ひゃっほう!な婚約者はお義姉さまのことが好きなんだそうです
初短編です!
よろしくお願いいたします。
私、ルナリアにはとてもとても厄介な婚約者がいる。
同い年の伯爵令息。
キラキラと輝く金髪に、深い青色の瞳。まるで王子様のような容姿をした彼は、私という婚約者がいても、多くのご令嬢に人気である。
そんな彼、ノアは現在私の目の前でニコニコと笑いながら紅茶を飲んでいる。
彼がこんなふうに笑っている時はろくなことがない。さっさと自分のティーカップに入っている紅茶を飲みきってずらかろうとした私だったが、それは失敗に終わった。
「ねぇ、ルナリア」
私の思考を読み取っているかのように発された優しい声に、私はピシッと動きを止める。
おそるおそる彼の方へ視線を上げると、より一層笑みを深くした彼がこちらを見つめていた。
私の視線が彼に向いたことに満足気に目を細めた彼の形の良い唇が開く。
「僕と一緒に短期留学しようか」
「は?」
レディーらしからぬ声が出たことをどうか許してほしい。
大変困ったことに私の婚約者殿はひゃっほう!な人間なのだ。
「冗談?」
「いや、本気だよ」
「冗談って言って。お願い」
「本気だってば」
頭を抱える私の目の前であははと気楽に笑う彼をどうすればいいのか。
「そもそも短期とは言え、留学なんて今できるわけないじゃない」
「どうして?」
私の苦々しい言葉に彼はこてんと首を傾げる。
頼むから可愛らしい仕草をしないでほしい。私より様になっているのがとても気に入らない。
「あのね、ノア。私たち、あと2ヶ月で貴族学園を卒業なうえに、あと3ヶ月で挙式なのよ? どこに留学する時間があるわけ?」
「きっとどうにかなるよ」
なるわけないだろ、あほ。
どこまでも能天気なノアの言葉にこめかみを押さえてため息をつく。
こいつは本当に私と結婚する気はあるのだろうか。
ノアは昔からこうだった。
ある日突然素っ頓狂なことを思いついて、私を振り回していく。
彼が思いつくことは全て、「お前は本当に貴族令息か?」と聞きたくなるほど斜め上の行動で、もしかすると私が彼にそんな影響を与えてしまったのかもしれない。
いやでも、彼自身の問題だ……多分。
そんなこんなで彼に振り回されながら、まあそれなりに良好な関係を築いてきた私なのだが……
「……はぁ。そんなに留学に行きたいなら、一人で行けばいいじゃない。それかあの人と」
「あの人?」
ため息とともに発された私の言葉に、きょとんとする彼に少しだけ苛立ちが湧く。
どうにかその苛立ちを抑えて私は口を開いた。
「ローズお義姉さまのことよ。好きなんでしょう?」
「彼女に【婚約者の姉】以上の感情は持ち合わせていないけど」
「白々しいわ。何度も言うけど別に私に構うことないのよ」
困ったように眉尻を下げて私の言葉を否定する彼にまたしても苛立ちが募る。
ローズは私の同い年の異母姉にあたる。
簡単に言ってしまえば、彼女は正妻の娘で私は妾の娘。
私の母が病死する前に幼い私の先行きを心配して実父に私の存在を明かしたことで、私はリュゼーヌ公爵家に引き取られた。
正妻であるお義母さまは私の存在を手放しで歓迎できなかったようだが、ローズお義姉さまは優しく私を受け入れてくれた。
そんな娘の態度に感化されたお義母さまも、今ではローズお義姉さまと私を対等に扱ってくれる。
ローズお義姉さまには感謝している。
リューゼル公爵家で貴族令嬢としての教育を受け、衣食住に困ることなく暮らせているのは彼女のおかげである部分も多い。
でも、私はほんの少しだけ彼女が苦手だ。
彼女の赤い瞳は実父の瞳と色味がよく似ていて、そのせいかもしれないがどこか【利用対象】として見られているような気分になるからだ。
まあでも多分気のせいである。きっと利益を追求する実父への苦手意識が抜けないだけだ。
ローズお義姉さまはとても美人なうえまるで聖母のような性格であることから、想いを寄せる令息は後を絶たない。
彼女と幼い頃から交流がある高位貴族令息はこぞって彼女に傾倒しているのがいい例だ。
そして、私の婚約者かつ私とローズお義姉さまの幼馴染でもあるノアもその一人。
「責めてるわけじゃないわ。お義姉さまが素敵な方だってことは私もよく知ってるもの」
「ルナリア」
「あ、でもノアは私と婚約しているせいで表立ってアプローチできないわよね」
自分が握りしめているティーカップに視線を落としながら言葉を吐いた。
まるで咎めるようにノアが私の名前を呼んだが、それに構うことなく私は言葉を続ける。
「もういっそのこと婚約を解消しましょうか」
「ルナリア。一旦黙るんだ」
久しぶりに聞くノアのいつもより低い声にぱっと顔を上げると、先程までの笑みを跡形もなく消してこちらを無表情に見据える彼がいた。
「ノア……」
「婚約解消はしないし、予定通りに挙式もするよ。短期留学のことは、まあ婚前旅行だと思って。ね?」
私が彼の名前を呟いた次の瞬間にはいつもように笑みを浮かべたノアは、楽しそうに言う。
彼の雰囲気がもとに戻ったことにほっと胸を撫で下ろしながらも私は口を開いた。
「短期留学は行かないわよ」
「またまたぁ、そんなこと言ってるけど本当は?」
「行かない」
「えー」
頬を膨らませて分かりやすくふてくされるノアをガゼボに残して、私は屋敷に帰るのだった。
***
「あなた、ノアと短期留学に行くんですってね?」
「お義母さま……」
家族揃っての夕食で、向かいに座る義母が発した言葉にうなだれる。
どうやらもう根回しはされていたようだ。
「そうなの? いいわね、とても楽しそう」
「お義姉さま……あと2ヶ月で卒業なのに、今更すぎるわ」
「でもルナリアもノアももう単位は取得できてるのでしょう? だったら卒業式までなら良いんじゃないかしら」
「それは……」
ほがらかに笑いながら言うローズお義姉さまに反論する言葉が見当たらない。
けれどローズお義姉さまだって知っているはずだ。ノアがローズお義姉さまのことを好きだってことを。
だって私がノアが彼女のことを好きだと知ったのは、ノアから彼女に宛てた手紙を見てしまったからなのだから。
それは今から半年ほど前のこと。
ローズお義姉さまの部屋を訪れていた私は、彼女が庭園に花を摘みに行ってる間に彼女の机の上に開封されて置かれていた手紙の差出人がノアであることに気づき、好奇心に負けて見てしまった。
そこに書かれていたのは確かにノアの筆跡で書かれた愛の言葉だった。
そうして私のほのかな恋心は無惨に砕け散ったものの、妾の子である私が伯爵令息であるノアとの婚約を破棄するなど実父が許すはずもなく、挙式まで4ヶ月となってしまったのだ。
「……リア、ルナリア? 聞いているの?」
「え……あ、すみません。お義母さま」
「全くもう、ぼんやりするのはよしなさい。結局短期留学は行くの?」
「えっと……」
義母の質問に言葉をつまらせる。
できれば行きたくない。
ここ最近だってずっと、どうにか気持ちを押し殺してやり過ごしているのだ。
もちろん、ローズお義姉さまに宛てられた手紙を覗いてしまった私が悪いのは分かっている。あそこで好奇心に負けなければ、なにも知らずに彼と過ごせた。
だけども、見てしまった事実は変わらない。
こんな状態で今以上に一緒にいる時間が増える短期留学なんて行けるはずもない。
けれど現実とはそれはまあ残酷なもので__
「行きなさい、ルナリア。お前の母親と約束をしてお前を育てると言った期間はお前が学園を卒業するまで。ここで彼との仲を深められずに万が一にでも婚約破棄にでもなったら、お前の戸籍は平民に戻るぞ」
「…………はい、分かりました」
重々しい実父の言葉に自然と息が詰まる。
彼の言う事は、ノアと婚約を交わしてからずっと言われ続けてきた言葉だ。
幼い頃に引き取られて、貴族令嬢として育てられた私はきっと平民として生きていけない。なぜなら私が持っているドレスも宝石も、全てこの家のものなのだから持ち出すことは叶わない。
一銭も持っていない元貴族令嬢の先に待っているのはきっと野垂れ死ぬという結果だ。
だから私はノアがローズお義姉さまを好きだと知っていて、彼に婚約解消を提案するくせに私から婚約破棄をすることはない。
そしてノアが婚約解消に同意しないことに安心している。
(……嫌になってくるわ)
鬱々とした気持ちのままフォークで突き刺した鶏肉を口元に運ぶ。
結局夕食はあまり食欲が湧かず、半分も食べ切れないまま短期留学に行くことが確定してしまった。
***
「ルナリアが短期留学の誘いを受けてくれてよかったよ」
「受けるも何もお義母さまに根回ししたくせに」
「なんのこと?」
私の恨みを込めた呟きを白々しく躱すノアに大きくため息をつく。私とノアは貴族学園の敷地内の庭園を歩いていた。
ひゃっほう!な提案をしてくるからひゃっほう!な頭をしているかと思いきや、その提案をのませるためならば手段を選ばず着実に外堀を埋めてくる辺りが本当に面倒くさい。
そう思っているというのに、そんな面倒くささすら受け入れてしまっているあたり私も重症である。
本当に、なぜこんな奴を好きになってしまったのか。やはり、この無駄にキラキラと発光する顔面美の影響かもしれない。
そんなことを思ってしまうほど彼の顔立ちは美しすぎる。
対する私の顔立ちは良く言えば『優しそう』、悪く言えば『目立たない』。
母が違うとは言え、ローズお義姉さまは周りの視線を引きつける美しさだと言うのに一体何なのだ、この差は。
私がノアと並んでいる時の周りの反応は『いつも通り、ノア様は美しい……』なのに、ローズお義姉さまが彼と並ぶと『なんてお似合いの二人なんだ』という反応に変化するのだ。
……なんだか悲しくなってきたので、この話は深堀りしないことにする。
「ルナリア? どうかした?」
「いえ、なんでも」
自分で思い出し、自分で傷つくという愚かな行為を繰り広げていた私は、ノアに声をかけられてはっと正気に戻る。
「そっか……ねぇ、ルナリ__」
「ルナリア。ここにいたのか」
ノアよりも幾分か低い声が私たちの後ろから響き、ノアの声が遮られる。
振り向いてみるとそこには真っ黒な髪をした青年、ルーシャスがいた。
「ルー。どうかしたの?」
最近ノアと二人きりでいるのが少しだけ苦痛なので、突然現れた子爵令息兼幼馴染であるルーシャスの存在に私はほっと胸を撫で下ろしながら言う。
「ミアがルナリアを探していたから、手分けして探していたんだ」
「ミアが?」
「あぁ、なぜか泣きべそをかいてたから放って置くわけにもいかなくて」
「あら、大変」
ミアはルーシャスの婚約者であり、私の親友でもある。
婚約者が泣いているとなればルーシャスも無視するわけには行かず、私を探しに赴いてくれたらしい。
「ミアは今どこに?」
「西棟の方を探しに行くと言っていたぞ」
「それじゃ、そっちに向かわなきゃね」
私の言葉にちらりとノアを見たルーシャスは軽く頭を振りながら口を開いた。
「でもノアと話していたんだろう。ミアにはそう言うから気にしなくていい」
そんな言葉を受けて私はくるりとノアを振り返る。
ノアはいつも通りの笑顔を浮かべながら口を開いた。
「僕は大丈夫だよ。もう少しで留学に行くからミアともしばらく会えなくなるわけだし、会ってきなよ」
「本当? ありがとう、ノア」
「すまない、ノア。ありがとう」
にこにこと笑うノアにルーシャスとともにお礼を言って、西棟へと歩き出す。
数歩歩いてから『そういえば』と思い出し、足を止めて後ろを振り返る。
「さっきなにか言いかけてわよね、ノア」
「え?」
振り向きざまに発された私の言葉にノアは少し目を見開いて言葉を漏らす。
「上手く聞き取れなくて……なんて言っていたの?」
「……いや、なんでもないよ」
私の質問に静かに返したノアは目を少し伏せながら柔らかく笑う。
なんだかいつもとは違う笑い方だ。
なにか見落としている気がして言葉を重ねようとしたが、その前にいつもの笑い方にもどったノアに「早く行ったほうがいいんじゃない? ミアが大泣きになっちゃうよ」と言われてしまったので、結局なにも言わずに再びルーシャスと西棟へと足を向ける。
ルーシャスと話しながら早足で西棟へと向かう私は、ノアが笑みを消し去って私たちの背中を見つめていただなんて知る由もなかった。
***
「ルーナーリーアー!!」
「ミア、一体どうしたのよ?」
西棟の廊下の角を曲がると廊下の先にいたミアがふわふわの金髪を揺らしながらものすごい勢いで抱きついてくる。
思いのほか勢いが強いミアの抱擁で後ろに倒れそうになるが、私の後ろを歩いていたルーシャスが軽く私の背中を抑えてくれたおかげで倒れずに済んだ。
「気をつけろ、ミア。自分の怪力ぶりを忘れるな」
「こんな可愛らしい婚約者に怪力ですって? 信じられない!」
「まあまあ、落ち着いてミア。それで、どうしたの?」
ルーシャスに向かって毛を逆立てた猫のように威嚇するミアの背中を撫でてなだめる。
ころころと表情が変わるミアは私の質問にはっと我に返り、それまでの威嚇するような表情から一転して今にも泣き出しそうな表情になった。
「留学に行っちゃうってほんとなの!?」
「えぇ。まあ2ヶ月にも満たないけれど」
「2ヶ月!?」
私の言葉に絶叫したミアに思わず自分の耳を塞いだ。
「2ヶ月もルナリアに会えないなんて、私死んじゃうわ!!」
「それぐらいで死なないだろ」
「ルーうるさい!!」
悲嘆に暮れる声からシャーッ!! と猫が威嚇するような声になったミアは、「俺が探してきてやったのに……」と不満を呟くルーシャスを置いて瞬く間に再び悲嘆に暮れる声に戻る。
「本当に、本当に行っちゃうの?」
「えぇ」
「そんなのいやぁ!!!!」
「うぐっ」
今まで以上にきつく抱きしめられ、思わずカエルの鳴き声のような音が喉から出てくる。
私よりも背丈が低く、華奢でほっそりとしたこの腕からどのようにしたらこんな馬鹿力が生まれるのだろうか。
「おい、ミア。緩めてやれ、そろそろルナリアが折れる」
「え? あ、ごめんルナリア!」
「折れはしないけど……とりあえず落ち着いて、ミア」
ルーシャスの言葉にハッとしたミアはものすごい勢いで私から手を離し、一歩距離を取る。
ようやく解放された私は一旦深呼吸を挟んでからミアを見た。
ミアは青色の瞳をうるうると涙で潤ませながらこちらを見ている。
「短期留学はノアが提案したことだけど__」
「ノア絶対許さない、私からルナリアを2ヶ月も取り上げるなんて!」
「はい、落ち着いて。お父様が一緒にいかなきゃだめっていうの。仕方ないから一緒に行ってくるわ」
「そんなぁ……」
私はえぐえぐと涙を流して悲嘆に暮れるミアを軽く抱きしめて口を開く。
「ちゃんと手紙を書くわ。あなたに死なれたら困るもの。だから、ね?」
「1日に一通くれる?」
「……それはちょっと……1週間に一通でどう?」
「3日に一通で」
「…………わかったわ」
これ以上は譲れないという意思がほとばしるミアの言葉に、仕方なく頷く。
2ヶ月間にわたって3日に一通手紙を出すとすれば20通ほど書かなければならないが、これでもミアなりに譲歩した結果なので良しとする。60通書くよりは大分マシだ。
***
「来たね、隣国!」
「えぇ、そうね」
そんなこんなで短期留学が始まり、早朝から乗り込んだ船から下りてみればそこは自国とはまったく違う匂いで満ちる港だった。
望んでいた短期留学が始まったからなのか、ややテンションの高いノアはうきうきと港に並ぶ露店の店先を眺めて回っている。
「ルナリア、ルナリア! こっち来て!」
先を歩いていたノアに手招きをされてそちらに向かってみると、そこには色とりどりの水晶が流麗な細工を施されアクセサリーとして並んでいた。
「綺麗……」
思わずそんな言葉がこぼれた。
港の眩しく陽気な日光でキラキラと光り輝くアクセサリーはどれも洗練されたデザインで、格式高い商店ではなく、露店で売っているものとは到底思えない。
「この色、ルナリアによく似合う」
「え?」
「ほら、これ。ルナリアの瞳の色だ」
ノアが指し示したのは深い紫色の水晶がはめ込まれたブローチだ。
確かに私の瞳は紫色だが、こんなにも鮮やかな色だっただろうか。私の容姿は薄い茶髪に少し彩度の低い紫色の瞳だったはずだ。
戸惑っている私に気づいていないのか、ノアはそのブローチを手に取って私の顔の横に並べる。
「ほら、やっぱり。よく似てる、綺麗だよ」
へにゃりとノアが表情を緩ませて断言するものだから、一気に恥ずかしくなって私はそっぽを向き、他のアクセサリーを見るふりをする。
頬に熱が集まっている気がしたが、ここが自国よりも温暖な場所だからだと自分を丸め込んだ。
「お、兄ちゃん。それ、買うかい?」
「はい」
露店の店員の質問にノアはにこにこと笑いながら即答する。
思わず目を剥いて彼の方を見てしまうが、彼は構うことなく会計を始めていた。
(いや、私に似合うと言ったからって私へのものとは限らないし……いや、ノアが持つのもなんか違うけど……)
ぐるぐると余計なことを考えてしまうのは、きっと未だにノアへの恋心を捨てきれないからだろう。
どうにかして意識を切り替えた私は店先に並ぶアクセサリーを見渡す。
「あ……」
私の口からこぼれ落ちた呟きは活気盛んな港の市場の喧騒に溶けていき、隣で会計をしているノアにも聞こえなかったようだ。
私の視線の先には小ぶりな水晶がはめ込まれたネックレスが置いてある。キラキラと輝くその他のアクセサリーの中でひときわ強く輝くその水晶の色は__
(ノアの瞳の、色……)
心の中でそんなことを呟きながら無意識で腕を伸ばしていた私は、ハッと我に返って即座に腕を元の場所へ戻す。
(なにやっているの、私! 未練がましいにもほどがあるわ!)
心の内で大騒ぎしながらも、それを外に出さないように気をつけていると、会計が終わったらしいノアがこちらを振り返った。
「ルナリアは? なにか買うものない?」
「え、えぇ。大丈夫よ」
「そっか。ちょっといい?」
「え?」
私の疑問混じりの声を無視してノアは少し身をかがめて私の服の首元でなにやら手を動かしている。
少し考えれば買ったばかりのブローチをつけてくれているのだと思い至るのだが、私は目の前いっぱいに広がるノアの顔面にそれどころではなかった。
気候のせいにできないほど頬に熱が集まり、頬が赤くなっているであろう事実を突きつけられる。
それに加えて耳まで熱い気がするのだからたまったもんじゃない。
「出来た、一緒に留学に来てもらったお礼だよ」
「……ありがとう」
姿勢を直してこちらを見ながらふわりと笑った彼に、喉から絞り出すようにお礼を言う。
「さ、行こっか。今日中に王都を全部見て回りたいからね」
「……は!? それは流石に無理じゃない!?」
突拍子のないノアの言葉に思わず大きな声が出る。
「行ける行ける。なんとかなる」
「……いやいやいや」
なるわけないだろ、あほ!!!!!!
心の中でそう叫んだ私は、目を白黒させたままノアに腕を引かれていくのだった。
***
「……困ったわね」
すっかり夜になり、街では建物から建物へと張られた糸に吊るされたランタンたちがぽぅっと暖かい光を放っている。
お酒を嗜んでいる人が多いからか昼よりも活気に溢れた通りを歩きながら、私は呟いた。
陽気に談笑する人々の中で一人できょろきょろとあたりを見渡しながら歩く私はとても浮いている。
そう、私は一人で歩いている。
それでは一体なぜ一人なのか。
答えは簡単。ノアとはぐれた。
人混みによってノアとはぐれてから10分ほど経ち、その間私はずっと歩き回っている。
はぐれたところで待機していたら良かったと言うなかれ。
ルーシャスによると私は【押せばいけそう】な雰囲気があるのだとか。そのせいで街に平民の格好で繰り出すたびに色々な人間に話しかけられた。
怪しい壺を売りつけてくるお婆さんや、めちゃくちゃ軽いナンパ男に、たちの悪い商売の提案をするおじさんなど数えだしたらきりがない。
ノアとはぐれた直後にまるでカモに照準を合わせるような視線にさらされた私は面倒を察してそそくさと退却することにしたのだ。
そうして街の通りを歩いていると迷ってしまい、自分のドジさ加減にいっそ泣いてしまいたい。
「お嬢ちゃん、どうしたの? こんなところに一人で来たら危ないわよ」
背後から甘い香りとともにそんな声が響き、後ろを振り返ると妖艶に微笑む美女がそこには立っていた。
彼女の服装や容姿は私でもドキッとしてしまうほど色気に満ち溢れている。
「道に迷ってしまって……通りから来たのですが、初めてこの街に来たので道がわからなくって……」
「あら、そうだったの。ここらへんは娼館が立ち並んでるから、お嬢ちゃんみたいな可愛い子ちゃんには危ないわよ。店に入れるほどのお金を持ってない奴らがうじゃうじゃしてるから」
お姉さんの言葉にびっくりして周りを見渡すと、確かに先程までいた街とは雰囲気が微妙に違う。
お姉さんが声をかけてくれなかったらどうなっていたのか、と想像してゾクッと身を震わせる私を見つめていたお姉さんが口を開いた。
「ちょうど今は暇だったし、街の通りの近くまで連れて行ってあげるわ」
「え、いいんですか?」
「えぇ」
お姉さんの提案にありがたくのらせてもらうことにした私は、彼女と一緒に歩き出した。
***
「はい、あそこの角を曲がれば通りに出れるわ」
「本当にありがとうございます、助かりました」
「余計なお世話かもしれないけれど、お嬢ちゃんみたいなお嬢様を狙う輩は通りにもいるんだから気をつけてね?」
心配そうに眉を下げた彼女の言葉に私は目をパチクリとする。
「……お嬢様だってわかりやすいですか?」
「えぇ」
「そうですか、気をつけます」
「まあ私が元お嬢様だから分かったのかも」
楽しげに口元をほころばせたお姉さんの言葉に妙に納得する。
確かに彼女の所作は洗練されていた。
「驚かないのね?」
「お姉さんの所作が上品でしたから」
「あら、嬉しい。私はお家が借金を背負って没落しちゃったから娼館で働いているのよ。私の勤めてる娼館は結構同じような境遇の子が多いわ」
大変であっただろうに明るく話すお姉さんに驚きながら、私は無意識に口を開いていた。
「私でも、お姉さんたちのように生きていけますか?」
「私たちのようにって……娼婦ってこと?」
「はい」
私の質問に目を見開いたお姉さんは、私の方をまじまじと見つめる。
「あなたの容姿とその所作なら出来ないことはないと思うけど……あまり強くおすすめできるものでもないわ。娼婦って仕事に拒絶が抜けなくて精神を病んでしまう元令嬢も少なくないから……」
「そうなんですか……」
お姉さんの真剣な声音と表情に、自分の質問が恥ずかしくなってくる。
けれどお姉さんは次の瞬間にはパッと笑って言葉を続けた。
「でも事情は知らないけれど、あなたなら平民になってもなんとかなる気はするわ。あなたとってもパワフルで素敵だもの」
「! ありがとうございます!」
とても心強い言葉に浮足立つようにお礼を言っていたその時__
「ルナリア!!!!」
大きな声が背後から響いてグッと後ろに腕を引かれる。
「ノア!」
後ろを見ると息切れして肩を上下させるノアが、王子様然とした綺麗な顔立ちに汗を滴らせて私の腕を掴んでいた。
「はぐれちゃってごめ__っ!」
「良かった、見つかって……」
ノアに謝罪を言いかけた私は息を呑んで固まる。
なんと彼が私を抱きしめ、耳元でそう呟いたからだ。
全身茹でダコのように真っ赤になる私に、抱きしめている彼が気づいていないことだけが救いだ。
「あらあら……心配無用だったみたい」
後ろから聞こえたお姉さんの声にハッとしてノアの抱擁から逃れる。
「本当にありがとうございました」
「ルナリア、この方は?」
「ここまで道案内してくださったの」
ノアの疑問に彼の方を見ないようにしながら答えるとお姉さんはニマニマと笑いながら口を開いた。
「えぇ、この子娼館が立ち並ぶような治安の悪いところに一人で歩いていたから、心配になってね」
「ルナリア!?」
絶叫に近い声でノアが私の名前を呼びながら私の顔を覗き込む。
即座に彼の視線から目を逸らした私を彼は凝視し続けながら口を開いた。
「ちゃんと周りを見て、危ないところには行かないようになんっども言ってるよね?」
「いや、その……まぁ、そうなんだけど」
「ルナリア?」
「はい、ごめんなさい」
いつもひゃっほう!なくせしてしっかりしているところはしっかりしているノアに凄まれた私は、素直に謝ることにした。
ノアは深くため息をついてお姉さんのほうへ向き直る。
「ルナリアを保護していただき、ありがとうございました。なにかお礼でも……」
保護という失礼極まりない言葉になにも言い返せないのが悔しい。
お姉さんはそんなノアの言葉に苦笑した。
「良いのよー、楽しくお話できたしね。今度は迷っちゃだめよ、ルナリアちゃん」
「はい、ありがとうございました!」
ひらひらと可憐に手を振ったお姉さんは来た道を戻っていく。
二人きりになり、ノアとの間に沈黙が流れ込むと、いたたまれなくなった私はおずおずと口を開いた。
「その……本当にごめんね」
「いや、僕こそごめんね。とにかく無事で良かった」
ふわりと笑うノアに一瞬見惚れてしまった私はサッと目を逸らして頷くのだった。
***
短期留学が始まって早くも1ヶ月が過ぎ去り、残すところはあと2週間になったある日。
それは私のもとへ届いた。
「え? 手紙、ですか?」
ノアとともに隣国の貴族学園に一時在籍している私は、寮の個人部屋に入ろうとしたところをクラスメイトに呼びかけられ、目を丸くする。
私を呼び止めたクラスメイトはにこにこと笑いながら手に持っている手紙を私に差し出した。
「はい。宛名が書かれていないですが、差出人の名前が『ローズ・リュゼーヌ』と書いてあったので……ルナリアさんの親戚の方かと」
「え、えぇ。ローズは私の姉です……届けてくださってありがとうございます」
「いえ、偶然受け取っただけなので!」
人の良さそうな笑みを浮かべたクラスメイトは元気よく言うと、廊下を去っていった。
一人ぽつんと残された私は、手に持った手紙をまじまじと見つめる。
宛名は書かれていないが、『ローズ・リュゼーヌ』という差出人の名前は確かにローズお義姉さまの筆跡だし、封蝋の印章は彼女を表すバラの形なので、ローズお義姉さまがこの手紙を書いたことに間違いはない。
留学してからというもの、膨大な数の手紙を送ってくるミアと違って一度も手紙のやり取りをしていないローズお義姉さまから手紙が来るなんてどうしたのだろう? と思いながら自室に入って手紙の封を切る。
この時、この学園にはローズお義姉さまが手紙を宛てる相手がもう一人いることに気づくべきだったのだ。
けれどなぜかこの瞬間、彼の存在が頭から抜けていた私は性懲りもなく手紙を読んでしまった。
パサリと手紙が床に落ちる音が果てしなく遠くに聞こえる。
手紙を落としてしまった手はみっともないほど小刻みに震えていた。
全身から熱が一気に引いたような心地になり、力が抜けて膝からへにゃりと崩れ落ちる。冷たい床に座り込んでいるはずなのに、床の冷たさなんて微塵も感じなかった。
ただ、ただ目の前が真っ暗で、身体にぽっかり穴が空いてしまったような気がした。
『ごめんなさい、あなたの求婚には応えられないわ、ノア。これからも仲の良い幼馴染でいましょう』
流麗な義姉の字がぐにゃりと歪んで見えた。
ポタリ、と音がして初めて私は自分が涙を流していることに気づく。
ノアがローズお義姉さまに想いを寄せていても、耐えられると思っていた。
私が想いを抑えれば友人として夫婦になって、互いを支えていける良い夫婦になれると思っていた。
でも、彼が望んでいるのはローズお義姉さまだとしたら?
私との夫婦関係なんて本当は望んでないとしたら?
ただの義務感だとしたら?
そう、だとしたら__
「これ以上は、だめよ……」
小さな呟きが静かな部屋に溶けていく。
震える足を叱咤して机へと向かう。机の一番上の引き出しを開けてそこから1枚の紙を取り出した。
婚約破棄書。
それは取り寄せたはいいものの、ずっと書く勇気が出ないで引き出しに眠らせていたものだ。婚約破棄は成人していれば保護者のサインは必要ない。そして私は3ヶ月前に成人している。
義姉と違って癖のある字で自分のサインをそれに書く。その癖字すら今は惨めだった。
私の名前が記された婚約破棄書を眺めて深呼吸をする。
___あなたとってもパワフルで素敵だもの
留学初日にお姉さんが言ってくれた言葉を思い出す。
きっと大丈夫、あんな素敵なお姉さんがそう言ってくれたんだもの。
貴族じゃなくなっても、ノアがいなくても、私は一人で生きていける。
だから、もう大丈夫。
頬を伝う涙を無視して、私は無理やり口角を上げてみせる。
きっと明日になってしまえば決意が鈍ってしまうから、今行動するしかない。
婚約破棄書を手に持って鏡台の前の椅子に腰掛ける。
いつもは最低限しかしていないメイクを制服姿と浮かない程度にきちんと施す。
婚約破棄をして、2週間後に卒業を迎えればあの冷酷な実父は今まで言っていた通り私の戸籍をリューゼル公爵家から抜くだろう。そうすればノアに会える機会なんて二度とない。
だから残る数少ない機会だけども、ただ、ノアの瞳にきれいに映っていたかった。
どこまでも諦めきれない愚かさと、ずっしりと重たい婚約破棄書を持って私は部屋を出るのだった。
***
「……ルナリア? こんな時間にどうしたの?」
彼の寮の自室の扉を軽くノックすると、すぐにノアは出てきた。
扉の前に立つ私に驚いたように青い目を見開いた彼の優しい声に心臓がズキリとする。
「少し、話があって……今いいかな?」
「え? あ、うん。大丈夫だよ。入って」
ノアに促されて彼の部屋の中に入る。
彼の部屋にはローテーブルと椅子が二つ置いてあって、私はその片方に腰掛けた。
彼は少し戸惑ったような表情で向かい側の椅子に座った。
「……お茶、淹れようか?」
「ううん、大丈夫。すぐ終わるから」
おずおずと提案してきた彼ににっこりと笑いながら返す。
綺麗に、貴族令嬢らしく笑ったはずなのに彼はそんな私を心配そうに見つめていた。
「こんな時間にここに来たのはね、これを渡すため」
「これ……?」
頭に疑問符を浮かべるノアに苦笑しながら、手に持った婚約破棄書をローテーブルの上に差し出す。
視線を落としてノアはそれを見つめた。
彼は動きを止めて、じっとそれを見つめ続けている。
「……ノア、婚約を破棄させてください」
心臓の痛みを無視して、静かに言う。
もしかしたら、平民になっても彼と手紙のやり取りぐらいならできるかもしれない。そんな浅ましい希望を抱きながら。
婚約破棄書を見つめていたノアはゆっくりと顔を上げる。
彼の顔はごっそりと笑みが抜け落ちていて、そんな彼の気迫に少し圧されてしまう。
「ノア……?」
「…………婚約破棄したら、ルナリアは平民になるんだよ? 貴族令嬢として育った君が突然平民になるなんて、危なすぎる」
なんだ、彼は知っていたんだ。
私が彼と結婚できなければ戸籍が平民に戻るということを。
妙に納得した。
半年前から何度も提案してきた婚約解消に一度も彼が同意しなかった理由。
きっとそれは、私を心配してくれたから。
なんで、こんなにも優しいんだろう。
でも、きっとその優しさを受け入れたら、一生後悔する。
彼の人生を縛ってしまったことを私は一生許せなくなる。
だから__
「大丈夫よ。なんとかなるわ」
「なんとかなんて___!」
「いつも、ノアが言っていることでしょう? 『なんとかなる』『どうにかなる』って」
「それは、そういう意味じゃ__」
それはそういう意味じゃない。
ノアがそう言おうとするのを私は遮るように再び口を開いた。
「娼婦に、なろうと思うの」
「……は?」
「だって私、金品は持ち出させてもらえないでしょう? きっと持っていけるのはこの身だけ」
「……」
ぽかんと口を開けて呆然としているノアを置いて、私は言葉を続ける。
「留学初日に道案内してくれたお姉さん、娼婦の方だったの。彼女にいろんな話を聞いたし、その後もいろいろ調べてみたの。元お嬢様の娘は高級娼館に雇ってもらえることが多いらしくって、そういった娼館なら娼婦の待遇も悪くないみたい。娼館に借金がないのなら貯金が溜まればすぐに退職できるらしいし……」
「だから……娼婦になるって言うのか?」
「えぇ、きっとなんとかなるわ……いいえ、なんとかする」
震えて掠れた声で言うノアにそう答える。
口に出してしまえば、なんだか自信が湧いてきた。
「フッ……ハハ、アハハハハ!」
「ノ、ア……?」
顔を右手で覆ったノアが突然笑いだし、意味がわからない。
こんなふうに笑うノアを初めてみた。
ひとしきり笑ったノアはふーっと深呼吸をして、顔から右手を離す。
私を見据える彼の目に思わず息を呑む。
いつもは凪いでいる海のように穏やかな瞳は、昏くて、それでいて燃えているような色を宿していた。
無表情だった彼はにこっと笑みを浮かべて口を開く。
「ルナリアが娼婦になるって言うんだったら、僕は君を買うよ」
「買う……?」
「そう、君を身請けする。君が拒んだとしても、店を言いくるめて君を買う。それで君を僕の妻にする」
「な、なんでそんなこと!」
大きく口を開けて、大きな声で叫ぶ。
ノアが何をしたいのか、まったくわからなかった。
対するノアはどこか恍惚と満足げに笑っている。
「結果は変わらないよ。婚約を続けて予定通り結婚するか、君が一度娼婦となってから結婚するか。過程が違うだけだ」
「変わらないって……」
結果が変わらなければ意味がない。
私がノアと結婚してしまえば、なにも変わらないのだ。
ノアはローズお義姉さまに真っ当に想いをぶつけることが叶わず、私はノアへの想いを捨てきれずに苦しみ続ける。
彼が私に同情するせいで、彼の幸せを邪魔し続けることになるなんて、そんなの__
「わかった? ルナリア、君は僕と結婚するしかない」
「……んで……」
「……ルナリア?」
私の小さい声に反応して、ノアがこちらを覗き込む。
どこかいつもと違う雰囲気なのに、私を気にかけるところは変わらない彼が大好きだ。
きっと、私はずっと彼のことを想い続ける。
そうして、報われない想いを抱え続けて彼の隣で、彼が義姉を想うのを横で見続けるなんて……
(あぁ、婚約破棄は、彼のためじゃなくって、私のためだった……)
彼の幸せだとか、彼の自由だとか思っておきながら、本当は義姉を想う彼の隣に居続けるのが辛いから逃げたいだけだった。
どこまでも自分勝手で、どこまでも醜い。
そんな私からこぼれ落ちたのは、頬を伝う涙と言葉だった。
「……なんで、そんなことするの?」
「え?」
「……そんな惨めな想い、させないでよ……」
「っ!」
涙と一緒にこぼれ落ちた言葉にノアがこぼれんばかりに目を見開く。
続いて彼の口から出た声は、聞いたことがないほど大きくて、痛々しいものだった。
「惨めな思いなんてさせないっ!! 君が欲しいものも、やりたいことも、全部全部叶えるよ!! 優しくするし、君のためなら何でもする、何でもあげる!」
「ノ、ア?」
椅子から立ち上がって、振り乱れるように言葉を重ねる彼に私の声は届いていないようだった。
「僕が差し出せるもの、全て君にあげるから、隣にいてよ!! 隣で笑ってくれていれば良いんだ、なにも愛をくれなんて言ってないだろう!!」
「あ、い……?」
「僕を利用すれば良いんだ、貴族令嬢で居続けるために! 僕と結婚すれば今まで通りの生活ができるのに、なんで婚約破棄なんて言うんだよ! そんなに……そんなにルーシャスに操を立てたいのか!?」
「ルー? なんで、今ルーのこと……」
突然彼の口からこぼれ落ちた幼馴染の名前に目を見開く。
ようやく私を見た彼は今にも泣きそうな表情で口を開いた。
「ルナリアは僕がローズのことが好きだからって言って、婚約解消を持ちかけてきたけど……本当はルーシャスのことが好きなだけだろう?」
「ちがっ、私ルーのことなんてなんとも思ってない!」
「嘘つかなくていいよ、それをわかったうえで君と結婚するつもりだったんだから」
「嘘じゃない! 嘘ついてるのはノアの方でしょ! ローズお義姉さまに求婚したくせに!!」
泣き叫ぶように大きな声でそう言えば、ノアの動きがピタリと止まる。
「求婚……? 僕が、ローズに? 何言ってるの?」
「何言ってるの? って……私知ってるんだから。ローズお義姉さまからあなたに宛てられた手紙を見たんだもの」
「手紙? いや、それより……僕はローズに求婚なんてしてない。それどころか彼女のことを好きでもない」
「嘘よ!」
「嘘じゃない」
彼のルナリアは一体何を言ってるんだ? という顔つきが妙に苛立って叫ぶように声を出した。
「あなたからローズお義姉さまに宛てられた手紙も見たわ。『ローズのことが好きだ』って書いてあった!」
「そんなの書いてない! ローズと手紙のやり取りなんてない!」
私の言葉に、悲鳴を上げるようにノアが言う。
「本当になんのこと? 僕はローズとここ数年挨拶ぐらいしかしてないし、ましてや手紙なんて一通も……」
慌てふためくように必死に言葉を重ねるノアを見ていると、だんだん頭が落ち着いてくる。
感情が落ち着いてきた私とは対照的に、未だに混乱しているノアは口を動かし続けていた。
「本当にローズとはなんともないんだ。そりゃ僕の幼馴染たちはこぞってローズに傾倒してるけど、僕はずっとルナリアのことが好きで……」
「好き?」
「あ……」
ぶつぶつと言葉を吐いていたノアの一言にドキっと心臓が飛び跳ね、口からついて出るように彼の言葉を繰り返す。
すると彼ははっと我に返って目を見開きながら顔を真っ赤に染めた。
「私のこと、好きなの……?」
「……………………あぁ、じゃなきゃこんなみっともなく結婚を迫ったりしない」
あ、本当だ。
そう直感的に思った。
そうだ、ノアはいつもひゃっほう!だけどなんやかんや真っ直ぐだった。
私に嘘をついたことなんて、ない。
なのになんで、今までずっとノアが言っていた『ローズを好きじゃない』という言葉を信じられなかったんだろう。
伝えなきゃいけない。彼に私も伝えなきゃ。
震える唇を動かしてどうにか言葉を紡ぎ出す。
「わ、私も好き……」
「……自己愛強めだね?」
「違う!!」
なんでそんな解釈になるんだ!
この流れで「私も私自身のこと好きだよ、お揃いだね」なんて言うはずがないだろう。
顔が真っ赤になっていることを自覚しながら、もう一度声を絞り出す。
「私、ノアのことが好き」
「……嘘だ」
「嘘じゃない!」
「嘘だ、だってルナリアはルーシャスのことが好きだろ?」
ふるふると首を振りながら言うノアに苛立ちが湧いてくる。
「ルーのこと、好きなわけないでしょ! ルーはミアの婚約者なのよ!」
「だから、報われない想いなのかと……」
「ちーがーうってば! 私が好きなのはノア! ノアがローズお義姉さまのこと好きだと思ってたから、隣にいるのが辛くて婚約破棄しようとしたの!」
大きな声でノアに言い聞かせるように叫べば、ノアはみるみるうちに耳まで真っ赤にした。
「ほ、ほんとに?」
「しつこい! ほんと!」
「…………そっか……そっかあ……」
じれったくなって私が乱暴に発した言葉を噛みしめるようにノアがぼそりと呟く。
彼の顔は赤く染まっているけれど、本当に嬉しそうでその表情に心臓がギュンッとする。
心臓がおかしい、と思っているとふわりと彼がよくつけている香水の香りが舞って、次の瞬間にはぎゅっと彼の腕に包まれていた。
「好きだよ、ルナリア。隣にいるの、やめようとしないで。僕の隣で笑っていて」
聞いているだけで切なくなってくるような声で、耳元に囁くものだからこの部屋に来てからというものずと様子がおかしい心臓がとうとう一回転したような気がする。
「……私もノアのこと、好きだよ」
改めて言うのは気恥ずかしくってとても小さい声になってしまったけれど、そんな声量でもきちんと聞き取っていたノアは嬉しそうに笑ったのだった。
そうして、私のとてもとても厄介でひゃっほう!な婚約者は、とてもとても厄介でひゃっほう!な恋人になったのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
答え合わせ的な役目もあるノア視点の短編も投稿しようと思っておりますので、ぜひそちらもお読みいただければ幸いです。
また、作者のほかの連載作品にも足を伸ばしていただければ、本当に嬉しいです!




