表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

185/196

第百八十一話

大草原にその名を轟かせる六大部族の一角、大部族フォクシアラ。

その本拠地たる里は、他のどの集落とも一線を画す優雅な気に満ちた場所である 。

幻術を操る彼らの気質を映したかのように、建物は優美な曲線を描き、集落全体が静謐な美しさに包まれている 。普段であれば穏やかな談笑や、術を練る静かな気配が感じられるはずだった 。


だが、今は──里全体がこれまでになく張り詰めた空気に支配されていた。

優雅な里並みを支配するのは、戦を前にした喧騒である。


「急げ!里中の武具を集めろ!使える槍、弓、矢の一本に至るまで、全てだ!」

「各隊、戦の準備は万全か!族長様より此度の戦、我らフォクシアラの総力を挙げるとの御達しだ!」


金色の毛並みを持つフォクシアラの戦士たちが、里の大通りを慌ただしく駆け回る 。

武具庫から運び出される武具の擦れる音、指揮官たちの鋭い号令、戦士たちの覚悟に満ちた返事が、里に絶え間なく響き渡っていた。


慌ただしい気配は、里の中央に位置する族長の屋敷も例外ではなかった。

普段であれば静寂に包まれているはずの優美な屋敷が、この時ばかりは戦を前にした喧騒と緊張に満ちていた。


「配下部族の参集状況をどうなっている?」

「はっ。キンアーラ、ギンレイ、アカツキバの三部族より、出陣準備が整い次第、フォクシアラ本隊へ合流するとの報せが入っております」


その屋敷の長い廊下を、数人の部下を引き連れて堂々と歩く影があった。

──フォクシアラが族長、アカネである。

金色の尻尾を揺らす優美な見かけに反し、彼女の実力は大草原でも頂点に数えられるほどの大戦士だ。


「シンエンとハヤテはどうした?」

「はっ。両部族は既に出陣を完了。先行し、リガルオン様の軍勢に合流済みとのことです」

「動きが早いな。……よし、我らも準備が整い次第、直ちに出陣する。遅れは取らぬぞ」


大草原に点在するキツネの獣人部族、その大半はフォクシアラを宗主として仰いでいる。

かつてその対抗馬と成り得たルミナヴォレンは例外であり、本来キツネの獣人はアカネ率いるフォクシアラを頂点とした一枚岩の勢力なのである。


そうしてアカネが部下たちに矢継ぎ早に指示を飛ばしていると、前方から一人の伝令が慌ただしく駆け寄ってきた。


「アカネ様!新たなる部族が、我らへの合流を申し出ております!」

「なに?」


アカネは訝しげに眉をひそめた。主要なキツネ部族には、既に全軍に召集をかけていたはずだ。

今更、どこの部族だというのか。


「どこの部族だ。名を申せ」

「はっ、それが……『アカリ』部族と名乗っておりまして……」


伝令もその名に全く聞き覚えがないのか、困惑したようにそのキツネ耳をへにゃりと垂らした。

だが『アカリ』という単語を聞いた瞬間、アカネの金色の瞳が鋭く細められた。


「アカリ……?」


その名に聞き覚えがある。部族名としてではない。

──かつて、人間の国に潜入したアカネが、奴隷市場を探るために使っていた偽名として。


嫌な予感がする。

アカネは引きつる頬を隠しもせず、伝令に問う。


「……その長は人間か?」

「は?いえ、滅相もございません。金色のキツネ耳と立派な尻尾をお持ちでしたから、我らと同じ同胞かと……」

「……」


おかしい。アカリなんて名を名乗る者は『あの男』しかいないはず。そしてあの男は人間だ。

だが、伝令はキツネの獣人だと言う。まるで、本当にキツネに化かされたかのような、奇妙な感覚だった。


「アカネ様。『アカリ』部族の長の方々は、応接室にてお待ちですが、いかがなさいますか」

「……あぁ、会おう。だが、お前たちは下がっていろ。私一人で行く」


もし、この胸騒ぎが的中しているのならば、他の者たちには見せられぬ顔合わせになる。

アカネはそう判断し、人払いをして、一人でその長とやらに会うことを決めたのだった。




♢   ♢   ♢




アカネが、覚悟を決めて応接室の扉を開けると──そこにいた二つの人影から、呑気な声が飛んできた。


「やぁ、アカネ!久しぶり!……おっと、アカリちゃんと呼ぶべきかな?」

「ア、アカネさん……ご無沙汰しております……」


黒い髪に人を食ったような胡散臭い笑みを浮かべる青年。

その隣で紫の髪を揺らしながら、おずおずと頭を下げる少女。


「──っ」


──間違いない。英雄アドリアンと、魔族の姫君メーラだ。

アカネは二人を認めた瞬間、眩暈を覚えてよろめいた。壁に手をつかなければ、見っともなく卒倒していたところだ。


「お、お前たち……」


アカネの脳裏を、嵐のように疑問が駆け巡る。


(何故、ここに? 何が目的だ?いや、そもそも大草原を荒らしていたのはやはりこいつ── )


浮かび上がる問いに、何一つ答えは出ない。

あまりの情報量に思考が停止し、アカネがどう反応すべきか決めかねていると──そんな彼女の葛藤などお構いなしに、アドリアンの快活な声が、静かな応接室に朗々と響き渡った。


「元気にしてた?見ての通り俺たちはぴんぴんしてるよ。ほら、君から貰ったこの首飾りも、この通り!」


アドリアンはそう言うと、自らの首から下げていた牙の首飾りをアカネの目の前に掲げてみせた 。

かつてアカネが、友好の証として渡したもの。だが──その牙の根元には、見覚えのある金色の毛が、一本だけ固く結びつけられていた。


「……」


それを見た瞬間、アカネの引きつっていた頬が、ぶるぶると怒りに震え始めた。


(──駄目だ、この男のペースに乗せられるな。落ち着け、私。私はフォクシアラの族長……!)


アカネは内心の嵐を必死に押し殺すと、あくまで優雅にアドリアンたちの対面に腰を下ろし背筋を伸ばした。

そして、冷静な声で口を開いた。


「……言いたいことも、問いただしたいことも山ほどあるが、まずは一つだけ聞こう。貴様たち、どうやってここに?」


その問いにアドリアンは心底不思議そうに、こてん、と首を傾げた。

アカネが言った『ここ』とは、この応接室のことだ。屋敷の門番たちが素性の知れぬ人間と魔族を易々と通すはずがない。

ましてや、異種族が里に紛れ込めば、即座に己の耳に入る手筈になっているというのに……。


だが、アドリアンは心外だとでも言いたげに肩をすくめた。


「アカリ……いや、アカネ。俺とメーラから生えている愛らしいキツネの耳が見えないのかい?こんなに可愛いのにさ」

「……!」


アカネは、はっと息を呑んだ。あまりの動揺に、全く気付いていなかった。アドリアンの黒髪の間から、そしてメーラの紫髪の間から、確かに見慣れた形のキツネの耳がぴょこんと覗いている。

耳だけではない。二人の背後からは、ふさふさとした尻尾まで揺れていた。


「それは……」


それは紛れもなく、キツネの同胞の証。その光景に、アカネの瞳が大きく見開かれる。


「可愛いだろ?いやぁ、一度なってみたかったんだ、キツネに!」

「わわっ、尻尾が自分の意思とは関係なく動く……!」


嬉しそうに耳をぴくぴくさせ、尻尾を揺らす二人。

だが──幻術を本分とするフォクシアラの族長の目を、その程度の見せかけで欺けるはずもなかった。アカネは瞬時に正体を見破っていた。


「……なるほど。くだらん幻術だ」


だが、と。アカネはふん、と鼻を鳴らし、埃でも払うかのように軽く手を振った。

するとアドリアンとメーラの頭や腰から生えていた耳と尻尾が、ぽん、という軽い音と共に煙へと変わって消え失せた。


「あぁっ!なんて酷いことを!」


元の人間の姿に戻ったアドリアンが、悲劇の主人公さながらに天を仰ぐ。その隣で、メーラもどこか名残惜しそうに、尻尾のあった辺りをさすっていた。


「くだらない芝居はそのくらいにしておけ。……まさかとは思うが、その程度の幻術で私を欺けるとでも思っていたのか?」


アカネはそう冷たく吐き捨てると、ようやくアドリアンたちの傍らに佇む、三人目の人物へとその視線を向けた。

──深くフードを被った、謎めいた人影である。


「術をかけたのは貴様だろう。誰かは知らないがが、ご苦労なことだ。私の前で幻術を見せるとはな」


アカネは応接室に入った瞬間から、フードの人物の存在には気付いていた。だがそれ以上にアドリアンという男が放つ存在感があまりに強烈で、これまで意識の外に置いていただけだ。

アカネの鋭い視線を受け、フードの人物はびくりと肩を揺らした。


「いやはや、流石はアカネちゃん!幻術を見破る慧眼、お見事だねぇ」


アドリアンの軽薄な賞賛に、アカネは不機嫌さを隠しもせず優雅な仕草で足を組んだ。


「ふん。このような児戯に等しい幻術、フォクシアラでは物心ついたばかりの子供でも使えるぞ。あまりの拙さに欠伸を堪えるので必死だったくらいだ」


アカネの辛辣な言葉に、アドリアンとメーラはきょとんとした顔で互いを見合わせ、ぱちくりと瞬きを繰り返した。


「えぇと……アカネちゃん?俺の目には素敵な幻術に見えたんだけど……」

「そ、そうです!だって私たち、ちゃんとキツネの耳と尻尾が生えてましたし……!」


二人の純粋な反応にアカネは一瞬眉をひそめたが、すぐに苛立ちを声に乗せて言い放った。


「三つの頃の私の戯れの方が、まだ見応えがあったぞ。──もういいだろう、今の出来損ないの術の話は終わりだ。さっさと貴様の目的と、この里に何の用か白状したらどうだ」


いよいよアドリアンとメーラが、じっとりと冷や汗を垂らしながら気まずそうに視線を交わした、その時だった。


「──姉さん」


不意に、フードの人物が凛とした、しかしどこか懐かしい声でそう呟いた。

その声を聞いた瞬間、アカネの身体が、時を止められたかのようにぴしりと硬直した。


今の声は。


この声は。


聞き間違えるはずもない。


まさか……。


「姉さん。申し訳ございません。お見苦しい幻術を披露してしまい……」


フードの人物が自らの手で、深く被っていたそれを静かに外した。

現れたのは──アカネの面影を色濃く宿す、整った顔立ちの青年。彼女が誰よりもよく知る、たった一人の弟。


──カイである。


フードの下から現れた金色のキツネ耳は、叱られた子供のように、しゅんと力なく垂れ下がっていた。


その光景を前に、アドリアンとメーラは「あちゃー」とでも言いたげに、気まずそうに視線を泳がせている。


そしてアカネは──何もかもが理解の範疇を超え、ぽかんと口を開けたまま身体を硬直させるのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ