その二
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私に教えてくれる者は私に言います。
「御前の弱さは構わない。けれども御前の汚さは不可ない」
解説は無用ですね。また私にも解説は与えられていません。この言葉この観念が、短くこのまま私に与えられるだけです。それで十二分に、即座に、私は判らなければなりません。何故ならそれを私が私の出逢う他者にも求めるからです。そうです。或る種の、或る次元に在る言葉は、私が発したそのままで相手に伝わらなければ、私がその相手との交流を保つ事に我慢出来ないからです。それが通じない時、私は相手の生きてきた歴史を疑うからです。この人は本当に人間らしく生きてきたのか、生きようとしてきたのか、と。
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行動として何一つしていない日であっても、心に戦う事はしているでしょう。何うやってあの事を解決したら良いのかと悩んではいるでしょう。即ち言葉の通りの『無為』ではないのです。だからそう自分を責めないが良いと思います。そこで何もせずに過ごす者とて自分を責めるのは、無益と謂うよりは間違っています。私の言った通り、心の悩みに相対するのは何もしていないのではありません。
既に明確に示された一本道を全力で駆け抜ける努力だけが尊いなどと、どうして謂えるでしょう。それよりは進む道を選ぶ前に十分に審査を尽くし、あれこれと想像し、予想されるだけの困難に心の中で『対処』する、こちらの方が寧ろ大変な作業です。これは十分に大変で労力を必要とする戦いです。それをしている自分を無為とて責める人が居るなら、その責める人に苦しんだ歴史が無いと看做しその言葉を軽んじたら良いのです。その自分に対する責めを気にしなければ良いのです。浅い言葉である、取るに足らない、と。
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息子が大きくなったら、二人で山間の鄙びた宿屋に泊まりたいものです。其処迄辿り着くのに駅で汽車を降りてから半日歩くというのでも構いません。そして粗末な夕餉の膳に二人差し向かいで就き、それぞれに想う事を話すのです。
「実は、卿に今まで言っていなかったが、儂には隠し財産があってな。卿が働かなくても一生暮らして行けるだけの資産が在るのだ。その隠し場所を今から卿に告げる。よく憶えておく様に」
大嘘です。でも私は息子が笑いながら私の性質の悪い冗談に付き合ってくれる様な気もしています。それくらいのやり取りが出来る親子でありたいです。そしてそういう冗談さえもが屹度息子の中で良い想い出になると信じているのです。
山間の鄙びた宿屋でなくても、隠し財産でなくても構いません。一緒に過ごす時間が大切です。共に生きる、一緒に暮らす、何年も何年も。心通わせて。その事が私を本当にそういう情景に連れて行ってくれるでしょう。両親亡き後独り生きていく心算をしていた私。しかしその私に今や無くてはならぬ、無いなど考える事も出来ぬものとして、大きな大きな新しい恵が降されたのです。真実に、人間に未来は見えません。言葉もありません。
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互いにそれに忠実に真剣に生きて来た価値観どうしがぶつかるから、値打ちがあるのです。見るに接するに値するのです。一方が心底に抱くのが結局自分が生き残る望みだけだとしたら、そんな利己的で閉鎖的な欲求だったとしたら、それはぶつかるところまでも行きません。
噛み合わない。肩透かしばかり。哀しい事ですが、世の中でそれを連続して体験して下さい。その虚しさが本当にぶつかり合う事の出来る大切さ有難さの実感をあなたに運んでくるでしょうから。
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