その四
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「老いぼれの良いところはね、死ぬのがそう怖くない事なんですよ」
斯ういう科白を本心から言う事の出来る人を老いぼれとは謂わないでしょう。全然老いぼれていないではありませんか。却って覚悟がもう日常の暮らしの習慣にまで、身体の血肉にまで徹しているではありませんか。
生きる事の苦痛を知り、課された使命を果たす事を終え、その上で衷心から無理無く自分の魂の所属を最早この地上から切り離している。生きていてほしいですね。斯ういう老人には。生きて、そして我々その老人よりも遅れて来る者と付き合ってほしいです。言葉寡なでも、傍に居るだけで尊いものを多く学べるでしょうから。
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五歳八ヵ月の息子が、とても優しい行動を取ってくれます。私がいつもしている干して乾いた洗濯物畳みをいつの間にか見て憶えていて、此方が別の家事をしていて何も言わない間にその作業をしてくれます。また毎晩お布団の中で私に抱き付いてくれますし、最近では膝枕をしてくれる様になりました。そして曰く、
「お父ちゃんが僕に悪い事をしても赦す、謝らない先に許す」
です。
嘘ではあるまいか。私は夢を見ているのではないか。本当にそう思います。私が若い時に斯んな未来を想像出来ただろうか。そう思います。これは絶対に出来なかったでしょう。却ってそう考える事を自らに厳しく禁じたでしょう。馬鹿者と自分を叱ったでしょう。けれども現実は斯うでした。
私は諸々判らないまま、今日も暮らします。でもそんな私に一つ、絶対に忘れてはならない、それが許されない掟が一つ。感謝です。自分の相応しない幸運を受け取った時には感謝あるのみ。それを忘れると今度は罰が来ますから。
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自分に嬉しくない事が起こったら、
「これは私が馬鹿だった事の報いだ。これはあの時私があんな事をした事の罰なのだ」
と心に思う事は多くの場合荒唐無稽で、原因と結果を論理的に正しく結び付けてはいません。両者に直接の連関が無いのです。小心が判断に影響を及ぼしているという訳です。事態の正確な分析という観点からすると誤謬であり間違いです。
しかしにも拘わらず私はそう考える事を人に勧めます。それで正しくはないけれどもそれで良いのです。何故といって自分が馬鹿だった、納得出来ないままにその事を遂行して仕舞った、その事の怖さを人は幾ら怖がっても足りない事は無いからです。その人だって論理的に今出来した望ましくない事と過去の自分の仕出かした事とが原因結果の関係に無い事くらい、『頭では納得』しているでしょう。にも拘わらず心のどこかでそれが繋がっている。正に原因結果の関係に位置している、いや自分がその関係に置いている。『そんな事をした自分であるから・・・』、そう思わない事が出来ないのです。人にそういう『印象』と感触を残し後の諸々の具体的判断に影響する程に、それは怖いものです。
恐がって下さい。それは、自分で納得出来ない事をする事は、後に『これは私が馬鹿だった事の報いだ』と考えても可い程に、考える可き程に、恐るべきものです。
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生きていても詰まらないでしょうか。然り、何もしたい事が無ければ詰まらないでしょうね。退屈でしょうね。お金が無いのを極端に不自由に、惨めに、感じるでしょうね。
したい事一つで自分を取り巻く世界は変わります。自分がしたい事が何なのか、それに気付いて下さい。
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