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第百四十九話

凄まじい轟音と衝撃波が戦場を駆け抜け、巻き起こった土煙が二人の総大将の姿を完全に覆い隠した。

固唾をのんで見守っていた両軍の兵士たちは、その視界を遮る砂塵の向こうを、瞬きもせずに見つめる。


勝ったのは、エルフの守護者か。

それとも、隻眼の狼王か。


「おい、見ろ!土煙の中に!」


一人の兵士が震える声で叫んだ。

やがて、土煙が風に流され薄れていく。その中心で、兵士たちが目にしたのは——。


「化け物か、あの二人は……!」


激しく火花を散らす、二つの影であった。

二人は最大の一撃の直後であるというのに、息つく暇もなく次なる攻防を繰り広げていたのだ。


「まだ立つか、エルフよ!」

「当たり前でしょ!私が、倒れるわけには……いかないんだから!」


互いに荒い息を繰り返すが、その瞳に宿る闘志の光は些かも衰えてはいなかった。

超人的なまでの気力と体力に、感嘆の声すら上がらない。

二人の間に、もはや言葉はなかった。あるのは互いの強さへの純粋な敬意と、己が全霊を込めた「武」の応酬のみ。


「ウォォォンッ!」


グレイファングが、獣の咆哮と共に大地を蹴る。

単なる突進ではない。長年の経験によって洗練された、ヴォルガルド独特の歩法だ。予測不能なステップでレフィーラの感覚を揺さぶりながら、距離を一気に詰めてくる。

振るわれる鋼鉄の爪。大気を切り裂くその一撃は、大地をも砕くほどの凄まじい破壊力を秘めていた。


「させないっ!」


レフィーラは、風の精霊魔法で自らの機動力を極限まで高め、舞うようにしてかわしていく。

彼女の足が大地を離れ、宙を舞う。その弓から放たれる光の矢は、グレイファングの死角を的確に狙い、同時に魔法で彼の足元から巨大な蔦を出現させ、その動きを僅かに、確実に封じようとする。


獣人の極みに近い、野性と洗練された武技の融合。

守護者の名に恥じぬ、多彩な精霊魔法と神がかった弓術の連携。


「やるな……!これが、『守護者』か……!」


息も絶え絶えになりながらも、グレイファングの口元には獰猛な笑みが浮かんでいた。

これほどの相手と、命のやり取りができる。その喜びが、彼の全身を駆け巡っていた。


「くっ……強い……!」


レフィーラもまた、グレイファングの底知れぬ力に戦慄しながらも、瞳には好敵手と出会えたことへの確かな輝きが宿っている。

憎しみではない。ただひたすらに、目の前の強者を打ち破りたい。

そんな純粋な闘志だけが、今、二人を突き動かしていた。


幾度となく、凄まじい攻撃が交錯する。

もはや、どちらが優勢かなど、誰にも判断がつかない。ただ、互いに持てる力の全てを、目の前の好敵手に叩きつけ続ける。

そして──その均衡は、ほんの僅かな差によって、破られた。


「これで、終いだっ!!」


グレイファングが、残る全ての力をその爪に込め全てを賭けた最後の一撃を放つ。

銀色の流星となって迫る、必殺の突撃。


その一撃を前に、レフィーラは──避けなかった。

彼女はその身に風を纏い、最小限の動きで軌道を、ほんの僅かに逸らす。

そして、すれ違いざまに──弓に魔力を込める。


がら空きになった、グレイファングの首筋。

そこに、いつの間にかつがえられていた光の矢が、ぴたりと。

グレイファングの皮膚に触れるか触れないかの、寸分の距離で突きつけられていた。


「──わたしの……勝ち、かな……?まだやる……?」


息も絶え絶えに、レフィーラがそう告げる。


「──」


グレイファングは隻眼を一度だけ見開き、そして己の完全な敗北を悟った。

彼は静かに、その場に膝をついた。

決着の瞬間、戦場を支配していた絶対的な静寂は一人の兵士が上げた「おおっ!」という感嘆の声を皮切りに、破られた。


「見たか!レフィーラ様が、あのグレイファングに勝ったぞ!」

「すげぇ……なんて戦いだ……!」


同盟軍の兵士たちから、勝利を祝う歓喜の雄叫びが上がる。

しかし、それは敗者となったヴォルガルドの兵士たちも同じであった。


「なんと見事な戦いぶりよ……」

「……あぁ、あのエルフ、とんでもねえ……。グレイファング様に勝つだなんて」


もはや敵味方の区別などない、ただ純粋に二人の偉大なる戦士の死闘を称える、嵐のような歓声と拍手であった。

称賛の渦の中心で、グレイファングは膝をついたままゆっくりと顔を上げた。

隻眼に浮かんでいたのは、敗北への悔しさではなく死力を尽くして戦い抜いた武人だけが浮かべる、どこか清々しさすら感じさせる光。


「見事だ、エルフの守護者よ。……完敗だ」


グレイファングの潔い言葉に、レフィーラは優しく微笑みかけると、その手にしていた壮麗な弓を、ふっと光の粒子へと変えて消した。

そして、泥と汗に汚れた華奢な手を、膝をつく狼王へと、そっと差し出した。


「ううん、本当に紙一重だったよ。貴方も、すごく、すごく強かった」


勝者でありながら、どこまでも相手を敬う戦士としての振る舞い。

差し出された手に、グレイファングは一瞬戸惑いの表情を浮かべる。しかし、目の前のエルフの守護者が見せる気高さと揺るぎない魂に彼は全てのこだわりを捨てた。


「……なるほど。これは、敵わんわけだ」


グレイファングは、そう短く呟くと、レフィーラの小さな手を取ろうと、ゆっくりと腕を動かす。

両軍の兵士たちが、大草原の歴史が変わるかもしれない、その瞬間を、固唾をのんで見守っていた。


——ただ一人、その輪の外で元ルミナヴォレン族長フェンブレだけが、悔しさに地団駄を踏んでいたが。


(お、おのれ!わしが横槍を入れて、弱ったグレイファングにとどめを刺す、絶好の機会であったというのに!空気を読まん奴らめ!)


しかし、彼はすぐに周囲の感動的な雰囲気を察すると慌ててその表情を一変させ、わざとらしく袖で目元を拭いながら大きな拍手を始めた。


「す、素晴らしい……!実に、実に感動的な戦いであったぞ!わしは、わしは涙が止まらん!こんこーん!」


白々しいフェンブレの姿に、近くで戦いの行方を見守っていたイルデラとゼゼアラが揃って呆れ果てたような、冷ややかな眼差しを向けた。


「やれやれ。こいつは、どこまで行っても変わらんな」

「まぁ、いいじゃねえか!それより、もう終わりなのか?あの狼どもは、もうやる気がねえのかい?アタイは、まだ全然戦い足りねえんだが……」

「……お前も、大概変わらんな」


ゼゼアラは心底うんざりしたように、再び深いため息をついた。

もはや戦場を支配していたはずの熱気や殺意はどこかへ消え失せ、奇妙なほどに穏やかな空気が流れ始めている。

その中心で、グレイファングがレフィーラの差し出した小さな手を取ろうと、自らの大きな手をゆっくりと伸ばし……。


だが。手が、触れ合おうとした、まさにその瞬間。


「──え?」


レフィーラの視界に、グレイファングの背後の空間が、音もなく陽炎のようにぐにゃりと歪むのが見えた。

そして、そこから現れたのは——黒い霧を纏った、およそこの世のものとは思えぬ不気味な『闇の手』。


「待──」


レフィーラの声も間に合わない。

それは無慈悲に、そして静かに、グレイファングの腹部を、背後から容赦なく貫いた。


「がっ……!?」


グレイファングの口から、大量の鮮血が噴き出す。

その瞬間、先ほどまでの地を揺るがすほどの歓声と嵐のような拍手が、嘘のようにぴたりと止んだ。


戦場は再び、だが今度は絶望の色を帯びた絶対的な静寂に包まれる。

レフィーラも、ヴォルガルドの兵士たちも、同盟軍の兵士たちも。

突然の凶行に、ただ呆然と立ち尽くすばかりであった。


「な……に……?」


ゆっくりと崩れ落ちていく、グレイファングの巨体。

やがて、闇の手はグレイファングの身体からするりと抜け出すと、一度黒い霧の球体となった。

そして、まるで粘土をこねるかのように一人の獣人の形をゆっくりと形作っていく。


そこに現れたのは——。


「いやはや、いやはや!素晴らしい!実に素晴らしい茶番劇でございましたなぁ!ええ、ええ!」


甲高い、人を食ったような声。

手を揉みながら満面の笑みを浮かべて立っていたのは、ヴォルガルドの幹部であったはずのハイエナの獣人ギエンであった。


「誇り高き狼王と、気高きエルフの守護者の、涙なしには見られぬ感動的な一騎打ち!この私、ギエンも、思わず胸が熱くなりましたぞ!そして、何よりお見事だったのは、そこのエルフのお嬢様!貴女が、この頑固で厄介な狼を、ここまで見事に弱らせてくれたおかげで……ほら、この通り!私の仕事が、ずいぶんと楽になりましたからなぁ!心より、感謝いたしますぅ!」


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