Searching for Paradise - 5
ひとときだけでもいい──永遠でなくても
この腕の中を、楽園と呼ばせて。
そして私達に力を与えて。この運命の波を、乗り切るための
Chapter 3: Searching for Paradise 5
「良い所に来たわ、ギレン! 少しこちらにいらして下さらないかしら?」
背後から聞こえた甲高い声に、ギレンは振り返った。
王宮の中、ある程度以上の位のある貴婦人たちが好んで集まるサロンの一角。
ギレンが振り返った視線の先には、当然のように、流行のドレスで着飾った女性たちが長椅子に腰を掛けたままこちらを見ていた。
手に白い扇子を持つ、目立った様相の姫が一人と、その取り巻きらしき二人という組み合わせだ。
「はい、ミシェル様。ご機嫌麗しゅう」
「ええ、ええ、ギレン。ちょっとこちらに来て頂戴。聞きたい事があるのよ」
こちらが挨拶したというのに、軽やかに無視だ。ギレンは後ろ髪を引かれる思いで、しかし言われた通り彼女たちの座る長椅子の傍へ進んだ。
それほど親しくも詳しくもない仲だが、ギレンには当初からこの姫にあまりいい印象を持っていない。
このミシェルと呼ばれたその姫は、齢は二十と少しを数えた所──
絶世の美女とまでは呼べないであろうが、中々の美形だ。
王家と繋がりの深い公爵家の長女で、半年程前から勉学を理由に王宮へ滞在している。
しかし当然、本来の目的はジェレスマイアだ。正妃のないジェレスマイアの後宮を目指し、あわよくば正妃をと目論む、なんとも分かりやすい存在だった。
「昨日の夕方から新しい噂が立っているの。ジェレスマイア様の離宮からある少女が出てきたとか、ねぇ?」
ミシェルはそう言うと両端にいる取り巻きたちに同意を求めた。
「ええ、妙な老婆に連れられて、慌てた様子だったとか」
「そうですわ。あまり王宮には相応しくない、田舎者風情だったという話ですけど」
そう、取り巻きたちは、まるで芝居をうっているような調子で頷き合っている。
ギレンは顔をしかめたいのを何とか我慢していた。続くであろう言葉は容易に予想できて、すでにあまり良い気分ではない。
「それでね、ギレン。貴女は王の間に仕え始めたのでしょう? 何か知っているんじゃないかと思って。少しこのミシェルに教えてくださらないかしら?」
──ミシェルは身分こそずっと高いが、かといって、ギレンは彼女に仕えているわけではない。
命令を下しそれを受けるという主従関係ではないので、ミシェルの言葉遣いも、一応は疑問の形を取っている。
しかし実際は、命令に近い響きがあった。
「そうは仰られても……ジェレスマイア様から、不要な口外はするなと申し付かっていますので」
ギレンは出来るだけ慇懃な口調で、慎重にそう答えた。
「あら!」
しかしミシェルは抜けるような、高い声を上げる。
「それは聞き捨てならないわ。ねぇ、ジェレスマイア様がある娘を拾ってきて傍に置いているという噂は聞いていたわ。もの珍しくてしばらく寵愛しているのかもしれないけれど、きっとすぐ飽きるでしょうとも、ね」
ミシェルは早口で捲くし立てた。
噂話の粋を出ないとはいえ、それは概ね事実かもしれない。すぐに飽きる云々は、ミシェルの様なジェレスマイアの妃を目指す女性の偏った希望ではあろうが──
「私には存じかねますわ、ミシェル様」
「本当かしら? 無理にとは言わないわ。でも、なにかご存知だったら教えて頂きたいの」
ギレンの立場は微妙だった。一応はそれなりの身分もあり、ただの使用人とは違う。
しかしミシェルの様に、姫君を名のって遊び暮らせるものではない。
そのせいかミシェルの態度も曖昧なものだ。言葉は選んでいるようだが、実質は僕に対する態度、もしくは視線をよこしてくる。
とはいえ、これらは今に始まったことではない。気持ちのいいものではないが、ギレンはやり過し方を知っている。
しかし今気に掛かったのは、エマニュエルへのもの言いだ。
馬鹿にするような言い方ではあったが、そこには並々ならない興味と、焦りがあるように聞こえた。
『田舎者風情』──そうだろうか?
確かにエマニュエルは、王都で育ったミシェルのような洗練さは持っていない。
しかし、主人への贔屓を別にしても、最近のエマニュエルは本当に美しい。
仕え始めた頃はまだ病み上がりだったせいもあり垢抜けない容姿をしていたが、今はギレンの努力の甲斐もあってか、どこに出しても立派に通用する華麗さだ。
しかも、柔らかにそよぐあの純金の髪。
澄んだ青の瞳。どれもダイスでは貴重な部類に入った。
なんとなく、実際の噂がどう流れているのか、ギレンには予想が付いた。
多分、その美しさが囁かれているはずだ。
しかしミシェルとしては認められない。だからこんなことを言って、ギレンに探りを入れようとしているのだ。
「なにかお教えできることが出来ましたら、その時はお伝えしますわ。ミシェル様。仕事がありますので、今日はここで失礼しなければ」
「あらそう、ご苦労さまね。でも約束よ、今度は色々教えて頂戴ね」
「ええ……」
ギレンはドレスの裾を掴み頭を下げると、そのままミシェルとその取り巻きたちから離れた。
出来るだけ足早に去ろうとしたつもりだったが、まだ部屋から出る前に、ミシェルたちが声高く、『どう思います?』などと話し始めるのが聞こえてくる。
ギレンは声には出さず、心の中だけで深い溜息を吐いた。
──エマニュエルが行方不明になった昨夜の一件から、一晩明けた、今。
傷だらけに見えた姿で発見されたエマニュエルは実際のところ、まったくの無傷で、本人もいたって普通どおりだ。
詳しい事情を訊くためか、ジェレスマイアが人払いをしたお陰で、今のギレンは少し手持ち無沙汰だった。しかし昼が近付いている。
必要かどうかは分からないが、とりあえず昼食の用意を整えようと、いくつか入用のものを王宮に求めて出てきたところだった。
すでに王宮ではエマニュエルに関する噂が盛んに立っているらしい。
今までは、「そんな存在がいるらしい」という、曖昧な話が少し上がっていただけだ。
ミシェルの言うとおり、ただ王が気紛れで気に入った少女を拾ってきて、少しの間寵愛しているのではないかと、その程度の話だ。
しかしもう、違う──
違うのだと、傍でジェレスマイアの表情を見ていたギレンは、そう確信していた。
*
「マスキール様?」
王の間に戻ると、エマニュエルの部屋の前にマスキールの立ち姿があった。
マスキールは扉を見つめていたようで、部屋に向かおうとしていたギレンに見えたのは最初、横顔だけだ。
しかしギレンが声を掛けると顔を上げて、その姿を確認すると、安堵の表情を見せた。
「ギレンか。これは……いや、丁度いいかも知れない。このままでは日が落ちてしまう」
「? 何のお話でしょう」
「ジェレスマイア様が──いや、もう落ち着いていらっしゃればよいのだが。あの御方は一度箍が切れると恐ろしいのだ。下手に邪魔を入れてしまえば、私など切り掛かられかねない。しかし女性に手を上げるような真似はなさらないだろう。昨夜の騒ぎのお陰で、タール山のように執務が積み上げられているのだ」
「…………?」
いまいち、要領を得ないマスキールの台詞。
これは珍しいことで、ギレンはマスキールの傍まで進み、彼が見つめていた扉を一緒に見上げた。
ちなみにタール山とは、ダイス最高峰を誇る山の名だ。
「まさか、ジェレスマイア様はまだこちらに……?」
見上げるそこは、エマニュエルの部屋だ──
確かに数刻前、マスキールとギレンは医師ともども実質的な厄介払いをされ、ここを離れていた。
しかしあれからもう大分経つ。
特に、ジェレスマイアの様に多忙を極める身にとっては、かなりの長時間だろう。
そしてマスキールの妙な態度。ギレンは部屋の中でなにが起こっているのかを想像して、パッと頬を染めた。
「そんな! お邪魔などできませんわ。冗談はやめて下さい、マスキール様!」
「いや、ギレン、何も色めかしいことが起こっているわけではない。これは誓おう。ただ、エマニュエル様をお放しにならないのだ」
マスキールはまた、珍しく慌てた顔をして答えた。
「……それは、どういう……?」
「言葉通りだ、お放しにならないのだよ。あれからずっとエマニュエル様を腕に抱えたままで」
「は、はぁ……?」
分かったような、分からないような。そんな曖昧な相槌をうって、ギレンは手元のお盆に視線を落とした。
昼食にと用意した軽食が、皿に丁寧に盛り付けられている。
これをエマニュエルに運ぼうと思っていたのだが、マスキールによれはエマニュエルはあれからずっと今まで、ジェレスマイアの腕から解放されていない、ということらしい。
事実ならば、あのミシェル姫あたりが聞けば卒倒してしまうだろう。
「それは私が持とう。ギレン、国の命運が掛かっているのだ。穏やかに頼む」
そう言うとマスキールは、ギレンが持つ盆を片手ですくうように拾い上げた。
──昔からこの人は時々、こういう憎めないことをする。
ギレンは半ば呆れた瞳でマスキールを見上げた。しかし、少しとぼけたような懇願の表情にほだされて、小さな溜息を吐く。
昔からマスキールはギレンの憧れの男性だった。
もしそうでなかったら、こんな役目はまず引き受けなかっただろう。
*
まるで道化だ──
と思えなくもなかったが、疲労も手伝い、マスキールはそれで構わないと達観していた。
先にギレンを立たせ、マスキールはその後ろで食事の盆を持った格好で、一緒にエマニュエルの部屋に入る。
「失礼します、エマニュエル様。ギレンにございます……」
と、ギレンが平静を装って告げると、なにやらエマニュエルの、答えらしいくぐもった声がわずかに部屋の奥から響いた。
そこで見たのは、寝台の上に腰を乗せ、『なにか』を抱いているジェレスマイアの後姿だ。
なにか、とは考えるまでもない。
ギレンの声を聞いて焦ったのか、ほんの少しのぞく金の髪が不自然に揺れる。
「あ、あの……エマニュエル様にお食事をお持ちしました……」
お放し下さい──とは身分上、そして雰囲気的にも、とても言えたものではなかった。
食事について言及したのはギレンの苦肉の言葉選びだったが、有難いことに、ジェレスマイアはそれに反応した。
数寸エマニュエルから上半身を離し、青の瞳をのぞく。
「食事か。まだ摂っていなかったな」
「は、はい……」
「摂るといい。昨夜も済ませていなかったな」
「ええ……」
ジェレスマイアとエマニュエルのやり取りを聞きながら、マスキールとギレンのふたりは背中に汗をかきはじめていた。
ギレンは、愛し合う(ように見える)ふたりをのぞき見している羞恥心から。
マスキールは、この状態のジェレスマイアをどう執務に戻せばいいのかという、焦りから。
そんな訳で
「えっと……ジェレスマイアさんも一緒に食べますか?」
とエマニュエルが言った瞬間、マスキールは一瞬視界が真っ白になる幻覚を見た。いや、実際真っ白になったのは、頭の髪の方だろうか。
「いや……私は仕事がある。養生することだ」
ジェレスマイアはそう言うと、エマニュエルの頬に手を置き、彼女の顔をしばらく見つめ──そして、寝台から降りた。
立ち上がったジェレスマイアは、すでに、いつもの冷静な王の姿だ。
マスキールは大きく安堵の息を漏らした。
しかし安堵に浸る時間も与えず、ジェレスマイアは掛けてあったマントを手に取ると、進み出した。
「行くぞ、マスキール」
「はい! ジェレスマイア様――」
部屋を出ようとするジェレスマイアに、マスキールが盆を持ったまま続こうとしたので、ギレンは慌てて止めた。
マスキールがギレンに盆を戻そうとしている間にも、ジェレスマイアはすでにすたすたと彼らの横を過ぎ、部屋を出て行ってしまう。
残されたエマニュエルとギレンはしばらく、紡ぐべき言葉も見つからないまま、ぽぉっと見つめ合っていた。
*
*
その頃、ダイスと僅かに国境を共有する大国、ジャフでは、穏便ならない噂が漂っていた。
近い内に徴兵があるだろうというのだ。
この国は大国であり、雄大な領地を有するが、土はあまり肥えていない。
高山が多くそれが自然の要塞にもなったが、その分、人の暮らせる地域は限られていた。自然と人口は一部の都市に集中し、大都市の避けられない運命として、人々の心はどこか殺伐としていた。
その象徴とでも言うべきジャフの王家は、これも随分と、物騒な話の多い曰く付きの一族だった。
現王モルディハイが王座に就いたのは十年ほど前。
ダイスのジェレスマイアが王となった、数年後のことだ。このふたりは年齢も近い。モルディハイがジェレスマイアの三歳上にあたる。
市井では、彼らを比べるいくつかの逸話があるほどだ。
どちらも年若い王であり、ほぼ同時期に王冠を得ている。
そしてただ椅子に座っているだけの王ではなく、自ら剣を振るう将軍王であることも共通点だ。
しかしその内実は、天と地、白と黒ほどにも違う。
ジェレスマイアが政務に血汗を流し内政の充実に力を入れているのに対し、モルディハイはひたすら国外にその活力を求めた。
強大な軍事力にものを言わせ、周りの小国を従わせる、もしくは征服し搾取することで国内の不足分を補おうとするのだ。
また、異常なほど色を好み何百何千とも言われる妾を囲っていることも、王という身分にしては禁欲的な部類に入るジェレスマイアと、正対照をなした。
──しかし、どちらもまだ正妃がいないのは同じだ。
『このふたりの間で』
──はっきり声にはせずとも誰もが感じている、ある予感。
これを感じるのに、預言者である必要はない。あまりにも必然のように、運命はそこにあるのだ。
『このふたりの間で、いつか大きな争いが起こるだろう』
そしてそれは、そう遠くない未来に待ち受けている──
これも、少しでも勘を持ち合わせている人間ならすぐに感じられた。
舞台はあまりにも整いすぎた。
折りしも今年のジャフは凶作で、『財源』を必要としている。ダイスはまさに理想のエサだ。
モルディハイが近々ジェレスマイアの元を訪れると、そんな話もどこからともなく知れ渡っていた。
そして徴兵の噂。
この二つを混ぜて考えれば、答えは一つに限られていた。