第十話 お茶会
離れの庭で丹精込めて育てたカモミールが、アリシアの清らかな魔力をたっぷり吸い込み、優雅に葉を揺らしている。
「よし、いい香りがしてきたわ。ね、モフもそう思うでしょう?」
アリシアが声をかけると、足元で真っ白なユキモフが『キュゥ!』と元気よく返事をした。この伝説の守護獣は、彼女のそばを片時も離れない。
「今日は大切なお客様が来るの。ここでずっと苦労してきた女性たちが、少しでも羽を伸ばせるように……最高のおもてなしをしましょうね」
アリシアは摘みたてのハーブをバスケットに入れ、小屋の中へと戻った。
* * *
その日の午後。離れの居間には、三人の女性たちが集まっていた。メイド長であるリーナ、ベテラン洗濯係のマーサ。そして、コールドランド領民たちのまとめ役である老婦人、シルベ。
「アリシア様、先日は休憩室に床暖房を設置していただき、ありがとうございました。おかげで体の冷えがすっかり消えました」
リーナが、深々と礼をした。彼女の手は、冬の冷たい水での作業や寒風に晒され、あかぎれができていた。目元には隠しきれない疲労の影があり、肩は重圧に耐えるように強張っている。床暖房で多少寒さは改善されたが、まだメイドたちの過酷な仕事内容は変わっていない。
最年長のシルベは、深い皺の刻まれた顔に、どこか遠くを見つめるような寂しげな瞳を湛えていた。
「様はやめてくださいって、いつも言っているでしょう? 私はただのアリシアです。今日は、皆さんにゆっくりしてほしくてお呼びしたんですから。さあ、まずはこのお茶をどうぞ」
アリシアは、透明なガラスのポットから黄金色のお茶をカップに注いだ。立ち上る湯気と共に、草原の風を閉じ込めたような、どこか懐かしく温かい香りが部屋いっぱいに広がる。
「……香りを嗅ぐだけで、胸のつかえが取れるようだねえ」
マーサが感嘆の声を漏らし、お茶を口に運んだ。次の瞬間、女性たちの表情が劇的に和らいだ。
「温かい……。熱いお湯を飲んだ時のような表面的な温かさじゃないわ。体の中がとてもほかほかする」
「ありがとう、リーナ。これは、温室で採れたばかりのハーブ茶なんです。こっちは特製の蜂蜜ケーキ。皆さんどうぞ召し上がってください」
アリシアが出したのは、ふんわりと黄金色に焼き上がった蜂蜜ケーキだ。それを一口食べたシルベは、感嘆の声をあげた。
「まあ! 美味しいねえ。本当に……優しい味がする。アリシアちゃん、あんたがここに来てから、この地の空気が変わったよ。あんなに重苦しくて、氷のように冷え切っていた場所が、ずいぶん温かくなった」
シルベの言葉に、リーナやマーサも深く頷いた。
「そうです。前までは、ゼノス様のお顔を見るのも怖くて……。でも最近は、どこか穏やかな雰囲気になられて。私たちも、仕事がずっと楽しくなったんです」
女性たちは、これまで誰にも言えなかった胸の内をぽつりぽつりと語り始めた。寒さや無機質な食事に対しての不満、いつ魔獣に襲われるかわからない不安、そして、自分たちを冷たく突き放していた冷徹な領主への、複雑な想い。
「みんな、怖かったのよね。でも、もう大丈夫。これからは、私がコールドランドをより良い場所に変えていけるよう、頑張りますから!」
アリシアは女性たちの手を優しく包み込んだ。すると彼女らの手のあかぎれが魔法のように消え、肌に瑞々しさが戻っていく。
——キュゥン
モフが、まるで慰めるようにシルベの足元に体を擦り寄せた。シルベはその温かな感触に、驚いたように目を見開き、それから慈しむようにモフの頭を撫でた。
「おや……あんた、ユキモフだねえ。伝説の守護獣が、こうして人の前に姿を現すなんて……。やはり、奇跡は起きているんだね」
お茶会が終わる頃。女性たちの顔立ちは、来た時とは別人のように輝いていた。肌は白く透明感を増し、瞳には力強い希望の光が宿っている。
「ありがとうございました、アリシアさん。とても楽しくて幸せでした」
リーナとマーサは、生まれ変わったような笑顔で深々とお辞儀をし、離れを後にした。
だが、シルベだけは席を立たなかった。彼女は、部屋の隅でモフを撫でているアリシアを、じっと見つめていた。
「……シルベさん? どうかされましたか?」
アリシアが不思議そうに首を傾げると、彼女はゆっくりと重い口を開いた。
「アリシアちゃん……少し、時間をいただけるかい? 他の者には聞かせられない……あの方——ゼノス様の過去の話を、あんたにだけは伝えておかなきゃならない気がするんだ」
居間の空気が、一瞬で張り詰めた。
「ゼノス様の……過去のお話?」
「そうだよ。あの方がなぜ『死神』と呼ばれ、心を閉ざしてしまったのか。その本当の理由を知っている者は、この領地であたし含む数人しかいないからね……」
シルベの瞳には、過去の悲劇を映し出すような、暗く深い影が宿っていた。
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