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追放された聖女は辺境でスローライフを送ることにした。 ~領主様に溺愛されているので、今さら戻れと言われても困ります!~  作者: 葦ノ冬夏


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第五話 癒しの石鹸


 アリシアがコールドランドにやってきてから、一週間が経過した。かつての廃屋は、誰もが引き寄せられる温かい小屋へと変貌を遂げていた。庭には厳しい冬の風を遮る透明な魔力の膜が張られ、その内側ではハーブの芽が吹いている。


「よし、いい感じに熟成したわね」


 離れのキッチン——今はアリシアの実験場となっている場所で、彼女は木箱の中に並んだ白い固形物を愛おしそうに見つめていた。それは、棚に放置されていた獣脂と、アリシアが浄化した水、そして庭で育てた癒しのハーブのエキスを練り合わせた特製の石鹸だ。


 王都にいた頃、アリシアは疑問に思っていた。

 怪我を治す魔法はあっても、戦いから戻った騎士たちの蓄積した疲れや、鎧の下で荒れ果てた肌の痛みを気遣う者は誰もいなかった。王太子エドワードは『治癒魔法があるのだから、多少の不快感は我慢しろ』と一蹴していたが、アリシアはそれがずっと心に引っかかっていたのだ。


(傷を塞ぐだけが癒しじゃないわ。心も体もさっぱりして、また明日も頑張ろうって思えることも大事よ)


 アリシアが石鹸の仕上がりを確認していると、離れの外から重い足音と、金属が擦れる騒がしい音が聞こえてきた。コールドランド領の守備騎士団が、辺境付近の魔獣掃討から戻ってきたのだ。

 窓から外を覗くと、そこには痛々しい光景が広がっていた。騎士たちは皆、泥と魔獣の返り血にまみれ、疲労困憊の体で馬を引いている。極寒の地での過酷な任務に加え、雪と泥が混じった不衛生な環境。鎧を脱ぐ気力さえないのか、雪の上に座り込む者もいた。


「……あんなにボロボロになって。放っておけないわ」


 アリシアは出来立ての石鹸をカゴに詰め込み、迷わず外へ飛び出した。


* * *


 騎士団の解散場所では、殺伐とした空気が流れていた。隊を率いていたのは、副団長のガラハドという大柄な男だ。彼は顔にこびりついた泥を雑に拭い、溜息をついた。


「ったく、今月は魔獣の数が多いぜ。おまけにこの寒さだ。みんな、霜焼けが酷くなる前に湯を浴びろ……と言いたいが、薪も貴重だからな。今日は水で我慢しろ」

「副団長、勘弁してくださいよ。この泥、水じゃ落ちねえし、肌がヒリついて地獄ですよ……」


 騎士たちが恨み言をこぼしていた、その時だった。


「あの、皆様! お疲れ様です。私は新しくここに住むことになったアリシア・ローウェルといいます!」


 澄んだ鈴のような声が、重苦しい空気を切り裂いた。騎士たちが一斉に振り返ると、そこには見慣れない美しい娘が立っていた。薄汚れた離れに住み着いたという『追放された偽聖女』の話は聞いていたが、間近で見る彼女は、雪の精霊かと思うほどに清らかで、そして温かな微笑みを浮かべていた。


「これ、使ってみてください。私が作った石鹸なんです」

「……石鹸? お嬢さん、悪いが俺たちは今、そんな優雅なもんを使ってる余裕は——」


 ガラハドが断ろうとしたが、アリシアは構わず、木箱の中から白い石鹸を一つ取り出し、彼の汚れた手に握らせた。

 その瞬間、ガラハドの目が見開かれた。

 

(なんだ……? この石鹸、触れただけで手のピリピリした痛みが消えていく……?)


「この石鹸には、癒しの魔力を閉じ込めてあります。汚れを落とすだけじゃなくて、魔獣の毒気や、寒さで傷んだ肌も綺麗にしてくれるんですよ」


 アリシアは近くの井戸から汲んできた水を、魔法でほんのりと温めた。

 

「さあ、まずは手だけでも」


 促されるまま、ガラハドはぬるま湯で石鹸を泡立てた。驚くべきことに、その石鹸は瞬時にきめ細やかな輝きを持つ泡を作り出した。そして、心を落ち着かせるハーブの香りがふわりと広がる。ガラハドがその泡で腕を洗うと、こびりついていた頑固な泥と血脂が、するりと落ちた。それだけではない。鎧との摩擦で赤く腫れていた皮膚が、泡に触れたそばから本来の健康な色を取り戻していく。


「……信じられん。傷が、汚れがすべて浄化されていく……。おい、お前ら! 全員これを使え!」


 ガラハドの叫びに、半信半疑だった騎士たちが次々と石鹸を手に取る。

 そして、彼らは驚嘆と歓喜の声を一斉にあげた。


「すげえ! 霜焼けの痒みが一瞬で消えた!」

「この香り、心が凄く楽になる! 疲れが吹っ飛んだぜっ!」

「おい見ろよ、俺のガサガサだった腕が、赤ん坊みたいにスベスベだ!」


 泥だらけだった騎士たちが、次々と笑顔になっていく。

 アリシアはその光景を見て、胸が熱くなるのを感じた。王都で彼女の祈りは『当たり前』のものとして消費され、感謝の言葉は一つも向けられることはなかった。

 だが、ここでは違う。


「ありがとうございます、アリシア様!」

「おかげで、今夜はゆっくり休めそうです!」


 騎士たちから向けられる真っ直ぐな感謝の言葉。

 アリシアは恥ずかしそうに微笑みながら、首を縦に振った。


* * *


「……騒がしいな、一体何事だ」


 館のバルコニーから、その光景を見下ろしている男がいた。ゼノスだ。

 いつもなら殺気立って戻ってくる騎士たちが、和やかに笑い合い、一人の女性を囲んでいる。

 ゼノスの横で、老執事のセバスチャンが口を開いた。

「どうやらあれは、アリシア様が作られた石鹸のようです。騎士たちの傷や汚れが、間違いなく浄化されておりますな。……石鹸だけであのような治癒、神殿の最高司祭でも不可能ですぞ」


 ゼノスは無言で、騎士たちの話を楽しそうに聞いているアリシアを上から見つめた。

 彼女の周りだけ、冷たい冬の空気が和らぎ、柔らかな光が満ちているように見える。

 アリシアは、自分がどれほどのことを成し遂げているのか、全く自覚していないのだろう。ただ、目の前の誰かを笑顔にしたい。その一心で力を使っている。


「……セバスチャン」

「はい」

「アリシアに、必要な材料をすべて聞き出せ。今後、石鹸の材料が足りなくなるようなことがあってはならん。適宜必要であれば補充してやれ。あの石鹸は、騎士団の正式な備品として採用する」


 ゼノスの声は相変わらず低かったが、その瞳にはわずかにアリシアへの信頼が芽生えていた。


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