その六
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生きるだけ生きて何うするのですか。生きるだけなら卑劣漢でも生き延びるではありませんか。政治家であれば、猿でも恥じる様な嘘を並べ立てて『理解を求めて行きたい』と記者会見で放言するではありませんか。それが人間が生きている姿ですか。生きているだけ、それだけでは人間は『死んだまま』ではありませんか。
生まれてきて、生きてきて良かったと感動に震えるのが本当に生きるという事でしょう。それが人間が生きるという事でしょう。尊厳という言葉から遥か遠い単なる物質的な生命体で終わらず、血潮の通い脈打つ、卑劣に対しては両腕を振るって怒り歯軋りし、そして感動に涙する人間であるべきです。
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もう直ぐ八十七になる母が、いつも私に言ってくれます。
「いつも気にしてくれて、有難う。あたし程幸せな老人は居ないよ」
母は貧しい家に育ちました。結婚後もずっとその質素の習慣を続けざるを得ない家庭でした。昔らしく専業主婦でした。家事全部をし、私を含む三人の子育てをし、そして自分程幸福な者はそうそう他に居ないと心から思っています。
母の言葉や普段の仕草、表情を見ていて私は、人間の完成形、到達すべき点、そういう事を思います。思わずに居られますか。今は亡き父にしてもそうでした。私は人間はここまで達する事が出来るのだという、その生きた手本を眼前に見る事が出来たのです。これ以上の幸運があるでしょうか。私はそれに拠って、
「へっ、そんな事は小説の中だけの話で、実際には在り得ないんだよっ!」
という不信を、最初から免れて生きてくる事が出来たのです。その事実は私を絶望から救いました。私がこの激しい性格で懲役にも行かず死刑にもならず、曲形にも現在人間らしい暮らしが出来ているのは、一に懸かってこの父母の『教え』に拠るものです。私は自分の生き様に父母への感謝を表さずに生きてはいけません。私の場合はそれだけで許されざる罪にして非道の忘恩です。
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何ういう時にあなたは一番強いですか。お金に困っていない時ですか。何か思い切って大きな幸運に恵まれた時ですか。理解者賛同者に取り囲まれていて自分の意見感覚に自信がもてる時ですか。私はこれらの場合、全部私が一番弱くなります。そういう時、私は最も弱いのです。安心出来る時ではありますが。
私が一番強い時、それは私がただ一人の時です。心に私の父の旗を掲げて、運命に向かって独り立つ時です。
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永く貧乏だった人間が何かの間違いで、自由につかう事の出来るお金を結構な額手に入れた時程怖いものはありません。贅沢というものを一度してみようじゃないかとて何か今までに手が届かなかったものに手を出す。すると想像していた程ではないものの、これがしっかお金を出してその対価として得られるサービスなのかと納得します。後は・・・次第にそれが『習慣』になっていくと、まあ斯ういう次第です。
何も従来無かった支出は今後とも一切罷りならぬとまでは言いませんが、これはかなり警戒すべき、警戒するに値する事だと私は思っています。そういうものは、極めて人の心に入り込み浸み込み易いものです。恐がるくらいで丁度良いのだと私は思っています。勝って兜の緒を締めよではありませんが、そういう時、すなわち自らに課していた緊張警戒を緩めても『何うにかなる様になったと思った時』に気を付けて下さい。自分が絶対に陥らない筈の油断が直ぐ傍まで来るのはこの時です。
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