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MACの女子高生

MACの女子高生

 私はベンチである。

 型式番号、MAC-No.2036……同型機が2035台居るのか、2036代目なのかは分からない。

 私はベンチである。

 ベンチであるからこそ、今日は公園に座っている。

 オフィス街の真ん中にある、小さな静かな公園だ。

 時折、雀や鳩が餌をねだりにやってくる。生憎だが私はベンチである。食事を摂取しない故、彼らに与えられる餌を所有していない。

 先ほどは人間を散歩させている柴犬が寄ってきたので、勢いよく足を跳ね上げて牽制したら、悲しそうな目をして去って行った。

 犬は嫌いだ。黙って座っているとマーキングしようとするから。……猫も嫌いだ。放っておくと爪を研ぐから。

 私はベンチである。ベンチになりきって座っている。ベンチであるからには、人が座っていなければ不自然だ。逆に言えば「人が座っていれば」そこにベンチがある理由になる。故に私には、女子高生を模した人形が備わっている……なぜ女子高生なのかは分からない。恐らく深遠な理由があるのだと思われる……無いのかも知れない。単なる移動手段として両脚を備えているという可能性は、存在意義を失いそうだから却下した。

 今日は晴れている。四方を高層ビルに囲まれて、切り取られた空は、淡く青い。

 対照的に、足元は桃色に彩られている。桜の花びらが、断続的に舞っている。真上の桜の木はすでに、半分ほどが散っていた。私の上にも二重三重の花片が……積もってる!

 危ない。このままでは不自然だ。私は咄嗟にバイブレーション機能を駆動させた。頭髪と制服の肩に積もっていた花片が、振動する躯体から飛び跳ねて、ハラハラと散っていく。

 私はベンチであるが故に、社会に溶け込まなくてはならぬ。普通の、どこにでも居る、大衆からはスルーされる自然な女子高生に擬態し続けなくてはならぬゆえ。

 普通の人間は、花片や落ち葉を積もったままにはしない。先日も雪が5センチほど積もったまま放置して半日観察していたら「凍死者がいる!」と通りがかりのサラリーマンに警察に通報され、緊急避難を余儀なくされた。

 「Mobile Anthropological Compiler」=「移動型人類学コンパイラ」による「普通の人間の生活蒐集プロジェクト」は一般市民には秘匿任務とされている。どうしてかは知らない。主催者も分からない。とにかく、アンドロイドである事がバレたらいけないと、行動原理に刻まれている。私はただベンチとして人間社会を徘徊し、その周辺で起こる事象を観察、蒐集するのが仕事であり、生きがいであり、存在理由であり、今日も朝からじっと8時間、身じろぎもせず公園に座り続けている。

 ……幸せってなんだろう?

 私は人間では無いのだから「幸せ」を追求する必要性は微塵もない。

 必要なのは、十分なメンテナンスと消耗部品の交換、1日の活動に要するバッテリーと、その日の出来事を記録するメモリ容量だけである。

 ……幸せってなんだろう??

 私は、それを追求するために造られた。

 その思考を指向し続ける嗜好マシンとして造られたが故に、常に「幸せ」を求め続けている。

 ……幸せって何だろう???

 どうして人間は「幸せ」にならなくてはいけないのだろうか。

 そもそも「幸せな人間」とは、どういう存在なのだろう。

 春、平日の昼下がり、オフィス街の真ん中の桜の木の下で、読書中に偽装した女子高生型観察機械たる私は、今日も至高の幸せの追求を試行中であり……センサーに感あり。

 大通りのある方角の入口から1人、敷地に進入してきた。

 メインカメラは動かさず、サブカメラでチェックする。

 30代半ばと思われる女性が、紙袋を左手にぶら下げ、スマートフォンに指を滑らせながらこちらに向かって歩いている。

 感知している事を悟られぬ様、慎重に身体の向きを変える。相手がどのベンチに座るのかは分からないが、こちらから手招きして座らせる愚は、もう二度と犯さない。

 幸い、彼女は何の疑念も持っていない様子で、私のベンチに腰掛けた。

 トン、と紙袋が、境界線を示すように中間地点に下ろされた。見た目に反して軽いのは、紙袋に印刷された文字から理解できる。

 大通りに面したパン屋の袋だ。彼女はそこからペットボトルの紅茶を取り出してベンチに置くと、不織布マスクをずらして小ぶりのベーグルを1つ、取り出した。

 こちらを気にしている素振りはない。その間に、彼女の左手に指輪が嵌まっている事を確認する。

 平日、午後二時過ぎ、成人女性が1人。

 袋に印字されているパン屋は、顧客平均単価が1000円を超える、高級店ではないが日常的に利用するには贅沢を感じるレベルであると、店舗情報をダウンロードした。

 左手にベーグルを持ち、右手でスマートフォンを操作しながら、彼女の視線は画面に固定されて動かない。

 考えられるのは、この近所のオフィスで働く女性社員か、専業主婦か。

 だが昼食だとすると時間が少し遅いのではないだろうか。普通の女性社員であれば、正午前後に休憩時間を貰えるのでは。専業主婦、という線で考察してみる。

 相手から本の中身が見られない様、角度を調整しながら、読書に没頭している演技を続ける。

 頭部の感圧センサーが弱い風を感知すると、嗅覚センサーに甘い刺激が訪れた。

 ズズッと、彼女が鼻をすする。視線は向けないまま、視界の端に、相手の目が赤く腫れていることを発見する。

 泣いている?

 ちょっと散歩を、というにはメイクが整っている。コーラルピンクのルージュは、疲れを誤魔化すためだろうか。布製のショルダートートも、夕食の買い出しに行くには中途半端な大きさに思われる。

【入力条件】平日、午後二時過ぎ、ゆったりとしたカジュアルな服装の30代女性が1人、遅めの昼食を公園で泣きながら貪る理由……。


【演算開始……学生時代から付き合っていた彼と積極的に別れる理由がないために流されるままに結婚したものの、「好きだ」と言われて浮かれてしまっただけで自分の気持ちには無頓着だった事に気付き、他に自分が夢中になれる別の相手がいたのではないかという疑念を拭うことが出来ず、会話が減る一方の夫との関係修復よりも自分を頼ってくれる子供に逃避したものの、ワンオペに近い育児にも限界を感じ、一体自分は何のために生きているのだろうと暗澹たる闇を抱えて家にジッとしていられず、さりとて旅に出るほどの覚悟もなく、少しお高いパン屋で贅沢するのが関の山である中途半端な自分が情けなく、湧き上がる自己嫌悪が抑えきれずに思わず溢れてしまった涙……終了】

 

 にしては、スニーカーは履き慣れて運動的だし、髪はゆるくお団子に結われていて、むしろ活動的な印象を受ける。

 再考しよう。

 

【演算開始……30代。お肌の曲がり角はとうに過ぎて、日々衰えを実感する日々。化粧の乗りは悪くなり、若い頃に好きだった化粧品は合わなくなり、毎日のように求められていた夫からは相手にされず、それでもまだまだ自分は若いのだと諦められず、意を決してマッチングアプリに手を出したものの、仮初めの恋とは名ばかりの肉体だけが目的の慰め合いに最期の希望も遂に折られ、絶望を鎮めるに、約束された満足のクオリティである少し高級なパンを頬張るくらいしか手段の無い中途半端な自分が情けなく、湧き上がる自己嫌悪が抑えきれずに思わず溢れてしまった涙……終了】

 

 ……おかしい、結論がさっきと変わっていない。

 そもそも普通の専業主婦という人種は、平日の午後に公園で1人、ベーグルを泣きながら囓る生き物であるだろうか。

 逆に考えてみよう。これは昼食ではなく、遅めの朝食なのかも知れない。

 

【演算開始……終わりの見えない不況、一方的に上がり続ける生活必需品の値段に圧迫される家計。決死の覚悟で始めた夜の仕事にも馴染めず、せめてあの時あの場所で、一流企業に就職した元カノの手を掴んでいれば、今とは違った毎日を送る事が出来ていたのではなかろうかと、悔やんでも悔やみきれぬ慚愧の念に今日も心は千々と乱れ、せめてもの贅沢にいつもよりお高いパン屋を選んだものの、湧き上がる自己嫌悪が抑えきれずに思わず溢れてしまった涙……終了】

 

 ……途中まで上手く行っていたはずなのに、どうして最終センテンスが変わらないのか。

 前提条件が間違っているのかも知れない。

 そもそも人間はどうして涙を流すのか。その機能が存在しない私には実感することも出来ないが、曰く、感情がある閾値を超えると、その感情を処理するために、物理的に水分を分泌することで、感情の昂りを沈静化させる効果があるのだと言う。

 

【入力条件】平日の午後二時、成人女性が1人、ベーグルを噛みしめて涙を流す理由。それが悲しみではなく、喜びの涙なのだと仮定する。

【演算開始……涙が己の不幸による自己憐憫でないのだとすれば、余りのベーグルの美味しさに心を激しく揺さぶられて感動の余り泣いてしまったか。このベーグルを食べるために、はるばる遠距離から尋ねてきて、ようやく口にできた喜びに感無量が極まった涙か。それとも彼女の昔からの親友が、苦節の果てに開業にこぎ着けたパン屋の、その夢の結晶であるベーグルを遂に手にしたこの瞬間、友人の長き下積みと修行の時代に思いを馳せて、思わず溢れてしまった涙……終了】

 

 ……の割にはアッサリと、一つ目のベーグルを処理した彼女は紙袋には目もくれず、無造作に手を突っ込んでは、次にはレタスサンドを取り出して事務的に口に運んでいた。感動の対象であるはずのベーグルすら一顧だにせず、一心不乱にスマートフォンに集中して居たのではないか?

 うん? どうして理解が遠のいた?

 そもそも彼女は「専業主婦」なのか。

 この辺りはオフィス街だ。日用品の買い物に寄るスーパーマーケットもなければ、商店街にもほど遠い。何より入口から一直線、迷うことなくこちらに進んできた歩み。そもそも平日の午後二時、誰もが何かをしている時間帯、あえてこの公園を選んだ意図とは……閃いた。

 そういう事か。

 前提条件を間違えていた。


【入力条件】彼女の標的は、私だ。こちらの女子高生の制服が世を忍ぶ仮の姿であるように、彼女のカジュアルな私服姿もまた、往来で怪しまれぬ為のコスチュームプレイ!

【演算開始……さすればその身元は、国家権力の手先かライバル組織の差し金か。街の治安を守るための異物排除か、機密の塊な私の確保か。しかしどうやって今日の居場所を突き止めた……身内の裏切り? 産業スパイに売られた? だったらこの姿勢はマズい。今すぐベンチを撤収して逃……


【アラート! 緊急接近警報! アラート! 緊急接近警報! アラート! 緊急接】


 潜りすぎたっ! 意識を戻すも時既に遅し、相手に敵意があれば一息で取られる距離まで彼女の指が近づいて――

「はい、取れた」

 私の鼻の頭に触れた指先が、赤い小さな昆虫を掬い取り……眼前に示された。

「何があったか知らないけど、自分の顔に虫が這っているのも気付かないって、よっぽどテンパってる?」

「あ、いや、だいじょ……ぶ、です、はい」

 咄嗟に緊急応答音声1を再生。

「本当に? さっきもド派手な貧乏揺すり、してなかった?」

 バイブレーション現場まで見られていた!?

「あ、いや、だいじょ……ぶ、です、はい」

 そのまま押し切ろうにも、相手は視線を外してくれない。

 再度、近づいてきた彼女の手は、私の頭をポンポンと2回、優しく、

「新学期始まったばっかりなんだからさ、辛いこともあるかもやけど、こんな寂しい公園で落ち込んでちゃダメよ」

「あざ、ます」

 万能応答音声4の出力に、彼女は笑顔で頷くと、「さて」とマスクを直して立ち上がり、

「んじゃ、ね」

「あざ、」

「本当に辛い時は、お店に来て。うちのパンは、みんなを笑顔にするパンだから」

 返答を待たずに紙袋を押しつけられた。

「達者でな若者! 私は娘を迎えに行かな……クション!」

 笑顔の決め台詞の最後は、豪快なクシャミで締められた。

 かぁっやっぱりまだスギ残ってるわ、と吐き捨てながら、今度こそ彼女はコチラも見ないで去って行く。

 私はその背中を、呆けた体で見送るしか出来ない。

 ……何もかもを間違えていた。

 入力条件全部が間違っていた。

 大通り沿いのパン屋の袋。スギという単語。マスク、鼻水、充血した瞳……

 ピロン、と本部からデータが降りてくる。

 店名と容姿と声から、周辺地区の防犯カメラの映像までかき集め、彼女のデータが怒濤の勢いで開陳されていく。

 佐藤・笑美、34歳。

 バツイチ、娘1人のシングルマザー。

 開店から午後のピークを過ぎるまで、人気パン屋でのアルバイトに奮闘中。

 重度の花粉症。

 左手の指輪はナンパ避け。

 最近の幸せは、娘と一緒に昔のアニメを鑑賞すること。

 過去十年間のブログやSNSでの投稿の傾向から導かれる現状=『今が一番、自由で幸せで満たされた完璧な日々』

 ……全部間違っていた。

 何もかも読み違えてた。

 誰だよ、「日本の一般的な30代女性は不幸がデフォルト」なんて初期条件に縛られていたのは? 私だよ!

 街中の監視カメラの映像を渡り歩いて集まったのは、娘と満面の笑顔で帰路を楽しんでいる笑美さんの満たされた日々だった。

 え、人間には、こういう幸せもあるのか?

 30代、子持ち、バツイチって、苦労と疲労と貧乏と、ひたすらに日々を耐え抜くサバイバルなんじゃないのか?

 ……幸せってなんだろう?

 そもそも彼女自身のネット投稿の足跡を辿るに、彼女は自ら望んで、現状の不安定な生活を目指してきている。

 離婚も、午後に終われるアルバイトも、保育園から近い今の住居も、全て「娘との時間を確保する」ために選択に選択を連ねた結果、到達したゴールである、と演算は帰結した。

 それは「普通の」幸せなんだろうか。

 それとも、彼女だけが「特別な」幸せなんだろうか。

 

【入力条件】平日、午後二時過ぎ、ゆったりとしたカジュアルな服装の30代女性が1人、遅めの昼食を公園で泣きながら貪る理由……。


【演算開始……娘の保育園へのお迎えの時間から逆算して選んだパン屋のアルバイトは、午前中の準備と正午のピーク時間の繁忙は大変だがやり甲斐があり、店は繁盛していて時給も良く、おまけにお弁当まで持たせてくれて文句の付けようがない。

 こうして平日の午後、普通のサラリーマンなら必死に働いているであろう時間に、公園のベンチでゆったりと最高のパンを頬張れる贅沢は、「普通」じゃなかなか味わえない。

 アルバイト終わりから保育園に至る、この2時間弱の時間が愛おしい。化粧もお洒落もほどほどに、けれど今までは見向きもしなかった、街の小さな雑貨屋やセレクトショップを冷やかして廻るのも悪くない。

 強いて言うなら、いつまでも改善されない花粉症だけが目の上のたんこぶだけれど、平日の午後、公園のベンチでランチが出来る時間のために、全部全部「選んで」来たのだ……終了】


 私はベンチである。

 ベンチとは普通、何も感じないものだ。

 けれど、「誰かが」「意図して」「誰かにひとときの安らぎを与えるために」『そこ』に置かれるものである。

 私はベンチである。

 幸せを集めるベンチである。

 願わくば隣に座る誰かが、いつまでも幸せであるように。

 私はそっと本を閉じ、頭部に付いた花片を摘まんで排除しようとして失敗し、仕方なくバイブレーション機能をオンにして『ド派手な貧乏揺すり』で通りがかったサラリーマンを驚かせては、「新学期デビューに失敗して落ち込んで読書に逃避する女子高生」の演技を続けることにした。

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