表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Paradise FOUND  作者: 泉野ジュール
Chapter 4: Follow to the Paradise - 楽園を追う者たち
20/50

Follow to the Paradise - 3

 他にもいくつかが候補に上がったものの、結局、エマニュエルが最初に手に取った、淡い青の浮かぶ白い布地がドレスに使われることになった。


 ギレンはその決定に嬉しそうに顔を輝かせていた。

 エマニュエルはといえば、一応それに少しは同調してみたものの、気分は晴れないままだ。


 ──夏の雨雲のように、突然。

 思考のはしに現れて、あっという間に心の中をおおいつくす。その名は『不安』だった。

 ギレンの使った『特別』という言葉の意味が、エマニュエルの胸に大きく圧し掛かる。

 その夕方に出された食事も、肌が綺麗になるとかで、ギレンが特別に用意してきた珍しい果物などが出ていたけれど、味はさっぱり分からなかった。


 急に、胸元の首飾りが冷たく、重くも感じて──。


 ジェレスマイアはこれを一種のお守りだと言った。

 当初はそれに疑問を持つことはなかったけれど、今となっては、苦しい胸騒ぎが止まらない。


 どうして彼が、こんなに美しい、貴重なものをエマニュエルに贈る気になったのか。

 エマニュエルは知らなかったが、ギレンによれば、青海石とは比類する物がないくらいに貴重で、並みの貴族では到底手が届かないような高級品だという。


 例えジェレスマイアでも、そう毎日手に入れられる物ではない。きっとエマニュエルのために特別に作らせたのだろう──と。

 最初にその話を聞いたときは、どういうわけか嬉しくなった。

 しかし今となっては──逆に、胸騒ぎを助長する。


(どうし……よう……?)


 そして気が付く。

 いつの間にか、エマニュエルはジェレスマイアを信頼していたのだ。


 いつか自分を手に掛けるとまで言った、その男を、正に。


 確かに、ジェレスマイアは『それ』が起こらないように尽力してくれている。

 それは今も疑っていない。

 ──しかし……それでも、力が及ばないのであれば、やはりエマニュエルの存在理由は変わらないのだ。


 きっと、だからこそ今のうちに、楽しませてやろうというわけで……


 独りになった広い部屋の中で、エマニュエルはきゅっと唇を結んだ。

 ベッドの縁に座り、膝の上のドレスの裾を握る。


(あ──)


 ポロリ、と。それは、息をするよりももっと自然に溢れ出てきた。瞳からこぼれ、すばやく頬をつたい、口元まで。

 今までエマニュエルが知っていたどんな種類の涙とも違う──苦しいのに柔らかい、悲しいのに、純粋な。

 そんな涙が溢れて、そのままエマニュエルの頬を濡らし続ける。


 どうしてだろう──


 殺されるかもしれないというのに、悲しいのは自分の命が消えることではなかった。

 あの瞳が──

 あの灰色の瞳がもう見られなくなるという、その、事実だった。





 深夜、誰もが寝静まっているはずの、静寂の時間。

 ──ジェレスマイアはやっと政務を終え、自室の扉をくぐった。

 外套を脱ぎ、首元を緩めると、意識せずとも短いため息が漏れる。今日はいつもに増して処理すべきことが多かった日で、この習慣に慣れているはずの身体さえ、軽く軋んでいるのを感じた。


 肩に手を回し、ゆっくりと首筋を伸ばす。

 こんな仕草さえ、執務室では──いや、『王』としてこの足で立っているときはいつでも、できない。

 先代や、他の王と呼ばれる者達がどうしていたにせよ、ジェレスマイアはそういう種類の王だった。


 自身の下に仕える者達の前では、常に完璧な指導者であり、雄大な石像を思わせる一糸乱れぬ姿を保っている。

 それは演技でも虚栄でもなく、ただ己の血がそうさせるのだ。

 それが周りの者達を安心させるのをよく知っていた。


 この状況下でさえダイス中央の結束が乱れないのは、ひとえに、王の動さない完璧な姿に対する安心感と信頼があるからだ。

 今だからこそ、ジェレスマイアは雄雄しく立ち続けなければならないのだ。

 その責をすべて背に負って。


 それから、ジェレスマイアが寝室の端にある内扉に手を掛けたのは、ほぼ無意識の行為だった。


 ジェレスマイアの部屋からエマニュエルの部屋には、回廊を通らずとも抜けられる扉がある。

 実際のところ、ただ小さな部屋を間に挟んで、隣り合っているだけだ。

 王宮の基準からすれば、部屋と呼ぶこともないほどの小さな間部屋。つまり、エマニュエルは実質上、ジェレスマイアの隣の部屋にいることになる。

 それは本来、正妃のみに与えられる場所でもあった。


 当然、部屋と部屋は通じている。

 ジェレスマイアが毎晩エマニュエルの元を訪れる際にも、この経路が使われていた。


 そう、本来なら王妃に──自分の妻に──訪れるべき道を、使っているのだ。


 エマニュエルはそれを分かっているのか、いないのか……という感じだ。分からないままでいいのだろう。

 ここの所、エマニュエルはいつもジェレスマイアの訪問を喜んでいるようだったし、いつも笑顔で迎えてくれる。


 あの笑顔が自分に向けられるのが心地良く、気がつくとこれが日課になっていた。

 よく彼女になにかしらの品を贈っていたのは、それを見た瞬間に輝くエマニュエルの瞳が、可愛らしかったからだ。

 純粋で、素直な笑顔……。

 しかし多少は、苦労や憂いを覚えたのだろうか、時に大人の女を匂わせる美しさをもって。


『ありがとう』


 毎日、何百何千と聞いているはずのどの感謝の言葉も、一日の終わりに聞くエマニュエルのそれには、まったくかなわない。


 そんな現状だったが、今夜ばかりは彼女になにを用意する時間も暇もなく、ジェレスマイアはただ身一つでエマニュエルの部屋を訪れた。

 静かに──エマニュエルが起きていることは期待していなかった。

 時刻はもう夜の峠を越している。

 ただ、彼女の安全を確認し、寝顔をひと目見ようと考えていただけだ。


 だから、エマニュエルの部屋を開けた時に聞こえた、押し殺したすすり泣きの声に、ジェレスマイアは素早く眉をひそめた。



「──どうした。泣いているな」

 ジェレスマイアはベッドの縁に腰掛け、シーツの中央にできていた小山に片手を伸ばし撫でると、そうささやいた。

 途端にその『小山』が、ピクリと震える。

 ジェレスマイアは剣術の一環で、ある程度の気配を消す術を知っている。

 熟練の者ならともかく、エマニュエルのような小娘に、それを察知することはできないだろう。

 案の定、エマニュエルはジェレスマイアが部屋に入っていたことさえ気づいていなかったようで、シーツから顔を出すと驚きに大きく瞳を瞬いていた。


「ジェ……レスマイア、さん?」

 瞳の周りは赤く腫れていて、頬には、乾いた涙の跡が筋になって数本走っている。

 最初は、まるで亡霊でも発見したように、エマニュエルはジェレスマイアを凝視していた。


 ジェレスマイアの指が、エマニュエルの頬に触れ、涙を拭く──


 と、その感触にやっと現実を悟ったのか、パッと顔色を変え、慌てて自分の手で涙を拭い出した。


「びっくりしました。今夜はもう、こないかと思ったから……」

 言い訳でもするような感じで、エマニュエルは早口にそう言った。


「執務が長引いただけだ。待っていたのなら、悪かった」

「あ……」


 エマニュエルは、身体が麻痺するような感覚を覚えた。

 自分をのぞく、真剣なジェレスマイアの目──

 また涙が溢れそうになって、しかし、彼の指がそれを遮る。


 ベッドの上で見つめ合う二人は、今、どちらも互いの存在しか感じていなかった。


 ジェレスマイアの疲れも、エマニュエルの悲しみもそこにはなくて、ただ──互いを見つめるひと組の男女がいる。

 それ以上でも、それ以下でもない。


「……今夜、は……」


 エマニュエルがそうつぶやいたのは、先に続く言葉があったからではない。ただ勝手に口をついて出ただけだが、なにを思ったのか、ジェレスマイアは少し険しい表情になって答えた。


「悪いが、今夜はなにも持ち合わせていない」

「え?」

「なにか欲しい物があるのなら今からでも都合しよう。しかし、なぜ泣いていた」

「え、えっと……?」


 軽く鼻をすすりながら、エマニュエルはベッドの上で姿勢を正した。

 ジェレスマイアは相変わらず、たとえベッドの縁に腰掛けるだけでも、見惚れるような姿勢の良さだ。

 自分だけ、シーツの中で冬眠中の熊のように丸まっていてはいけないような気にさせられる。


「なんでも……ないんです。急に少し、悲しくなっちゃって」

 エマニュエルがそう嘘をつくと、ジェレスマイアの険しい表情が更に濃くなった。

 のぞき込むようにエマニュエルを見つめると、元々低い声を更にいちだんと下げて、願う。


「──泣くな。私が見たいのは、泣き顔ではない」


 嗚呼ああ

 どう、答えろというのだろう?


 しかしその言葉は、表情は、声は。

 確かにエマニュエルを泣き止ませるに充分な威力があって、涙は静かにひいていく。

 ──かわりに心臓がトクンと跳ねる。体温が上がる。


「は……い」

 とりあえず、もう泣く意思はないのだと伝えるつもりで、エマニュエルはそう言って小さく数回うなずいた。


「水を飲むか?」

「え、あ、いいえ、あの」

「身体が冷えるか」

「それも……平気です、でも、あの」


 しかし、ジェレスマイアの硬く真剣な表情は変わらない。

 その理由を尋ねたいのだが、しかし、どう聞くべきなのか──


「どうして、ここに……?」


 エマニュエルは、少しだけ首を傾げながら、ジェレスマイアに尋ねた。

 エマニュエルの泣き声がジェレスマイアの部屋にまで響いていたとは考え難い。小さいとはいえ、間に部屋を挟んでいるし、エマニュエル自身も、シーツを頭から被って回りに声が漏れないようにしていたつもりだ。


 返事はまったく予想していなかった。

 しかし、それを抜きにしても、次のジェレスマイアの答えは、エマニュエルの心臓を簡単に鷲掴みにした。


「お前の笑顔を見たかっただけだ。もう、寝ているだろうとは思ったが──」


 声は、振動のように胸の奥まで響く。

 エマニュエルは言葉を失って、ジェレスマイアを見つめ返した。二人を照らす光は、窓から月が落とす淡い輝きだけ。

 ガラスを通して降るように注ぐ光が、見つめ合う二人の視界を助けた。


「泣いているとは思わなかった。どうすればいい」

「どう……って、あの?」

「言っただろう、笑顔が見たかったと」

「は、い、でも……」

「悪いが、お前を喜ばせるような持ち合わせは今はない。何か、欲しい物が?」


 結局、ジェレスマイアは王様なのだ。

 問題に対しては対策があり、対策を実施することによって結果がでる。問題を解決する、という結果が。

世間知らずなエマニュエルにさえ、そんなジェレスマイアの頑固で堅実な思考回路が垣間見られて──それがなぜか愛しくて、急に胸をくすぐる。


「いえ……物は、別に」

 エマニュエルが曖昧に答えると、ジェレスマイアは眉間に皺を寄せた。


「物でないのなら、なにがいい」

 変わらない口調の。

 ジェレスマイアの再度の質問に、エマニュエルは首を左右に振った。


「ここに、もう少し居てくれれば……それで」


 そして、エマニュエルは不器用に微笑む。

 悲しさが晴れたわけではないけれど、ジェレスマイアが自分の笑顔を望むというのなら、それを見せてあげたくて。


 エマニュエルがそんな切ない笑顔を見せた瞬間、厳しかったジェレスマイアの表情が崩れた。

 優しく、静かに、そしてどこか満足そうに。

 微笑み返してきた灰色の瞳は、エマニュエルにもう一度涙を与えそうになった。



 ──恋をしたかったの。

 父と母のように。愛を分かち合える誰かと、出会ってみたかったの。

 この命が沢山の人を救うというのなら、ね、あげるから。

 でも、その前に、一つだけ。

 一度だけで、一人だけで、いいから……。



『お母さんは、どうしてお父さんに恋してるって分かったの?』

『そうね──そう、ある時、お父さんの瞳を見ていて急に気がついたの。急にね、ああ、私はこの人が好きなんだって』

『……?』

『エマニュエルもその時がくれば分かるわ。心がね、教えてくれるの。本当よ』




(本当……ね)

 エマニュエルはもう、ジェレスマイアから視線を離せないでいた。

 じっと見つめて、そのまま。

 ジェレスマイアはそれに不快な反応を示すでもなく、熱心な視線をよこす娘の頬をもう一度撫で、そしてゆっくり金の髪をすいていく。

 優しい笑顔のまま。


「本当にそれだけでいいのか」

「はい」

「変わった娘だ」


 ──あなたのこの優しさが、ただの同情でもいいから。

 これが、これから命を奪わなければならない少女への、あなたの償いの形なら、それでいいから。



「もう少しだけ、ここに居てください。一緒に……」



 だから今は傍にいて。


 今見つけたの。私だけの楽園の、その、入り口を──

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ