第百九十一話
大キトゥラ・シャゼイ。勝敗は現在二勝一敗で、アドリアン率いる同盟軍がリードしている。
だがリガルオン側も決して怯んではいない。
続く第四試合は空と陸……それぞれの覇者の連携が試される特殊な団体戦である。
両軍の兵士たちが見守る中、広大な大草原のフィールドに次々と巨大な柱が設置されていく。
それは各部族の紋章が刻まれた三本の部族の証のトーテム。両陣営の互いに等しい距離の陣地の奥深くに、それは聳え立った。
第四試合──『天と地の双撃戦』。
ルールは自軍の三本のトーテムを死守しつつ相手陣地の三本のトーテムを、先に全て破壊した軍の勝利となる。
ただ攻めるだけでも、ただ守るだけでも勝てないまさしく軍としての総合力が問われる戦い。そして何より、空を駆ける者と地を駆ける者の完璧な連携が不可欠となる勝負であった。
その勝負に同盟軍から参加するのは二つの部族。
鷲の大部族アクィラントと、狼の大部族ヴォルガルドの部族であった。
アクィラントとヴォルガルド──同盟軍が誇る空と陸の二大巨頭。
二つの圧倒的な武威に対し、リガルオンの陣営から名乗りを上げたのは、隼の獣人大部族ファルコニアと忠義に厚い犬の獣人大部族カニヴェントであった。
無論、そのどちらも大草原に広く名を知られた強大な部族である。
だが……。
「むぅ……なんと壮麗な。あれが空の王者アクィラントか」
ファルコニアの族長は遥か上空で陣を敷く鷲の軍勢を仰ぎ見ながら、彼らの威容に気圧されていた。
「完璧な統率。あれが、ヴォルガルド……」
カニヴェントの族長もまた冷や汗を流しながら、眼前に並び立つ狼の群れを畏怖の念を持って見つめていた。
大草原に生きる者であれば、誰もが知っている。アクィラントとヴォルガルド……二つの部族が連合を組んだ時、その前に立ちはだかることがどれほど無謀であるかを。
それほどまでに、この二つの部族は絶対的な存在なのだ。
「うーん、これはまたどっちが勝つかさっぱり分からないね、レオニス!」
アドリアンとレオニスは、いつものように丘の上から並んで見守っていた。
「……そうか?」
アドリアンの呑気な言葉にレオニスは難しい表情で応じた。
レオニスとて自軍の勝利を信じていないわけではない。ファルコニアもカニヴェントも、フェルシル大草原が誇る紛れもない強者の一族だ。
だが……相手が悪すぎる。
空の絶対王者アクィラントと地の最強集団ヴォルガルド。六大部族の中でも特に戦闘に特化した二つの部族が連合を組んだ……。
それに対し、リガルオンの陣営は確かに名の知れた大部族ではあるが、六大部族と比較すれば規模も個々の練度も残念ながら一枚劣る。
勝敗は火を見るよりも明らかであった。
そんなレオニスの内心を見透かしたかのように、アドリアンが楽しそうに言った。
「ちっちっちっ。レオニス、キミは分かってないなぁ。勝負ってのは、始まるまでどっちに転ぶか分からないから面白いんじゃないか。一見力の差が歴然に見えても、実際はそう甘くない。現実ってやつはそこがたまらなく楽しいところなんだよ」
「ふむ……」
楽観的な言葉に、レオニスは黙って眼下で繰り広げられる戦士たちの対峙を見つめるだけであった。
そうして二人が穏やかな時間を過ごしていると、戦士たちの抑えきれぬほどの興奮が戦場全体の空気をびりびりと震わせる。
その熱狂の頂点で獅子王レオニスが腕を天に突き上げた。
「これより、大キトゥラ・シャゼイ第四試合『天と地の双撃戦』を開始する!各部族、己が誇りの全てを懸け全身全霊で勝負に挑め!」
号令が轟いたその瞬間だった。
同盟軍の陣地から一つの巨大な影が凄まじい速度で天へと舞い上がった。ゼファーである。
彼は瞬く間に遥か上空へと到達すると驚異的な視力で、眼下に広がるリガルオン側の陣形、戦士の位置、そして三本のトーテムの位置を寸分違わず完全に把握した。
「──見えた」
その声は風に乗り、地上で静かに時を待つ相棒の元へと届けられた。
「グレイファングよ、聞こえるか。敵の陣形は右翼が手薄だ。そこから突撃し、まずは一本奴らの牙を折れ」
ゼファーの指令が下された、その刹那。
「狙うは右翼!お前たち、一気に食い破るぞ!」
グレイファングの号令と共に、それまで静寂を保っていたヴォルガルドの精鋭たちが一斉に大地を蹴った。
先頭のグレイファングを頂点とした楔形の陣形で、彼らは敵陣の最も脆い一点へと、恐るべき速度で殺到していく。
だが、リガルオンの陣営もただやられるだけの烏合の衆ではない。
「ヴォルガルドが来るぞ!陣形を固めろ!一歩たりとも通すな!」
その声の主は犬の大部族、カニヴェントの族長。
彼らはヴォルガルドの突撃を真正面から受け止めるべく、屈強な戦士たちを盾のように並べ牙と爪を剥いていた。
牙と爪、そして鋼の武器が激しくぶつかり合う甲高い音が戦場に響き渡った。
「どけぇ!道を開けろ!」
「させるか!我らの意地を見せろ!」
狼の群れの一点突破を狙った鋭い突撃。それを犬の戦士たちが自らの身体を盾として、必死に押しとどめる。
ヴォルガルドの圧倒的な突破力と、カニヴェントの崩れぬ防御力。二つの獣人部族の誇りが激しく火花を散らしていた。
犬と狼──二つの獣人部族の誇りがぶつかり合う壮絶な光景を見て、アドリアンとレオニスは純粋な感嘆の声を漏らした。
「ワンちゃんたちも中々やるけど……やっぱり、グレイファングの突撃は別格だね」
「うむ。奴と、奴が育て上げたヴォルガルドは大草原の『牙』そのものだ。我らは永きに渡り、狼の牙に守られてきたと言っても過言ではない」
フェルシル大草原においてヴォルガルドはリガルオンと共に幾度となく他国からの侵略を退けてきた、絶対的な守護神であった。
そしてレオニスが最も信頼を置く副官──それこそが隻眼のグレイファングという男だったのだ。
「そうだね。ヴォルガルドとグレイファングには、俺も何度も助けられたからね……」
ヴォルガルドの群れが統率の取れた動きで敵陣を切り裂いていく。
その姿にアドリアンは、どこか懐かしむような瞳を向けていた。
「ふむ……?」
アドリアンの親しげな言葉と眼差しに、レオニスが首を傾げた。
「お前とグレイファングとは、以前からの知り合いなのか?」
「え?あぁ、そうだねぇ。俺がまだ生意気な若造だった頃からの、長い付き合いさ。六十年くらい前じゃない?たぶん」
「……なんだって?」
言葉の意味を解せず、レオニスは更に眉をひそめる。だがアドリアンはそれ以上何も語ろうとはしない。
彼はふいと地上戦から視線を外すと、今度は遥か上空──鷲と隼、鳥の獣人たちが繰り広げるもう一つの激戦へと目を移した。
「地上部隊を援護するぞ!ヴォルガルドに、これ以上好きにはさせん!」
「はっ!ですが族長、アクィラントの妨害があまりにも……!」
隼の大部族ファルコニアが、地上で劣勢の味方を救うべく降下しようとする。
だがその行く手をアクィラントの精鋭たちが、鉄壁の陣となって阻んでいた。
「アクィラントの動きが早すぎる……!我ら隼でも追い切れん……!」
空中で鷲と隼、二つの鳥の獣人部族による壮絶な空中戦が繰り広げられていた。互いの槍が空を切り裂き、風切り羽がぶつかり合って火花を散らす。
両者一歩も譲らぬ一進一退の攻防。だが、個々の技量では勝るアクィラントの戦士たちが徐々にファルコニアを圧倒し始めていた。
そして、一際注目を集めていたのが……。
戦場を切り裂く、一陣の風。──否、風そのものと化した一羽の鷲。
ゼファーである。
「──はぁっ!」
気合一閃。ゼファーが巨大な翼を一度だけしなやかに、力強く羽ばたかせた。
次の瞬間、彼の周囲に荒れ狂う風の刃が竜巻となって巻き起こった。風の刃はゼファーに襲い掛かろうとしていた数十人のファルコニアの戦士たちを鎧袖一触。
赤子でもあやすかのように、いとも容易く吹き飛ばしてしまった。
彼はただ一度の羽ばたきで大空の支配者が誰であるかを、そこにいる全ての者へと改めて知らしめたのだ。
「ゼファーのやつ、随分と張り切ってるなぁ。ところで知ってる?レオニス。あいつさぁ、いつも仏頂面で澄ましてるけど……実は腹の底じゃマグマみたいなものを飼ってる、とっても熱い奴なんだよな」
数万の戦士たちがゼファーの圧倒的な力に慄く中、アドリアンだけが愉快そうに笑っていた。
ゼファーという男は無表情で何を考えているか分かりにくい。だが、彼の胸には誰よりも熱い激情が迸っていることをレオニスは知っている。
しかし、それはレオニスが彼と長い年月をかけて接してきたからこそ分かることだ。一方でこの人間とゼファーは、まだ出会って間もないはず。
だというのに、何故……。
「お前は一体……」
レオニスが問いを口にしかけた、その時だった。
「あ、レオニス!見なよ、一本目が折れそうだ!」
アドリアンの声に、はっと視線を戦場に戻せば──そこには、敵を一方的に蹂躙する狼と鷲の姿があった。
「ウォォォォォンッ!!」
グレイファングが、天に向かって吠えるかのような雄叫びを上げ、単騎で敵陣へと突撃する。
その凄まじい突進の前にカニヴェントの盾の陣形は紙屑のように吹き飛ばされ、犬の獣人たちが空高く舞い上がった。
「我が飛翔、見切れるか」
上空ではゼファーが華麗に舞いながら、隼の獣人たちを翻弄していく。
彼の放つ風の刃を躱しきれず、ファルコニアの戦士たちが次々と墜落していく。
「だ、駄目だ!止められん!」
「トーテムが……!」
轟音と共にリガルオン側の一本目のトーテムがグレイファングの爪によって無残に砕け散る。
そして間髪入れずに、二本目のトーテムもまたゼファーの風の刃によって天高く吹き飛ばされた。
「……」
そんな一方的な展開を、レオニスは静かに見つめていた。
やがて彼は誰に聞かせるともなくぽつりと呟いた。
「勝負あった、か」
自軍の戦士たちの健闘を誇らしく思う。だが、それ以上に歴然として存在する大きな力の差。レオニスは静かに溜息を漏らした。
諦観に満ちた彼の横顔を見て、アドリアンがどこか楽しげに言った。
「なぁ、レオニス。獣人ってのはさ、一人一人の力は本当にすごいよな。……だからこそ、あんたみたいな王様がちゃんと導いてやらないと、とんでもないヘマをやらかす時もあるんだ」
その意味深な言葉にレオニスは訝しげに眉をひそめる。
「何が言いたい?」
だがアドリアンはにやりと悪戯っぽく笑うだけだった。
「まぁ、見てなって」
彼はそれだけを言うと、再び眼下で繰り広げられる一方的な蹂躙の光景へと視線を戻す。
レオニスの目に映るのは、リガルオン側の最後のトーテムへと到達したゼファーとグレイファングが率いる空と陸の連合軍。
もはや、勝敗が決まるのは目前であった。




