その三
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「心にそれが無ければ、私はここまで生きてはこれなかっただろう」
「同様に、食べる物が無ければ、あなたはここまで生きてはこれなかっただろう」
「その通りだ。しかし餓えて死んでいても、心にそれが在れば、私は絶望のうちに死んだのでは無かっただろう。私は生を全うして死んだに違い無い」
斯ういう対話をしたいのです。私が人と話したい事というのは、斯ういう内容のものなのです。
折角人間同士が生きて出逢い、言葉を交わすのです。私はこれくらいのものを交わしたい。
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初めて目にするものであるのに、それを懐かしいと感じる。いや、初めは判らない。ただ自分の目がそれに釘付けになっているが、その理由が自分でも判らない。しかし時間が経つとその視線釘付けの理由が判ってくる、それは自分が感じた懐かしさである、と。
私にはそういう体験があります。それも一つではなく今までに幾つか。今、私はこの年齢になって思います。初めて見たものに対するその懐かしさの理由、それは私が昔心に想った何者かに繋がっているからです。ずっと昔にも私は何かを見、その事を感じたのです。それに、その同じものに、何十年もの時間をあけて新しく見たものも矢張繋がっていたのです。だから私が懐かしさを感じたのです。その場を動けなくなる程に。
私が震えるのは斯ういう時です。これでどうして自分を導く者など居ないと思う事が出来るでしょう。こんな事に幾度か遭遇して、それでどうして、自分の人生に立てなければならない意義無しと思えましょう。
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こちらがひとっつも優しくしないのにずっと自分には優しく接し続けてくれる奥さんとは。私なら怖いです。それはこちらを人間と看做していないか、さもなくば何か別の具体的な目的が在るからです。その目的を達したら最早こちらは用済みという事で、消されて仕舞うという訳です。
誰かが自分に尽くしてくれる、その事を安く見積もるべきではありません。それは本質的で自然な話なのではなく人間の意識的努力の結果であり、そこには決して風化しない忍耐が堆く積み上がっているのですから。自分に対する優しさをはじめ、そういう尊いものの提供。報いるべし。物にてではなく、自分も同じ、相手に対する優しさをもって。
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遅い速度でゆっくりと走る列車に揺られて遠い所まで行く。そのままで人の人生の行程を辿るに相通じるところがあります。生きる事の面影をそのまま映しています。だから慕わしい。その抵抗出来ない自然さ、無理の無さに身を委ねたくなるのです。
そのうち、私も本当にまたそんな旅に出るでしょう。そしたらまた屹度『旅先通信』、しますね。
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