その五
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「私には今まで幸運が来た事が無い、私には幸福がやって来ない」
来ないと思って下さい。だって本当に、多くの人にそれは来ないのですから。幸福は創る、創り上げる、作物の様に育てるものです。広告のチラシみたいに向こうからやっては来るものではありません。でも実はその事がちゃんと分かると、結構向こうからやって来る様になるものですよ。前は全然、来なかったのに。詰まり、『気が付く』、『見える』様になっているのです。
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敢えて言います。幻想と知ってそれを抱いて、現実にそれを打ち砕かれて下さい。本気で抱いていたから猛烈につらいでしょう。けれども暫くしたら、また抱いて下さい。
そうやって、自分は幻想を抱かずには生きていられない存在なのだと知って下さい。その実感在って後に抱く幻想は最早幻想の名に相応しくありません。そういうものを信念と謂うのだと私は思っています。私はその信念無しには生きられない、存在出来ない者です。あなたは違うのですか。
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「此処は私が暮らす町から遥か遠い所なのだ。私は今、何故か其処を歩いているのだ。そして斯んな遠い土地を歩いている私が、いつも暮らしている町を歩いている自分と何も違わない事を思う。私は何処に居ても私のままだ。違う事は無い」
家の近所を歩いていて、私は時々そんな事を想います。それが私の日常です。日常の中に、それに没しない自分が確実に居ます。日常を生きる私を視ているもう一人の私が、確かに居ます。それで良いのだと思います。全部含めて、私は遠い所を目指して歩いている私です。これで私の感覚は私に警告を発しませんから。
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どこどこまでも反省の無い老人。居ますね。何と謂うのか、品位品性の無さが何十年もの下らない生活に拠って、染み付いていると謂うか刻み彫り込まれていると謂うか、そんな顔をした人が。口を開けば酒と賭け事と新聞聞き齧りの知識だけ。まあ、何と嫌なものかと私はその人を見ない様にします。小説の材料には慥かになるのですが。
まあ、如何なる一生境涯を生きて来たのか判らないですから、その醜悪な人相言動だけで全部を判断出来ないのですが、ああはなりたくないという気が強くします。私の知る老人には、もっと『穏やか』で自足した人が多いです。人生後半の人間の相貌そして品性。そういうものは矢張その人の生きてきた一生が作るのだなと改めて思います。私は吾が父の子です。しっかりしなければ。
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