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セミの声が絶え間なく鳴り響く夏休み。
わたしたちのスカウト実習はなおも続く。
実習四日目ともなると、さすがに慣れもあってか心に余裕が生まれてきていた。
桜華さんの厳しい怒鳴り声も、余裕を持って受け止めれば、現役配達員さんからのありがたいお言葉だって思える。
悪口みたいなひどい言われようもあったけど、それだって教えを強く印象づけるためだと考えれば、気にもならなくなってくる。
素直に「はいっ!」と返事をし、桜華さんの指示に従うわたし。
もちろん、ほゆるちゃんも指示されたことをそつなくこなし、配達も順調に進むようになっていた。
なんだか順調すぎて怖いくらい。
桜華さんからの厳しいお言葉も、その頻度がどんどんと減ってきているみたいだった。
と、その桜華さんが不意にこんなことを言い放つ。
「なんか、つまらんな」
「……え?」
わたしは思わず疑問符で返してしまう。
続けてトドメとばかりに放たれた言葉は、現役の配達員さんの口から出たとは思えない内容だった。
「お前らをいたぶるのにも飽きてきたからな。ほら、郵便袋は夢愛に任せるぞ。配達先は渡してあるリストのとおりだからな。ま、適当にやってくれ」
「きゃっ!」
まだたくさんの手紙が中に入ったままの郵便袋を、桜華さんは自分のホウキから素早く外すと、わたしに向かって投げつけた。
驚きと袋の思った以上の重みに、わたしは悲鳴を漏らす。
「ちょっと、なにしてるんですか!?」
ほゆるちゃんが、さすがに眉をつり上げて抗議の声をぶつけた。
その勢いに圧されることもなく、桜華さんは投げやりな感じの声で言い捨てる。
「お前らふたりに任せるって言ってるんだ。オレは指導を一任されてるんだからな、お前らは言われたとおりにすればいいんだよ。オレはお前らの後ろを飛んで、適当に様子を見させてもらう。せいぜい頑張って配達しろよ」
そう言って、桜華さんは言葉どおり、後ろに下がっていく。
「ほら、どうした? 早く配達を続けろ」
「は……はい……」
困惑しながらも、一応返事をするわたしとは対照的に、ほゆるちゃんは明らかに不満げな表情を見せていた。
「ふっ……。おい、ほゆる、その目はなんだ? 不満があるのなら、遠慮なく言ってみろ。だが、無駄に反抗するのは得策じゃないと思うぞ? スカウト実習の評価は、オレが握ってるんだからな」
桜華さんからぶつけられた嘲笑まじりの言葉に、怒りを噛み潰すほゆるちゃん。
どうにか爆発するのだけは抑え、うつむきながらも黙って配達先に向かって飛び始めた。
「あっ、待って、ほゆるちゃん!」
わたしもそのあとを急いで追いかける。
その後ろからは、一転して静かすぎるほどの飛び方に変わった桜華さんが、まるでわたしの心を追い立てるかのように続いてきていた。
☆☆☆☆☆
不満を胸に抱えながらも、仕事を途中で放棄するわけにはいかない。
わたしとほゆるちゃんは、一生懸命配達を続けた。
桜華さんはずっと、黙ってついてくるだけだった。
指示とか注意とかアドバイスとかも、一切なし。
郵便袋を投げ渡される前とは打って変わって、まったくなにも言ってくれない。
たとえ厳しすぎてちょっと不条理な部分さえある言葉でも、わたしたちのためだと思えばこそ、素直に聞き入れていたのに。
これじゃあ最初から、わたしたちをいたぶるためだけに、厳しいことを言っていたんだって考えちゃう。
思わずわたしは、そんな思いを口に出してしまっていた。
「いや、実際そうだったんでしょ。もうはっきりわかったわ。あの人、やっぱりダメよ」
わたしのつぶやきを聞きつけたほゆるちゃんが、そっと横に並んでささやく。
あう……、やっぱりそう……なのかな……?
でも、でも……。
わたしとしては、認めたくなかった。
郵便配達員というのは、小さい頃からずっと憧れていた存在なのだから。
それなのに、こんな人が配達員さんだなんて――。
わたしは悶々とした思いを抱えながら、配達を消化していく。
そう、消化――。
気分が落ち込んでいると、どうしても考えることだけに意識が向かってしまう。
悪い癖だとは思うけど……。
どうしても、優雅に空を舞い、笑顔を絶やさずに配達を続ける、なんて気分にはなれなかった。
それはほゆるちゃんのほうも同じなのだろう。
いつもならいろいろと話しかけてくれて、ここ数日は桜華さんから無駄口を叩くなと叱られたりもしていた彼女だけど、今は全然言葉を発しない。
黙々と配達物をそれぞれの家のポストに入れていくだけ。
こんなの、味気ないよ……。
配達員の制服を見て声をかけてくれるような人も、どういうわけか今日は全然いなかった。
……それも、そうか。
だって、こっちがピリピリしたり、ブルーになったりしてるんだから。
気軽に話しかけられるような雰囲気じゃないよね……。
重苦しい沈黙に包み込まれながらの時間は、永久に続くんじゃないかと思うくらい長く感じられた。
早く、帰りたい……。
憧れの郵便配達員さんの仕事をお手伝いしているというのに、こんな思いを抱くなんて。
わたしは自分自身の気持ちの揺らぎように、ただただ困惑するばかりだった。