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Paradise FOUND  作者: 泉野ジュール
Chapter 4: Follow to the Paradise - 楽園を追う者たち
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Follow to the Paradise - 4

 貴方がここにいる──その腕は、楽園への門のよう。





 もう少しここにいて欲しいというエマニュエルの懇願を、ジェレスマイアはすんなりと受け入れた。

 ベッドに乗ると、さらに、エマニュエルとの距離を縮める。

 木の軋む音と、布ずれの音が、二人の間に音楽のように流れて、止まる。

「お前が望むのなら」

 ジェレスマイアは静かに、エマニュエルの耳元にささやくような声でそう、短く言った。


「お前じゃないです。エマって、前みたいに」

「分かった、エマ。そうしよう」

「朝までいられますか? このベッド、大きいから二人で寝ても大丈夫です」


 いくつか続いたエマニュエルの願いを、ジェレスマイアはすんなり受け入れてきた。

 ──しかしこればかりは。

 なにをエマニュエルが欲しているのかも明確ではなく、ジェレスマイアは片眉を上げた。エマニュエルはそれをジェレスマイアの拒否だと思ったのか、急にしぼんだ表情と声で、拗ねるようにつぶやく。


「駄目ですか……? お父さんとお母さんみたいに、一緒に寝るだけです。」


 口調から判断する分には、エマニュエルにジェレスマイアを色で誘おうとする気配はない。

 しかし内容は微妙だ。

 お父さんとお母さんみたいに、と世間知らずなエマニュエルがいうとき、どの辺りまでを意味しているのか──

 ジェレスマイアが黙っていると、エマニュエルはまた一段と表情を曇らせた。


「もちろん、王様のベッドほど大きくないかもしれないけど……でも」


 と、ぐずった子供のようにつぶやいたエマニュエルを見て、やはり、色っぽい誘惑ではないのだと理解し、ジェレスマイアは落胆のような、安堵のような、妙な気分を味わった。

 落胆には違いないのだが、彼女がまだまっさらだという事実は、それなりに喜ばしい。


 ジェレスマイアはそのまま踝まである靴を脱ぎ捨てると、ベッドに足を上げ、彼女のすぐ横に腰を落ち着けた。


「朝までだ。悪いが夜伽話の類は知らぬ。それでよければ」

「本当?」

「ああ」


 瞳を輝かせながら身体を傾けジェレスマイアに寄り添おうとするエマニュエルに、疑いの色はどこにもない。

 知らないのだろうか──

 彼女の真っ白な魂を、自分の色に染めてしまいたいと思う欲望が、ジェレスマイアの中にあることを。

 しかしそれをまざまざと見せるほど、ジェレスマイアも初心ではない。


 道化ともとれる状況であるのに……それもまたいいと、ジェレスマイアは内心楽しんでいた。


 どんな理由があるにせよ、彼女は自分の存在に喜んでいるのだ。

 ダイスの王ジェレスマイアではない、ただのひとりの男である、自分を。


 エマニュエルはそんなジェレスマイアの横で、シーツをひっくり返したり畳んだりして、一生懸命場所を用意していた。

 枕を叩こうとして、巻き上がった埃にくしゃみをする無邪気なエマニュエルの仕草を、微笑みながら見つめる。


「はい、どうぞ」

 ある程度床を整えると満足したのか、どこか誇らしそうな表情で、エマニュエルはジェレスマイアに就寝をすすめる。

 それも、ジェレスマイアはすんなり受け入れた。


 横になったジェレスマイアの隣に、エマニュエルも同じように横たわる。

 仰向けのジェレスマイアに対し、エマニュエルは彼の方を向いて、ピタリとくっついてくる。

 それもまた、まるで仔犬が温もりを求めて親犬に甘えているような、無邪気なものだ。


 ゆっくり、ジェレスマイアは片腕をエマニュエルの肩に回した。


「こんな夜は久しぶりだ──静かだな」

「こんな夜?」

「休むために眠る夜だ。ずっと忘れていた。明日の為ではなく、ただ、今休息を取るためだけに眠る」


 ──エマニュエルは答えなかった。

 ただジェレスマイアの顔を見上げて、しばらくそれを見つめた後に瞳を伏せる。そして、


「天国みたいですね……」


 急に、一段と大人びた声でエマニュエルはつぶやいた。

 ジェレスマイアが黙っていると、エマニュエルはその同じ声色で続ける。


「温かくて……気持ちよくて……優しい気持ちになって……。ずっと憧れてたんです。いつも、お父さんとお母さん一緒に寝るから。幸せそうに……。私もってお願いしたら、『いつかエマも一緒に眠る相手が見つかるよ』って」

「…………」

「だからずっと、こうしてみたかったんです」


 ジェレスマイアはすぐには答えず、しばらくそんなエマニュエルの髪を、肩に回した片手で漉いていた。

 混じり気のない柔らかな金の髪は、彼女の純粋な心を象徴しているようにも思える。

 そうだ、エマニュエルはずっと、その天国で生きてきたのだ。

 それを彼女から無理矢理引き剥がしたのは、他でもないジェレスマイア自身で、そこに言い訳の余地はない。


 ──こうして自分を求めてくるのも、結局、その天国が恋しいからなのだろう。

 ジェレスマイアは一種の身代わりだ。子供が、親の人肌を求めて代わりに人形を抱いて眠るような。

 萎えていく心を感じながら、ジェレスマイアは静かに言った。


「……帰りたいか」


 すると、ジェレスマイアにとっては意外なことに、エマニュエルは傷付いたような瞳をたたえて顔を上げた。

 しかしジェレスマイアは続ける。


「私を恨むだろう。王と呼ばれこの大宮殿に住み、何千人をかしずかせ……結局、この腕で掴めるものはなにもない。エマ、お前という一人の存在を、幸せにすることも出来ない」


 ──静寂、が。

 二人を世界から切り離した。


 静かな夜……そうだ、確かに静かで、そして切ない。

 ここは天国ではない──

 もっと、もっと、高いところにある、至福の、どこか。


「……そんなこと、言わないで下さい……」

 エマニュエルは小さく首を振って、そう答えた。


「ジェレスマイアさんのせいじゃないです。皆、幸せになりたくて頑張ってるだけで……それが、自然のルールだから……だから」

「…………」

「今夜はここで一緒にいて下さい。一晩だけ……一緒に」

 そこまで言うと、泣き続けていた疲れからか、エマニュエルは目蓋を伏せた。しばらくすると静かな寝息が響きはじめる。


『天国みたいですね』


 ──違う。

 ジェレスマイアはエマニュエルを抱く腕に力を入れた。


 いつか彼女を天国へ帰してやれる日がくるのだろうか。

 そんな疑問と、決心を胸に抱きながら。ジェレスマイアは静かに目を閉じた。



 次の朝は、いつもにまして早くエマニュエルの部屋を訪れたギレンの、黄色い悲鳴で幕を開けた。





 ダイス宮殿からは遠く離れたジャフの王宮で、モルディハイは一枚の肖像画を見ていた。

(ふん、なかなか、か……)

 間者に命令し、その手の一流の肖像画家を呼び、ジェレスマイアの愛妃と噂される少女の絵をおこさせたものだ。


 あの手この手の策が功をなし、ダイスはやっとモルディハイの訪問を受け入れた。

 ただ時期だけは、やれ先方に見合うだけの準備に時間が掛かるだとか、ジェレスマイアの具合が思わしくないだとか、色々と理由をつけて伸ばそうとはしてきているが。

 それも時間の問題だ。

 相手もついに覚悟を決めたようで、本格的な準備が進んでいる。

 このままいけば、数日中に完全な訪問が決まるだろう。


 ──そうなってくると、モルディハイの興味はダイスに乗り込んでからのことに移った。


 まず手始めに──そして最大の楽しみに──この、ジェレスマイアが寵愛しているという少女を奪うという目的がある。

 どうにもその姿かたちに興味が湧いて、こうして肖像をおこさせたのだが……。

 確かに、男心をくすぐる可憐な姿ではある。

 多少妖艶さに欠けるようにも思えるが、歳は十七という。まだこれからというところだろう。


 国を滅ぼし、その王の愛妃を奪う。


 しかも相手は因縁のジェレスマイアだ。

 モルディハイはこの甘い旋律に酔い、渇望と共に、その日を待ちわびていた。


 国中の美女という美女を抱き続けてきたが、これほどに興奮したことはかつてなかっただろう。

 あどけないエマニュエルの肖像は、吸い込まれそうな青の瞳と、滑らかな桃色の肌に飾られ、それだけで情欲を充分に誘った。


「最高の時を楽しませてくれそうだ」

 ──そう言って、クッと咽の奥を鳴らす。


 そして、手元にあった短剣を取ると、モルディハイはそれを逆手に持ち、エマニュエルの肖像に刃を立てた。

 まず胸元を一突きして、キャンバスが破れる鈍い音を楽しむ。

 肖像はそのまま、モルディハイの手によりぼろぼろに破られた。

 刻まれた残骸が、小さな切れ端となりモルディハイの足元にひらひらと舞う。


「指を咥えて見ているがいい、ジェレスマイア!」


 ──そうしてモルディハイが上げた笑い声は、狂人のもののようでもあったし、獅子の雄叫びのようでもあった。





 歴史はその後、これをなんと伝えるだろう。

 数十年は懐かしい話として。

 数百年は歴史として。

 千年を数えれば、それは神話として。


 どう残るにせよ、そこには確かに生きた人々がいたのだ。


 今日はまだわからない──この運命の結末。

 いつかそれを理解する日が来て、その時やっと、すべての理由を知る。

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