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それから、必死にもがいてあがいてホウキにつかまったわたしたち。
泥沼から体を引き抜き、体勢を整えて飛び上がり、どうにかこうにか難を逃れたわけだけど。
届けなくてはいけない手紙は、もう完全に泥まみれになってしまっていた。
「はう~……泥まみれ~……」
「でも夢愛、あの状態でよく離さず持ってたわね! でかした!」
手紙をまじまじと眺めながら、涙目になって呻き声を上げるわたしに、ほゆるちゃんはそう賞賛の言葉を向けてくれた。
だけどべつに、わたしは意識して手紙を離さなかったわけではなくて……。
「溺れる者はワラをもつかむ……」
「あ~、なるほど……」
つぶやいた言葉に納得顔のほゆるちゃん。
「冷静に考えれば、そんなのにつかまっても助からないってわかるけど~……」
ぐすっ。
わたしは鼻をすすって訴えかける。
さっきは必死だったから……。
結局そのあと、ほゆるちゃんの腕をつかんじゃって、巻き込んでしまったってのもあるし……。
勝手に涙がわたしの瞳を濡らしていく。
それを見たほゆるちゃんは、すぐに優しい言葉をかけてくれた。
「あ~、いいってば。泣くな泣くな! ともかく、離さないでくれて助かったわ。よくやった! 夢愛、偉い!」
「えへへへ~」
単純なわたしは、途端に笑顔になる。
「まったくもう、お子様なんだから……」
ほゆるちゃんは呆れ顔と微かな笑顔が入りまじったような表情で、そうつぶやいていた。
☆☆☆☆☆
「だけど、どうしよう……」
そろそろ夕陽も沈み、宵闇が迫ってくる中、わたしとほゆるちゃんは静かに空を飛んでいた。
配達する手紙は、失くさずには済んだものの、泥まみれになってしまった。
それに加えて、当然ながらわたしたちは制服も手足も泥だらけ。
顔や髪の毛にだって、大量の泥がこびりついている。
もちろん着替えなんて持ってきていない。
とはいえ、もう日も暮れているし、一旦郵便局まで戻って着替えているような時間はないだろう。
絶対に今日中に届けなくちゃいけないという規則があるわけでもないし、実際、やむを得ない事情によって配達が遅れることはある。
それでも、郵便配達は時間厳守も重要と言われている。
……すでに遅れているわけだけど。
それ以前に、届ける側としては、配達予定だった手紙はなるべく予定日のうちに届けたい。
手紙が届けられるのを楽しみに待っている人がいるかもしれないのだから。
「こんな姿だけど、行くしかないよね……?」
「う~ん、そうね……。仕方がないわよね。届けないと職務放棄だし。……実習中のお手伝いの身ではあるけど」
わたしがほゆるちゃんに同意を求めると、彼女は素直に頷いてくれた。
風を切ってホウキを進ませながら、わたしは泥まみれになった手紙に目を向けてみる。
この感じだと、封筒は泥だらけで文字も見えなくなっちゃってるけど、中の手紙にまでは被害が及んでないかもしれない。
それは開けてみないとわからないけど……。
だからといって、人様の郵便物を勝手に開けるわけにはいかない。
ここは配達先の人に謝って、手渡しするしかないだろう。
こんな泥だらけの女の子ふたりが突然現れたら、さすがにびっくりしちゃうかな……?
そうは思ったものの、ポストにこっそり泥まみれの手紙を入れて、配達任務完了! なんてことができるはずもない。
謝ったって、許してもらえるかどうかわからない。
でも、こんな泥まみれの郵便物が黙ってポストに入れられていたら、誰だって怒ってしまうに違いない。
少なくとも、わたしだったら怒る。郵便局にクレームの電話が入るのも、ほぼ確定だ。
悪いのは明らかにこっちなのだから、せめて誠意は見せないと。いくらお手伝いしているだけの立場だとしても。
ともあれ、申し訳なさと情けなさも相まって、変な緊張が全身を覆い尽くす。
「なんか震えてきちゃう……。あ……ほゆるちゃんも、震えてるね……」
「か……風が冷たくなってきたからよ! とにかく、さっさと行くわよ!」
「うんっ!」
こうして泥まみれのわたしたちは、泥まみれの郵便物を持って、泥沼のような腐敗大地のすぐそばにある配達先の家へと、ホウキの柄を向けるのだった。
☆☆☆☆☆
「申し訳ありませんでしたっ!」
ペコリ。
大きく頭を下げるわたしとほゆるちゃん。
目の前には、配達先の家に住む女性が立っている。
わたしが震える手でチャイムを押すと、玄関のドアを開けて出てきたのは、手紙の宛名に書かれてあった当人だった。
女性は泥まみれの訪問客に目を見開いていた。
そんな彼女に向かって、わたしたちの口からは真っ先に、謝罪の言葉が飛び出していた。
「……いいんですよ。そんなに汚れてまで届けてくれて、ありがとうございました。……うん、中身は大丈夫みたいですから、頭を上げてください」
女性はそう言って、わたしたちに優しく微笑みかけてくれた。
それどころか、もしよかったらお風呂に入っていきますか? とまで言ってくれて……。
だけど、さすがにそこまでお世話になるわけにもいかないだろう。
だいたい、すでにかなり遅い時間になっているから、早く郵便局に戻らないと心配されてしまうかもしれないし。
わたしたちは女性の申し出を丁重にお断りすると、もう一度、誠意を込めて謝罪の言葉とともに頭を下げる。
「ほんとに、いいんですよ、そんなに謝っていただかなくても。こんなところに住んでいるこちらのせいとも言えるんですから。腐敗大地に落ちてしまわれたんでしょ?」
「あ……いえ、このたびは、完全にこちらのミスでしたので……」
「ふふ。子供たち、この手紙が届くのを楽しみにしてるんですよ。毎月必ず、遠くに住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんから手紙が来るんです。うちは子だくさんなもので、余裕もないからこんな腐敗大地のそばの土地にしか住めないし、なかなか会いにも行けないんです。それでも、こうやって手紙を通じて触れ合えるのが、子供たちはとても嬉しいみたい」
本当に感謝しているんですよ。だから、気にしないでください。
女性はそう言って微笑んでくれた。
あまり長く居座っても悪いし、わたしたちは丁寧にもう一度だけ頭を下げると、女性に別れを告げた。
そして、まだ泥まみれのままの姿で再びホウキに腰を下ろし、郵便局へと向かって飛び立った。