第百四十七話
「——さぁ、この森林国の守護者、レフィーラと正々堂々、勝負!」
エルフの守護者が放った、凛とした挑戦の言葉が静まり返った平原に響き渡る。
グレイファングは、隻眼に獰猛な光を宿すと自軍の兵士たちに向かって、地を揺るがすかのような声で一喝した。
「──その挑戦、受けて立とう!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼の身体は銀色の閃光と化していた。
単騎、レフィーラのいる丘へと、眼前に立ちはだかる同盟軍の陣形など意にも介さずただ一直線に突き進む。
「グレイファングを止めろ!」
「だ、だめだ!?強すぎる……!?」
進路上にいたリノケロス族や熊の獣人たちが、彼を止めようと立ちはだかるが、無駄であった。
グレイファングが彼が通り過ぎただけで屈強な獣人たちがまるで木の葉のように宙を舞い、鋭い爪を一薙ぎすれば分厚い盾が紙切れのように引き裂かれる。
天災の如きグレイファングの武の力を丘の上から目の当たりにして、モルの小さな身体は本能的な恐怖から一歩、また一歩と後ずさった。
(だめだ……あんなものに、勝てるはずがない……!アドリアン様も、いないのに……!)
だが、その時。
モルの震える肩に、温かい手が置かれた。
「私が、貴方の『矢』になってあげる。だから……目を逸らさないで。ここから、ちゃんと見てるんだよ、モル君!」
「レフィーラさん……?」
振り返ったモルの目に映ったのは、いつもの快活な笑顔を浮かべたレフィーラ。しかし瞳の奥には、戦場の全てを支配する将軍としての揺るぎない覚悟の光が宿っていた。
彼女はモルに力強く頷きかけると、次の瞬間、鬨の声を上げて、自ら丘の上から戦場へと舞い降りた。
「いくよ!」
グレイファングの直線的な「剛」の武とは、対照的であった。彼女は風と戯れるかのように、敵陣の只中を優雅に舞う。
「なっ……!?」
「空から……!」
ヴォルガルドの兵士たちが空を舞う美しいエルフの姿に気づき、戸惑いの声を上げる。
剣を紙一重で踊るようにかわし、弓から放たれる光の矢が敵の鎧を的確に撃ち抜き、魔法の蔦が足を絡め取る──
グレイファングの、全てを粉砕する「剛」の武に対し、レフィーラの、全てをいなし翻弄する「柔」の武。
二人の絶対的な強者の存在は、戦場の流れを完全に支配し、中心へと互いを引き寄せ合うかのように道を作り上げていくのであった。
「に、逃げろ!巻き込まれるぞ!」
ヴォルガルド兵も同盟兵も凄まじいまでの力の奔流に巻き込まれまいと、本能的な恐怖から後ずさる。
やがて戦場のど真ん中に二人の総大将だけを孤立させた、円形の闘技場のような空間が出来上がっていた。
「……」
──風が吹き、土埃が舞う。
静まり返った平原で二人は互いに武器を構え、距離を測る。
先に口火を切ったのは隻眼の狼であった。
「改めて、名乗ろう……ヴォルガルド族長、グレイファングである!エルフの娘よ、尋常に勝負!」
武人としての誇りに満ちた言葉に応え、レフィーラも壮麗な弓を構え、高らかに名乗りを上げた。
「『みんな仲良し!平和大好き!』同盟の将軍!森林国の守護者、レフィーラ!──いざ!」
レフィーラの口から放たれた「守護者」という言葉。
「……ほう」
その一言を聞いた瞬間、グレイファングの隻眼が剃刀のように鋭い光を放ち、微かに細められた。
「戦が始まる前にも名乗りは聞いたが……。森林国の『守護者』という極めて地位の高い者が、大草原の……それも部族間の抗争に、直々に軍を率いて介入か。これは、森林国による我らフェルシル大草原への重大な『内政干渉』と見なすが……貴殿にその覚悟はあるのか?」
その指摘は単なる戦士としてのものではない。大部族を率いる、一国の指導者としての極めて政治的で重い揺さぶりだった。
言葉の意味に気づいた瞬間、レフィーラの顔からサッと血の気が引いた。先ほどまでの武人としての凛とした表情は掻き消え、明らかな焦りの色が浮かぶ。
「あ、ち、違うの!これはその、エルフの国とは関係なく、私、レフィーラ個人の判断で……!べ、別に守護者として、公式にここにいるわけじゃ……!」
しどろもどろに言い訳をしながら、レフィーラはピューピューと間の抜けた口笛を吹き誤魔化そうとする。
子供じみた彼女の動揺を見て、グレイファングは、ふっと呆れたかのように鼻で笑った。
「……まあ、よい。今の言葉、この場では聞かなかったことにしてやろう」
そして彼は爪を、構え直す。
「ならば、この俺も今はヴォルガルドの族長ではない。……ただの一人の武人として、目の前に立つ強者と、純粋に力を競いたいだけ──」
グレイファングは政治的な駆け引きを、自ら打ち切った。
彼の隻眼に宿るのは、探るような光ではない。好敵手と出会えたことへの、戦士としての純粋な喜びの光。
「……」
レフィーラを政治家としてではなく純粋な「好敵手」として認めたのだ。
そんな純粋な武人としての気迫に、レフィーラも己の政治的な未熟さを恥じるかのように唇を結び、表情を強く引き締める。
「……」
永遠にも思えるほどの、濃密な静寂が、戦場を支配する。
周囲を取り囲む、敵も味方もない数多の獣人たちは固唾を呑んで、二人を見守っていた。
静寂を破ったのは、二人の全く同時に放たれた、気合の雄叫びであった。
「やぁーっ!!」
「はぁっ!!」
銀色の狼と、金色のエルフ。二つの影が、大地を蹴って、激しく衝突した。
グレイファングの動きは、もはや常人では捉えきれない、獣の野性そのもの。予測不能な軌道で、レフィーラとの距離を瞬時に詰める。
「えいっ!」
対するレフィーラは優雅に後方へと跳躍した。風の精霊が彼女の身体を軽くし、羽のようにその場から数メートルも後退させる。
同時に、彼女の手から放たれた光の矢がグレイファングの進路を阻むかのように、足元で炸裂した。
「ぬるいわっ!」
しかし、グレイファングは爆風など意にも介さない。
彼は長年の経験で培われた洗練された武技で、爆風の中心を最小限の動きで見切り、突破する。そして鋼鉄をも切り裂く長大な爪を、レフィーラへと振るった。
(回避出来ない!なら──)
レフィーラはその回避不能な一撃を、精霊の力を宿した弓で受け止める。甲高い金属音が響き渡り、衝撃で彼女の身体が僅かに後退した。
間髪入れず、グレイファングは狼のような俊敏な動きでレフィーラの死角へと回り込み第二、第三の爪撃を繰り出す。
「くっ……!風よっ、私に力を!」
レフィーラもまた、風の魔法で自らの機動力を極限まで高め、猛攻を舞うかのように華麗にかわしていく。
そしてその合間に、的確に追撃の矢を放ち続けた。
「やるな、エルフの娘よ!」
「貴方こそ……!」
大地を割り、風を裂くグレイファングの「剛」の一撃。
空を舞い、光を放つレフィーラの「柔」の妙技。
獣人の武の極みと、エルフの守護者の魔法。二人の実力は拮抗している。
ハイレベルで息もつかせぬ攻防は、まさしく伝説の一場面。
ヴォルガルドの兵士も同盟軍の兵士も目の前で繰り広げられる、「頂上決戦」に固唾をのんで見入っていた。
そこにあるのは、純粋な驚きと興奮だけ……。
「すげぇ……!あれがグレイファングの力か……!?」
「なんと……エルフの国の『守護者』とは、あれほどのものか!」
戦場のあちこちから、感嘆の声が漏れ始める。
彼らは一人の兵士であることを忘れ、壮絶な戦いの結末を瞬きもせずに見守るのであった。
「はぁっ……はぁっ……!」
「ぐぬっ……」
激しい攻防の末、両者は一度大きく距離を取った。
レフィーラは荒い呼吸を整え、グレイファングは隻眼を鋭く細める。
言葉は不要。
互いが持てる力の大部分を、次の一撃に込めることを理解している。
レフィーラの弓に、星々を集めたかのような眩い光が。
グレイファングの爪に、大気を切り裂くほどの、雄々しい闘気が。
互いに力を極限まで高めていく。
そして──。
「「はぁーっ!!!」」
金色のエルフの弓が煌めき、銀色の狼が大地を蹴った。




