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第百五十一話

ハイエナの獣人ギエンは、シャドリオスに蹂躙される獣人たちを見て、愉悦の笑みを漏らす。

 

(くくく……素晴らしい。実に、実に素晴らしい……!)

 

彼の脳裏には、この瞬間に至るまでの完璧に計算され尽くした絵図が、鮮明に思い描かれていた。

──彼は知っていたのだ。隻眼の狼王グレイファングという男が大草原において、どれほど規格外の脅威であるかを。

もし、万全の状態のグレイファングが相手であれば、たとえ自らが『あの御方』から賜った力で、闇の大群を召喚したとしても、グレイファングの圧倒的な武威と統率力の前に、蹴散らされていた可能性すらあった。


だからこそ、ギエンは待った。

ヴォルガルドという強大な軍勢が、得体の知れない寄せ集めの同盟軍とぶつかり合い、互いに牙を削り、消耗し尽くすのを。


(しかし、エルフの女がグレイファングに勝利するとは予想外でしたねぇ)


ギエンとしては、謎のエルフの女が、グレイファングを心身ともに疲労困憊の極致へと追い込んでくれれば御の字であったのだが……まさか勝利してしまうとは。

尤も、そのお陰でグレイファングを瀕死に追いやることが出来たのだが。


両軍は満身創痍。

切り札たるエルフは力を使い果たし、最大の脅威であったグレイファングは、今や瀕死。


──これ以上ない。これ以上、完璧な好機など、ありはしない。


(今こそが、最高の瞬間なのだ……!)


ギエンは、込み上げてくる歓喜に、痩身をわななかせる。

そして、戦場を支配する絶対的な静寂の中、彼は甲高い声を響かせるのであった。


「さぁ!殺せ!殺し尽くせ!闇の軍勢よ!」


ギエンの狂った高笑いが響き渡ると同時に、大草原の戦場は阿鼻叫喚の地獄絵図へと姿を変えた。


「な、なんだ、こいつらは!?」

「地面から、湧いてきやがる……!?」


それまで殺し合っていたはずのヴォルガルドの兵士も、同盟軍の兵士も区別なく、足元から這い出てきた異形の闇の兵士——シャドリオスに、次々と襲われている。

だが、誇り高き獣の戦士たちは、無様に殺されるだけの存在ではない。

それまで死闘を繰り広げていた、リノケロス兵とヴォルガルド兵……。シャドリオスの爪が、二人の喉元に同時に迫った、まさにその瞬間。


「「はぁっー!!」」


二人は示し合わせたかのように、互いの武器を振るい、周囲のシャドリオスを引き裂いた。


「おい、ヴォルガルドの連中!一時休戦だ!まずは、目の前の気味の悪い化け物からだぜ!」

「……ふん、言われずとも!だが、勘違いするなよ、サイの角頭!オオカミは、馴れ合いなぞせぬからな!」


憎まれ口を叩きながらも、二人の戦士は自然と背中を合わせ、共通の敵であるシャドリオスへと、構える。

その光景は、戦場の至る所で連鎖するように生まれていた。

現場の兵士たちが、生きるために下した咄嗟の判断を、レフィーラが一つの巨大な意志へと昇華させる。


「……!」


レフィーラは瀕死のグレイファングの元へと駆け寄ると、傷口に手を翳す。

そして、癒しの光を注ぎながらも戦場全体に響き渡る、凛とした声で叫んだ。


「全軍に告ぐ!ヴォルガルドとの戦いは、今この瞬間をもって中断!我らの真の敵は、目の前の『シャドリオス』!生き残りたければ、協力して戦うのよ!」


その決然たる号令に、瀕死の状態にありながらも敵であるはずの彼女に命を救われている自らの王の姿を見て、ヴォルガルドの兵士たちも覚悟を決めた。

グレイファングは、傍らで介抱していた副官に、苦しげに、しかし力強く命じる。


「聞いただろう……。協力しろと……全軍に、正式に伝えよ……」


そして、彼は隻眼を自らを治療するレフィーラへと向ける。


「お前も、行け。わしのような手負いの老いぼれにかまっている暇など、あるまい」

「な、何を言ってるの!?今、治癒を中断したら、貴方、本当に死んじゃうんだよ!?」


レフィーラの悲痛な叫びに、グレイファングは、ふっと自嘲するような笑みを浮かべると、顎で戦場の中心を指し示した。

その視線の先を、レフィーラが追うと——。


「……!?」


戦場の中心では、ギエンが、凄まじい闇の力をその身に纏い、獣人たちを次々と蹴散らしていた。

その強さは通常の獣人など……いや、大戦士ですら比較にすらならない。


「こ、こいつ……こんな、とんでもない強さを隠してやがったのか!?」


ヴォルガルドの兵士が、驚愕に目を見開く。

それに対しギエンは心底楽しそうに、嘲笑うかのように答えた。


「私が強い?いえいえ、とんでもない!貴方がた誇り高き獣人の皆さんが、揃いも揃って、あまりにも弱すぎるだけなのですよぉ!」


狂った高笑いが響く中、イルデラやゼゼアラもまた、自軍の兵士たちを守るためシャドリオスの群れの中で必死に奮戦していた。

彼らの実力をもってすれば、シャドリオス数体を同時に相手にすることなど、造作もない。


「ちぃ……!?なんだこいつら、ずっと湧きまくって……!」

「これが、『シャドリオス』か。見たのは初めてだが……なるほど、厄介だ」


しかし、一体倒せば、その足元から二体、三体と、無限に湧き出てくる闇の兵士たち。

その圧倒的な物量の前に、さしもの猛将たちも徐々にその体力を消耗していくのであった。


そうして、戦況は丘の上の指揮所とて、安全地帯ではなかった。

次々と湧き出てくるシャドリオスの一部が、ついに丘の上まで這い上がり、モル少年へと凶刃を向ける。


「だ……誰か……っ!」

「GIIIII!!!!」


目の前に迫る闇の兵士を前に、モルがなすすべなく、小さな身体とウサギ耳を震わせた、まさにその瞬間。

凄まじい風切り音と共に、巨大な槍の穂先がシャドリオスを横から薙ぎ払い、粉砕した。


「!?」


モルが驚いて振り返ると、そこには得意満面の笑みを浮かべるフェンブレの姿があった。


「ぐわっはっはっは!見たか、このわしの華麗なる槍さばきを!いやぁ、大将をこんなところで死なせるわけにはいかんからのう!そしてお前を助けたこのわしの勲功は、計り知れない!うむ、これは後で、アドリアンどのから、たっぷりと報酬を貰わねばなるまいな!」


どこまでも、自分第一で、自己中心的な理由で、彼は同盟の頭脳を絶体絶命の窮地から救ったのだ。

しかし、フェンブレが得意満面の笑みを浮かべていられたのは、ほんの一瞬である……。


「!?」


モルを助けた英雄的行)は、彼を周囲にいた十数体のシャドリオスにとっての、格好の「次の標的」へと変えてしまったのだ。


「「「GIIIIIIIIII!!!!」」」


四方八方から、一斉に自分へと向けられる無数の殺意。

その瞬間、フェンブレの顔から得意満面の笑みは綺麗さっぱりと消え失せた。


「ひぃ!?」


甲高い悲鳴を上げた彼は、次の瞬間助けたばかりのモル少年を、荷物でもひっつかむかのように、太い腕で小脇に抱え上げた。


「に、逃げるぞ!わしの、先ほどの偉大なる活躍を見ていた、唯一の証人であるお前を、こんなところで死なせるわけにはいかんからのう!全ては、わしが正当な褒美を貰うためじゃ!」


どこまでも自分本位な必死な叫び声を上げながら、フェンブレはその巨体に似合わぬ俊敏さで、脱兎……いや、脱狐のごとく戦場を逃げ回り始めるのであった。


しかしフェンブレが引き起こした、ほんの一瞬の騒動など、この戦場の中では何の意味もなさなかった。

戦場全体に視点を戻せば、戦況は火を見るよりも明らかである。

シャドリオスの無限とも思える物量の前に、誇り高き獣人たちの戦線は崩壊寸前。

先ほどまで獅子奮迅の活躍を見せていたイルデラやゼゼアラも、度重なる激戦と終わりの見えない敵の波に動きに僅かながら、疲労の色が見え始めていた。


「てめぇら、気合入れろ……!無限ってこたぁないはずだ!」

「ぐっ……だが……終わりが見えん!」


瀕死のグレイファングも例外ではない。


「族長を守れ!絶対に突破させるな!」

「で、ですが……こいつらどんどん数を増やして……!うわぁ!」


彼の周りを固める忠実な親衛隊が、身を盾にして必死に彼を守ってはいるが、その数もシャドリオスの猛攻の前に刻一刻と減り続けている。

このままでは全滅は、時間の問題──。


「はぁっ、はぁっ……!」


レフィーラもまた、光の矢を雨のように放ち一度に十数体のシャドリオスを屠り続ける。

しかし敵の数は、一向に減らない。それどころか、倒した数以上に黒い大地から次々と湧き出てくる。


「grrrrrr……」

「た、助けてくれぇ……!もう戦えねぇ……!」


仲間たちが倒れていく光景、絶望に染まる兵士たちの顔、そして、すぐそこまで迫る部隊の全滅という最悪の未来。

それらを前にして、彼女の顔に明確な焦りの色が浮かぶ。


「どうすれば……!このままじゃ、みんな……みんな、全滅しちゃう……!」


彼女が絶望にその心を飲まれかけた、まさにその時。

懐に仕舞っていた、アドリアンから託された「綺麗な鉱石」が、力強い光を放ち始めたのだ。


「……え?」


レフィーラは、ハッとして震える手で懐からその光る石を取り出す。

その石は力強く脈打っていた。今までとは比べ物にならないほどの、眩い輝き。


そして──


「!?」


柔らかな光が、戦場を切り裂くように、放たれる。


それは、『英雄』が放つ光、そっくりで──


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