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第百七十一話

どこまでも広がる大草原の青い空。

英雄アドリアンと女王ナーシャ、そして彼女が率いるセルペントスの精鋭たちは、風を切り飛翔していた。


「うーん、やっぱり気持ちいいな!空を飛ぶのは!」


その中心で、アドリアンは腕の中にメーラを抱きかかえながら、悠然と眼下に広がる景色を指し示す。


「メーラ、あそこの妙な形の窪みが見える?あの窪みはね、大草原の中でも特に面白い伝説が残っている地域で、なんと巨大なクマさんが酔っぱらって暴れて出来たっていう噂が……」

「そ、そうなんだ……」


のんきな二人の世間話。

しかし、そのすぐ後ろでナーシャは、自分たちの後方に広がる、光景を心底呆れ果てたという顔で見ていた。

そして、アドリアンに向かって声を投げかける。


「ねぇ、アンタさぁ……。明らかに嘘くさい窪みの話はいいんだけど。それより、この大量の『お土産』一体どうするつもりなのよ?」


ナーシャの視線の先——そこには奇妙な光景が広がっていた。

おびただしい数の様々な部族の獣人たちが、全員白目を剥いてぐったりと気を失ったまま、同じように宙を飛んでついてきているのだ。


熊の獣人も、猪の獣人も、猫の獣人も……まさしく雑多な部族が入り混じる、混成軍。

その無防備な集団の両脇を監視するかのように、ナーシャが率いるセルペントスの精鋭たちが冷徹な表情で、飛翔している。


その異様な光景を作り出した張本人は、悪びれる様子も一切なく、にこやかにこう答えた。


「どうしようかなぁ。とりあえず戦場のみんなへの派手な『手土産』ってことで、景気良く空からプレゼントでもしてみるってのは、どう?」


——それは、ほんの少し前の出来事であった。

アドリアンたちがレフィーラ率いる同盟軍とヴォルガルドが激突する最終決戦の地へと、全速力で飛んでいた時……。


『おや、あれは……?』


アドリアンが眼下に、大規模な獣人の軍勢が戦場へと向かって進軍している姿を捉えたのだ。

掲げられた旗はバラバラ。隊列もお世辞にも整っているとは言えない。

猪の獣人も熊の獣人も、猫の獣人もいる。ただ数の力だけを頼りに集まった規律も何もない、烏合の衆に見えた。


『ねぇ、あれがアンタの仲間たち?』

『とんでもない。我らが『みんな仲良し!平和大好き!』同盟軍は行進の一つ一つにも、愛と平和への祈りが込められているからね。やみくもにバラバラに歩いてるだけの、可愛げのないもふもふさんたちとは、全くの別人だよ』


アドリアンは眼下に広がる軍勢が、自分たちの仲間ではないことを一瞬で見抜いた。

そして同時に、彼らの進む先が自分たちの目的地と全く同じ方角であることにも、気づいてしまった。


『うーん……やる気だけはありそうな元気いっぱいな皆さんをこのまま放置しておくのも、面倒なことになりそうだな……。よし、決めた!少しいい夢でも、見て貰おうか!』

『はい?』


ナーシャの素っ頓狂な声。

それをアドリアンは気持ちの良い風の音でも聞くかのように完全に無視して、その身を眼下の獣人たちの軍勢へと急降下させた。

それに伴い、ナーシャや他のセルペントスの戦士たちもまた、アドリアンの魔法によって強制的に降下させられる。


『な、なんだ……!?空からなんか来たぞ!?』

『蛇……?セルペントス!?なんでこんなところに!?』


突如として空から飛来した、大部族。

それまで威勢よく進軍していたはずの獣人たちの軍勢は、完全に大混乱に陥った。


『ちょっと、アンタねぇ!勝手に、降下するんじゃないわよ!一言、断りなさいよね!』

『ごめんごめん!勢いが、大事だろ?こういうのはさ!』

『もう……!まぁ、いいわ!さぁ、みんな!目の前の、哀れな雑魚どもをぶっ飛ばすわよ!あ、毒は使うまでもなさそうだから、ちゃんと温存しときなさい!もったいないからね!』


右往左往しながらも、やみくもにこちらへと攻撃を仕掛けてきた哀れな獣人たち。

それをアドリアンと、そしてナーシャ率いるセルペントスの精鋭たちが文字通り「鎧袖一触」で薙ぎ払っていく。


アドリアンが一度指を鳴らせば、数百人の獣人たちが吹き飛び。ナーシャが一度尾を振るえば、その衝撃波だけで屈強な熊の獣人すらも、綺麗に気を失っていく。

一方的な蹂躙。しかし、蹂躙の中に殺意は一切なかった。

誰一人殺すことなく、おびただしい数の軍勢を鮮やかに無力化してしまったのである。


──そんなこんなで。


謎の間抜けな軍勢を一人も殺すことなく、綺麗さっぱりと捕縛したアドリアンたちは意気揚々と本来の目的地へと、再びその身を空へと舞い上がらせていたのだった。


「で、結局こいつら何者だったのよ?」

「さぁね。多分戦場に着けば、答えが分かるんじゃないかな」

(そろそろ降ろしてぇ……)


そんな軽口の応酬と、メーラの声にならない悲鳴を乗せて、アドリアンたちは大草原の空を風のように舞う。

そうしてようやく、目的の戦場が視界にはっきりと映り込んできた。


「ようやく着いた……って、あれは……?」


そこにはレフィーラが率いる、同盟軍。

そして、グレイファングが率いるヴォルガルドの狼の軍勢。

……さらに、その二つの軍勢とは別に、上空から、何かを取り囲む、ゼファー率いる鷲の獣人アクィラントの軍勢の姿があった。


奇妙な、三つ巴の光景。

それを見て、アドリアンは眉を訝しげにひそめた。


「あれは、アクィラント……?でも、おかしいな。戦っているっていう感じじゃない……。何かを皆で取り囲んでいるみたいだ」


アドリアンは眉間に、皺を寄せると、意識を一点に集中させる。

遠くの音を傍らで囁かれているかのように拾い上げることができる便利な魔法——『遠耳』を発動させるためだ。


そして、風に乗って彼の耳に飛び込んできたのは——。


『ひひ……!お忘れではございませんか、皆さま方……?今!この場所へ!この日のために、用意しておいた、我が軍勢が、続々と、向かってきているということを!』


甲高い声。

その言葉を聞いた瞬間、アドリアンの軽い空気が完全に消え失せた。

ただならぬことが戦場で起きているのだと瞬時に判断し、英雄としての全神経を、眼下の戦場全体へと集中させる。


——膝をつき、息を荒くするレフィーラ。

——戦場の至る所に生々しく残っている、闇の怪物……シャドリオスの気配。

——そして、三つの軍勢に完全に包囲されている何者かが、口にした『軍勢』という言葉。


「──」


その瞬間、アドリアンの脳内でそれまでバラバラであったはずの全てのピースが、一つの絵図となって完全に当てはまった。


(そうか。俺たちがさっき叩き潰してきた、烏合の衆。あれは、あいつが呼び寄せた増援。そしてシャドリオスの気配……レフィーラが俺の『保険』を使って、あんな状態になっているのも……あいつが原因か——!)


原因……いや「黒幕」と言った方が、正しいのだろう。

シャドリオスと深く関わる何者か。その人物こそが、大草原の生命線である霊脈に害をなす全ての元凶——。


「えーっと、何が起こってるの?アンタの仲間たちとヴォルガルドだけじゃなくて、アクィラントの鷲までいるみたいだけど……」


隣にいたナーシャが困惑したように、問いかけた。

アドリアンは彼女へと向き直り、即座に答える。


「聞いてくれ、ナーちゃん。同盟軍は、味方!ヴォルガルドも、味方!そして、アクィラントも味方だ!」

「はぁ?」

「つまり……今みんなに仲良く囲まれてる、何者かが、俺たちの本当の『敵』ってことさ!」


簡潔すぎる説明。

ナーシャの表情が、はてなマークと共に目まぐるしく変わっていく。

だが、彼女はその内に何かを諦めたように、一つ大きなため息を吐くと言った。


「……まぁ、いいわ!取り合えず、真ん中にいる一人ぼっちの奴以外には、攻撃するなってことね!分かったわ!」

「流石はナーちゃん!驚異的なまでの物分かりの良さ、その単純さ、素敵だよ!」


そしてアドリアンとナーシャ率いるセルペントスの軍勢、そして彼らが引き連れる大量の「お土産」たちは、奇妙な三つ巴の軍勢のど真ん中、その真上へと到着するのであった。


「くく……群れが来る前に、私を倒せると思っているのか?無理だと思うけどねぇ……」


眼下で、三重の包囲網の中心にいる獣人が、最後の切り札を誇示するかのように、高らかに叫んだ。

その声を、上空で聞いたアドリアンは、にやりと楽しげな笑みを浮かべる。

そして気を失ったまま浮遊させていた大量の「お土産」にかけていた浮遊の魔法を、解きながら口を開いた。


「おや?もしかして誰かさんが心待ちにしている『獣人さんの群れ』とやらは……今から落ちてくる彼らのことかな?」

「!?」


アドリアンの場違いなほどに飄々とした声が、戦場全体に響き渡る。

それと同時に、全員が驚愕に空を見上げた、その瞬間。


「な、なんじゃこりゃあ!」

「戦士が空から降ってきた……!?」


道中で捕縛した、おびただしい数の獣人たちが文字通り雨のように地面へと降り注ぐ。アドリアンが飛翔の魔法を解除したのだ。

アドリアンはその光景を見ながら、苦笑いを浮かべて口を開いた。


「この高さから落ちたら骨の数本は折れちゃうかな。まあ、獣人ってのはは無駄に頑丈だし大丈夫だろ!」


大地にいる全ての獣人たちが、理解不能な光景に呆然と空を見上げる中。

アドリアンは全ての混乱の中心で、悪戯が成功した子供のような笑みを隣にいるナーシャに見せながら、言った。


「うーん!ギリギリ、間に合った!って感じかな?」


獣人たちが、延々と落下していく——。

その恐ろしい光景に、メーラはついに恐怖の限界を超えた。


「アド!た、高い、高いよぉ!早く降ろしてってばー!」


彼女は悲鳴に近い声を上げ、アドリアンに必死にしがみついている。

その隣でナーシャは、心底呆れ果てたという表情で、しかし口元にはどこか楽しげな笑みを浮かべて言った。


「あのさぁ……。これを『間に合った』とは、流石に言わないんじゃないの?なんかもう、終わってるっぽいし」


地上の獣人たちが、物理法則を完全に無視して優雅に浮遊するセルペントスの軍勢を信じられないといった表情で見上げ、ざわざわと騒ぎ立てる中——。

アドリアンはナーシャの、もっともなツッコミに満足げに微笑みかける。


「いやいや、ナーちゃん。不貞腐れなくても大丈夫だよ。この物語の最後の悪役を、正義の味方がみんなで力を合わせてやっつけるっていう、一番美味しい『シメ』の場面には、ギリギリ間に合ったみたいじゃないか。──最高のタイミングだろ?」


アドリアンの不敵で、そして彼らしい言葉。

それにナーシャは一瞬だけ目をぱちくりとさせたが、次の瞬間にはたまらず、ぷっと吹き出して、笑ってしまった。


「——そうね。そうかもしれないね、アドリアン」


そうして、大草原の爽やかな風が彼らの間を吹き抜けていく。

周囲が英雄たちの登場に、歓喜と驚きで大きくざわめく中——。


「ばか……な……」


天と、地。幾重にも重なる、絶対的な包囲網の中心で。

全ての切り札を失った、ハイエナの獣人──ギエンの絶望に満ちた呟きだけが、誰の耳に届くこともなく虚しく戦場に響き渡った。


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