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第百七十六話

大草原のとある一角。

 

そこには以前の血で血を洗うような混沌とした空気が嘘であったかのような、活気に満ちた一つの大きな「街」が形成されていた。

かつては敵として睨み合っていたはずの様々な部族の獣人たちが、今は部族の垣根を越えて笑顔で行き交っている。


市場では狼の獣人が小さなシカの獣人から瑞々しい野菜を買い求め、その隣では美しい蛇の獣人が、珍しい薬草を熊の獣人へと楽しげに売り込んでいる。

女性たちもあどけない子供たちも、皆何の不安も恐怖も顔に浮かべることなく、この平和がずっと昔から当たり前のものであったかのように、穏やかに日常を営んでいた。


「うおぉぉ、メシだ!山盛りのメシだ!」

「こ、ここの飯は、美味いだけじゃない……。力が、腹の底から、みなぎってくる……!」


活気あふれる市場の中央に設けられた、巨大な炊き出し場。

そこでは獣人の戦士たちが食卓を笑顔で囲んでいた。

元々は中小部族であった者も、六大部族であった者もここでは関係ない。

皆が平等に潤沢に振る舞われる滋養に満ちた食事を心の底から楽しんでいる。


ここは『みんな仲良し!平和大好き!』同盟軍の本拠地。

かつては廃棄集落として、誰からも見捨てられた行き場のない獣人たちが身を寄せ合って暮らしていた寂れた場所。


──そな廃棄集落は、英雄によって大草原でも屈指の活気ある場所として、蘇っていた。


「……あの廃棄集落が、こうも活気あふれる場所になるとはな」


そんな生まれ変わった街の中を、一人の黒豹の獣人——ゼゼアラが静かに歩いていた。

かつての絶望だけが支配していた場所を知っている彼にとって、目の前に広が風景は都合のいい夢でも見ているかのようだった。


「私たちが遠征している間に、随分と豊かな土地になりましたね……」


ゼゼアラの横で信じがたい光景を興味深そうに見つめながら黒豹の少女戦士——クローネがぽつりと呟いた。

彼女もまた、ゼゼアラと同じく廃棄集落のかつての姿を知る者の一人である。

かつて、すぐ近くにある収穫地を占拠していた身としては、どこか肩身が狭い思いもあるが……。

しかし、目の前に広がる不思議な光景を前にしては、好奇心を抑えきれないのだろう。彼女のしなやかな黒豹の尾が楽しげにゆらゆらと揺れていた。


「ああ。アドリアンが集めた大草原中の戦士たちが、ここに集結しているのだからな。活気があるのは当然だ……。だが、それだけじゃない」


ゼゼアラは一度言葉を区切ると、街の大通りを疾風のように駆け抜けていく一人のエルフの少女の姿を、鋭い瞳で見据えた。


「みんな~!もっと、いっぱい運ばないと、果物が足りなくなっちゃうよ~」

「ケルナさまぁ……!お、俺たちにゃ、そんな山のように荷物は持てねぇですよぉ~!」


金色の短髪を快活に揺らし、華奢な身体に全く似つかわしくない巨大な荷物の山を軽々と抱えながら、エルフの少女——ケルナが走る。

その後ろを、アクィラント……とは全く関係のない鷹の獣人たちが、ほんの僅かな量の荷物を持っただけで、よろよろと情けない悲鳴を上げながら必死に追いかけていた。


「ケルナ殿が、膨大な数に膨れ上がった我々の勢力の胃袋を下支えしているのだ。エルフとはなんとも不思議な種族よ……」


この場所からケルナが送り届けてくれていた、膨大な食料や支援物資。

それがアドリアンとモルが率いる急ごしらえな同盟軍にとって、どれほどの助けになっていたことか。

あれがなければ、今回の大草原の制圧遠征は、失敗に終わっていたかもしれない。


「レフィーラ様もヴォルガルドの王を真正面から圧倒し、凄まじい風の力でシャドリオスを駆逐したし……メーラ姫も奇跡のような癒しの力で、多くの仲間たちの命を救ってくださった……」


クローネの脳裏には、とある光景が浮かんでいた。

戦場を美しく苛烈に駆け抜けるエルフの守護者レフィーラと、小さな手から癒しの光を放ち続ける魔族の姫メーラの姿だ。


「一体、何者なのでしょうか。アドリアンは……彼女たちは……」


今更ながらクローネは、アドリアンたちが持つ規格外な力の数々に慄然としていた。

圧倒的な個の力を持つ、人間の英雄。

自分たちパンテラだけではなく、猛々しいリノケロス、そしてあろうことか六大部族が内の三つまでもを配下に収めてしまった人間の男。

最早この『みんな仲良し!平和大好き!』同盟軍は、大草原の半分以上を手中に収める一大勢力と化している。

そんな信じがたい現実が、クローネには未だに受け入れがたいのだ。


「不安か?クローネ」


若き女戦士の心の奥底にある微かな不安を見抜いたのか。ゼゼアラは穏やかな声で問いかける。

クローネは一瞬の逡巡の後、胸の内にある素直な言葉を口にした。


「……不安ではないと言えば、嘘になります。彼らは獣人ではありませんから……」


正直で獣人らしい彼女の言葉。

それにゼゼアラは口元に笑みを浮かべた。


「お前がそう思うのも無理はない。我ら獣人は、他の種族から裏切られ続けてきたからな。……だがな、クローネ」


そしてゼゼアラは腕を伸ばし、大通りの一画にできていた人だかりを指差した。


「あれを、見てみろ」


そこには——。


「さぁさぁ!可愛いもふもふちゃんから、そこの渋くてダンディなもふもふのおっさんまで!みーんな自慢の尻尾を、ぶんぶん振って集まってくれ!」


そこにいたのはアドリアンだった。

彼はどこからか持ってきた、ただの木箱を即席の台座代わりにして立ち、道行く獣人たちに呼びかけていた。

最初は「なんだ、なんだ」と遠巻きに見ていた獣人たちも、それが例の英雄だと分かると顔を、輝かせ我先にと彼の元へと寄ってくる。


「近頃大草原から獅子の秩序が消えちゃって、皆ちょっぴり不安だよね!だけど大丈夫!これから語る愛と勇気と友情の、一大スペクタクル英雄譚を聞けば!そんな、ちっぽけな不安なんて遥か彼方に綺麗さっぱり、吹き飛んでいっちゃうからさ!」


アドリアンは熱心な観衆を前にして、吟遊詩人のように語り掛けている。

そんな光景を見ていたクローネは口をあんぐりと開けて言った。


「な、なにを……やっているんですか、アイツは……」


呆れたような驚愕するようなクローネの呟き。

それに、ゼアラも肩を竦ませて答えるのであった。


「アドリアンに言わせれば、あれが最も重要な『英雄の責務』らしい。曰く、民草の心の不安を希望の光で照らし取り除くことこそが、な」


そして、アドリアンの楽しげな英雄譚の語りが始まった——。

それは大草原しか知らぬ獣人たちにとっては、想像すら出来ない胸躍る冒険の物語であった。


「まずは人間の王国で悪徳大臣のくだらない陰謀を、俺の輝く知性で暴いてやった時の話から!王様がお人好しすぎて国ごと乗っ取られちゃう前に、俺はすかさず……」


ある時は、人間の王国で邪悪な大臣の陰謀を知略で打ち破った、痛快な物語を。


「ドワーフの国ではお姫様と恋に落ちちゃってね!アドリアン様素敵~!って言うもんだから、ドワーフのおっさん共が俺に嫉妬しちゃって……」


ある時はドワーフの帝国で、とある姫君と恋に落ちた……という設定の、甘くて嘘くさい作り話を。


「世界樹を蝕む古の呪いを俺の神々しすぎる力で浄化した心温まる物語も忘れちゃいけないね!そこのエルフたちといったら、プライドだけはいっちょ前に高いくせに、自分たちじゃ何もできなくてさぁ……」


ある時は神秘なるエルフの森で、世界樹を蝕む呪いを聖なる力で浄化してみせた、幻想的な物語を。


「竜人の国じゃ、もうなんかよく分からない星みたいにデカい化け物が大暴れしててさ。流石の俺も一人じゃちょっと面倒くさかったから、最高の仲間たちと力を合わせて、愛と勇気の友情パワーでやっつけちゃって……」


そして、ある時は気高き竜人の国で、天を覆うほどの巨大な魔獣を仲間たちとの絆の力で打ち倒した、感動の物語を。


合間合間に、皮肉と毒が挟まれる巧みな語り口。

その場にいた全ての獣人たちは、心を完全に鷲掴みにされていた。

子供たちは目をキラキラと輝かせ、大人たちは固唾をのんで物語の続きを待つ。


「……」


それは先ほどまでこの光景を冷めた目で見ていたはずの黒豹の女戦士クローネですら、例外ではなかった。

彼女もまた、英雄の物語に知らず知らずの内に心を引き込まれてしまっていたのだ。


アドリアンの語る英雄譚はいよいよ佳境に差し掛かり、獣人たちが言葉の続きを見守る中——。


「さて、そろそろ最後の物語!最後はどんな物語がいいかな……?──おっとそうか。蛇の物語がいいかも」


不意にアドリアンが、よく分からないことを言い始めた。

獣人たちが、「蛇?」と、顔を見合わせざわめき始める。


──次の瞬間。


「シャッ!!」

「!?」


観衆の輪の外側から風を切り裂いて、一つの影がアドリアンへと襲い掛かった。

それは獣人の動体視力ですら、捉えきることのできない神速の一撃——。


しかし。


「蛇の女王様は俺のことが、好きすぎてね。こうやって俺が他の誰かに注目されてると嫉妬して、愛のタックルをかましに来ちゃうんだよな!」

「!!」


アドリアンはその一撃を最初から分かっていたかのように、鮮やかに容易くいなすと、影の主を自らの腕の中へとすっぽりと収めてしまった。

そして、アドリアンの腕の中に収まっていたのは……。


「むきー!!失敗!失敗よ!今度こそ、いけると思ったのに!」


手と尻尾をばたつかせ、悔しそうに叫ぶセルペントスの女王ナーシャであった。

大部族の長が突如として英雄に奇襲を仕掛けた光景に獣人たちが呆然とする中、アドリアンは笑いながら言った。


「さて、と。皆さん、ご静聴ありがとう!これにて英雄譚の第一部はおしまいだ!スリリングな実演付きの特別演出もあったことだし、皆満足してくれたかな?」


アドリアンはそう言うと、ナーシャを腕に軽々と抱えたまま木箱の上からふわりと地面へと降り立った。


「あーもう!なんなのよ、アンタは!なんで、いっつもいっつも、私の奇襲が失敗するわけ!?」


アドリアンの腕の中で、ナーシャは悔しそうに叫ぶ。


「いやいや、危うく、やられるとこ——」


アドリアンが、いつものように軽口を紡ぎかけた瞬間であった。


「──!!!」


何かを思い出したかのように、その瞳が驚愕にぎょっと見開かれる。

楽しげだった表情は一瞬にして消え失せ、顔からは血の気が引き、額には冷や汗がじわりと滲み出た。

そして、顔を引き攣らせながらも言った。


「……ナーちゃん、よく聞いてくれよ?」


そして——アドリエンは一瞬浮かばせた表情を、いつもの笑みの下へと隠す。


「俺には奇襲なんてものは絶対に通じない。なんたって俺は──古今東西、天上天下、唯一無二の……『最強の英雄』だからね!」


自信満々で不敵な言葉。

それにナーシャも、そして周囲で事の成り行きを見守っていた全ての獣人たちも、あっけに取られるばかりであった。


シン、と奇妙な静寂が場を支配する中——。


「そっか」


ナーシャは改めて納得したかのように、ぽつりと呟いた。


「……そうね。アンタは最強の英雄だもんね!」


女王の言葉が引き金となった。

次の瞬間、その場にいた獣人たちから、割れんばかりの歓声が巻き起こったのだ。


「すげぇ……!流石はアドリアン様だ!セルペントスの女王も敵じゃねぇ!」

「それに、見てみろよ!アドリアン様を完全に信頼しきっている……!」

「つーか何で襲い掛かったんだ……?」


割れんばかりの歓声の中。

アドリアンはナーシャを軽々と抱えたまま、歩みを進め始めた。

すると、それまで彼の周りに群がっていた、おびただしい数の獣人たちの群れが左右に分かれ、英雄と女王のためだけの一本の道を作り出した。


「みんな、ありがとう!この後俺たちは世界の運命を大きく左右するとっても重要な軍議があるから、名残惜しいけど今日のスペシャル英雄譚は、これにておしまいだ!」


アドリアンは熱狂的な観衆に、ひらひらと手を振りながら宣言する。

彼の腕の中でナーシャが、呆れたように突っ込みを入れた。


「あら、ちゃんと覚えてたの?てっきり忘れてると思って、遅れる前に呼びに来てあげたのに」

「当たり前じゃないか。世界を救う英雄様が、大事な軍議を忘れるわけないだろ」


そうして、アドリアンの背中が小さくなっていき、遠ざかっていく。——。


「……」


パンテラの若き女戦士クローネは、目をぱちくりとさせながら、一連の光景を見つめていた。

そして、その横ではゼゼアラが苦笑いを浮かべていた。


「クローネよ。余所者を簡単には信頼できないという、獣人としての誇り高さ。それは決して間違いではない。……だがな」


ゼゼアラはどこまでも穏やかな目で、仲間たちの歓声の中を楽しげに去っていくアドリアンを見つめながら言った。


「俺は……あの男だけは……信じてみても、良いのかもしれないと、そう思ってしまっているんだ」


ゼゼアラのそんな素直な言葉に、クローネのしなやかな黒豹の尾が揺れた。


「……」


クローネの瞳に、生まれ変わった集落の活気ある光景が映り込む。


笑い合う狼と犀。肩を組む鷲と蛇。

人間の英雄の物語に、心の底から聞き入っていた、名もなき多くの獣人たちの姿。


それを見て、クローネはまるで自分自身に言い聞かせるかのように、呟いた。


「……そう、ですね。あの男ならば……我らの故郷をなんとかしてくれるのかもしれない……そんな馬鹿なことを、つい考えてしまいます……」


大草原の優しい風が二人の黒豹を、そっと撫でていく。

その時、クローネが何かを思い出したかのように、呟くように言った。


「ところで、ゼゼアラ様」


クローネは、自らが心から尊敬する偉大なる長を見上げる。


「さっきアドリアンが言っていた重要な軍議とやらに、出席しなくていいんですか?」


ゼゼアラの涼しげな顔がぴしりと固まる。

そしてゆっくりとクローネから視線を逸らすと、冷や汗を流しながら口を開いた。


「いや、決して忘れてたわけではないのだ。ただ、こうして街を視察するのに気を取られ……い、いやそんなことより……間に合うか……!?後は任せたぞ、クローネ!」

「えっ?」


ゼゼアラは苦しすぎる言い訳を早口で、一気にまくし立てると、次の瞬間には、身を翻し黒い一陣の疾風となって、軍議が開かれるであろう方向へと凄まじい速度で疾走していく。


「……」


一人取り残されたクローネだったが……。


「……ぷっ」


クローネはついに堪えきれなくなったかのように、くすくすと少女のような可愛らしい笑い声を漏らすのであった。


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