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Paradise FOUND  作者: 泉野ジュール
Chapter 4: Follow to the Paradise - 楽園を追う者たち
22/50

Follow to the Paradise - 5

 窓から差す朝日は爽やかな金色に輝いていて、エマニュエルの髪を幻想的に照らしていた。

 白いシーツに流れる、柔らかい金色の波。

 そして、透明な肌を彩る、鮮やかな頬の桃色。

 ジェレスマイアが目を覚ました時、そんな享楽的とさえいえる甘美な景観が、まどろんだ視界に飛び込んできた。


(朝──)


 本能的に、ジェレスマイアは素早く腰元に手を滑らせて、あるべき物があるかどうかを確認した。

 護身用の短剣だ。

 目覚めた瞬間はいつも神経が高ぶっていて、妙に冴えてしまい、特に今朝のように普段と違う場所で目を覚ますと確認しなくては気がすまなくなる。普段から腰に携帯している短剣は、この朝も、当然のようにその場所に収まっていた。


(当然だな……)


 慣れた冷たい金属の感覚を手で確かめると、すぐに気分は落ち着く。

 ジェレスマイアはそのままの小さく息を吐くと、今度は隣で眠ったままのエマニュエルに視線を移した。


 まるで小さな子供同士のように。

 ジェレスマイアとエマニュエルは一つのベッドを共にした。本当になにをするでもなく、時間と体温を共有しただけだ。夜の閨事ねやごとはおろか、口づけさえない静かな夜。


 しかしこの気持ちの変わりようは、なんだろう。

 彼女を起こさないようできるだけ静かに、ゆっくりと手を伸ばすと、ジェレスマイアはエマニュエルの金の髪に指を通した。

 柔らかく指に絡みつき、やがてするりと零れ落ちてゆく金の流れ。


 きつく閉じられたままの瞳と唇は、このまま安眠を守ってやりたいような、逆に起こしてやりたくなるような、相反する欲求を同時に誘う。


「エマ──」

 結局、数秒寝顔を見守ったのち、ジェレスマイアはエマニュエルの耳元に名前を囁いた。

 すると閉じていた両瞼がピクリと震えて、ゆっくりと澄んだ青が姿を覗かせる。


「ん……」

 エマニュエルの唇から漏れる、擦れた声は、まるで天国から聞こえる音楽のように耳に届いた。


「あ、ん……朝……?」

 数回の瞬きの後、窓から差し込んでくる光を確認して、エマニュエルはつぶやいた。

「そうだ、よく眠れたか」

 ジェレスマイアが声を掛けると、エマニュエルはやっと意識をはっきり取り戻したようで、顔を上げる。ベッドの上にふたり横たわったままの格好で、視線が合った。


「はい。おはよう……ございます」

 エマニュエルの声はまだ寝起きの甘ったるい響きを持ったままだ。しかしそれが存外に艶かしく、ジェレスマイアはわずかに表情を崩した。


「お前はまだ休んでいても構わぬ。私は行くが──なにか必要なものがあれば侍女に」

「も、もう?」

 上半身を起こしたジェレスマイアの裾を、エマニュエルがきゅっと掴んだ。

「もう少しだけ……」

 そう言って、エマニュエルもベッドの上で背を起こした。長い金色の髪が、動きに従って波打つ様相は、朝の魔法のようだった。


「エマニュエル」

 ジェレスマイアは目の前の少女の名前を呼び、その頬に片手を伸ばした。

 ──許されるような気がしたのだ、この朝ばかりは。

 そのままゆっくりと顔を近づけていっても、エマニュエルは拒まない。ジェレスマイアはそのままもう一方の手をも、エマニュエルの頬に置くと、ゆっくり距離を縮めていった。


 そして目を閉じる。この至極の時を、味わおうとするように……。

 しかし


「エマニュエル様、おはようございます! 今日はドレスの最後の採寸が──」

 明るい笑顔でエマニュエルの部屋の扉を開いたギレンが、勢いよく入ってきた。そして、そのままの表情と格好でその場に凍りつく。


 朝日がとても美しく明るい朝で、すべてはくっきりと侍女の瞳に映し出された。


 ダイス王宮におごそかに佇む、粛然とした宮殿。王の間。

 しかしこの朝ばかりは──ギレンの甲高い黄色い悲鳴で、朝の始まりを迎えた。





「申し訳ありませんでしたわ……はしたない真似を。でも私、嬉しくって」

 その日、ギレンはまるで朝の出来事が自らの身に起きたことだったかのように、頬を染めたり、声を裏返したりしてはしゃいでいた。


 最初の頃はずいぶんと他人行儀だったギレンだが、時が経つにつれて打ち解けてきたのか、特に最近は表情も豊かに、よくエマニュエルに懐いている。

 その変化に、エマニュエルはまた気づくのだ。

 ──この王宮に連れてこられてから。それは強制的であったり、突発的であったりしたけれど、沢山のものを学んだ。


 ギレンのことだってそうだ。

 他人行儀でエマニュエルと一定の距離を置く彼女を、どこか冷たいとさえ感じていた。

 しかし違う。

 ただ、彼女は今までエマニュエルが知っていた世界の人とは常識が少し違っただけだ。本当は優しい。


 そこに礼儀があったり、立場があったりして、生き方が違うだけで。

 そんな単純な世界の仕組みさえ、今までのエマニュエルはよく分かっていなかった。


 エマニュエルの幸せを思って一喜一憂するギレンは、そこにどんな誤解があろうとも、思いやりのあるものだった。


「今度の宴のこともありますし、もう、エマニュエル様のお立場も安泰ですわね。ドレスの方も作り甲斐がうんと上がります」

「ドレスの方はもう……でも、安泰って?」

 再三の寸法のせいで、エマニュエルはドレスの話題について疲れてきていた。しかしギレンの言葉に不可解な箇所があって、訊き返す。

 ギレンは、訊き返された理由が分からない、という感じで首を傾げた。


「それこそ、はしたない物言いはできませんけど……でもジェレスマイア様からのご寵愛を頂いたのでしょう? あの方は、そうあちこちに手を出しませんわ」


 ご寵愛──とは?

 と疑問が浮かんだが、聞く気にはなれなかった。どうもギレンの口調から、今ははぐらかされてしまいそうな感じがするのだ。

 エマニュエルはギレンの言葉を咀嚼しようと、しばらく口をつぐんだあと、ポツリと呟いた。


「ギレンには、好きな人がいる……? マスキールさん?」

「え!」

 ギレンはまた甲高く短い声を上げると、飲み物を用意しかけていた手を止めて、エマニュエルの顔を穴が開くほど見つめた。


「やめて下さい、エマニュエル様ったら! 確かにお慕いしていますけれど、恐れ多すぎますわ。ただの憧れです。マスキール様はこの国の宰相なのですよ」


 今度は、エマニュエルがギレンを見つめる番だ。

 ギレンの相手が宰相なら、エマニュエルの相手は王だ──しかも、エマニュエルは今でこそジェレスマイアの一存で豪華な部屋に侍女を付けて暮らしているが、本来ならただの街娘だ。身分をいえば、ギレンの方がずっと上だろう。

 ──そんなエマニュエルの疑問を感じたのか、ギレンはやんわりと微笑んで、言った。


「ジェレスマイア様はこの国の王です。すべてはあの方の望むまま……と言っては大袈裟でしょうが。立場が違います。ずっと……どう申せばいいのかしら? そう、ずっと自由だと思いますわ」


 そんなギレンの言葉に、エマニュエルは素直にうなずけなかった。

 もし昔、この言葉を聞いていたら、なんの疑問も持たず納得してしまっただろう。しかし今のエマニュエルはもう知っている──。

 ジェレスマイアの背負う責任。

 ──その重さ。


 王だからこそ自由になるのだろうと──

 それが多くの人が持つ、単純な思い込みなのだろう。エマニュエル自身も持っていた。


 本当は違う。もしジェレスマイアが王に生まれつかなかったら、もっと沢山の自由と、そして力さえ──手に入れることができたはずだ。


 しかしエマニュエルに、ギレンとこれを議論する気はなかった。

 代わりに、また無邪気に鼻歌を歌いながら飲み物の用意をはじめるギレンに、やんわりとした調子で質問を続ける。


「もし好きな人がギレンを必要としていたら、その時はどうする?」

 ──と。

 ギレンは少し眉を上げただけで、すんなり答えた。


「お助けしますわ。私にできることなら、なんでも」

「それが例えば、もうその人に会えなくなっちゃうようなことでも……?」

 エマニュエルの質問にギレンは一瞬手を止めた。しかしふっと儚く微笑むとまた動き出し、ゆっくりと答える。


「難しいですね、でも私なら……心の声に従いますわ。そうするべきだと心が言うなら、そうします」


 ギレンの声は、儚い表情とは別に、とても力強かった。

(心が言うなら……)

 エマニュエルはわずかに瞳を伏せ、自分の手元を見つめた。そして胸元に視線を流すと、目に入った青海石をきゅっと握る。


 ──心は決まったのだ。

 ジェレスマイアの言う『時』がきたのなら、その時は……。


 今はまだ天がくれた夢の時間。

 その『時』がくるまでに与えられた、束の間の幸せ──楽園。





 冷える──という表現では、この空間を説明しきれないだろう。

 清澄さと冷気、そして重苦しい空気とが混ざり合った、日常とは切り離された場所。

 白基調に薄い灰色の混じった石が、広く、床と壁を構成している。天井は抜けるように高く、最高部はやりの先端ような高角を描いていた。


 祈りの場としては狭く、まったく人の気がないのは、ここが王家の者のためだけに存在する離れだからだ。

 代々のダイス王家を奉る廟堂──

 何百年という歴史の果て。今日、ここを自ら訪れる権利のある者は、ジェレスマイア以外に存在しない。


 靴音が高く響いて、空気を割った。

 ジェレスマイアは正面の入り口から廟堂の中央へ進むと、この堂の最も奥、先祖の名が刻まれた石版が建てられている神聖な場所へと進んだ。


 普段ならそこは、金字を刻まれたその白い石版と、その左右を飾る燭台が厳かに立ち並んでいるだけだ。


 しかし今は先客がいた。

 正確には、この先客こそが、ジェレスマイアをここに呼んだのだ。

 丸まった背を黒いローブに包んだ姿は小さく、一見、あまりにも惨めだった。彼女はジェレスマイアに背を向け、石版を拝むように見上げていた。


「──先日はあれが世話になったようだな、最高預言者」


 ジェレスマイアが声を掛けても、彼女は振り返らなかった。ただ肩だけが愉快そうに揺れて、そして、乾いた低い声で短く答える。


「楽しませてもらったよ。若きダイス王、私の運命の子」


 不敬ととられ処罰されても、文句は言えないような口調だ。

 しかし彼女にはそれが出来る。地位や立場を超え、畏れられ、そして遠ざけられている存在。預言者たち。その頂点に立つ者。


「それで……どうだい? あんたはあの娘と違って、もう少し話が見えていそうだね」

 老婆の質問に、ジェレスマイアは答えなかった。

 そのまま歩を進め、石版の正面まで進む。老婆と隣り合うが、どちらも正面を見たままで、お互いの顔は見えなかった。


「私を恨んでもなんの得にもならないね。私らは見るだけだ、運命は操れない。時々、つまらない悪戯をするのが関の山という訳さ」


 ジェレスマイアの視線が、石版に刻まれた文字をなぞる。

 長い名前の羅列──彼らはジェレスマイアにとってただ名前と、学んだ歴史の中の一部の存在でしかない。

 しかし下に辿り着くに従い血潮が通ってくる。

 祖父母、そして父、母。

 彼らは歴史ではない。ジェレスマイアにとっては、間違いなく血の通った身内だった。


 ジェレスマイアの拳が強く握られる。それを老婆が見逃す筈はなかった。


「……それだけじゃないよ、王。あんたの肩には幾万もの命が掛かっている。この老いぼれも含めてね」


 老婆の言葉に、ジェレスマイアは変わらず答えなかった。

 しかし数秒の沈黙ののち、別の質問を切り返す。


「時期は見えているのか、最高予言者」

 ──老婆は笑った……の、かもしれない。また声なく肩が小刻みに揺れるだけだ。


「あんたの賢いところが、昔から気に入っていたさ。一をいえば十を理解する。そうさね……」

 そう言うと老婆は、ふむ、と鼻を鳴らして肩をすぼめる。

 言葉を捜しているのか、その低い鼻声をしばらく響かせ続けて。


「もう嵐はできている……すぐにでも雨雲が立ち込めて、空を覆いつくすだろう。大雨が降り、雷が落ち、強風が人々を襲い、命を奪っていく。あんたはそれを止めたい。しかし中々止められないだろう。なんと言っても、あんたはその嵐を起こす張本人だからさ」


 ──これには、さすがのジェレスマイアも反応した。

 老婆を見下ろす。しかし老婆の方は、まだジェレスマイアを見なかった。


「嵐は沢山のものを破壊する。古きもの、過ぎ去ったものを」

「…………」

「やがて嵐が止んだとき、この王宮の前には沢山の花が咲くよ。草原に生えるような色とりどりの花さ……美しい。あんたは泣くだろうね」


 ややあって、やっと老婆はジェレスマイアに顔を向けた。

 窪んだ瞳。そして、皺だらけの皮膚の中に浮かぶ薄い唇が、わずかに微笑みの形をしているようだ。


「──この国は助かるのか」

 ジェレスマイアは聞いた。老婆は是否を答えない。ただまた、柔らかく微笑み、独り言のように続ける……。


「それがあんたの望みならね。その犠牲は、あんたもよくわかっているはずさ」



 老婆はジェレスマイアを流し見て、背を向けると、そのまま無言で廟堂を去っていった。

 不思議なことに足音はほとんど響かない。

 いや、ただジェレスマイアの聴覚に、その音が届かなかっただけなのかもしれない。

 ──なにを期待していたのか。

 なにを望んでいたのか。なにが、己の望みなのか。


『あんたは泣くだろうね』


 その言葉が、ジェレスマイアの胸に真っ直ぐに突き刺さる。なぜなら、そう、老婆が言った通り──ジェレスマイアにはこの一の説明で充分だったからだ。

『あんたは泣くだろうね』


 意味は分かっている。

 今のジェレスマイアに涙を流させるほど心を動かす存在は、一つしかない。

 ──エマニュエル。

 そしてまさに彼女こそが、ジェレスマイアの国を救うという望みの、生贄なのだ。


 ジェレスマイアは石版の前、廟堂の冷えた床に膝を折った。


 どれだけ大声を張り上げても、泣き叫んでも、この廟堂から外に声が漏れることはないようになっている──

 これもまた、先祖代々伝わってきたこの廟堂の、存在意義の一つでもあるのだ。


 民の前では全知全能を演じねばならぬ王も、一人の男として思いを叫ぶ時があるだろう。


 ジェレスマイアだけではない。

 この石版に名前を刻まれた者たちも、生きてここに膝を折り、涙を流し泣き叫んだことがあったのだろう。国を守るため、民を生かすため。




 ただ今は己の番なのだと──

 ジェレスマイアは自分に言い聞かせようとした。

 当然そんなものは慰めにさえならず、ジェレスマイアの慟哭は、そのまま廟堂の広大な天井に吸い込まれていった。

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