彼女の私
「男性は腕を失う重体で――」
「また別の現場では、胴体を食い千切られたような遺体も――」
「......よし!」
ニュースを聞き流しているうちに、私は身支度を終えた。少し薄情だと思われるかもしれないが、今の私はニュースなんかに気を取られている場合ではない。今日はあの人の家に行く日。今日こそ、目標を果たす。私はメモに目を落とし、静かに口角を上げた。
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「涼真さん!」
待ち合わせ場所に着いていた彼に向かって、私は笑顔で手を振った。駆け寄ってくる私に気付くと、彼も控えめに手を振ってくれた。いつもと変わらないクールな彼の姿を見て、私の胸は高鳴る。
「すみません! お待たせしちゃいましたか?」
「全然、今来たところなので」
私の問いかけに、彼は穏やかな口調で返した。
「よかった。じゃあ、早速案内お願いします!」
そう言って私は彼の手をとった。思ったよりも大きく、ガッチリとした彼の手。じんわりとした体温が、私の手を優しく包みこんだ。
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「それ、めちゃくちゃ大変だったでしょ!」
「そうなんですよ! ヤバくないですか!」
彼の家に向かう道中、会話は順調だった。彼もよく笑ってくれているし、きっと私も、彼女らしく振る舞えているだろう。変に緊張する必要はない。
自然と話題が切れたとき、ふいに彼がスマホの画面を気にしだした。
「......そういえば、沙良さん、このニュース見ました?」
彼が見せてきたスマホには、今朝のニュースの記事が映っていた。
「えっと、最近多い事件ですよね。腕や足を失った人が次々と見つかってるっていう......他にも......」
私は思わず言葉を詰まらせた。確かこのニュースでは、下半身だけの遺体も見つかっていたはず。なんと返すのが正解なのだろうか。
「あ、すみません。急に変なこと」
彼は苦笑を漏らしながら、慌てたようにスマホをしまった。しかし、そんな彼の仕草はどこかわざとらしくも見えた。
そこから少しの沈黙の後、彼が口を開いた。
「着いたよ」
「おおっ!」
目の前に広がる光景に、思わず声が漏れる。巨大な門の格子の隙間から、緑が生い茂る庭が見える。奥には、堂々たる豪邸。
私は息を呑み、彼に促されるまま門を通過した。暖かな日差しを浴びながら、一歩ごとに芝生の感触を踏みしめ、彼の後をついていく。
「さあ、どうぞ」
気づけば、私たちは玄関までたどり着いていた。彼が扉を開くと、そこには高級感の漂うエントランスが広がっていた。私は一度深呼吸をして、彼の家の中に足を踏み入れた。
「お邪魔します」
私は声を少し裏返らせた。
「あ、ごめん、少しやることあるから、そこの部屋で待ってて」
「え、ああ、はい」
家に上がって早々、彼は言い捨てるように言葉を並べ、どこかへ行ってしまった。ついていこうとも思ったが、悩んでいるうちに彼は行ってしまった。仕方なく、言われた通りの部屋へ向かう。
「ここかな」
一本道であったため、おそらくこの部屋で間違いなさそうだ。私はドアハンドルをしっかりと握り、扉を開いた。
途端、明らかに空気が変わった。
不自然な静けさと鼻をつく独特な匂いが場を包んでいる。部屋を見回すと、奥に一つの扉。背筋に冷たいものが走ったが、私は引き寄せられるようにその扉に近づいた。
そして、恐る恐る扉を開けると――
「......え」
最初は暗くて何も見えなかった。しかし、扉の隙間から差し込む光が、床に倒れたそれを映し出した。
左腕を切り落とされた男が、そこにいた。
「どうしました?」
後ろからの声に、心臓が跳ねる。今の男は、確かにそうだった。片腕がない、つまり彼はあの事件の関係者?私は呼吸を整え、勢いよく振り返った。
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沙良さんの左腕が瞬時に変形した。刃状に鋭く、関節が裂けたように伸びたその腕は、しなる鞭の如く俺の首元めがけて放たれた。
しかし、空気を裂きながら迫るそれを、俺は簡単に弾くことができた。
「クソッ!」
彼女の発する声は、先ほどよりも低い。
「やっぱり、そうだったか」
彼女には "憑霊" が取り憑いていた。やつらは人に取り憑き、人を喰らう。
「まだ、間に合いそうだな」
しかし、見たところこいつは、まだ彼女の体全身を支配はできていなかった。今なら、支配された左腕を切り落とすだけで済む。
俺は瞬時に左手を振るい、彼女の体と左肩を切り離した。
「クゥッ!」
傷口から血を吹き出しながら、奴は彼女の体から切り離される。同時に彼女の体は自由となり、瞼を閉じて床に倒れた。
床に転がった左腕のことよりも、俺はまず、霊術を使って彼女の体の出血を止めた。
「彼の傷口に残った俺の術を見て、思わず霊力を漏らしたな」
彼女の出血を止めた後、俺は扉の先にいる腕が欠損した男性に目をやって告げた。
「演技が上手くて手こずったが、早めに気づけて良かった。俺を狙うんなら、もっと人を喰ってからにするんだったな」
すると、床に落ちた左腕が俺の声に反応するように変形した。指の部分が足となり、腕は膨らみ、胴と手を形成した。そして、胴の中央に、横向きに二つの亀裂がはしった。一つは口、もう一つは目となり、奴は本来の姿を現した。
「貴様から漂う極上の匂い......逃すわけには!」
直後、奴は倒れる沙良さんの体に飛びついた。
「諦めろ」
俺は霊力を飛ばし、奴の口を貫く。
奴は目を見開き、のけぞって床に倒れ込んだ。しかし、それでも奴は体を痙攣させながら立ち上がろうともがく。
「貴様......さえ......喰え、れば......俺は......!」
奴は貫かれた口を修復しながら、こちらを睨みつける。
「本当に、往生際の悪い奴だ」
俺は奴に手のひらを向け、徐々に奴に霊力が集う。
「祓偽」
俺の霊力は青白く光り、やつを静かに包んだ。
「クエバ......モット......ツヨ......ク......」
やがて、沙良さんの左腕は灰となって消えた。