第二十話 冷たい拒絶
辺境コールドランドの境界線。そこは、極寒の風が吹き荒れる、静寂に支配された白銀の世界であった。凍てつく霧が大地を這い、視界を遮るその最前線に、かつてない異様な光景が広がっていた。
一方には、王太子エドワードが率いる王都軍の残党。彼らは魔獣の追撃を逃れ、不眠不休で極北の地まで馬を走らせてきたため、その姿は無惨の一言に尽きた。鎧は傷つき、誇り高きマントは泥と血に汚れ、兵士たちの顔には凍傷と絶望の色が濃く刻まれている。だが、その先頭に立つエドワードの瞳だけは、狂気じみた妄執の熱で爛々と輝いていた。
「……あそこに、あそこにアリシアがいる。あいつを奪い返しさえすれば、すべては元通りだ」
ひび割れた唇でそう呟くエドワードの前には、鉄壁の陣を敷くコールドランドの軍勢が立ち塞がっていた。彼らは王都軍とは対照的に、精強そのものであった。騎士たちの状態は万全であり、その装備も磨き上げられている。さらにその後方には、農具や猟銃を手に取った領民たちが、自らの意思で自分たちの恩人アリシアを守るべく、固い決意を持って集結していた。
両軍の間に、刺すような緊張が走る。
エドワードが『アリシアを差し出せ』と叫ぼうとした、その時であった。
コールドランド側の重厚な盾の列が、波が引くように左右に割れた。歩み出たのは、漆黒の外套をなびかせた辺境伯ゼノス・フォン・コールドランド。その圧倒的な威圧感に、王都軍の兵たちが怯える。だが、人々の視線を釘付けにしたのは、ゼノスその人ではなかった。
ゼノスに、そっと手を引かれるようにして現れた一人の女性。王都で役立たずと蔑まれていた聖女アリシアの面影は、もはやどこにもなかった。雪原に降り立ったアリシアの姿は、見る者すべての息を止めるほどに、あまりにも美しく、神々しかった。彼女が纏っているのは、コールドランド特産の純白の毛皮を贅沢にあしらった、深い蒼碧のドレス。それはこの極北の空をそのまま映したかのような色合いで、彼女の抜けるように白い肌をいっそう際立たせている。王都にいた頃の、常に疲れ果てていた表情は消え去っていた。今の彼女の頬には健康的な赤みが差し、その肌は内側から発光しているかのような瑞々しい透明感を放っている。黄金の髪は、今は冬の柔らかな陽光を浴びて、一筋一筋が極上の絹糸のように輝いている。
そして、真っ直ぐにエドワードを見据えるその瞳。それは、澄み渡ったクリスタルのような輝きを宿していた。
「……アリシア……か?」
エドワードの口から、呆然とした呟きが漏れた。
もう、彼の知っているアリシアではない。いま目の前にいる女性は、この世に降臨した女神のような気品と慈愛を纏っている。アリシアは、ゼノスの隣に凛として立った。ゼノスが彼女に向ける眼差しは、誰が見ても明らかなほど、深い敬愛と情熱に満ちている。彼の手がアリシアの腰を優しく抱き寄せた。
「エドワード殿下」
アリシアの声が、静まり返った氷原に響き渡る。その声は鈴を転がしたように清らかで、けれど揺るぎない芯の強さを持っていた。彼女の美しさは、単なる顔の造形の良さだけではない。愛され、必要とされ、自分の居場所を見つけた人間だけが放つ、魂の輝きからくるものだった。
「私は、王都には戻りません。私はこのコールドランドで生きていきます。誰がなんと言おうと、その意思は変わりません——」
それは、エドワードへの無慈悲な拒絶であった。
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