その十四
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或る有名な作家がまだ売れる前の事、その作家が何処にも勤めに行かずに創作に専念した所為で、老母は集金の仕事をして家の生活を支えていたそうです。家の中ではその事で喧嘩が絶えず。そしてその作家はそれでも小説仲間と時々は話し合いなどせねばならずなにがしかの出費はやむを得なかったとか、書いてありました。
私にはこれは絶対に出来ません。これをやったら私は御終いだと思います。私にとって書く事というのは大事な事ではありますが、そして私一個の最も私らしい営みではありますが、父母を支え労わり、その生活の為に私が働く事は、私一個の営みにも存在にも勝るもの、それに優先すべきものです。順序を間違えるのも甚だしい。そんな状況では私は何一つ生み出す事は出来ないでしょう。地に落ちずに空中を浮遊している種子に何か芽を出せと期待しているにも等しい、愚かな話です。
自分にとって大切な、重要な事の順序、正しく付いていますか。特に最も重要なものとそれ以外のものとを別ける区別。これはしっかり付けておいて下さい。そしてそれを裏切ると忽ち自分が血を吐いて死んで仕舞う程に自分の血肉にしておいて下さい。それが人生に於いて自分を守るのです。
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馬鹿は最初から成果を期待します。いついつまで待てば斯く斯くの成果果実を得る事が出来ると計算します。しかし賢い人は成果は視ません。成果云々(うんぬん)よりも先ず『そうやって生きる事が正しいのかそうでないのか』、詰まり人間としての『姿勢』の部分に関心を置きます。そしてそちらが整っている事をもって良しとするのです。この場合、既に『失敗』があり得ません。だってその姿勢を既に確立しているからです。後は誘惑に負けないでそれを守れば良いだけの話です。それだって実は困難なのですが、それでも皮算用の成果など当てにしているのよりは余程『確実』です。
スタートの時点でもう完全に違います。それも決定的に。後から追い越せるか何うかなどという次元の話ではなく、正に本質的に。深い心、遠い目当てをもって生活して下さい。それが賢さを創るのです。
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小高い丘に向かって緩やかな上り坂、其処を細い線路の上に載った荷台を馬が牽く馬鉄が行く。周囲は原野、牧草地。地平まで暖かで穏やかな初夏の候。私は小さな子供になって父が御者をする馬鉄の荷台に乗り、黙って運ばれて行く。父は後ろを振り向かない。でも子である私が話し掛ければいつでも話し相手になってくれると私には分かっている。馬鉄が丘の上に達した。眼下には粗末な家屋が並ぶ町並が広がっている。いつの間にか私は大人になって、今度はその馬鉄の御者になって手綱をとっている。荷台には私の息子が座っている。息子が遠慮無く私に話し掛ける。
「お父ちゃん、僕、お父ちゃんの事好きだよ。だから安心してね」
「有難う、お父ちゃんは嬉しい」
町に入ったら、何が待っているだろう。この息子をちゃんと育てて行けるだろうか。不幸を背負わせる様な事にはならないだろうか。今が私の一番幸福な時で、この後は苦しむ事が多いのではないだろうか。私はそんな事を考えながら、町への下り坂を進んでいる。
そんな夢を見ました。私は何という夢を見るのでしょうか。私は一体、何を夢に見るのでしょうか。これは私の一生をそのままおし縮めて一つの夢にしたものではありませんか。それがそのまま私の一生ではありませんか。
私が見たこの夢は、『何を指して』いるのでしょうか。私はとても怖く、ですが少しだけ嬉しく、そして結局まだこの先も生きて行くのです。私は幸運です。現在の私が喜びをもって生きる為に私の過去は必須です。絶対に欠く事が出来ません。私は今も吾が父の子です。その私が私の子を育てるのです。私は何かが私を導いている事を疑う事が出来ません。
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五百円落とすと、私はかなり長い期間その事が忘れられません。『この野郎』とか口走っていると思います。悪いのは疑うべくもなく明白に私本人なのですが、誰かに嵌められた様な、してやられた感が拭えません。しかし私はその経験から可能な限り現金を持ち歩かないという尊くも実用的な方針を得て、今ではそれが板に付いています。遉に手持ちのお金が五百円未満という訳ではありませんが、それ以上の金額を亡失しない事にこの規律は貢献しています。何より安心で、しかも財布に一寸しか入っていないものだから、自然に出来るだけつかわない様になるのです。この効果は絶大です。『工夫』とは良いものですね。
大体に於いて、成功よりも失敗から人は学び獲得するものです。致命の一撃以外なら、失敗して暫くの間『この野郎』と口走る体験をするのも良いのではないでしょうか。失敗して得るものというのは本当に有りますから。
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