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追放された聖女は辺境でスローライフを送ることにした。 ~領主様に溺愛されているので、今さら戻れと言われても困ります!~  作者: 葦ノ冬夏


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第七話 暖かい床暖房


 コールドランドの冬は、王都のそれとは比較にならないほど苛烈だった。一歩外に出れば、そこは肺の奥まで凍りつかせるような極寒の世界。何より、堅牢な石造りの館は、まるで巨大な氷の塊の中にいるかのように冷え切っていた。館への打ち合わせや石鹸の納品に行くたび、冷えた石畳に体温を奪われる。それはアリシアだけでなく、メイドたちや騎士たちにとっても切実な問題だった。


「……うう、足が、足の感覚がなくなっちゃいそう」


 アリシアは離れのキッチンの椅子に座り、自分の足を擦り合わせた。


「セバスチャンさん、館の皆さんは、この寒さにどうやって耐えているんですか?」


 石鹸の追加発注に来た老執事セバスチャンに、アリシアは尋ねた。彼は防寒用の毛皮を何層にも重ねた姿で、申し訳なさそうに肩をすくめる。


「慣れ、でございますな。暖炉のそばにいれば多少はマシになりますが、一度そこを離れれば氷の上と同じ。特に冷え性の方々や、長年この館にいる年配の者たちには、この底冷えが骨身に染みるようでして……。ゼノス様も、執務室では常に足を温石おんじゃくで温めておいでですが、すぐにお湯が冷めてしまうと嘆いておられました」


 ゼノスの、あの疲れ切った横顔が脳裏をよぎる。不眠が改善されたとはいえ、寒さは万病の元だ。体が冷えれば血の巡りが悪くなり、魔力の循環も滞る。そうすれば、またあの『澱み』が彼を蝕み始めるだろう。


(暖炉だけじゃ足りない。空気を温めるだけじゃなくて、もっと根本的に、足元からじわじわと温める方法はないかしら……)


 アリシアは、王都で結界を維持していた時の知識を総動員した。王宮では、広大な敷地を一定の温度に保つために、膨大な魔石を消費する巨大な『魔導暖房装置』が使われていた。しかし、それは非常に効率が悪く、魔力を湯水のように使う贅沢品だ。


(もっとシンプルに、無駄なく素材の力を引き出すのよ。私の与える力を使って……工夫を凝らす)


 思い立ったアリシアは、倉庫の隅に眠っていた熱魔石の欠片をいくつか手元に集めた。これらは出力が弱く、調理の加熱にも使えない素材として扱われていたものだ。しかし、アリシアが欠片に触れ、そっと目を閉じると、石の内部に眠る微弱な熱の波動が伝わってきた。


「無理に大きく燃え上がらせる必要はないの。ただ、少し力を与えるだけ……」


 アリシアは熱魔石に、自身の『持続と安定の魔力』を編み込んでいった。彼女は癒しの魔力だけを持っているわけではない。洗練された技術と操作で、魔力に様々な効果を加えることができるのだ。アリシアの指先から流れる黄金の光が石に吸い込まれると、ただの煉瓦色だったそれが、琥珀のような柔らかな輝きを放ち始めた。

 彼女が作ろうとしているのは、この熱魔石を床下の空洞や石畳の隙間に敷き詰め、特定の魔力経路パスを通すことで、足元全体を温かくする床暖房だった。


* * *


 数日後。

 アリシアは、ゼノスの執務室を訪れた。

 そこは、主の性格を映したかのように無骨で冷たい部屋だった。窓の外は吹雪が荒れ狂い、大きな暖炉が勢いよく燃えているにもかかわらず、足元からは刺すような冷気が立ち上っている。


「……アリシアか。石鹸の件なら、セバスチャンに伝えてあるはずだが」


 ゼノスは机に向かったまま顔を上げずに言った。その声は低く、どこか無理をしている。やはり寒さで体が強張っているのだ。


「ゼノス様、今日は石鹸の話をしに来たわけではありません。少しだけ、実験にお付き合いいただけませんか?」


「実験?」


 怪訝そうに顔を上げるゼノス。アリシアはすでに、彼の足元の絨毯をめくり始めていた。


「おい、何を……」


「いいから、そのまま座っていてください。ゼノス様、お疲れを癒やすのは石鹸や枕だけじゃないんですよ」


 アリシアは、執務机の下の石畳に細工を施した魔石のプレートを敷いていった。最後に、中心となる回路石に指先でトンと触れる。


「——『循環』。そして『安らぎの熱』」


 瞬間、薄暗い執務室の床が、目に見えないほどの淡い光を帯びた。


「……っ!?」


 ゼノスは、反射的に足を引こうとした。だが……自分自身の足の裏から、これまでに経験したことのない感覚が伝わってきた。それは、火のような熱さではない。春の陽だまりの中に足を浸しているような、あるいは、温かな毛布に優しく包まれているような、じんわりとした、底なしのぬくもり。冷え切って感覚を失いかけていたつま先から、じわじわと血が巡り始める。強張っていたふくらはぎの筋肉が解け、その温かさは腰へ、そして背筋へと駆け上がっていった。


「これは……。魔導暖房のような、不快な熱さがない。まるで、大地の温かさがそのまま上がってくるような……」

「成功ですね。これは『床暖房』と名付けました。空気を乾燥させずに、体を芯から温めてくれるんです」


 アリシアは、ゼノスの足元で満足そうに微笑んだ。いつもなら、寒さで奥歯を噛み締め、神経を尖らせて書類を処理していた。しかし、今。足元から全身に伝わるぬくもりが、彼の寒気を根こそぎ奪い去っていく。


「……お前は私にこれほどの安らぎを与えて、どうするつもりだ」


 ゼノスの声から、険しさが消えていた。彼は椅子の背もたれに深く体を預け、大きく溜息をついた。その顔からは、初対面の時の死神のような形相が消えていた。


「どうもしませんよ。ただ、ゼノス様が温かい場所で過ごせるようになればいい、と思っただけです」

「……君は、本当にお節介だな」


 アリシアは、初めて自分が『君』と呼ばれたことに目をぱちくりとさせる。


「この床のぬくもりがあるだけで、気分がまるで違う。アリシア、君は王太子が言っていたような役立たずではない。……少なくとも私はそう思う」

「ありがとうございます。とても嬉しいです!……この床暖房、次はメイドさんたちの休憩室や、騎士団の詰め所にも設置していいですか?」

「ああ、いいだろう。必要な魔石は備蓄から出そう。……ただし、無理はするな」

 

* * *


 その頃。

 王宮では、コールドランドの館とは正反対の光景が繰り広げられていた。


「寒い! なぜこんなに寒いのだ! 暖炉をもっと燃やせと言っているだろう!」


 王太子エドワードは、毛皮を何枚も着込みながら執務室で怒鳴り散らしていた。アリシアの結界が消えた王都は、例年以上の寒波に見舞われていた。それだけではない。アリシアがいなくなったことで、王宮内の魔導暖房の稼働率が著しく低下していたのだ。かつて彼女は、無意識のうちに装置の循環を魔力で手助けしていた。それがなくなった今、いくら燃料を投入しても、装置は黒い煙を吐くだけで、大した熱を生まない。


「エドワード様、落ち着いてくださいませ……。ア、アリシアの呪いが、きっとこの装置にまで及んでいるのですわ……!」


 ミラは、乾燥で肌が荒れた顔を厚化粧で隠しながら、震える声で言う。自分の魔力で温めようとしても、彼女の前借りの魔法は周囲の薪を一瞬で灰にするだけで、持続的な暖かさを生むことはできなかった。

 

* * *


 一方コールドランドでは、廊下ですれ違うメイドたちが、頬を赤らめて囁き合っている。


「聞いた? 離れの女神様が、休憩室の床を温かくしてくださったんですって!」

「ええ! もう、仕事が終わった後にあそこにいるだけで、天国にいるみたいな気分よ!」


 アリシアの癒しの魔法が、辺境の皆の心に、ゆっくりと火を灯し始めていた。


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