第十七話 傲慢な使者
辺境コールドランド。
泥塗れの馬車が館の正門へと滑り込んできた。王家の紋章が刻まれたその馬車の車体は、連日の悪天候により無数の傷が刻まれている。
馬車の扉が乱暴に開かれ、中から一人の男が降り立った。豪奢だが汚れきった法衣を纏い、粉を振ったカツラを歪ませたその男は、周囲を汚物でも見るような目で見渡すと、出迎えた使用人たちを突き飛ばして叫んだ。
「アリシアはどこだ! 早く私をあいつの元へ案内しろ! この凍え死にそうな辺境にこれ以上一秒たりとも居たくないのだ!」
その声を聞いた瞬間、廊下を通りかかったアリシアの身体が硬直した。
* * *
応接室。先ほどの男は、王立魔導院の主席鑑定官、ビスクであった。彼はアリシアの顔を見るなり、謝罪の言葉どころか、鼻で笑うような仕草を見せた。
「……ふん、相変わらず冴えない顔をしているな、役立たずの偽聖女。コールドランドの寒さで凍死したかと思ったが、まだ生きていたのか」
ビスクは、半年前にアリシアを絶望の淵へ叩き落とした張本人だ。当時、彼女は王都の広域結界を一人で維持し続けていたため、体内の魔力は常に枯渇寸前だった。鑑定の水晶に映し出された数値が低かったのは、アリシアがすべてを捧げていた証拠だったのだ。だがビスクはそれを理由に彼女を『偽聖女』と決めつけた。
「ビスク様。どうして、ここへ?」
「どうしても何もあるか! 喜べ、アリシア。慈悲深いエドワード殿下がお前の追放を解いてくださることになった。今すぐ荷物をまとめろ。この私が、お前を王都まで直々に連れ戻してやる!」
「……お断りいたします」
アリシアは、はっきりと告げた。
「……何だと?」
「私は、エドワード殿下によってこの地へ永久追放されました。今の私は王都の聖女ではなく、コールドランドの民として、ここで暮らしています。戻る理由はありません」
「黙れ! 誰に口を聞いている!」
ビスクはテーブルを叩いて立ち上がった。
「王都は今、お前の呪いによって未曾有の危機に瀕しているのだ! 自分が仕掛けた術で殿下に大迷惑をかけ、自分だけこの安全な館で温まっているつもりか? ふざけるな!」
「戻りません。私は、私を必要としてくれる人たちのために力を使いたいのです。王都には、真の聖女であるミラ様がいらっしゃるはずでしょう?」
「あの女の話をするな! あんな出来損ないの聖女のどこが本物なのだ。いいか、アリシア。これは命令だ。エドワード様の代理人であるこの私の言葉は、王太子の言葉も同然。逆らうことは反逆とみなすぞ!」
ビスクはアリシアへ向かって歩み寄り、彼女の細い手首を乱暴に掴み上げた。
「離してください! 痛いです!」
「痛い? 甘えるな! お前のような役立たずには、選択権などないのだ。王都で前みたいに身を粉にして働けばいい。それがお前に許された唯一の贖罪だ!」
引きずるようにして、ビスクは彼女を部屋の外へと連れ出そうとした。彼の指先には、鑑定官のみに許された魔力封じの術が込められており、アリシアは咄嗟に力を使うことができない。
「さあ、来い! 外の馬車にお前を放り込んで、鎖で繋いででも連れ帰ってやる。お前を連れ帰れなければ、私の地位も危ういのだ!」
その目は、もはや正気を失っていた。アリシアは必死に足を踏ん張るが、男の腕力には抗いきれず、床に膝をついてしまう。
「やめて……! 私は、もうあそこには戻らない! ゼノス……ゼノス!!」
無意識に叫んだのは、いま世界で最も信頼している男の名だった。
「ゼノスだと? あの呪われた死神の名前を呼んで何になる! あんな男、自分の呪いを抑えるのにお前を利用しているだけに決まっているだろう。鑑定官である私が保証してやる、お前はどこへ行ってもただの『道具』なのだ!」
ビスクがアリシアの髪を掴もうと、さらに手を伸ばしたその時。
——ガシャァァァン!!
応接室の重厚な扉が、爆発したかのような轟音と共に吹き飛んだ。部屋の中に、一瞬にして刺すような極寒の冷気が吹き荒れる。舞い上がる木の破片と煙の向こうから現れたのは、ゼノスであった。
「……私の館で、私の……大切な女性に、何をしている」
その声は、低く、地響きのように重かった。ゼノスから放たれる圧倒的な殺気は、一気にビスクを壁際まで押しやる。
「な……ななな、ゼノス辺境伯!? 離せ、私は王都からの使者だぞ! 聖女を連れ戻すという正当な……」
「正当だと? その汚れた手で、二度と彼女に触れるな。貴様の腕ごとへし折ってやろうか?」
ゼノスの一歩ごとに、床の絨毯が白く凍りついていった。




