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Paradise FOUND  作者: 泉野ジュール
Chapter 3: Searching for Paradise - 楽園をさがして
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Searching for Paradise - 6

 ぬけるような青空を見上げながら、

「はぁ……」

 エマニュエルが漏らした溜息は短く、熱い吐息をこぼしただけのようでもあった。

 エマニュエル自身も、この溜息の理由は分からない。分からないけれど、何故かずっと止まらないのだ。


 例えばこうして窓から空を見上げた瞬間。

 例えば、ふと鏡に映った自分の姿を見つけた瞬間。

 そんな何気なかったはずの行為の端々で、この妙な溜息が勝手に漏れてくる。


 ギレンはそれを恋だと呼んだ。


(恋──誰に?)


 ジェレスマイアのあの半日に及ぶ抱擁が思い出されたけれど、それは老婆の言葉のせいだとエマニュエルは思っていた。

 預言の片鱗を見せてくれると言ったのに、あの老婆は以来、顔どころか知らせ一つ寄越さない。


 結局あの朝見られたのはジェレスマイアの胸元くらいで、それがどうして予言に関係があるのかと──そう悩み続けているから、この妙な溜息が続いて、ジェレスマイアの熱が頭を離れないのだと、そう結論づけて。





 困りましたね、と唸って、マスキールは両腕を胸の前で組んだ。

 目の前には年配の首脳が一人。

 彼もまた、長年王家とジェレスマイアに仕える政治の支柱の一人である。そんなふたりが、一枚の通書を前に眉を寄せていた。

 ふたりとも主に内政より外交を専門とする身分だ。そんな訳で、今、頭を痛めている。

 通書はまたもジャフの王、モルディハイから直々の署名がなされたもので──ジェレスマイアの元を早々に訪れたい。早急な日時の選定を頼む、という種類のものだった。


「ジェレスマイア様は出来るだけ引き伸ばせと仰ったが……」

「そうです。しかし、あまり無理に引き伸ばしても、逆に乗り込んでくる口実を与えてしまう」

「その通りです、どうしたものか」


 ここまではある程度予想していたものだ。

 時期を伸ばすにも限度がある。おまけに、そうですかと素直に引き下がるような相手でもない。

 しかし今回のこの通書には一行だけ、無視できない言葉の羅列があった。


『貴殿の懐に隠された、金と青の宝石を、一度見せていただきたい』


 一種の暗号的な書き方ではあるが、その意図する所は明快だ。

 モルディハイはエマニュエルの存在を知っていて、それを見たい、と言っているのだ。


 なぜ、と疑問に思い、しかしすぐにそれを打ち消した。愚問とはこのこと。

 エマニュエルは数日前、最高預言者に連れ出され公衆にその姿を晒したのだ。目立つ髪の色と、素朴ではあるが可憐な愛らしさが相成って、あれ以来王宮では彼女の話題で持ちきりになっている。

 そんな、すでに広がってしまった情報を掴むのは、大国ジャフにはなんの難もなかっただろう。


 ここしばらく頭の痛い展開が続いたが、これはその最たるものだ。


 モルディハイ王をはじめとするジャフの使節団がここにくれば、それなりの対応をしなければいけなくなる。

 かなりの用意をしなければならないし、それに伴う費用も決して少なくない。

 しかも、かなりの広範囲で、自ら手の内を晒さすことになる。

 使節団に『その』筋の者を紛れ込ませるのは、どの国も使う常套手段だ。


 そしてエマニュエル──

 この通書が意味するのは、モルディハイを迎える宴に、エマニュエルも出席させろということだ。


 ただの興味だろうか。王宮で流れる噂を、確かめたいだけなのだろうか。

 それなればまだいい。

 しかし、モルディハイが妙な競争心をジェレスマイアに抱いているのは、政治に詳しい者ならば必ず知っている事実だ。


 まさに袋小路で、マスキールは頭を抱えた。





 どうして──と問うまでもない。

 ジェレスマイアは己の掌を見つめ、そして静かに、しかし強くそれを握った。

 あれほどまでにエマニュエルを求めた理由は、数日経った今、あまりにも重くジェレスマイアの心にのしかかった。


 不確かだった想いが、確実な望みへと変化する。

 その変化の瞬間は、今にして思えば衝撃的なほどいきなりだった。


 ただ彼女が己の手元から消えてしまったというだけで、臓腑が煮え返るような怒りと焦りが、止めどもなく溢れる。


 最悪の事態になることはない、行き先は分かっている──そんな助言は慰めにはならなかった。

 そんなものではないのだ、欲しいのは。

 欲しかったのは、彼女の存在が、自分の元にあるという確信と事実。


 こんな風に胸を焼かれる想いを知っている。

 何度か経験したことだ。己の、譲れないなにかに手を出されると必ず湧いてくる、衝動のようなもの。そんなマグマを自分の胸の内に飼っていることは、ジェレスマイアも自覚していた。


 しかし今まで、その『譲れないもの』は国に関するものだけに限られていたのだ。

 この国と民を脅かすものに対して、ジェレスマイアは確かに、あの夜と同じ強い怒りをもって対処してきた。


 それがあの夜、思ったのはエマニュエルの存在だけだった。


 『あれ』が欲しい──『あれ』は自分のものだ。

 『あれ』は、自分の庇護の下で無事に過ごしていなければならない存在だ──と。


 がらりと入れ替わったようだった。

 この国とエマニュエル。

 それはまた、運命を象徴しているようでもあった。ダイス王国とエマニュエル──ジェレスマイアがいつか、天秤に掛けなければならないであろう、ふたつの存在。


『朝になったら予言の秘密が分かるって、お婆さんは言ったのに。見えるんだって』


 ──エマニュエルはそう言った。

 彼女自身は分かっていないようだったが──ジェレスマイアには分かる。

 あの予言。その秘密。

 秘密もなにもない、あの夜すべては反転したのだ。無理矢理目の前に突きつけられる形で、確かに、予言の片鱗は垣間見られた。


 それはジェレスマイアにとって、国を救う為に強いられる犠牲が、これ以上ない重いものになるだろうという通告でもあった。

 己の命でさえもっと楽に差し出せる──

 それほど大切なものを、犠牲にしろ、と。それがあの予言なのだ。


 しかし彼女本人はそんなことなどなにも知らず、ただ、答えを求めるような瞳でジェレスマイアを見つめ返す。あの吸い込まれそうな大きな瞳で。


(『これ』を――)

 あのとき、エマニュエルの青い瞳を見ながら、ジェレスマイアは思った。


(これを犠牲にしろというのか。それが──自分にできるというのか)


 無垢で無邪気な瞳。まっすぐ自分を見つめる、澄んだ青の美しい宝石。

 もし愛し合うことが許されるなら、どんなに幸せになれるだろう。どれだけ幸せにしてやれるだろう。そんなむなしい想像さえ胸をよぎった。


 しかし血は水よりも濃い。

 この国を見捨てることは、ジェレスマイアには到底できないのだ。他のなにが許せても、これだけは、己の身体に流れる血が絶対に許さない──

 出来る、出来ないの問題ではないく、たとえ不可能でもしなければならないのだ。



 あの朝、目を覚ました彼女と過ごした、数刻。

 なにも包み隠さずに正直に告白すれば、あの時のジェレスマイアにはエマニュエルが目に入れても痛くないような愛しい存在だったのだ。

 それを。

 選りによって、そんな存在を、いつか己の手に掛けなければならない。

 ──気がつくと抱きしめたまま離すことができなくなっていた。

 この腕の中に。

 永遠ではありえない。いつか切り離さなくてはならないのだ。だったら今、たとえ今だけでも……


 今だけでもいい。


『ジェレスマイアさん』


 あの声が脳裏に響く──ジェレスマイアはもう一度強く拳を握り直した。


 あの抱擁は……そうだ。

 たとえひとときだけでもいい、エマニュエルは確かにこの胸の中にいたのだと、そう、覚えておきたかったからだ──

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