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「ふふっ」
不意に撫子さんは、笑い声を漏らす。
首をかしげて顔を上げるわたしとほゆるちゃん。
その目の前で、撫子さんは、
「それでは発表致します」
と言った。
――え? なに? 発表?
疑問符をいくつも頭の周りに飛ばしているわたしたちに、撫子さんは言葉を続ける。
「ふたりとも、合格ですわ。おめでとうございます!」
わたしもほゆるちゃんも、きっと豆鉄砲を食らったハトのような目をしていたのだろう。
「よかったね、ふたりとも。スカウト実習、無事に終了ってことだよ」
一歩下がった視点で見ていたからか、真っ先に状況をつかんだ現くんが、わたしたちに説明してくれた。
――無事、終了? それって……。
まだいまいち、状況が脳の中にまで浸透していないわたし。
隣にたたずむほゆるちゃんも、どうやらわたしと似たような様子で、えっと、どういうこと……? とか、ブツブツとつぶやいている。
そんなわたしたちに、撫子さんはわかりやすく言い直してくれた。
「飛行演技だけではなく、あなた方のすべての言動も含めて、テストだったのですわ。総合テストだって、言ったではありませんか」
「今日だけじゃなくて、この二週間のすべてを含めての結果、ってことなんですよね?」
「ええ、そうですわ」
声を出すことすら忘れているわたしとほゆるちゃんに代わって、現くんが尋ねると、撫子さんは笑顔のまま頷いた。
「ま、そういうことだ」
わたしたちの背後からは、別の声も割り込んできた。
その声の主は、いつの間に戻ってきていたのか、郵便局の建物に入っていったはずの桜華さんだった。
さらにわたしたちの周りには、テストを見学し、ついさっきまで桜華さんに対する不満を叫んでいた局員さんたちも集まっていた。
しかも手を叩きながら、
「ふたりとも、おめでとう!」
全員が全員、素直にわたしたちを祝福してくれている。
つまり局員全員が、最初からグルだったのだ。
☆☆☆☆☆
「桜華さんには最初から、ダメ指導員としての役目をお願いしておりましたの」
イタズラっぽい微笑みを浮かべながら、ひょうひょうと撫子さんは語る。
「それもひとえに、二週間のあいだであなた方ふたりをテストし、評価を下すためでした」
「いや~、オレとしては、本質的な優しさが隠せるか心配だったんだがな」
撫子さんの言葉に続けて、ふてぶてしくも言い放つ桜華さん。
でも――。
「本質的に、あのままじゃ……」
ひとりの局員さんがぼそっとつぶやく。
ギロリッ!
鋭い視線で睨まれ、すぐに押し黙ってしまったけど。
なるほど……。
確かにある程度の演技はあったかもしれないけど、桜華さんはもともと、こういう人なのね。
なんだか妙に納得してしまった。
もちろん、局員さんたちが抱えていたという不平や不満の数々は、演技の一環だったのだとは思うけど。
だけど、桜華さんはどうやら喋り方も普段からあんな感じみたいだし、局員の中では年齢的にも一番年下なのにと、ちょっとは不満に思っている人もいたに違いない。
「オレほど優しく指導するやつなんて、なかなかいないと思うぞ?」
懲りずにそう言いきっている桜華さんに、今度はほゆるちゃんが噛みついた。
「いやいや、立派に鬼教官でしたよ? 最初の頃なんて、もうひどいもんだったし!」
「そうそう。それに途中からは完全にだらけきってたじゃないですか。声をかけてくれた人にまで、なんかひっどい態度を取ってましたよねっ?」
ほゆるちゃんに便乗する形で、わたしも桜華さん攻撃を開始する。
今までの恨み、ってわけじゃないけど、これくらいの反撃をする権利は、わたしにだってあるよね?
「あら、そうなんですの? いくらスカウト実習のためとはいえ、ちょっと聞き捨てなりませんわね」
「な……っ!? あ……あれはだな、相手が親戚だったからだ。あらかじめ話してお願いしてあったんだよ!」
撫子さんからも責められ始め、桜華さん慌てて言葉を返す。
あの桜華さんが、焦ってる! なんだかちょっと、楽しいかもっ!
なんて意地悪な感想を抱いているわたし。
「それに、わたしたちふたりだけで配達に行かせたりしてましたけど、あれって大丈夫だったんですか?」
もうひとつ意地悪を重ねるつもりで、わたしは質問を続けてみた。
「い……いや、あのときは、離れた場所から見守っていたんだぞ。許可があれば無免許でも飛べるなんて法律はないからな」
あっ、そうだったんだ……。
だからあのとき桜華さんは、戻ったわたしたちを庭で出迎えてくれたのね。
考えてみたら、たとえわたしたちを待っていたとしても、庭でずっと突っ立ったまま待ってるはずがないもんね。
「……ま、いいでしょう」
そんなやり取りを聞いて、撫子さんはそれ以上の追求をせず、不問としたようだ。
なんだかわたしの追加の質問が、助け舟となってしまったみたいだけど。
ほっと胸を撫で下ろしている桜華さんの様子も、わたしには新鮮で、なんだかちょっと嬉しかった。
「今年はこんな感じになりましたけれど、去年のスカウト実習でも、また違った試練を与えたんですよ。椚笹枝さん、でしたかしら? あの方にはわたくしが、ベタベタと暑苦しいくらいにくっついて指導しましたの。そりゃあもう、真夏の暑い気温の中で、それこそ、そっちの趣味があるんじゃないかって思うほどに、ね」
撫子さんは、いけしゃあしゃあと、そんなことを語る。
うわ~、笹枝先輩の去年の実習も、大変だったんだな~……。
「もっとも、あの方は進学の道を選びましたけれど。……わたくしがやりすぎたからでは、ありませんわよね?」
局員さんたちは視線を逸らし、誰も撫子さんの言葉には答えなかった。
「……コホン。それはともかくですね、今年のスカウト実習をお願いするにあたって、あの方には実習内容などについては喋らないよう、念を押しておりましたの」
そっか、だから笹枝先輩は、なにも言ってくれなかったんだ。
わたしが逃げ出して泣きついたときも、話すことができないから、突き放すしかなかったのね。
「こうして実習をすべて終えましたあなた方に、わたくしから最終評価をお伝え致します。三人とも、ここに並んでください」
その言葉に従い、わたし、ほゆるちゃん、現くんの三人は、撫子さんの目の前に一列になって並ぶ。
「風間夢愛さん、時蒔ほゆるさん、水玉現さん、以上三名、スカウト実習お疲れ様でした」
もったいぶった物言いで、改めて労いの声をかけてくれる撫子さん。
そして――。
「あなた方三人には、全員、評価レベルA、すなわち最高の評価を捧げたいと思います。中学校卒業後、もし希望するのでしたら優先的に、それぞれ配達員とそのサポート係として採用することを約束させていただきますわ!」
撫子さんの言葉に、桜華さんも局員のみなさんも、盛大な拍手と「おめでとう」の言葉を惜しみなく送ってくれた。
☆☆☆☆☆
「わたくしは最初に、郵魔は夢を届ける仕事だと言いました。覚えていらっしゃいますか?」
撫子さんからの質問に、目の前に並んでいるわたしたち三人は黙って頷く。
「夢愛さんとほゆるさん、あなたたちふたりは、郵便配達員になることが夢だって、言っていたようですね?」
今度は現くん以外のふたりだけで、頷きを返す。
「それでは、夢はそこまでですか? 配達員になってしまったら、もう夢はなくなってしまうのですか?」
優しく語りかけてくる撫子さんの声は、心の中に染み込んでくるようだった。
「そうではありませんよね? 夢を叶え、目標だった場所に立ってから先こそ、本当に夢を持って頑張らなければならないのです」
撫子さんは笑顔で、澄み渡った青空を仰ぎ見た。
ひとつ、息を吸い込む。
そのままゆっくりとその視線を下げ、わたしたち三人の顔を見回すと、撫子さんは温かな言葉を続けてくれた。
「きっと、あなた方なら大丈夫だと、わたくしは考えています。卒業後、あなた方三人がこの郵便局に来てくれることを、心からお待ちしておりますわ」
『はいっ!』
わたしたちは大きく答える。
それを見て、撫子さんは満足そうに頷いた。
「郵魔を目指すこと。それは夢につながります。わたくしが郵魔という呼び名を推している一番の理由は、そこにあるのです」
優しげな笑顔をたたえたまま、撫子さんは語り続けた。
「YUMAをMEZASU。頭文字をつなげれば、YUMEとなりますからね」
なにやらいつの間にか背後に用意されていたホワイトボードに文字を書きながら、撫子さんはそんなことを説明する。
最後はダジャレですか……。
さっきまでの胸に込み上げてくるような温かな気持ちが、なんだか一気に冷めてしまったけど。
当の撫子さんはしたり顔で、こちらを見つめるばかりだった。
ともかく、こうしてスカウト実習の二週間は、あっという間に終わりを告げた。
過ぎてしまえば、ほんとに短かったけど。
でもこの二週間の出来事は、わたしたちにとって決して忘れることのできない夏の思い出として、強く深く、心に刻まれる結果となった。