が言うと。
「10年たったら違うイベントが発生してるだろうね」と、あいつ。
お菓子をつまみながら、彼は淡々と返してきた。何であなたが、看護婦休憩室でお茶してるんだ?こら、勝手にカップ出すな、コーヒーいれるな!
紅茶はないのか?と勝手に棚を物色している彼の後姿を見ながら、心の中で突っ込んでみた。
「その時イベントに負けてヘタレない根性を身につけて頂戴」
私の台詞に彼はにっこり微笑み、
「そのときはまた一晩中抱きしめて慰めてもらうから良いよ」
と、のたもうた。ここは職場じゃ!!!しかも休憩室じゃ!!!真っ赤になって口をパクパクさせてる私を無視して、入り口から入ってきたスタッフに、すみませんお茶いただいてます。と 涼やかな貴公子のえがをを振りまいていた。
しょうがない、何時でも抱きしめてあげるよ・・・。
その事件の後から、休みの前日だけでなく時間を作っては彼のマンションに通うようになった。
めんどくさいからここに荷物を移したら? という彼の提案に、でもすぐにはうなずけない私もいた。黙っていると、なんともいえない顔で無理にとは言わないよ・・、とかえされて胸が疼いた。何で思い切れないんだろう、優ちゃんの笑顔が浮かぶ・・。
なんで、その胸に飛び込む思い切りがもてないんだろう・・・・。
・・・・・・・・ゴメンナサイ・・・・・。