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Paradise FOUND  作者: 泉野ジュール
End Chapter: Paradise FOUND - 楽園はこの腕のなかに
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Paradise FOUND - 2

 緑の大地から伸びる花々。

 その瑞々しい色合いが華やかで、春風に揺れて踊る姿は明るく、楽しげでさえあった。

 見上げれば空は大きく澄んでいて、薄い青をしていた。小さな白い雲が幾つか、風に乗ってその水色の空を渡っている。

 ──美しい日だった。


 ジェレスマイアは王宮の前に広がる花畑を前に、しばしの間、佇んだ。


 素朴ながらも生命力に溢れた色とりどりの花が、王宮前の広場を埋め尽くしている。穏やかな春の風が通り過ぎて、時々、その花々を揺らす。


 その度に甘くも爽やかな香りが鼻腔をくすぐるのだ。


 平和に栄える国の、優雅な王宮。

 見渡す限りに広がる一年草の花畑。やっと膝に届くほどの丈の、愛らしい花たちが、辺り一面に咲き誇っている。


 昨日は宮廷に住む小さな子供達が、ここで駆け回っているのを見た。



 楽園だ、文字通りの、地上の楽園。





 どうしてこんなことを望んだのか──

 ジェレスマイアはこの日、多分あの日以来初めて、政務から離れることを望んで執務室を後にしていた。

 足は自然と、何を意識したわけでもないというのに、この花畑へ向かった。


 ──王宮前に広がる、草原のような広場。

 エマニュエルとの約束を守り、あの後すぐに造らせたのがこの場所だった。春先に咲き誇る小さな花の草原。彼女が望んだ数少ない夢の一つ。


 それが今、ジェレスマイアの目前に広がっている。


 天上には薄い青の空……彼女の瞳と同じ色。時刻はまだ朝を少し過ぎたところで、風も空気も清涼だった。


「お前達は下がっていろ。しばらくここに人を入れるな」

 後ろから付いてきた警護兵達に、ジェレスマイアは短く告げた。

 彼らはすぐに言われた通りにし、敬礼をするとその場から下がっていく。ジェレスマイアは去っていく彼らの背中を見送った。


 しばらくして誰もいなくなると、ジェレスマイアは、草原の中をゆっくり歩き出した。


 時々、他の花よりも長く伸びたコスモスが手に当たる──生命の感触。

 本来ならこういった不均衡は刈って整えてしまうのが王宮庭園のしきたりだったが、この場所ではそれをしないようジェレスマイアは命じていた。


 自然のまま……それがエマニュエルの望んでいた姿であったはずだ。

 それがジェレスマイアの『家』にぴったりだろうと、そんな可愛いことを言っていた。エマニュエル。私の楽園。


 ──エマニュエルの遺体は、あの混乱の中、忽然と消えていたから、墓というものがない。


 例えあったとしても、それは何の慰めにもならなかっただろう。

 彼女はもういない。

 それは変えられないのだ。ただ名を刻んだだけの石など、どれだけの価値があるというのか。


「エマ」


 ジェレスマイアは広い草原を見渡しながら呟いた。

 春風がその声をさらう。

 当然、返事はない。


「エマ」


 足元の花が揺れる。

 ──そうだ、この場所こそが彼女の居場所なのだ。


 いつか己も、彼女の傍へ行く日が来るだろう。


 ジェレスマイアはあれ以来、自分の半分は彼女と共に死んだのだと、そう理解していた。今はただ、彼女がその命と引き換えに救った国と、自分の身体だけのために生きていて、心はどこか遠く……彼女との楽園を求めて彷徨っているのだと。


 あれ以来、ダイスとジャフは断交をしている。


 しかしジャフはもう攻めてこない──それがジェレスマイアの確信だった。それどころか、もし別の大国がダイスを攻めようとすれば、ジャフはきっとその妨害をするだろう。

 ──明確に記された条文がある訳ではないが。

 あえて言えば、それは同じ女を愛した二人の男達の、暗黙の了解だった。


 もし逆の事態になれば、ジェレスマイアはモルディハイを助けるだろう。なんとも皮肉で可笑しなことだが、言葉は一言も交わさずとも、彼ら両王の間にはその確信があった。

 エマニュエルが最後に残した言葉を、彼らなりの形で、守っている、とも。


 大空を仰ぐ。


 風が大地をなでる。花々が揺れる。


 目を閉じ、ここに彼女がいたらどれほど幸せだろうかと、夢を、脳裏に描く。


 エマニュエル──彼女と過ごした時間、交わした約束、腕に抱いた感触、口付け。

 全ては一瞬だった。そして、永遠でもあった。


 時は徐々に肩の傷を癒していったが、それでも、この喪失感だけは、ジェレスマイアが生きている限り癒えることはない。

 答える相手のいない愛だけが今も育ち続け、一秒一刻と、愛しさは膨らむばかりだった。


 ジェレスマイアはゆっくりと前に進んだ。草原の中央あたりへ辿り着くと、一旦足を止める。



『私の思い出に……』

 あぁ、エマニュエル──どこだ。どこへ行けばいい。どこを探せばいい。


 今もあの甘い声が聞こえる。自分の名を呼んでいる。いつも。

 しかしジェレスマイアが答えると、その先はない。声は消えていってしまう。そして残酷な現実を突きつけられるのだ。ただの幻聴だったと。


 何処まで進めばいい……何処で、この地獄が終わる……。



 思い出は刻々と鮮明になるばかりで、願いは、変わらず一つだけだった。

 エマニュエルの命──そうだ、予言はまたも正しかった。

 彼女だけが叶えられる願い。


 エマニュエルの命と、その息吹こそが、今のジェレスマイアの真の願いなのだから。





 そこは見渡す限りの花々に彩られた、美しい草原だった。

 頬をなでる風、その度に溢れる、甘い香り。

 ふと顔を上げて見れば、その先には──優雅な王宮が佇んでいる。まるでこの草原を見守るように。

 カイはエマニュエルをこの草原の入り口まで送り届けると、最後の挨拶さえ残さないで、ふっと消えてしまった。


 でもきっと、彼は何処からか見守ってくれている。

 今も、そしてこれからも。



 エマニュエルは前方を見据えた。

 しかし、これほど綺麗な場所であるのに関わらず、草原は無人だ。

 生命力に溢れた小さな花々が、まるで絨毯のように王宮までの道を埋め尽くしている。

 ──空は青くて、空気は澄んでいた。


 前方に視線を向けたまま、エマニュエルはゆっくり歩き出した。


 大地を踏む感触。

 肌をくすぐる風の流れ。


 全てが愛しかった。それでも、胸に秘めたジェレスマイアへの想いの方が、ずっと……


 エマニュエルは先に進んだ。

 まだ誰もいない。

 しかし、この先に誰かが待っている。根拠もない確信に突き動かされて、エマニュエルは少しずつ歩を早めた。


 そしてその先に──



 風に揺れる、漆黒の髪を見た。

 後姿だ。あの頃のままの、男性的な広い背中……しかし、少し痩せただろうか。

「ジェレスマイアさん……」


 エマニュエルは、ジェレスマイアの背中に声を掛けた。

 どうして彼がここに一人でいるのか。そんな疑問さえ浮かばなかった。今はただ、その灰色の瞳をもう一度見たい思いだけで。


 エマニュエルの呼び声に、ジェレスマイアの背中が動きを止める。

 ──しかし、彼は振り向かなかった。


「ジェレスマイア、さん……?」


 もう一度、エマニュエルはジェレスマイアの名を呼んだ。

 すると彼の肩が硬く強張るのを、エマニュエルは見た。

 ジェレスマイアはしばらくの間そのまま動かなかった。そして、ふと少しだけ顔を空に向けると、エマニュエルに背を向けたまま言った。


「──エマ」


 低い声。しかしその声はエマニュエルにとって、何よりも優しく響く。エマニュエルは答える。


「ジェレスマイアさん」


 ジェレスマイアの背中がぴくりと震えた。

 そして──振り返る。灰色の瞳が、エマニュエルを見すえた。



「エマニュエル……?」

 懐かしいジェレスマイアの声がした。

 夢を見ているのかと疑っているような表情で、振り返った先に佇んでいるエマニュエルを見つめている。


 エマニュエルは無意識に、ジェレスマイアの方へ歩き始めた。

 ──すると、ジェレスマイアも同じように、エマニュエルの方へゆっくり進み始めた。


 鼓動が高鳴る。


 彼も、同じなのだろうかと……エマニュエルは想像した。

 二人はお互いの顔をはっきり見られる距離まで近づくと、また草原の中で足を止めた。


「エマニュエル」

 ジェレスマイアはもう一度エマニュエルの名を呼んだ。


「はい」

 エマニュエルは、今度はそう答えた。


 また風が吹いて、エマニュエルの金髪を鮮やかに揺らした。足元の小花が揺れる。

 ざわめきは、楽園の歌。


「私はまた夢を見ているのか、エマ。それともついに気が触れたか……」


 ジェレスマイアが言った。

 それはどこか自嘲的な調子で、エマニュエルは胸が苦しくなるのを感じて、必死に首を横に振った。


「違います……あの日、カイさんが私を助けてくれたんです。それで……私の怪我が治るまでずっと、森の中にいて、それで……」


 エマニュエルは何とか説明を紡ごうとした。

 しかし上手くいかない。

 ──ジェレスマイアは少し、首を横に傾げた。


「『それで』」

「そ、それで……今やっと、ここに辿り着いたんです。時は熟したって、もういいだろうって言って……それで」

「──エマ」

「は、はい……っ」


 ジェレスマイアの落ち着いた声に、エマニュエルは逆に緊張を覚えて、背筋を伸ばした。


 ──あぁ、やっぱりこの人は王様なのだ。

 人々を導く烈氷の王。高みに立つ者。澄んだ灰色の瞳の、私の王……。ジェレスマイアは抑制のきいた、低い声で続けた。


「私は夢を見た。何度も何度も繰り返し、こうしてお前が目の前に現れて、私の名を呼ぶ。しかし私が手を伸ばすと消えていく」


 彼の瞳はエマニュエルを据えたまま、瞬きさえしない。


「そのまま一人残される私の、孤独を分かっているのか。あの地獄を、またもう一度味わえと言うのか」

「…………」

「消えるなら今にするがいい……私が狂う前に」


 切ない懇願。ジェレスマイアはエマニュエルを幻だと思っているのだ。

 エマニュエルは胸が痛むのを感じて、眉を寄せた。するとジェレスマイアも同じように、悲しげな表情になった。


 一歩、エマニュエルは前に進む。

 ジェレスマイアの身体がまた強張るのが分かった。エマニュエルはゆっくりと片手を伸し、ジェレスマイアの頬にそっと触れてみる。……温かかった。


 ジェレスマイアはそのエマニュエルの手に、自身の大きな手を重ねた。そして強く掴む。

 存在を確かめるように。


「…………っ!」


 声にならない叫びが、まるで爆発したように放たれて、二人はきつく抱き合った。


 ジェレスマイアは、何度も何度もエマニュエルの存在を確かめるように、彼女の身体を抱きしめ、その肌に口付けを落とす。

 気が付くと抱き上げられ、身体がふわりと宙に浮く。


 続いて、二人とも大地に倒れると、草花の上に身体を横たえた。

 ジェレスマイアが上になり、ゆっくりとエマニュエルの髪を撫でる。


「いっそ夢で構わない……エマニュエル、私の楽園」

「でも、本当です。夢じゃないの……」

「どちらでもいい。お前がここにいるのならば、他には何も必要ない――現実と夢の境さえ」

「あ……」


 草原に横たえらせたエマニュエルの身体の上に、ジェレスマイアの身体が重なり、最初は額と額を、そして次に唇を重ねた。


「ん……」


 長い口付けのあと、静かに顔が離れると、エマニュエルにはジェレスマイアの表情がはっきりと見えた。


(あ…………)


 その瞬間、きっと、予言は成就されたのだ。

 彼の、一筋の涙とともに。





「マスキール様、あれは……」

 書類の山に向かっていたマスキールは、突然のギレンの声に顔を上げた。

 あれ以来、ひたすら休む間もなく働き続けているジェレスマイアのお陰で、その右腕であるマスキールも、昼夜を問わぬ激務に毎日を追われている。


 当然、マスキールに抗議を口にする気も、権利もなく……。


 マスキールはジェレスマイアの為に働き続けていた。

 いくら政務が厳しくあろうとも、少なくとも、マスキールにはギレンがいるのだ。あまり褒められた比較ではないが、ジェレスマイアの慟哭を思えば、己はやはり幸せなのだと思いながら。


「どうした、ギレン。外で何かあったか」

「ええ、マスキール様……ここから外を見て下さい。あれは……」


 窓辺に立つギレンが、部屋の中央の机に向かっているマスキールを振り返って言った。

 マスキールは少し怪訝な顔になる。

 ギレンがマスキールの仕事を邪魔したことなど、今までなかったからだ。マスキールは立ち上がると、早足に窓辺に立つギレンの隣へ向かった。


 そして窓から、ギレンの指差す地上を見下ろす。

 ここは二階で、あの後ジェレスマイアがエマニュエルの約束を守り、自らが指揮をとって作らせた草原風の庭園が見渡せるようになっていた。


 春先の今、確かにこの庭園は美しく咲き誇っているところだ。

 が──


「……あれは……?」

「ええ……」


 マスキールとギレンは顔を見合わせた。


「「…………」」


 ──数秒の沈黙のあと。

 二人は共に部屋を飛び出した。回廊を走り抜け、階段を駆け下り、王宮の正面口へ向かう。


 そんなはずがない。そんな、こんな幸せが、あるはずが……。



 マスキールとギレンが草原を見渡せる王宮の入り口に立ったとき、優しくエマニュエルの腰を抱いたジェレスマイアが、彼らの方へ向かって歩いてくるところだった。

「エマニュエル様──!」


 ギレンは、悲鳴ととれるほどの高い声を上げた。


 エマニュエルがそれに気付いて顔を上げる。そして彼らに向かって、はにかんだ笑顔を見せた。

 ジェレスマイアは、そんなエマニュエルを愛しそうに見下ろしながら、自らも微笑んでいた。


 ──どこか誇らしげに。






 楽園は見つかった。

 それぞれの腕の中に、愛と、希望を抱きながら……。

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