第十五話 大好きよ
次の日。
『クロス』の指導を終えて帰ってきたシャドーレを見て、ジェイとミノリ嬢は驚愕した。
今朝は確かに肩先まであったはずの彼女の髪が、男性のように短く刈り上げられているのだ。
驚く二人を前に、シャドーレは微笑みながら言う。
「『クロス』の隊員達を見ていたら切りたくなってしまいました。やはり、私は短髪が好きですわ」
「…にしても随分と短く刈り上げたんじゃない?ヒカル様、泣かない?」
「はい。国王陛下の許可は得ておりますのでご安心下さいませ」
ヒカルの許可を得たシャドーレは、王宮近くの理髪店に寄ってから帰ってきたらしい。
「こういう時は肩書きも役に立ちますわね」
桜色の都の女性は超ロングヘアが当たり前なのでシャドーレの来店に理髪師は戸惑っていたというが、名乗ったらすぐに施術してくれたとのこと。さすがは『クロス』の特別顧問。
「ここからが本番ですもの。流転の國を取り戻す為にも気を引き締めて参りますわよ」
昨日の『長距離念話』の後から、シャドーレは明らかに戦意高揚している。
一方、メイドのミノリ嬢は涙を浮かべていた。
「シャドーレ様の御髪、綺麗でしたのに…。切ってしまわれるなら、もう一度櫛を通して差し上げたかった…」
ミノリ嬢はシャドーレの髪が伸びるのを楽しみにしていた。もう少し伸びたら、ドレスに相応しいヘアアレンジが出来る。そう思っていたのに。
「ミノリ。貴女に何も言わずに髪を切ったこと、謝りますわ。でも、これが本来の私。…分かってくれるでしょう?」
凛々しく美しいシャドーレに優しい声でそう言われ、ミノリ嬢はゆっくり頷いた。
「はい…。とても美しいお姿にございます、シャドーレ様。…明日は軍服をご用意致しましょうか?」
「ええ。助かりますわ、ミノリ」
シャドーレはそう言うと突然ミノリ嬢を抱きしめた。
「貴女がここにいてくれるから私は『クロス』の職務に集中出来るのですわ。いつも私の為に働いてくれている貴女に何もしてあげられなくてごめんなさいね」
「いえ、シャドーレ様はわたくしの実家を支えて下さっています!」
「それとこれとは違いますのよ。私はミノリに何かしてあげたいの。欲しい物があったら言ってご覧なさい」
シャドーレはミノリ嬢を抱きしめたまま、耳元でささやく。
「お言葉に甘えて…良いのですか?」
「ええ。私に出来ることなら何だってしますわよ」
憧れの女性に抱かれ、ミノリ嬢は頬を染めている。
端から見ると美男子がメイドを口説いているようにしか見えないが。
(純粋な娘を誑かすんじゃないよ、イケメンシャドーレ…)
ジェイは頭を抱えたくなる。
(一体僕は何を見せられてるんだろう…)
「シャドーレ様…!そんなお顔で見つめられたら困ります…!」
「困った顔も可愛いですわ」
「〜〜〜!!!」
耳まで真っ赤になるミノリ嬢の唇をシャドーレが奪ったところまでは見た。
(『唇強奪』なら許されるのかな…。いやいや、シャドーレってばどういうつもりなの!?)
ジェイは色々考えつつ、そっとその場から立ち去り、マヤリィの部屋に向かった。目を覚ますことはなくてもマヤリィの顔を見たいのでジェイは毎日ここに来る。
「…全く。イケメンの自覚があるからタチ悪いよね…。シャドーレって最初からあんなだったっけ…?」
この部屋にいるのが自分と眠り姫だけなのをいいことに独り言も呟く。
「確かにシャドーレは美人だけど…僕は……」
ジェイはマヤリィ一筋なので、シャドーレがどんなに美女でも美男でも決して靡くことはない。
そして、いつものようにマヤリィの傍らに座って語りかける。…返事はなくとも。
「今日も美しいですね、姫…。前にも話したかもしれませんが、ここでの僕は貴女の婚約者ということになってます。姫、いつになったら目を覚ましてくれるんですか…?御伽話のように、僕が真実の愛のキスをしたら起きてくれますか?…なーんて、言ってて恥ずかしいな…」
「…そうね。キスして頂戴」
一瞬、思考が停止したジェイ。
「姫…?」
恐る恐るマヤリィを見ると、美しい瞳が真っ直ぐにジェイを見つめている。
彼女は微笑みながら、
「待たせたわね、ジェイ。私はもう大丈夫よ」
すぐに起き上がってジェイを抱きしめるのだった。
「っていうか、どこから聞いてました?僕の独り言」
「イケメンシャドーレのあたりから」
「僕がここに来た時からずっとってことですか!?」
「だって、ジェイの心の声が出まくってて面白かったから♪」
マヤリィにそう言われ、ジェイは頭を抱えて赤面した。
「本当に久しぶりね、ジェイ。ずっと私の傍にいてくれたの?」
「はい。絶対に貴女から離れないと約束しましたから」
「ありがとう。…苦労かけたみたいね」
「いえ、そうでもありますけど…姫が意識不明になってから今まで何があったのか、どこから説明したらいいか分からないです」
確かにそうでもあるよね、ジェイさん。
「姫は…どこまで覚えてるんですか?」
「熱出して魘されて貴方に看病してもらっているところまで」
「かなり前ですね、それ。本編より前ですね」
「…けれど、ここがどこなのかは分かるわ。桜色の都のレイヴンズクロフト家の別宅ね。そして今、流転の國を支配しているのは閃光の大魔術師ルーリ。側近はネクロ。ランジュはルーリに殺されてしまった。貴方達はミノリと連絡を取り、流転の國を取り戻そうとしている。…シャドーレは出世したみたいね」
「な、なんでここまでのストーリーを要約出来るんですか?」
全て見ていたかのようなマヤリィの言葉に驚愕するジェイ。
「今、ここに来てからの貴方の記憶を覗かせてもらったの。これは幻系統魔術よ」
「幻系統魔術…!?今、問題なく魔術を使えるんですか!?」
「いえ、どうやら『宙色の魔力』は使えないみたいね。耳飾りもないし。なぜかしら」
「…その辺りの記憶も覗いて下さいよ」
追放された日のことまではまだ視ていないらしいが、だいたい見当はついているのだろう。
「とりあえず今は幻系統しか使えないわ。『宙色の魔力』がない以上、流転の國には帰れそうもないわね」
「そのわりに、明るいですが…」
「あら、これでもかなり悲観しているわよ?…けれど、貴方と一緒だしここは安全そうだし、なかなか悪くないわ」
マヤリィはそう言うと、ジェイにキスをした。
「姫…いきなりっ…?」
「だって、さっきしてくれなかったでしょう?真実の愛のキス」
「それは忘れて下さい」
「絶対に忘れないわ」
マヤリィがそう言って笑うと、ジェイもつられて笑顔になった。
「嬉しいです。こうして貴女と話せるなんて」
ジェイはそう言うとマヤリィを抱きしめた。
「今、姫と話してて思いました。このまま流転の國に帰らずに桜色の都で暮らしてもいいかなって。そしたら、姫も最高権力者の座に囚われることもないし、宙色の魔力が戻らなくても穏やかに生きていけそうですから」
「ジェイ…」
「って、駄目ですよね。シャドーレやミノリが必死で流転の國を取り戻そうとしてるのに」
「いいえ、駄目じゃないわ…」
マヤリィは真剣な眼差しでジェイを見つめる。
「姫…?」
「ジェイ、私は貴方と二人で静かに暮らせるなら、流転の國に帰らなくてもいい」
「姫…」
「私、疲れていたのよ。そしてそれを流転の國のせいにした。だから『宙色の魔力』は私から離れて行ったのではないかしら…」
マヤリィは追放された時のことを視て、遠い目をする。
「…ねぇ、ジェイ?これから駆け落ちしましょう?」
「本気ですか?シャドーレ達のことはどうするんですか!?」
「…置き手紙を書いていくわ。私がいなくなれば彼女達もこれ以上悩まずに済むでしょうし」
マヤリィはすぐに手紙を書き始める。
本気でここから逃げ出すつもりらしい。
「恩を仇で返すのは心苦しいけれど…結果的にはこれで良いのよ。私を見限った流転の國には帰らない。後は全てルーリに託す」
そう言ってから、
「ところで、イケメンシャドーレはメイドさんと何をしているの?」
さっきのジェイの言葉を思い出す。
「そ、それは…気にしない方が良いと思います」
キスの先まで進んでいる気がしなくもないが、ミノリ嬢の方も満更でもなさそうだったから、まぁいいか。
マヤリィが手紙を書き終えたのを見て、ジェイは覚悟を決める。
「では、行きましょうか。『空間転移』を発動します。…短距離限定ですが、それなりの場所には行けると思いますよ」
「ええ、よろしく頼むわよ。どこまでも貴方についてゆくから」
(こういう時、いつもなら『私についてきて頂戴』って言ってたのにな…)
ジェイはそう思ったが、それも流転の國の主だった頃の話。
今は女王でも宙色の大魔術師でもなく、一人の女性。そして、ジェイの恋人だ。
「大好きよ、ジェイ」
「僕もです、姫」
そう言って手を繋いだ直後、二人はどこかへ消えた。
突然目覚めたマヤリィ。
幻系統魔術によって全てを視たマヤリィ。
大好きなジェイと一緒に逃避行するマヤリィ。
第十五話にして初めて『登場』した主人公です。
そして、第二幕が始まります。
『空間転移』直後の二人。
「姫、取り急ぎ必要な物ってありますか?」
「…鋏はあるかしら」
「やっぱり、髪切りたいんですね…」(第二話参照)