Decision of Paradise - 2
『大地を震わせる、怒涛の如き地響き。そして
恐ろしい勢いで地を割る烈炎のマグマが、全てを焼き尽くし、視界を灰で覆った。
熱波が草木を焼き、生物の息を妨げる』
──そんな、見たこともない火山の噴火を、記述で読んだことがあっただけのそれを、正に、心の中で繰り返した。
何が正義だというのか。
何が、護るべきもので、何を護ってきたのか。
そんなものはもう、心の何処にも存在しなくなっていた。焼き尽くされたといって、いいのかもしれない。
エマニュエル
名前を叫んだ。答えはない。
エマニュエル
二度目に叫んだ名前に、返事が無かったとき、ジェレスマイアの中で何かが変わっていった。
国も世界も道徳も、全てが。
彼方に押し流されて、帰り道を失い、燃え盛る炎に焼かれて、灰になり、やがて消えていった。
*
カイに促されて小屋に戻ると、タリーが椅子に座って卓上の紙に向かっていた。
──紙は、それなりに高級品だ。
こんな粗末な雰囲気の部屋にそうそうある物ではないのだが、タリーは特に構えるでもなく、慣れた感じでペンを握っている。
「よかったら、相手をしてあげて頂けますか。あまり貴女のような歳の女性と交流がないので、喜ばれるでしょう」
カイは小屋の入り口に立っていたエマニュエルに、後ろから声を掛けた。
エマニュエルが振り返ると、念を押すように頷いて見せる。
その時やっと、ずっと年齢不詳に思えていたカイが、普通の青年に見えた。歳は多分、ジェレスマイアより少し下という程度だろう。
「えぇっと……」
エマニュエルが声を出すと、タリーが顔を上げた。
どうやら二人が小屋に入ってきたのにその時やっと気が付いたらしく、一瞬驚いた顔を見せながらも、次の瞬間には少女らしいはにかんだ笑顔を見せてくる。
タリーは座っていた長椅子の上を、ずずっと滑るように横へ移動した。
──空いた場所に、エマニュエルに座って欲しい、と身振り手振りで表現する。
エマニュエルは戸惑いながらも、そこへ進むと座った。
二、三人が横に並んで座ることの出来る長椅子で、田舎風の素朴な造りだが、木の柔らかい表面が座りやすい。
『こんにちは。私は、タリー』
そう書かれた紙が、エマニュエルの前に差し出される。
少女らしい可愛い文字ではあるが訓練されているようで、綺麗に整った筆記をしている。エマニュエルはそれを見て微笑した。
タリーはエマニュエルの笑顔に喜んだらしく、紙を引き戻すと、また一筆書き始めた。
しかし、次にエマニュエルの前に紙が差し出されたとき、エマニュエルはもう笑えなかった。いわく──
『あなたは、お兄様の、お嫁さん?』
「ち! 違います……っ! 私とモルディハイさんがなんて、どうして!」
「タリー様。彼女は、モルディハイ様ではなく、別の隣国の王に嫁がれる方ですよ」
「それも違……っ!」
後ろから覗いていたカイが、エマニュエルの心臓を跳ねさせる台詞をさらりと言った。
頬を染めて否定するエマニュエルと、それを見て意外そうな顔をしたカイを交互に見ながら、タリーが首をひねる。
「では、私はしばらく外に仕事がありますので」
と言って、カイはそのまま早々に小屋を後にしてしまった──エマニュエルに、弁解の時間を与えないまま。
「~~っ」
カイが出て行った先を恨めしく見つめながら、エマニュエルは幾つかのことを今更ながらに納得した。
──ジェレスマイアとエマニュエルの関係は、外部にはそう見えていたのだ。
カイがそう考えているということは、モルディハイも同じように考えているのだろうか。
(そんな筈、ないのに……)
あり得ないこと。
あり得ないけど、でも、そうであったらどんなにいいかと願っている……。
自分は信じられないのに、それを他人が信じ込んでいるというのは何故かとても切なくて、胸が締め付けられるような思いがした。
『私のお兄様も、立派な王様』
エマニュエルが黙っていると、タリーがまた書いて寄越してきた。
「そう……かな」
『沢山の人にお仕事とお食事をあげていると、いつも仰っています』
「…………」
『あなたは、お兄様のお嫁さんになりたくありませんか?』
「!」
本当に若い女性と接する機会が少なかったのか、タリーはどこか興奮気味にその質問を繰り返した。
──完全に否定したら、タリーがひどく落胆する様が目に見えて、エマニュエルは答えに詰まった。そして苦し紛れに、曖昧に
「私がしたくても、モルディハイさんが嫌なら出来ないものだから……」
と呟いてみると、今度は
『じゃあ、私がお兄様にお願いしてみます』
と返ってきた。
「でも、それも……好きな気持ちは、誰かに言われて変えたり出来ないから。だから──」
エマニュエルがそう言うと、タリーは、不可解だと言いたげな表情で首を傾げてくる。
「だから、私はモルディハイさんのお嫁さんにはなれないです」
言ってみると、ジェレスマイアの優しく細められた瞳が脳裏をよぎった。その残像が、少し残酷なくらいに深く、エマニュエルの心をえぐる。
変えたりできない。
そう──誰に何を言われても。
そこに、どんな運命が待ち受けていても。
ジェレスマイアは今、何を思っているのだろう?
あの預言があってもなくても、エマニュエルがジェレスマイアに惹かれる気持ちを止められなかったように、ジェレスマイアにも何か、それに対する葛藤があったのだろうか。
ただエマニュエルという一人の人間を、王として、守ろうとしてくれただけでなく。
『エマ』
あの穏やかな声が。澄んだ灰色の瞳が。
何を抱えていたのか、きっとこれから、明らかになる。
ダイスでは何が起こっているのだろう。エマニュエルの不在は間違いなくジェレスマイアの耳に届いているはずだ。
──あの口付けの意味が。
愛情だというのなら、きっと、今彼は苦しんでいる。
(…………)
エマニュエルがきゅっと口を結び、机の上に乗せていた両手を握り締めると、タリーはまた首を傾げた。
しかしその時、ふいに外から音が届いた。
馬の蹄の音と、それに混ざった男性の声──モルディハイの声が、タリーの名前を呼んだ。タリーは弾かれたように椅子から立ち上がり、エマニュエルを机に残して、小屋から飛び出して行く。
「あ……」
馬の足が止まるのが聞こえる。
同時に──モルディハイは色々と派手な装束を付けているのか──人が馬から勢いよく降りる音が聞こえて、また、モルディハイがタリーの名前を叫ぶ声が続いた。
当然、タリーが返事をする声を聞くことは出来ないが、兄妹が抱き合っている様はすぐに想像できた。
(ど、どうしよう……っ。逃げ、られないし!)
エマニュエルが机についたまま戸惑っていると、それをあざ笑うかのようにすぐ戸が派手な音を立てて開かれて、モルディハイの姿が入り口に現れた。
モルディハイが背にしている逆光が眩しくて、エマニュエルは一瞬、目を細める。
「女」
モルディハイが言った。
厚みのある声量だ。しかし、ジェレスマイアの落ち着いた低い声に比べると、少年のもののようにさえ思える高さがある。
「顔を見せるがいい。ジェレスマイアもこの領地までは来られぬ。時期が来ればお前は、見世物として嬲り殺しにしてやろう……あのジェレスマイアに、死ぬより辛い地獄を見せてやる」
そう言いながら、モルディハイはエマニュエルの前へ歩み寄って、くいっと彼女の顎を持ち上げた。
二人の視線が合う──が、モルディハイが見ているのは、エマニュエルではない。エマニュエルを通したジェレスマイアだ。
何故、という疑問は、光に慣れてきた目が捉えた緋色の瞳に、飲み込まれる。
「こんな小屋でなければ、あの夜の続きをしてやったところだ」
「…………」
「そうすればお前もあのジェレスマイアより私の方が、男としても優れていると、知ることが出来ただろうな」
いつも。
この太陽のような男は、ジェレスマイアを引き合いに出す。
まるでジェレスマイアだけが、モルディハイという一人の人間の価値を量る、ものさしであるかのように。
「……モルディハイさん」
モルディハイにとってエマニュエルは、『ジェレスマイアのもの』という以上の価値を持たない。それはこうして近くで見つめられて、その瞳のうつろさに、確信させられる。
「ジェレスマイアさんは、もし出来るなら、貴方と仲良くしたいと願ってるはずです。戦争なんかじゃなくて……」
怒鳴られるか、突き飛ばされるのをエマニュエルは覚悟していたが、それは無い。
「彼も王様で、一人だから……寂しいから、貴方と友達になれたらいいって、きっと思ってるはずです」
「ふん」
モルディハイは馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「それはどうかな。あの男は、私の父がしたことを知っているはずだ」
さらに高く、モルディハイはエマニュエルの顔を上げさせた。息がし辛くなる。が、モルディハイはそれを構わない。
「ジェレスマイアを越えろ、ジェレスマイアより強くなれ、賢くあれ──と。父は、自分が隣国の王に勝てないと見ると相手を謀殺し、出来なかったことを私に押し付けたのだ」
「え」
「前ダイス王とその后の死の裏には、私の父がいる。ジェレスマイアはそれを薄々知っているはずだ」
──ジェレスマイアの、両親?
エマニュエルは目を見開いた。今、恐ろしい事を聞いた──それは分かっているのに、すぐにモルディハイの告白の意味を咀嚼しきれない。
そして、足元にあることに気づかなかった深い渓谷の谷間を、突然見せつけられたような、大きな衝撃を受けた。
「でも、ジェレスマイアさんは……」
「薄々分かってはいるが、明言はしない。確固たる証拠がないからだ。この聖人ぶった道徳観もまた、あの男らしいとは思わないか?」
そう言ってモルディハイは、皮肉っぽい笑いを口元に浮かべた。
「──父には数えるほどしか会ったことがない。どれも遠くから見るだけだった。ただ一度掛けられた言葉といえば、『お前はあのダイスの皇子を越えるのだ』と。そして肩を抱かれた」
その時モルディハイは、目を惹く原色の赤い衣装を身に着けていた。
明るい色のはずのそれが、何故か物悲しく目に映る。
「長年の宿敵を殺しておいて、喜ぶ間も大してなく、数年後には自身も死んだがな」
──最後に、モルディハイは吐き捨てるように言った。
(どうして……)
それを、私に話すの。
エマニュエルのその疑問は、その時小屋の入り口に現れたタリーの存在に遮られた。
モルディハイはタリーの存在を視界に認めると、呆気なくエマニュエルから手を離して、タリーの方へ向かった。
「やはりあの男より私がいいか。タリー、お前は私の宝だ」
この場合の『あの男』は、カイを差すらしい。
足元に駆け寄ってきたタリーを抱き上げると、モルディハイはエマニュエルに挨拶一つ寄越さないまま、小屋を出て行った。
その背中は、エマニュエルの知っている誰より孤独に見えた。
唯一、比べられる者がいるとすれば、それはやはりジェレスマイアだけだ。この二人は……間違いなく似ている。まるで同じ魂を、陰と陽に分けたように。
『話をしてやって下さい。あの王もまた、孤独な方だ』
「待って……っ!」
エマニュエルがモルディハイとタリーの背中に声を掛けると、モルディハイは振り向きこそしないが足を止め、タリーは瞳を輝かせて振り返った。
「外に行くなら私も……連れて行ってください、一緒に」
さて──モルディハイは、それでもやはり振り返らなかったし、答えも一切しなかった。
ただタリーだけが、モルディハイの肩越しにコクコクと頷いてくる。
今更……。
相手はいつか自分を嬲り殺しにするとまで言っているのだ。少しくらい邪険にされたところで、一体何だというのだろう?
エマニュエルは慌てて立ち上がると、二人の兄妹の後を急いで追った。
*
もし、夢を見させてくれるなら──
こんな風景が見たいの。
色とりどりの春の花の前に立つ貴方と。
そこから少し遠く離れた国で、愛しい妹と一緒に、幸せに暮らすもう一人の王様と。
そして……
そして……
もし、夢を見させてくれるなら。




