第二十九話 ミノリ嬢の願い
シャドーレ様、わたくしの願いを聞いて下さいますか?
「シャドーレ、来ていましたか」
「陛下…!」
『クロス』の訓練所に現れたヒカル王の前に跪くシャドーレ。
「エアネ離宮と連絡が取れました。貴女はしばらく仕事を休んで、叔父上の元へミノリ嬢を連れて行ってあげて下さい」
ツキヨはミノリの治療を快く引き受けてくれたらしい。
「有り難きお言葉にございますわ、陛下。…では、お言葉に甘えまして、エアネ離宮に向かうミノリの付き添いをしたいと存じます」
シャドーレはそう言って頭を下げる。
「はい、それが一番だと思います。『クロス』の皆には私から言っておきますから、貴女はもう上がって下さい。彼女もあんなことがあった後では、一人では心細いでしょうから」
「感謝致します、陛下。貴方様のお陰でミノリも私も救われますわ。…このご恩をどのようにしてお返しすれば良いか…」
「恩義を感じているのは私の方ですよ、シャドーレ。貴女はいつもこの国の為に尽くしてくれている。貴女がここに存在するだけで、私は希望を持つことが出来るのです」
ヒカルはそう言うと、
「帰ってきたら、また私に話を聞かせて下さい。叔父上にどうぞよろしく」
シャドーレを邸に帰したのだった。
「…とのことですから、早めに支度を整えてエアネ離宮に参りましょう」
「はい!ありがとうございます、シャドーレ様」
ミノリはそう言って頭を下げる。
その顔はとても可愛らしいが、ひどい傷痕を見て、シャドーレは心を痛める。
(可哀想に…。一刻も早くツキヨ様に診て頂かなくては)
シャドーレはそう思いながら自分も支度を始める。
「あの、シャドーレ様…」
その時、ミノリがいつになく緊張した面持ちでシャドーレを呼ぶ。
「どうしましたの?」
「あの……」
「離宮に行くのが不安かしら?でも、心配は要りませんわよ。ツキヨ様は優しく穏やかな御方ですから」
シャドーレは優しい声でそう言うが、
「いえ、違うのです。わたくし…」
ミノリは言いづらそうに視線を逸らす。
「言いたいことがあるならはっきり言ってくれないと分かりませんわ。…何かありましたの?」
シャドーレの言葉にミノリは首を振る。
「いえ、違うのです。…シャドーレ様にお許しを頂きたくて……」
シャドーレは黙って次の言葉を待った。
「シャドーレ様、どうかお許し下さいませ。わたくし…髪を切りたいと思います」
「えっ!?」
さすがのシャドーレも驚く。
「か、髪を切るって…どの程度に…?」
「短くしたいと思います」
「っ…」
ミノリの艶やかな黒髪を見て、シャドーレは戸惑う。
「ミノリ、今自分が何を言っているのか分かっていますの?貴女は男爵家の令嬢ですのよ?」
シャドーレ様が言っても全然説得力がない。
「はい。分かっております。…しかし、この傷が消えるまで顔を隠しておきたくて…」
確かに超ロングヘアで顔を隠すとちょっと怖いことになる。
「…そういうことですのね」
シャドーレは納得するが、どうしたら良いか分からない。
「ですが、私は人の髪を切ったことがありませんわ。…自分で切ると言うの?」
「いえ…後ろは難しそうですし…」
「それなら…長い前髪を作れば良いのでは?」
「そうですね……」
どうにも歯切れの悪いミノリ。
「貴女…まさか私のように短くしたいと思っているわけじゃ…ないですわよね?」
シャドーレが恐る恐る訊ねると、途端にミノリは挙動不審になる。
「…思っているということですわね?」
「…………」
「怒らないからはっきり言いなさい」
「はい!申し訳ございません…!」
既にちょっと怖いシャドーレを前にミノリは深く頭を下げた。
「誰も謝れとは言っていませんわ。…貴女も、私と同じ願いを持ってしまったのね?」
ミノリは頷く。
「…いつから、断髪したいと思っていましたの?」
「シャドーレ様がずっと伸ばされていた御髪を短く切ってお帰りになった日がございましたよね?あの頃からです」
「かなり前ですわね…」
ミノリは頷くと、話を続ける。
「わたくしはシャドーレ様に憧れております。凛々しく美しいシャドーレ様が大好きです。…それで、貴女様のようになりたいと思ってしまったのです」
ミノリはひとつに束ねていた髪をほどき、さらりと手櫛を通してみる。腰を超える長さの豊かな黒髪だ。
「シャドーレ様、髪を短くするとはどのような感覚にございますか?この髪を切ったら、シャドーレ様のお心が分かるのでしょうか?」
毛先まで手入れの行き届いた美しい髪を前にして、シャドーレは息を呑む。
ミノリは本気で髪を切ろうとしている。しかも、それは自分のせいだ。
シャドーレの髪を切る時、ミノリはいつもどんな気持ちだったのだろう。シャドーレの為に鋏を持つたび、きっとミノリの心は揺れていたのだろう。
「ごめんなさい、ミノリ…。私のせいね…」
「シャドーレ様…?」
「貴女の気持ちも知らず、私は……」
シャドーレも桜色の都の女性。かつてはミノリ嬢と同じように腰を超える長さのロングヘアを保っていた。
長年望んでいたにもかかわらず、都のルールに縛られ、なかなか断髪に踏み切れなかった頃の自分を思い出す。
「…けれど、本当に短くしてしまって良いの?髪はすぐには伸びませんわよ?」
「はい。決して後悔は致しません」
ミノリの決意は固い。
「それに、傷痕を隠したいというのも本当です。先ほどシャドーレ様がおっしゃったように、前髪は長くしたいと思います」
「…………」
シャドーレは考えた。ミノリの願いを受け入れるとして、問題は誰にカットを依頼するか。自分は人の髪を切ったことがないし、こればかりは陛下にも叔母にも相談出来ない。
「…そうですわ、直接この邸に来て頂きましょう」
シャドーレは前に自分が行ったことのある王宮近くの理髪店の店主を邸に呼び、ミノリの髪を切ってくれるよう頼んだ。
「シャドーレ様…本当にこのメイドさんの髪を切るんですか?」
「ええ。本人たっての願いですから、叶えてあげたくて」
「シャドーレ様の頼みとあらばお断りする理由はございませんが、しかし…」
目の前にいるのは、長く美しい黒髪を持つ若い女性。理髪師が躊躇うのも無理はない。
「私は口出しするつもりはありませんので、どうかミノリの希望通りに切ってやって下さいませ」
そう言うとシャドーレは席を外した。自分の目を気にせず、集中して欲しい。理髪師にも、ミノリにも。
「お初にお目にかかります。本日はよろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ミノリが嬉しそうな顔で挨拶すると、彼の方も笑顔で頭を下げた。
「では、お嬢さん。こちらにおかけ下さい」
彼は王宮の近くで理髪店を営んでいる。『クロス』の隊員もよく利用する店で、一度シャドーレはヒカルの許可を得た上で彼の店に行き、肩まで伸びた髪をバッサリと刈り上げてもらったことがある。
そんなわけで、彼が女性の髪を切るのはこれで二人目。桜色の都の女性の髪は基本的に伸ばしっぱなしで、時々自宅で毛先を整えるだけなので、この国には女性向けの美容院というものがない。ジェイがいたら、ここは昔の日本か!と呆れたことだろう(二回目)。
「短く…とは伺っていますが、どんな風に致しましょうか?」
ミノリもこんな感じで髪を切ってもらうのは初めてなので緊張するが、
「前髪は長めで…この傷が完全に隠れるくらいのところで切って下さい」
まず一番大事な注文をする。
「顔の右側の…こちらの部分ですね?」
「はい…」
「分かりました。自然に隠れるよう長さを調整しましょう。…後ろはどんな感じに?」
「えっと…出来たら…シャドーレ様のように…」
(言っちゃった!!)
ミノリは恥ずかしそうに頬を染める。
シャドーレに憧れて断髪したいと思うようになったとはいえ、実際にここで彼女の名前を出すのはちょっと恥ずかしい。シャドーレと自分は似ても似つかないというのに。
しかし、理髪師は真面目に頷く。
「分かりました。…かなり短くなりますが、構いませんか?」
「は、はい…」
すんなりと受け入れられたことに安堵するミノリ。
「では、前髪とのバランスを取りながら、後ろは短く刈り上げます。後ろから前にかけて長くなるというスタイルになりますね」
つまり、前下がりの刈り上げショート。
「はい。よろしくお願いします」
ミノリがお辞儀すると、長い髪が大きく揺れた。それも、今限り。
「…では、始めます。途中で気分が悪くなったりしたらすぐに言って下さいね」
そう言うと、理髪師はミノリの長い髪を二つに分けて束ねた。これだけ美しい髪をそのまま捨ててしまうには惜しいと思ったのだろう。ほどけないようにきっちりとリボンで結ばれ、ミノリの髪は最後にとても可愛らしく彩られた。それを見ても、ミノリの気持ちは揺らがない。
理髪師も覚悟を決め、リボンを結んだその上に思い切りよく鋏を入れた。
幼少期から慣れ親しんだ長い髪があっという間にミノリから離れる。
(あ…頭が軽くなった…)
二束とも切り落としてしまうと、ミノリの頭は髪の重さから解放された。
肩の上で揺れる不揃いな髪。本番はこれから。
彼は手早くミノリの髪を注文通りに切ってゆく。シャドーレが信頼しているだけあって、彼の腕は確かだった。
「本当に…良いですか?」
「えっ?」
一瞬、質問の意味が分からないミノリだったが、彼の手にバリカンが握られているのを見て、笑顔で頷いた。
「はい!全然大丈夫です!」
いつもは使う側だが、今日は使われる側だ。
「分かりました」
明るい返事を聞くと、理髪師はお嬢様の髪をバリカンで刈った。
(シャドーレ様がお許しになるくらいだから、本当にこのお嬢さんは髪を切りたかったのだな…)
ミノリの髪を刈り上げながら、先ほど理髪店を訪れた時のシャドーレの顔を思い出す。
「ご無沙汰しておりますわ」
「シャドーレ様…!お久しぶりです。今日は空いておりますのですぐに出来ますよ」
そう言って案内しようとする彼に、シャドーレは首を振った。
「いえ、髪を切りたいのは私ではございませんの。…わけあってこちらに来られない者がいるのですが…私の邸まで来て頂くことは可能でしょうか?」
「はい。シャドーレ様の頼みとあらば、いつでも参りますよ」
彼はそのわけを聞かず、微笑みながら答えた。
「今日は空いていますし、貴女様がよろしければ今からでもお伺い致しますが、いかがなさいますか?」
「ええ、助かりますわ!よろしくお願い致します!」
そして、シャドーレの邸に来てみれば、若いメイドという「わけありの客」が待っていた。
(女性にとって長い髪はとても大切な物だが…これから時代は変わってゆくのかもしれない)
『クロス』の特別顧問にして断髪の女黒魔術師であるシャドーレが国民に歓迎されたくらいだから、ミノリ嬢と同じくシャドーレに憧れて短い髪にしたいと思う娘も実は結構いるのではないだろうか。
この理髪師、時代を先読みしている。
(これが…バリカンの感触…)
ミノリの方はすっかり緊張がほぐれ、いつもシャドーレが感じているであろう髪を刈られる感覚に身を任せていた。
そんなこんなで、ミノリの新しいヘアスタイルが出来上がる。
「いかがですか?こんな感じで前髪を垂らすと、自然に傷が隠れます」
「ありがとうございます!!」
ミノリは嬉しそうな顔でお辞儀する。その時、あらわになった首筋に風を感じた。
「シャドーレ様、終わりましてございます」
理髪師の声を聞いて、部屋から出てくるシャドーレ。
そこには…
「シャドーレ様…どうでしょうか…?」
黒髪ロングの頃よりも大人びた雰囲気を纏ったミノリの姿があった。
「あら!素敵ですわ、ミノリ」
そう言ってシャドーレはミノリを抱きしめ、後ろ髪を触る。
「随分と短く刈り上げましたのね。可愛いわ」
「シャドーレ様ぁ…!」
一番褒めて欲しい人に褒められ、頭を撫でられて、ミノリは幸せだった。
(女性の美しさに髪の長さは関係ない気がしてきた…。お嬢さんは本当に可愛らしい人だな)
理髪師は二人の様子を微笑ましく見守っている。
結局、シャドーレは最後までミノリの身分を明かさなかった。
「今日は本当に助かりましたわ。突然のことでしたのに、来て下さってありがとう。お陰で、ミノリの願いを叶えてあげることが出来ました」
「本当にありがとうございました!!」
ミノリも笑顔で感謝の言葉を伝える。
「喜んで頂けて何よりです。シャドーレ様、私を呼んで下さり、ありがとうございました」
理髪師の方も笑顔でお辞儀する。
そして、シャドーレは「わけありの出張」を引き受けてくれた理髪師に(ミノリの淹れた)コーヒーを振る舞い、通常料金の三倍の額を支払った。
「シャドーレ様、これはいくら何でも…!」
「私の気持ちですわ。このこと、陛下には内緒ですわよ?」
シャドーレにそう言われ、彼は深々と頭を下げた。
「畏まりました、シャドーレ様。これは貴女様と私の秘密にございますね」
理髪師が帰ると、シャドーレは盛大にミノリの髪を触り始めた。
「よく似合っていますわ、ミノリ。髪を短くした感覚はいかがかしら?私の心は分かりましたか?」
シャドーレはミノリの言葉を引用する。
「はい…!わたくしの我儘を聞いて下さってありがとうございます!…この感触、とても気持ちが良いです!!」
「そうね、本当に気持ちが良いわ…!」
彼女の首筋をジョリジョリと撫でるシャドーレ。
「きゃっ…くすぐったいです…!」
「ふふ、可愛いですわ」
そのままシャドーレはミノリを抱き上げると、寝室に連れて行った。
「シャドーレ様…!」
「しばらくはこんなことも出来なくなりますから、今日は特別ですわ」
ミノリはシャドーレの優しい腕に抱かれ、夢うつつだった。
「黒髪ロングも美しかったけれど、貴女は短い髪も似合いますわね。ああ、私の可愛いミノリ…!」
いつになく情熱的なシャドーレに、ミノリは身も心も髪もあずけて、蕩けそうな表情で喘いだ。
(身体が隠せない…!恥ずかしい…!!)
以前は長い髪で隠れていた身体も、ここまで髪を短くしてしまっては丸出しである。
シャドーレはミノリの乳房にキスをしたかと思うと、彼女の足を大きく開き、濡れたところに指を入れる。
優しくも激しいシャドーレの愛撫。彼女はいつになく昂っている。
「あっ…あんっ……」
ミノリは堪えきれず、嬌声を上げる。
シャドーレはそんな彼女の唇に自分の唇を押し当てると、舌を入れて絡める。ミノリにとっては初めてのディープキス。
「ミノリ、可愛いですわ…!」
「シャドーレ様ぁ…!」
真夜中、ベッドの上。
可愛い娘と美しい女は互いを求め、何度もキスを交わし、愛し合った。
シャドーレはいつの間にか眠ってしまったミノリの唇にもう一度キスをし、その寝顔を愛おしそうに見つめる。
「…ミノリ。私は貴女を離したくありませんわ」
桜色の都の女性にとって、長く美しい髪はとても大切な物です。
それはミノリ嬢も同じだったはずですが、シャドーレに憧れるあまり、自慢の黒髪を切ってしまいたいと思うようになりました。
因みに、理髪師が気を利かせてリボンで結んだ髪束は、シャドーレが大切に保管しています。




