はじまり…
斜め35度右後方からその声はした・・・。
おれがお前が気になってるって言ったらお前はどう答えてくれる?・・・・。
モニターの音が響く夜のナースステーション。
他の夜勤者はただいま巡視中私はせん妄のおばあちゃんの見張りをするために一人詰め所に残っていた。
「ちーちゃん、たいくつですか?」
89歳のおばあちゃんは軽い肺炎と脱水でせん妄状態にあり夜になると家と病院の区別がつかなくなるため徘徊を重ねた。同室者の迷惑になるのと危険防止の行動監視のため、眠りそうになるまで詰め所で過ごすしてもらうことが多かった。
「他の人は巡視?」
声をかけられて目をやると、一人の医師がドーナツの箱を手に詰め所に入って来るところだった。
「あれ?今日から夏休みって言ってなかった?」
「。。。気になる人がいたからちょっと顔を出したんだよ」
入ってきたのは同期入職の日置真一先生。ローテートで外の病院に出ていたのを先月帰ってきたばかり、頭もよく人柄もそれなりで、見かけもそれなり、しかも独身の31歳 若い看護婦の人気をさらっている人だった。
なのになぜか、浮いたうわさのひとつもない。詰め所に差し入れを持ってくる暇があったら、彼女でも作ればいいのに・・、などといらないおせっかいを考えつつ、もってきてくれた差し入れをありがたく受け取りつい気安さから思った事を口に出してしまった。
「夏休みだというのに、デートする相手もいないんですか?」
「・・・・・これからつくるからいいんだよ。」
そっぽを向きながらやや不機嫌に返事をする彼に苦笑を交えながら言った。
「まあ、おかげで差しいれいただけましたし?ありがとうございました。」
少し広角をあげて、呆れたように彼は言った。
「・・・あいかわらずですね?・・・」
円いテーブルの向かい側に腰掛けながら、電子カルテを立ち上げるしぐさをなんとなく見ながら考える。
ここは、亜急性期病棟で重症の人は居ない。そして、今、亡くなりそうなターミナルの患者も今は居ない。気になる人ってそんな患者さん今うちの病棟にいたかしら?
考えていると、彼がカルテの画面を見ながら聞いてきた。
「今日は、定時で終われるの?」
思わず、ききかえした。
「?・・・なんで・・・?」
「終わったらラーメン食べに行かないか?」
「・・・・・・・・・・・・いいけれど。今日の夜勤者に・・・誰か誘いたい子がいるの?」
私の問いかけにカルテに視線を落としたままで、軽く眉をしかめた後低い声で返事を返してくれた。
「お前一人なら、おごるぞ?」
わあ!ラッキー!! 給料日前で今月は特に厳しかった。とっても助かる♪
「いくいく!!どこまでも行きますよ!!なんなら飲み付き合ってもいいよ!・・・て、どうしたの?なんか悩み事?相談? よし!お姉さんが聞いてあげましょう!!」
お前のほうが年下だろう・・・。と苦笑いしながら彼は返事をした。
そういえばローテート前はよく飲みいったよね。と、私もご機嫌に返事を返した。
・・・と、しょうもない会話で、うっかり目を話した隙に、行動監視中のおばあちゃんはドアのほうに向かって立ち上がった。
「あー ちーちゃんここに居てくれますか?」
移動しようとしている患者さんの、車椅子の前にひざまずき、したから顔を覗き込んで視線を合わせる。
「おなかすきましたか?おかしもって来ましょうか?それともお茶にしますか?そういえば、日置先生にもらったドーナツがあるからこっそりいただ来ましょうか?」
にっこり微笑みを返してくれるおばーちゃんの笑顔に、悩殺されながら、お茶とどーなつを取りに行こうと立ち上がろうとしたそのとき・・・。
「お前が気になって会いに来たって言ったら、お前はどうする?・・・。」
その声はした・・・。斜め35度右後方から・・・。