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追放された聖女は辺境でスローライフを送ることにした。 ~領主様に溺愛されているので、今さら戻れと言われても困ります!~  作者: 葦ノ冬夏


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第二話 辺境伯との出会い

 

 王都を出てから三日。馬車の小窓から見える景色は、鮮やかな緑から、刺すような寒気をはらんだ銀世界へと変わっていた。


「お嬢さん、いよいよだ。あの山の向こうが、コールドランド領の入り口だぜ」


 防寒具に身を包んだ御者、ハンズが声を張り上げた。この三日間の道中は、普通の令嬢なら音を上げるほど過酷なものだった。まともな宿もなく、冷たい風が吹き込むボロ馬車での移動。しかし、アリシアは一度も弱音を吐かなかった。それどころか、日に日に肌の艶が良くなり、瞳には活力が宿っている。


「ありがとうございます、ハンズさん。……あ、そうだ。せっかくなのでお茶をどうぞ」


 アリシアは温かな魔力を込めた水筒から、お茶を注いでハンズに手渡した。ただの安物の茶葉。だが、アリシアが淹れると、それは奇跡の一杯に変わる。


「おお、すまねえ。……不思議だな、お嬢さんの淹れてくれる茶を飲むと、長年の持病だった腰の痛みが消えたような気がするぜ。おまけに、凍えそうな寒さの中でも体が芯からポカポカする。魔法みてえだ」


 アリシアはお茶に、ほんのわずかな生命力の活性化の魔力を混ぜている。傷を塞ぐような派手な光は出ないが、飲んだ者の自己治癒力を高め、疲労を根本から取り除く。


「ふふ、ただの気休めですよ。私の魔力は、鑑定官の方に微弱で役に立たないと言われたくらいですから」


 王宮では『目に見える奇跡を起こせない』と切り捨てられた力だが、こうして目の前の人を笑顔にするには十分すぎる力だった。


(それにしても……体が軽い。もしかして、私が王都から離れすぎて、結界が消えたのかしら)


 アリシアは自分の掌を見つめた。かつてはエルフレイム全体を覆う広域結界を、文字通り心身を削って維持していた。だが、物理的距離によりそれが無くなった今、溢れ出す魔力は彼女自身の心と体を癒やし、かつてないほど健やかな状態にしていた。

 やがて馬車は、巨大な石造りの城門をくぐった。コールドランド領——そこは、アリシアが想像していた以上に疲弊した土地だった。

 道ゆく人々は皆、寒さと飢えに耐えるように肩をすぼめ、顔色は土色に沈んでいる。建物は古び、至るところに魔獣の爪痕のような傷が残っていた。馬車が領主の城——館と呼ぶには無骨すぎる、要塞のような建物に到着すると、一人の男が待ち構えていた。黒い毛皮を羽織り、漆黒の髪を風に靡かせた男。瞳は、海の氷山を切り出したかのような、鋭く冷たい青。彼こそが、この辺境の統治者であり、死神と恐れられる辺境伯、ゼノス・フォン・コールドランドだった。


「……王都から、厄介者が送られてくるとは聞いていたが」


 第一声は、地を這うような低い声だった。ゼノスは馬車から降りたアリシアを、値踏みするように一瞥した。彼の周囲には、目に見えるほどの『澱み』が渦巻いている。それは長年、精神と肉体を削ってきた者だけが纏う呪いに近い疲労の塊だった。

(わあ……なんて酷い状態。私があの王宮で疲労困憊していた時よりも、ずっと深い陰りが見えるわ……)

 アリシアは恐怖よりも先に、胸が締め付けられるような同情を覚えた。彼はこの土地を守るために、自分を二の次にして戦い続けてきたに違いない。その孤独な戦いの果てに、心まで凍りつかせてしまったのだろう。


「初めまして、ゼノス様。王都より参りました、アリシア・ローウェルです。どうぞアリシアとお呼びください」

「聖女としての挨拶はなしか? 奇跡を見せて、私に従えとでも言うのかと思っていたが」

「まさか。私は偽聖女として追放された身ですから。今日からは、ここで暮らす一人の住人として、お手伝いをさせていただければと思っています」


 アリシアが穏やかに笑って見せると、ゼノスは意外そうに眉を寄せた。王都から追放された高慢な聖女が、泣き叫ぶか絶望している姿を想像していたのだろう。


「……貴様に何ができる。ここは凍てつく氷の大地だ。王都のような温室ではない。祈りで腹が膨れることもなければ、結界で寒さが凌げるわけでもない」

「祈るつもりはありません。私は、土を耕し、美味しい食事を作り、温かい寝床を整える……そんな、当たり前で大切な暮らしをしたいだけです」


 アリシアはゼノスの瞳を真っ直ぐに見返した。彼の瞳の奥に、深刻な不眠と、魔力の酷使による慢性的な痛みの兆候が見える。おそらく彼は、もう何年も心から安らぐという経験をしていない。


「ゼノス様、一つだけよろしいですか?」

「なんだ」

「お顔がとてもお疲れです。……今夜は、私が用意する部屋で、少しだけお休みになってはいかがでしょう?」


 ゼノスは鼻で笑った。


「他人の心配をする余裕があるなら、自分の心配をしろ。貴様の部屋は、裏手の古い離れだ」


 彼は翻って去っていった。その背中は、今にも崩れ落ちそうなほどに強張っている。

 裏手の離れは、思っていたよりひどい状態だった。屋根には穴が開き、庭は枯れ果てた雑草に覆われている。だがアリシアは何も動じない。


「さて……まずは大掃除からね。私の力、これからはゼノス様やこの土地の人たちのために、そして何より、私自身の幸せのために使わせてもらうわ!」


 アリシアが離れの扉を開けた瞬間、彼女の指先から、ほんのりと黄金色の光が漏れ出した。

 それは、コールドランドの冷たい空気を、春の陽だまりのように温め始めていた。 


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