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第百九十二話

「グレイファング!俺が上空から敵主力を引きつける!貴様はその隙を突き、トーテムを砕け!」


圧倒的有利な状況で、ゼファーが空の王者として最も確実な勝利への道筋をグレイファングに向けて叫んだ。

だが──。


「……なんだと?」


地上で敵を蹴散らしていたグレイファングの顔がぴくりと歪んだ。

そして彼は遥か上空を舞うゼファーに向かって、吼えた。


「ゼファーッ!貴様、何を言っている!まだ敵将との『一騎打ち』が済んでおらんではないか!」

「……は?」


予想外の言葉に、ゼファーの思考が一瞬だけ停止した。


(あの野郎、何と言った?一騎打ちだと?いや言葉の意味は分かる。だが……何故今ここで?これはそういう競技ではないはずだ……)


ゼファーは己の耳を疑った。あの狼は勝利を目前にして一体何を言っているのだ──と。


「グレイファング!戯言を言うな!これは『一騎討ち』の競技ではない!目的はトーテムの破壊だ!さっさと折れ!」


空からゼファーの苛立たしげな声が轟く。

だが、地上で敵の残党を睨みつけていたグレイファングは、ゼファーの言葉に侮蔑の光を宿した隻眼を向けた。


「戯言を言っているのはお前だ、ゼファー!ただ物を壊すだけの勝利に何の意味がある!敵将の首を取らずして、勝利などと呼べるか!」


無論、この競技で『首を取る』のは比喩表現だ。

だがグレイファングにとって敵の最強の戦士を自らの牙で打ち負かすことこそが、戦いにおける真の勝利であった。


「これは戦場での殺し合いではない!儀式だぞ!ルールが存在する儀式だ!」

「ルールだと?戦士の誇りよりもルールの方が大事だとでも言うのか!それに儀式ならば神聖なる儀式には神聖なる決闘が相応しいだろうが!」

「な、なにを言っているんだお前は!?いいからさっさと折らないか!」


天の将と地の将。

二人の族長は敵の最後の砦を目の前にして、互いに一歩も譲ろうとはしない。


「ゼファー様……?」

「グ、グレイファング様……」


ヴォルガルドとアクィラントの戦士たちも、二人の激しい口論に立ち尽くすばかりであった。

勝利はすぐそこにあるというのに。彼らの不器用で純粋な誇りと、噛み合わない価値観が勝利を自らの手で遠ざけていた。


「な、なにを……」


レオニスは信じがたい光景に呆然としていた。

確かに、あの二人が特別に仲の良い親友というわけではないことは知っている。だが、戦場においては互いの背中を預け合う戦友であったはずだ。

レオニス自身、幾度となく彼らと共に死線を越えてきたがあのような下らない言い争いで、勝利を目前にして足を止めるなどという醜態は一度も見たことがなかった。


それが、何故──。


「レオニス」


レオニスの困惑を、隣に立つ男が見逃すはずもなかった。

アドリアンが楽しそうに言った。


「知ってたかい?あの二人、キミが見ていないところだと、びっくりするくらい反りが合わないんだぜ。仲が悪いってわけじゃなくて……価値観が違うっていうかさ」

「……なに?」

「ライオンさんが睨みを利かせているからこそ、クセの強い鷲と狼も同じ群れとして機能していた。キミがいなけりゃ、あの通り」


レオニスははっとした。

そうだ。俺がいたからだ。俺が王として、彼らの上に立っていたからこそ二人は互いを認め合い、一つの軍として戦うことができていたのだ。


だが、そこまで考えてレオニスは新たな疑問が湧き上がってきた。

アドリアンはそれを知っていて、何故あの二人を組ませた?

だが、その瞬間レオニスの脳裏に一つの恐るべき考えが閃いた。


(──まさか、この人間は。この光景を俺に見せつけるためだけに、敢えて相性の悪い二人を組ませたのか……!?)


レオニスが戦慄と共に、隣の男にその真意を問い質そうとしたその時だった。


「あ!ほら見てよ!隼さんとワンちゃんたちの決死の別動隊が!」

「!」


アドリアンが指さす先……そこには信じがたい光景が広がっていた。

自軍が蹂躙される中、ファルコニアとカニヴェントの族長たちは半ば自暴自棄に、一つの無謀な作戦を決行していたのだ。

──こうなれば、一か八か!本隊が全滅する前に、我らだけでも、敵のトーテムを狙う!

稚拙で生還を度外視した、まさしく愚かな作戦。だがそんな決死の覚悟が、奇跡を呼び起こそうとしていた……。


「うぉぉー!!俺らの意地を見せてやらぁ……って」

「あれ……?」


玉砕を覚悟して敵陣へと突撃した、ファルコニアとカニヴェントの決死隊。

だが、彼らを待ち受けていたのは守備兵ではなく不気味なほどの静寂であった。


「……?」

「誰もいない……だと?馬鹿な、罠か……?」


それもそのはずだった。

ヴォルガルドとアクィラントの主力は、遥か彼方のトーテムの前で自軍の族長たちの内輪揉めを、呆然と見守っているのだから……。


「……罠であろうと、構うものか!一か八かだ、やるぞ!」


カニヴェントの族長が叫び、最初のトーテムへと斧を振り下ろした。凄まじい破壊音と共に一本目のトーテムが、いとも容易く砕け散る。

戦士たちは咄嗟に身構えた。罠が発動する。それか伏兵か。

そう誰もが思った。


だが──何も、起きない。


風が草原を撫でる音だけが、静かに響いている。


「……?」


予想外の光景に、戦士たちは顔を見合わせる。それでも、彼らは二本目のトーテムへと向かった。

今度はファルコニアの族長が二本目のトーテムを槍で貫いた。それもまた、何の抵抗もなく木偶のように砕け散った。

彼らは勝利が目前であるというのに、理解不能な状況に立ち尽くすばかり。


──その頃、勝利を目前にしていたはずのゼファーとグレイファングはというと……。


「大体貴様は『誇り』だの『名誉』だのと言って、前に人間の軍勢に裏切られたことを忘れたのか!」

「う、うるさい!あれは昔の話だ!それに、俺の一騎討ちに堂々と応じてくれた気骨のある人間の将軍もいただろうが!」

「あぁ、いたな!貴様とそっくりな、石頭の爺がな!だが、その時の人間の兵士たちの顔を見ていたか!?『頼むから、面倒なことを言わないでくれ!』と、全員の顔に書いてあったぞ!」


二人の大族長の下らない言い争い。それを前にアクィラントとヴォルガルドの精鋭たちは、右往左往するばかり。

そんな彼らを他所に……ファルコニアとカニヴェントの決死隊は、ついに最後の一本となったトーテムの前へと辿り着いていた。


「なぁ、本当にいいのか、これ?」

「いいも悪いも……折るしかあるまい……?」


二人の族長は状況を全く理解できぬまま、恐る恐る武器をトーテムへと振り下ろした。

ガラガラと乾いた音を立てて崩れ落ちる、勝利の証。それを見ながら、配下の戦士の誰もが顔を見合わせていた。


──その瞬間だった。


「第四試合『天と地の双撃戦』、勝者、リガルオン軍、ファルコニア・カニヴェント連合!!」


レオニスの大号令が戦場に響き渡る……。


「「え?」」

「「……はぁっ!?」」


トーテムを破壊した当人たちの間抜けな声と、それを遥か彼方で聞いたゼファーとグレイファングの更に間抜けな絶叫が静寂の中に響き渡った。

暫く呆然とするゼファーとグレイファング。そのうちに状況を理解したのか、お互いに顔を真っ赤にして叫び始めた。


「……貴様のせいだ!」

「いや、貴様のせいだ!」


第四試合の呆気なく情けない結末。その中心で二人は子供のように醜い罵り合いを続けていた。


「そもそも貴様が『一騎打ちだ』などと、訳の分からんことを言い出さなければ、今頃とっくに勝利していたわ!」

「黙れ!貴様が快く一騎打ちを了承すればよかっただけだ!」

「だから、これはそういう競技ではないと、あれほど……!」


勝敗が決したというのに醜い罵り合いは終わる気配を見せなかった。

だが、下らない子供の喧嘩に終止符を打つ者がいた。


「そこまでだ」


静かな、絶対に逆らうことのできぬ威厳に満ちた声。

声の主──獅子王レオニスが二人の間に割って入った。彼の纏う王者の覇気を前にして、あれほどいきり立っていた二人の猛者も思わず口を噤む。


「レ、レオニス様……これはその……」


グレイファングが己の失態を何とか取り繕おうと口を開く。

だが、レオニスは二人を叱責することはなかった。彼はただ静かに告げた。


「個の力は確かに絶大だ。だが、それだけではただの嵐となり時には自滅すら招く。真の強さとは、互いの力を認め合い、一つの群れとして機能することにある。今日の敗北はそれを学ぶための、良い機会だったのではないか?」


王の器を見せたレオニスの言葉。

それにゼファーとグレイファングは何一つ言い返すことはできなかった。二人はバツが悪そうに、互いからぷいと顔をそむけるだけであった。


その時だった。二人の間に、ふわりとアドリアンが空から舞い降りたのは。


「やぁやぁお二人さん、お疲れ様!いやぁ、『どっちが悪いか』勝負、今日一番の熱戦だったねぇ!……あれ、俺が見てたのは『天と地の双撃戦』だったはずなんだけどいつの間に種目が変わったんだっけ」


飄々としたアドリアンの態度に、ゼファーとグレイファングはキッと鋭く彼を睨みつけた。


おかしいとは思っていた。


わざわざ空と陸の最強戦力であるアクィラントとヴォルガルドを組ませるなど。戦力が偏りすぎている。この男らしくない稚拙な采配だと。

だが、それはただの疑惑に過ぎなかった。……今、この男の全てを見透かしたような笑みを見るまでは。


──こいつ、わざとだ。この結末を全て予測した上で、我らを組ませやがったな!


二人が殺気すら込めた視線を向ける中、アドリアンは素知らぬ顔で言葉を続ける。


「しかし惜しかったなぁ。特にグレイファングが昔人間に裏切られたっていう失敗談の続き、もう少し聞きたかったんだけど。……おっと、失礼。勝負には全く関係のない話だったねぇ」


ゼファーとグレイファングは顔を真っ赤にして、何かを叫び返そうとした。

だが──この男に何を言っても無駄だ。そう瞬時に悟ったのだろう。二人の猛者は同時にがっくりと肩の力を抜いたのであった。

アドリアンはくつくつと喉を鳴らして笑った。だが、その笑みは先程までの悪戯っぽいものではなくどこか温かいものだ。


「今の勝負、見事だったよ。隼さんとワンちゃんたちもね!……だけど一番の収穫はきっと別にある……」


アドリアンの真っ直ぐな優しい言葉にゼファーも、グレイファングも渋々ながら頷いた。

そうだ。これは殺し合いではない。大草原の未来を皆で築くための戦いなのだ、と。


「こうして敵も味方もなく互いの力を認め合い、時には下らないことで言い争い、そして笑い合う。……俺は、こういう光景が見たかったんだ。単純に勝つよりとっても尊い景色だから……」


アドリアンが一瞬寂しげな瞳を浮かべた。だが、すぐに再び快活な声で次の試合へと皆を促す。


「さぁ!まだまだ面白い勝負は残ってる!次の誇りのぶつかり合いを、見ようじゃないか!」


大キトゥラ・シャゼイ。勝負は二勝二敗。

まだまだ予断を許さぬ展開は、続く──。


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